『伏』
鍵谷 理文
『シロ』
『伏』
私には「シロ」というお友達がいます。私がよく遊ぶ公園にいました。こっそり呼ぶとすぐにしっぽを揺らしながら姿を現します。
初めての出会いは私が中学1年生の頃です。私の家は両親が厳しく、ペットが飼えませんでした。シロは私の秘密のお友達です。公園にお小遣いで買ったジャーキーを持って、いつも遊んでいました。芸も仕込みました。お手もお回りも伏せもきちんと出来ました。シロは賢かったのです。
私が高校生になっても、休日はいつもシロと一緒でした。
シロとの出会いから4年が経った某月某日、突然地面が激しく身を震わせました。春休みで勉強をしていた私はとっさに周りの貴重品を掻き集め、着の身着のままで家を飛び出ました。その直後、築70年の我が家は土煙を吐き出しながらぺしゃんこになってしまいました。おそらく大黒柱からポッキリと折れたのでしょう。これからどうしようかと思い、とりあえず避難所指定の中学校に向かおうと思いました。私の両親はどちらも中学校教諭なので、行けばなんとかなるだろう。そう思ったところで、ふと気づきました。
シロ。
私は思わず公園へ向かって駆け出しました。高台にある病院へ向かう人波に逆らって、いつもの公園へ行きます。その公園でシロを呼びますが、一向に出てくる気配がありません。程ほどなくして、再び地面が揺れました。土の匂いが濃く感じます。
この公園の裏手は山になっていて、その山頂には神社があります。一瞬昨年の初詣を思い返していると、町内放送が流れ始めました。いつもと違う、不愉快なメロディ。どうやら津波が来るようなので、高台へ避難しろというものです。
神社は町内を一望できるほど高い場所にあるので、ひとまずそこへ向かおうと思いました。古ぼけた鳥居のある石造りの階段はところどころに欠け、ボロボロでした。
神社への道は2通りあります。一方は病院の裏手にあり、200段もの石階段を昇って行く道、そしてこっちの道はゆるやかな分、かなり迂回しなくてはなりません。雪もチラチラと降り始めました。
もうだいぶ上の方まで来たところで、放心からか足に力が入らなくなりました。
神社までの道の途中に東屋があります。少しだけ休もうと腰をおろした時、ブチブチと何かがちぎれるような音が辺りで響き渡りました。そして上から岩が降ってきました。土砂崩れです。土砂は私のいた東屋ごと飲み込んでしまいました。
あれから何時間経過したのでしょう。私は蒸れた土の匂いを感じました。体の上に土砂が溜まったらしく、身動きできません。ああ、ここで私は死んじゃうのか、と
ひどく冷静になったのを覚えています。覆われた土の胎内は妙に生暖かく、不思議な居心地でした。
寝返りをうとうと身を起こした瞬間、右足に激痛が走ります。木か岩か、何かに
挟まれ、曲がってはいけない方向へ曲がっている自分の足を視認してしまいました。 出血もあるようで、脚からじわじわと命がこぼれ落ちていくのを感じました。初めて直面した現実の「死」にパニックになり、大声で助けを呼びました。しかし、土の層が厚いのか、声は土にただただ吸い込まれていくだけです。それでも私は一粒の砂のような可能性を信じ、叫び続けました。右足の熱も私の休息を許すことなく、本能によって叫びつづけさせられました。
何時間経過したのでしょうか、それとも10分も経っていないでしょうか。やがて声は枯れ、右足の熱もすっかり冷め、ほとんど感覚もなくなってきました。思わず
笑みがこぼれ、同時にとめどなく涙がこぼれて来ました。もう自分の感情すら手放したかのように、自分を自分で抑えられませんでした。そんな時、近くでワン、と鳴き声がしました。
何年も通い、聞き続けた声でした。
「シロ!」
私は叫びました。急速に血流が巡りだし、痛みも、身体の熱も取り戻したのを覚えています。シロの声の他に、人の声も聞こえてきました。助かるんだ。
私はもがきました。叫びました。今日で一生分の声を使い切らんとするほど叫びました。徐々にシロの咆哮が胎内で残響し大きくなります。
自分の声で見失わないように、必死に耳を傾けながら、ただひたすらシロの名を
呼び続けました。やがて視界が真っ白になり、冷たい新鮮な空気を一度肺に入れると、そのまま気を失ってしまいました。目をつむる瞬間まで白い景色に焦点を絞っていきます。
そこには、3本足になったシロがいました。
町は無事でした。津波は来なかったものの、土砂崩れで神社は飲み込まれてしまいました。シロは神社にいて、同じように土砂に巻き込まれたみたいです。見つけた人曰く、すでに右前足が切断されていたようです。
そんな状態になってもなお、バランスの取れない3本脚で何かを訴えるように人に目線を配せて、フラフラになってまで私を見つけに来たのだそうです。
私は無事でした。手術も無事に成功し、少し神経系に損傷は負ったものの、日常生活に支障はきたしません。
そして私の代わりに片足を無くした犬は、今日も私の隣に伏せています。
『代』
『伏』 鍵谷 理文 @kagiya17
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
カリブーと私/鍵谷 理文
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます