49センチ

増田朋美

49センチ

朝から降り続いた雨は午後にはやんだ。そんな日はなんとなくきもちも晴れやかになるものだ。そうはいっても暑いので人はなかなか外へ出ないでインターネットばかりやっている人が多い。でも絶対、インターネットがあったって、何も機能しないビジネスもある。つまり、対面でなければ成立しないというものだ。その一つにこういう物があった。

その日、杉ちゃんの家のドアがいきなりガチャンと開いた。誰が来たのかと思って、杉ちゃんが急いで玄関先に行くと、そこにいたのは、古川涼さんだった。

「やあ、涼さんじゃないか。一体どうやってここまで来た?誰かと一緒か?」

と、杉ちゃんがきくと、

「はい、びっくりさせてしまってすみません。クライエントである、彼女のお願いで、ここにこさせてもらいました。」

と、涼さんはいう。

「クライエントって、誰?」

杉ちゃんが言うと、

「今降りてくると思いますから。」

と、涼さんが言うのと同時に、一人の女性が玄関に走ってきた。

「彼女は、長島すみれさん。僕のクライエントで、今日は着物のことで、杉ちゃんに相談があるそうです。」

涼さんがそう紹介すると、

「はじめまして。長島すみれと申します。ここが和裁の先生のオタクですか。本当に和風の作りですね。それも、平屋とは珍しい。」

と、女性、つまり長島すみれさんはそういうのだった。

「もうもったいぶらないで、早く用事をいえ。一体僕になんの用があって来たんだよ?」

杉ちゃんが急いでそういうと、

「ああすみません、着物の仕立直しをお願いしたいんです。」

と、すみれさんは言った。

「何でも、おばあさまのものだったそうですが、先月亡くなられて、おばあさまのことを忘れたくないと言うことで、おばあさまの着物を着続けたいんだそうです。それで、僕は、杉ちゃんがいたなと思い出して、こちらへお願いしました。」

涼さんがそう説明すると、

「はああ、そうか、ちょっと見せてみな。ここでは、話せないから、とりあえず部屋ん中にはいれ。そういうところは、いくらインターネットでやってくれと言っても、成立しないぞ。」

と、杉ちゃんがいうので、三人とも杉ちゃんの部屋に入ることにした。すみれさんが、目の見えない涼さんの手を引いて、杉ちゃんの部屋の中に入った。杉ちゃんは二人を居間へ案内させ、テーブルの前に座ってもらうように言った。すみれさんは、これなんですけどと言って、椅子に座りながら、たとう紙に入った着物を杉ちゃんに渡した。

「はあ、この着物をどう仕立てればいいのかな?裄を直すとか、そういうことかな?」

と、杉ちゃんはそう言いながら、たとう紙を解いた。中には見事な赤い総絞りの振り袖が入っていたので、びっくりする。

「いえ、裄については、着てみましたので問題ありません。それより、問題は袖の長さなのです。私も、もうすぐ35になりますので、そろそろ振り袖は無理かなと思ったものですから。」

と、すみれさんは杉ちゃんに言った。

「そこでですね、杉ちゃん。振り袖の袖を切って、別の着物として着ようという動きがあるそうですね。できれば、それをやってもらいたいんですよ。この振り袖の袖を切って、年をとっても、着れるようにしていただきたいんです。お願いできませんか?」

「そ、そうだけどねえ。」

と、杉ちゃんは頭をかじりながら言った。

「着物のことを詳しく説明させてもらうと、振り袖の袖を切って訪問着にするというのは確かに流行りなんだけどね。悪いけど、この振り袖は絵羽柄ではなく小紋柄になっている。ほら、同じ大きな花の繰り返しじゃないか。こういうのは小紋柄と言うんだ。それに、総絞りというものは、振り袖であれば格上であるが、袖を切ってしまうと、小紋にしかならなくなって、礼装としては着用できなくなるよ。それでもいい?」

確かにこの振り袖は、絵羽柄というタイプのものではなかった。総絞りではあるが、大きなバラの花を、繰り返して入れてあるタイプの小紋柄だ。つまり上下左右関係なく、バラの花が入っている。

「これがね、バラじゃなくて、亀甲みたいなおめでたい柄であれば、まだ使える可能性がないわけじゃないが、これはバラだからねえ。」

「ええ、すみません、祖母が新しいもの好きだったからだと思います。」

すみれさんは小さな声でいった。

「杉ちゃん、僕は着物のことはあまり良く知りませんが、それくらい袖を切ると、価値が落ちてしまうというものなんですか?」

と、涼さんがきく。

「価値がというか、着物には格と呼ばれる順位があるんだよ。振り袖は礼装としてすごい順位高いけど、絞りの小紋は紋を入れられないとか、生地に凹凸があるとか、そういう理由で、順位が落ちてしまい、普段用とか、気軽な外出用にしか使えないんだ。」

「そうですか。それにバラ柄というのも、なにか問題があるんですか?」

「そうだねえ。例えば亀甲とか、七宝とか、そういう吉祥文様があれば、もしかしたら礼装として使えるかもしれないが、バラというのは日本原産じゃなくて、西洋原産でしょ。そうなると、外来花というもので、あまり順位としては高くないわけよ。そういう意味で礼装には使えないといったんだ。最も、これを遵守する人も今はあまりいないけどさ。」

涼さんが続けて質問すると、杉ちゃんは急いで答えた。

「そうですか。ありがとうございます。でも私、格が低いとかそういうことは、わたし、あまり気にしませんから、おばあちゃんの思い出としてずっと着続けたいので、袖を短くしてもらえまえんか。」

すみれさんは、杉ちゃんの話を聞いてそういうことを言った。

「本当にいいのかい?人にバカにされる可能性もあるよ。着物は場違いが一番怖いからね。それをすぐに注意したがる変な人もいっぱいいる。お前さんは、まだ35だろ。それならいくらでも、着物代官の攻撃のターゲットになるよ。」

杉ちゃんが改めてそう言うと、

「そうかも知れないですけど、私、おばあちゃんの思い出を大切にしたいんです。バカにされるとか、そういうことはどうでもいいんですよ。それよりも思い出を大切にしたい。それが一番なんです。」

すみれさんは、杉ちゃんに言った。

「わかった、わかったよ。じゃあまずはじめに袖の長さを測らせてくれ。」

と、杉ちゃんは、すみれさんに、着物を着てもらうように言った。彼女はすぐに振り袖を羽織った。小紋柄ではあるけれど、見事な振り袖だった。足首まであるから、明らかに本振袖だ。

「えーと、袖の長さは、49センチでなければいけないんですよね。」

と、すみれさんがそう言う。

「それどこで習ってきた?」

と、杉ちゃんが言うと、

「着付けの先生がそう言っていました。」

と彼女は答えた。

「はあ、随分あんぽんたんな着付けの先生だな。そういう法律はどこにもないよ。おまえさんは背が高いし、49センチでは短すぎる。せめて、51くらいはほしいなあ。」

と、杉ちゃんが言うと、彼女はそんな馬鹿なという顔をして、

「そんなことしたら、水商売とか、売春婦とおなじになっちゃうんじゃありませんか?」

と、急いで言った。

「それは昔の話。今は時代が違うの。それよりも、短すぎるほうが問題だ。おまえさんは、身長があるから、ちょっと長いほうが釣り合うんだよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「着付けの先生は、袖が49センチより長いものは、水商売とかの人と同じになるから着てはいけないと言っていましたが?」

すみれさんは、そういうことを言う。

「まあ確かにそうだけど。それは売春防止法が設定される前のことだよ。そんな昔のことを、未だに持ち出すなんて、変な着付け教室だねえ。そんな先生の言うことなんか聞かなくていい。その先生は、着物を知っているようで知らないんだよ。袖の長さは、49センチでなくてもいいの。誰でも49センチだったら、それこそ、格好悪い人と、かっこいい人が出て、すごい変なものになる。それよりも、着物は、着ている人を、きれいに見せるかが鍵なんだ。だから、49センチばかりとは限らないんだよ。49センチもいれば、50センチ、59センチもいるさ。そういうふうに人よって違って当たり前だ。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「つまり、着付け教室でやっていることと、杉ちゃんのような仕立て屋さんがやってくれることは、内容が違うんでしょうか?」

と涼さんが杉ちゃんにきく。

「着物というものは、みんな同じように、着物を着ているのではないかとおもっていましたけど、着付け教室と、杉ちゃんの言ったことと全然違うんですね。それはなぜ何でしょうか?」

「まあねえ、それは、僕もよくわからないんだよな。呉服屋というか業界が勝手に決めちまったようなもんだぜ。作る側としては、どれだけ着物をきれいに見せたいかを優先して作りたいんだけどね。」

と、杉ちゃんは涼さんの質問に答えた。

「まあ、法律として、成分化されてるわけじゃないからさ、いろんなルールがごたまぜになって、一定していないのが、着物というものだろうけどさ。でも、それが逆に何やってもいいってことにもつながるんだよ。ルールが、一定していないから、袖丈が、49センチもあれば60センチもあるわけだからね。ちなみに、60センチあれば、小振袖として、礼装となれるんだけど、問題なのは、50センチから、59センチが縁起悪いって言う人がいることだよね。」

「そうですか。では、60センチにするわけには行かないですか?せめて、礼装として使えるようにしなければ、着物は使いみちがなくなるんじゃないかな?」

「いや、涼さん、小振袖は、未婚の女性が使うもんだよ。」

涼さんの質問に杉ちゃんはサラリと言った。

「今は好きな男もいないかもしれないけどさ、これから結婚する可能性だって十分あるだろう?それを考えて着物を仕立てないとさ。やっぱり、35歳という年齢はそうなるもんだと思うんだ。」

「そうですね。確かにそうなる可能性もないわけじゃないですね、、、。着物は、意外に難しいですね。どんな柄でもなんでもいいというわけではないってことですね。」

涼さんは、杉ちゃんの話にそういった。

「じゃあ、この着物をとりあえず、53センチ位で袖を切るよ。おまえさんは、身長があるから、49センチでは短すぎる。もし、着付け教室の先生が、また訳のわからないこと言うようであれば、何を言っているんだと、見返してやれ。」

「はい、わかりました。」

と、長島すみれさんはそういった。

「先生がそう言ってくださるのなら、私、そうすることにします。私は、着物のことをよく知らないから、そういうことを言われても鵜呑みしてしまったんだと思いますが、意外に、真実はそうでもないということもわかりましたので。」

「先生でもなんでもないよ。僕は、杉ちゃんだ。影山杉三と言うんだけどさ。それは、あまり好きじゃないので、杉ちゃんと言っている。」

杉ちゃんがそう言うと、すみれさんは、急いで手帳に影山杉三さんと書いた。

「名前なんて書かなくてもいいよ。まあ、とりあえず、着物の仕立て直しはやっておくから。二週間ばかりしたら来てくれる?そのときに、もう一回試着してもらってさ。それで納得してもらおうな。」

杉ちゃんはにこやかに笑った。

「ありがとうございます。じゃあ、お願いします。楽しみにしています。」

と、すみれさんもにこやかに笑った。

二三日立って、蘭が杉ちゃんの家にやってきたときのことである。いつまでたっても、杉ちゃんが、インターフォンを押しても出ないので、蘭は、杉ちゃんの家のドアに手をかけると、ドアはかんたんに開いてしまった。

「おーい、杉ちゃん、一体何をやっているんだよ。買い物に行こうと約束していたのに。」

と、蘭は、杉ちゃんの家に入ってしまった。居間に言ってみると、テーブルの上に乗った着物の袖を、杉ちゃんは一心不乱に縫っているのだった。

「はあ、杉ちゃんがこれを始めちゃうと、周りが見えなくなるんだよな。おい、杉ちゃん。今日は一緒に買い物に行く約束だったよな。きりのいいところでいいからさ、一緒に、食品買いに行こう。」

と、蘭は言った。杉ちゃんは、針を動かす手を止めて、

「おう蘭か。今、袖を短くしてくれという依頼があってさ。それで、一生懸命やっているんだよ。振り袖を短くして、小紋にしてくれと言うのでね。まあ、礼装としては使えないけど、カジュアル着物として、使ってくれるみたいだからね。」

と、言った。蘭は、その縫った着物を眺めて、

「杉ちゃん、これ、袖の長さ少し長くないか?規格品は、49センチで当たり前だと思うんだがね。」

と言った。確かに、杉ちゃんが縫っている袖は、ありふれている着物の袖より、長かった。

「これ、一体何センチにした?お客さんに迷惑かからないか?」

蘭がきくと、

「ああ、そうかも知れないけど、彼女が企画に当てはめなくていいと言ったんだ。袖の長さは、彼女の身長から、考えて、53センチにしたよ。だって彼女は、身長が、少なくとも、160センチは超えている、大柄の女性だったよ。」

と、杉ちゃんは答えた。

「そういう女性だもん。49センチにしたら短すぎて逆にかっこ悪いと言うものだ。もし、着物代官に、なにか言われるようだったら、私は背が高いから、大丈夫ですと言ってやればいい。」

「それはどうかな?」

と蘭は言った。

「着物の袖の長さは、49センチって、着付け教室でも、呉服屋さんでも言われていることじゃないか。あのカールさんだって、そういうことを言っていただろ。なにか言われて、着物が嫌いになるよりも、安全を考えて、49センチに統一させたほうがいいって。」

「日本に安全などないよ。」

杉ちゃんは、そう話しをそらした。

「そういうことじゃない。だって、若い人が着物を着なくなるのは、年配の人たちが勝手に決めたルールを押し付けるからだろ。個性的な着方や、帯をむずばなくてもいい着方も提唱されているが、それが普及しないのは、やっぱり、らくして着るのは言えないっていう人が、あまりにも多いからだと思うんだよね。それで、着物って、なにか言われて嫌だなということになって、着物を着なくなるんじゃないのかな。それなら、着物というものはこういうもんなんだって、はっきりルールとして、定義したほうがいいと思うんだよ。着物の袖は、49センチにすることで、それでうるさいお年寄りを回避できるのであれば、そのほうが楽しく着られると思う。その依頼人がどうして杉ちゃんに依頼してきたのか知らないけどさ、杉ちゃんだって一応和裁士を名乗っているのであれば、ちゃんと企画に乗って、作ってあげるのも、プロなんじゃないの?」

蘭は、心配になって、急いで杉ちゃんにそういうのであるが、

「まあそうかも知れないが、みんな49センチで統一してしまうと、着物姿がきれいに見えない人が出て、それで大損する人だっているはずだよ。それに、着物は決まった法律など昔はなかったんだし、身長に合わせて、自由に作れるっていうのは素晴らしいんだから。それをなくしちゃいけないと思うよ。違うか。」

と、杉ちゃんは平気な顔をしてそういうことを言った。

「アンティーク着物のみせなんか見てみろよ。みんな袖が長いじゃないか。それは身長に合わせて、袖の長さを変えていたからだ。それでいいと思わなきゃ。それに、袖が長いほうが、エレガントな雰囲気を出せるという長所もあるよ。」

「そうだけどねえ。曖昧にしないで、ちゃんと企画を作ったほうがいいと思うんだ。それに、袖が長いのは、女郎とか、水商売のような人が、着用していたという歴史もあるだろう。それを、未だに口にするお年寄りも少なくないんだ。だから、そういう人に、言われてしまうよりも、安全な方をやってやるのも、和裁士の努めじゃないの?」

杉ちゃんの話に、蘭は、心配な顔をしてそういうことを言うのであるが、

「まあ確かにそういう時期もあったけどさ。振り袖って言う言葉が、吉原遊廓の女郎が、袖を振って男を誘惑しようとするために袖が長くなったので、振り袖というという説もあるけどさ。でも、僕は、一番大切なのは、その人が、可愛らしくなることだと思うんだよ。それは、違うのかい?それよりも、安全路線のほうが、いいっていうのか?」

杉ちゃんがそう言うと、蘭は、そうだねと頷いた。

「まあ、日本というのは、個性とか、自分らしさというより、周りからどう見られるかを大事にしないと生きていかれないんだから。それを守らせる大切さも、若い人には教えたほうがいいと思うよ。」

「でも僕は、客の言うことを信じるよ。」

と、杉ちゃんは蘭に言った。

「それでも、彼女は長い袖でいいと言ったんだ。自分で気にしないからいいと言ったんだ。僕はそこを信じてやることにする。それに、彼女の身長で、49センチは短すぎるのもまた事実なのでね。」

「杉ちゃん、本当に君は言い出したら聞かないんだな。」

蘭は、杉ちゃんの言うことにちょっと呆れたというか、変な顔をして言った。

「きっとお前さんが、伝統というものに縛られすぎているだけだと思うよ。」

ここで喧嘩しても始まらないなと思った蘭は、もう喧嘩はここまでにして、じゃあ、買い物に行くかと杉ちゃんを誘った。それ以上、杉ちゃんも蘭も着物については何も言わなかった。

それから更に数日立って、杉ちゃんのところに、あの女性、長島すみれさんが、涼さんに連れられてやってきた。杉ちゃんは、もうできているよと言って、生まれ変わった着物を、彼女に見せた。

「わあ、嬉しい!すごい綺麗です!おばあちゃんも私がこれを着ることになって嬉しいと思います!」

「まあ、喜ぶのはいいから、ちょっと着用してみてくれ。」

と、杉ちゃんが言うと、彼女は洋服の上から着物を羽織った。確かに袖は、規格品日に比べると長かった。でも、彼女は、それについて、何も言及もしなかったし、何も嫌そうな顔をしていなかった。

「ありがとうございます!おばあちゃんの着物を着ることができて、私、本当に幸せです。こう見えても、子供の頃は、私も周りも認めるおばあちゃん子でした。だから、おばあちゃんの思い出は大事にしたいんです!本当に、ありがとうございました!」

着物を脱いでたたみながら、嬉しそうに言う彼女に、杉ちゃんは、規格通りに袖を作らないで良かったと思ったのだった。

「杉ちゃんすごいですね。思い出をとっておけるようにしてくれたんだから。」

涼さんが、杉ちゃんにそういったのであった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

49センチ 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る