拝読しました。「自ら死を選ぶのは弱い人間」と言う人が一定人数いますね。たしかに生き抜く力がなかったのかもしれないですけれど、他者を頼ると他者の重荷になるとか考えて、自分一人で抱え込む結果なのかなと思います。他人に頼って迷惑かけてもなんとも思わない人は図太く生きるという。色々考えさせられるお話でした。
作者からの返信
ふさふさしっぽさま
お読み下さいまして本当にありがとうございます。
世間にたしかにある「自ら死を選ぶのは弱い人間」と言う考えが、怖いなあと思って書いた作品でもあります。そうじゃないんだよ、強い弱いかわりなく、関わり合って図太く生きていけば良いんだよ、との私なりのメッセージのつもりで綴りました。それが伝わったら幸いです。
また、自分が精神的に追い詰められてたときに書いた作品ですので、己の心の杖的作品として、自分の中では捉えております。そこから色々考えて下さったのは、とても嬉しいことです。感謝を込めて。
私自身、周囲に自死に至った者がいくらかいることも相まって、「たすけて」を言えない環境・社会は決して良くはないし、「たすけて」を言えたとしても、それは時すでに遅しとも思えます。
でも、役所での手続きの先にある消滅処理が、まるで健全な福祉であるかのように、自死の背中をそっと押す社会もぞっとしますね。そ、そうじゃなくて……という。
まるで「ヘルプに呼応する『救済』を放棄しました!」と、モニタの中で誰かが明るく宣言したかのような、ゾッとした気分を味わいながら、改めて考えさせられました!
作者からの返信
蒼翠琥珀さま
お読みいただきありがとうございます……!
「たすけて」を公言した時点でもう生きる意味なしの弱者と判断し、社会が自死を後押しすることで「健全な」社会を維持する……そんな世界のお話しでした。
そう、わたしも、そうじゃないだろう、と思うんです。事実そういうことが多くても、時既に遅しになって欲しくないんですよね。
「たすけて」を言えたところから周囲がその人の苦しみを認識し、彼、彼女らの人生がもう一回始まる、そんな世界であってほしいと願っています。
自殺というのは、他に取れる選択肢がない状況での最後の手段、というイメージがあります。だから、助けてと声を出すのは、取れる選択肢を増やすことにも繋がったりして、余裕を生むのに重要なことだよなあ、と思います。自殺を否定することは難しいですけど、少なくとも肯定するべきではなくて。国レベルで肯定してしまったら後悔する人が増える、というのは確かにと思いました。
作者からの返信
八田部礼拓さま
お読み下さいまして本当にありがとうございます。
わたしの周りにも自死者はちらほらいますが、経験上、その人たちが助けて、と声を出したときは大抵手遅れだったりするんですよね……。
この作品は「ヘルプ・ミー=たすけて」が機能していない社会の話なんですが、それを踏まえて書いていたものでもあります。
なので、その人たちがもっと早く声を上げてくれたら、または現代が声を上げることを揶揄させない社会であってくれたらいいなと言う願いをこめた作品です。また、どうにせよ、国レベルで自死を肯定してしまったら終わりだよなあと思います。
編集済
こんにちは。前島さんのツイートから来ました。
まず最初に、人としての誠実さを感じる作品だと感じました。
功利主義と能力主義が跋扈し、人がモノ化され、命が軽くなりつつあるこの時代に、もう一度ヒューマニズムの原点に立ち返らせるような力のある作品だと思いました。
作者からの返信
黒井真(くろいまこと)さま
ようこそ、おいでいただきありがとうございます……!
この作品は自分の心がどうしようもなく落ち込んでるとき、自分が一番シンプルに発したいものはなにかと考えたとき、それは「ヘルプ・ミー」という言葉なのだと思いました。
そしてそれは自分だけでなく、全ての苦しい人において何時の時代も普遍的な言葉なのではないかと。
仰るとおり、命が軽くなりつつあるこの時代です。
そんな時代においても、この作品のようにではなく「ヘルプ・ミー」を、本来の言葉通り、お互い分かちあえたら……、そんな願いを持っています。わたしのそんな感覚が「ヒューマニズムの原点」という黒井さまのお言葉を引き出せたとしたら、こんなにうれしいことはないです。多謝!
叫びが聞こえますねえ。
作者からの返信
武石雄由さま
ようこそいらっしゃいました。ありがとうございます。
そうなんですよ、日々、叫んでるんですよ。わたしとか誰かとかが。