第23話 弟子コメット

 ついに裁きの時である。

 コメットを這いつくばらせたネブラは、嘲笑うようにコメットを見下ろしている。

 しかし、その瞳は悲しいまでに冷徹で、コメットのことなんてナメクジ程度にしか思っていないかのようだった。ペチャッと踏み潰される、とコメットは思った。

 青褪めた顔のまま、だらだらと冷や汗を掻くコメット。数時間前の自分を呪った。過去に戻ってやり直す魔法が欲しい。

 かちかちと歯を鳴らしながら、コメットは涙目でネブラに訴える。


「ゆ、許してください、お願いです、命だけは」

「ふうん。命以外は奪っていいんだな」


 ネブラが目を細めて脅す。

 それを傍聴していた大人たちは、「うわ、魔王の発言」「あるいは束縛の強い恋人」「ネブラ、薪を置いて手を洗いなさいね」と口々に言う。子供の喧嘩には口を出さない三人だった。

 コメットを見下ろすネブラは、どこをどう切り取っても悪役の姿だったが、先刻までの煮えくりかえるような魔力は鳴りを潜めている。

 そのため、ネブラの声は平静を取り戻していて、どこか淡々と、あるいは放り落とすように、コメットに言う。


「なにが不服だ」

「え……」

「なにをそんなにいじけてんだよ、お前。言っとくけど、お前の魔力が揺れてんのくらいわかってんだからな」ネブラはしゃがみこみ、コメットと目線を合わせる。「さっさと吐け、魔法の授業も放りだすくらい、お前はなにが不服だ」


 そう問いかけるネブラこそ不服そうで、コメットは不思議に思う。自分が「ネブラは最高の先生」「勉強こそ青春」「切磋琢磨を信念にします」とでも言えば満足するのだろうか。

 ただ、会話のできる気配がした。コメットは薄く口を開き、逡巡、おそるおそる告げる。


「ネブラが、」

「…………」

「ネブラの頭が、おかしくなったので、」

「ああ?」

「僕はどうしたらいいか、わからない、です」


 ネブラが声を荒げることはなかった。

 ただ、顔を引き攣らせてわなわなと震えている。


「俺の頭がなんだって?」

「きっと、どこかにぶつけちゃったり、転んで強く打ったりしたんだ。ずっと変なんだもの」

「馬鹿が言うようになったな」ネブラは顎をしゃくる。「それで、俺の頭がおかしくなったからって、お前に不都合でもあんの」

「だって、変なものは変なんだよ、どうしちゃったのネブラ」

「お前に頭の心配をされる筋合いはねえ。お前より百倍頭いいわ」

「なら、僕のことも百倍わかってよ」


 コメットは床につく手を握りしめた。

 ネブラの目をまっすぐに見て言う。


「僕のことなんてちっとも考えてくれない。ネブラのそういうとこ本当にいや。どうせそのうち正気に戻って、僕のことなんて見捨てちゃうんでしょ。馬鹿だけどそれくらいわかる」


 ネブラはわずかに目を瞠ったが、口を閉ざしたまま固まる。

 互いに沈黙は続いた。

 やがて、成り行きを見守っていたケートスが、口を挟もうかと悩むそぶりを見せる。

 しかし、そのとき、ネブラが動く。魔法で薪を暖炉のそばまで遣り、空いた手でコメットの二の腕を掴み、ゆっくりと立ちあがった。

 そんなネブラに引っ張られるようにして、コメットもよろよろと立ちあがる。コメットが目を白黒させていると、ネブラは居間の奥にいたライラへ声をかける。


「ライラ。こいつに飛行用の傘を作ってやってくれ」


 その言葉だけですべてを察したライラは、意外そうな表情を作った。鮮やかな青緑の瞳が見開かれている。ただ、彼女はプロフェッショナルなので、冷静に言葉を返す。


「いいけど、最近の飛行用の傘は落下傘が主流だし、箒ほどの速度は出せないわよ?」

「飛べないよか。いま箒なんてあっても無用の長物だろ。ロマンばっか求めやがって、なんで誰も止めねえんだよ」

「あたしはお客さまのご希望を叶えただけ。そこまで言うなら、最初から真剣に考えてあげてればよかったのに」


 ライラは呆れたように笑い、テーブルの縁に体重を乗せる。テーブルの上に乗っていたグラスを取って、中の酒をゆらゆらと揺らす。

 ケートスはため息をつきながらも、どこか穏やかな表情でいた。サダルメリクは相変わらず二人を見守っている。

 なにも理解できていないコメットだけが、「え、ネブラ?」と目を瞬かせた。


「……まだ女の魔法使いが魔女と呼ばれていた時代、魔女は箒ではなく傘で飛んでたんだと。魔女も箒に乗るようになってからは普及しなくなったが、まだ飛行用の傘は製造されてる。見映えを気にするライラの店なら種類も多いだろ」

「あの……いきなり魔法の授業?」

「箒なんざ持ってても、120mBまで使えねえだろうが。杖が欲しいなら、今度は傘にしろ」


 えっ、とコメットは小さくこぼす。

 ネブラはおもむろにコメットの二の腕を掴んでいた手を滑らせて、今度はその細い手首を掴んだ。そのまま、コメットを連れて居間を出ようとする。

 上階へと繋がる階段を上ろうとしたところで、コメットは不安げに居間を振り返った。目の合ったサダルメリクが「先に飲んでるからね」と手を振っていた。

 居間を後にした二人のあいだに会話はなかった。

 コメットは困惑しながらも、ネブラに連れられるがままに階段を上っていく。ネブラの手はコメットの手首をしかと握って離さない。自分の先を行く背中に、コメットは声をかける。


「……ネブラ、どこに行くの?」

「俺の部屋。あのまま居間にいたら、先生の顔がうざいんだよ」

「うざいって? 大先生、普通だったよ?」

「内心にやにやしてそうだった……クソ、茶化してくるわけじゃねえから、怒るに怒れなくて、逆に鬱陶しい」


 コメットはふよふよと視線を彷徨わせながら、声もなく「あ」とか「う」と、口を開閉させる。頭の中にあるものを言葉にできない。

 杖のこと、考えてくれてたんだ。

 いまのネブラになにを言うべきか、言ってもいいのか、コメットは迷っていた。

 そんなふうにコメットがぎこちなくしているのを、ネブラも感じ取っている。

 実のところ、ネブラの怒りはとうに下火になっていた。ネブラの沸点は、先刻コメットと追いかけっこをしたあの瞬間だったため、あとは冷めていくだけだった。居間にいたときですら、残り火みたいなものである。

 ただ、仔犬のようにオロオロしているコメットを眺めていると、なんとなく意地悪をしてやりたい気持ちになって、脅かすような真似をした。弟子の気持ちがよくわからなくて、怒っているふりをして詰めたのだ。

 怒っているふりなんて、ずいぶんと器用になったものだ——ありし日を思い返し、ネブラは心中で独りごちた。






 それは、ネブラがサダルメリクの家に来たばかりのころだ。

 二人は居間に向かい合わせに座り、朝食を摂っている。右手の使えないネブラのために、簡単に食べれるスクランブルエッグが皿に盛られていた。日差しが穏やかで、空気は透明で、丘の萌黄色は涙が滲むほど鮮やかな、美しい朝だった。


「俺はなにをすればいい?」


 ネブラが目の前のサダルメリクに尋ねる。

 問いかけの意味を理解できず、サダルメリクは微笑んだまま、言葉の続きを促す。


「俺を弟子にしてくれたろ。杖をくれた。服も、部屋も、寝床もくれた。俺はお返しになにをするべきなの?」


 そこで、サダルメリクは合点がいく。

 ネブラを弟子に取り、一緒に暮らすようになってから、サダルメリクはいろんなものを彼に買い与えた。

 今の彼が着ている、綿のシャツやカーディガンなどもそうだ。暗色のスラックスにシンプルな靴下、それに合う形のいい靴も与えている。

 三階の部屋の余りを彼に明け渡し、テーブルやベッドも揃えてやった。床を飾る絨毯は上等な代物だ。シナモンブラウンの毛布は柔らかなとろみがあり、体を覆えばすぐに眠気を誘う。

 そういうサダルメリクの接遇に、ネブラは戸惑っているのだ。代わりになにを返せばよいのかと、不安を募らせている。

 ネブラの身の上では、この扱いは破格に感じるのだろう。そう悟ったサダルメリクは、彼を安心させるよう、真心をこめて伝える。


「君にするべきことなんてないよ。あるとしたら、たくさん食べて、たくさん休むことかな」

「…………」

「暇なら文字の読み書きを教えてあげる。パズルばっかりじゃ飽きちゃったよね」


 ネブラを弟子として引き取ったからといって、そう簡単に仕事は休めない。サダルメリクが出かけているあいだ暇を持て余すネブラへ、手慰みとして、帝国地図のジグソーパズルを渡していた。

 全八百ピースの壮観な一枚絵で、ケートスが知ったら「せめて初心者向けでご用意すべきです」と言ったであろう、不親切な玩具おもちゃだった。それに、ネブラは文句も言わず、せっせと取り組んでいる。完成まで、いまは折り返しといったところだ。


「掃除とか洗濯とかは? 食事の用意もできる」

「このさき手伝ってもらうことはあるだろうけど、僕は君を召使いにするつもりはないよ」

「でも、俺、弟子にしてくれたらなんでもするって言ったのに」

「僕がなにかしてほしいくらい困ってるように見える?」


 見えない。

 腕の不自由な召使いなんて侍らせなくても、サダルメリクは一人で生きていける。

 なればこそ、ネブラにはわからない。


「じゃあ、なんで助けてくれたの。俺は貴方になにもしてないし、なにもあげられないのに、なんで?」


 ウーン、と困ったように笑うサダルメリク。

 若葉のように瑞々しい瞳が翳る。

 やがて、サダルメリクはネブラへと告げる。


「君が僕を選んでくれたからだよ、ネブラ」


 ネブラは眉を顰めた。サダルメリクの言う意味がわからなかったためだ。それが自分に学がないからなのかもわからなかった。

 そんな、どうしていいかわからないという顔のネブラを見て、サダルメリクは小さくため息をついてから、テーブルに頬づいて続ける。


「でも、そうだね。君が気に病むくらいなら、庭の雑草を抜くのだけお願いしていい? それなら片手でもできるよね?」

「わかった」

「杖腕に慣れて、魔法を使えるようになったら、練習がてら、他の仕事もお願いしようかな」

「わかった」


 ネブラはずいぶんとあっさり頷いた。

 サダルメリクは「んー……」と目を瞑る。


「君にはもっと大事な練習があるね」

「なに?」

「怒る練習」


 なにそれ、とネブラは思った。

 サダルメリクは瞼を開き、ネブラを見る。

 扱き使われるのに慣れているネブラは、ちょっとやそっとの理不尽では顔色を変えない。サダルメリクが「するべき仕事はない」と言った舌の根も乾かぬうちに「あれやこれをして」とお願いしても、平然としている。

 自分の気持ちを勘定に入れないというか、そもそも気持ちがあるのかさえ怪しかった。サダルメリクの見立てでは、まだ幼いネブラは、尊厳という概念を知らない。


「ネブラ、そのスクランブルエッグおいしい?」

「? おいしい」

「好き?」

「……たぶん」

「そう。その残ってるスクランブルエッグ、僕に全部ちょうだい」


 ネブラは一瞬固まった。

 不快感に近いものは一応あるらしい。

 しかし、すぐに「どうぞ」と言って、サダルメリクに自分の皿を差しだす。

 それが惜しみなく差しだされる理由は、真心からではない。師匠であるサダルメリクが望んだからという、その一点に尽きた。

 サダルメリクはネブラのほうへ皿を押す。


「だめだよ」

「え」

「それは君のぶんの食事で、君の好きなものなんだ。わざわざ他人に寄越してやる必要はない」

「はあ」

「イラッとした?」

「いや……」

「少しでも嫌だと思ったら、君は怒っていい」

「…………」

「言い返していい。君は、君の人生の中で、誰よりも尊くて大切なんだ。君のことを尊重してくれない相手のことを、君が尊ぶ必要も理由もない」


 ネブラは見るからに困惑し、動揺している。

 異界の地で迷子になったみたいな、憐れを誘う顔だった。

 その顔を見つめるサダルメリクのもどかしさは、切なさは、悔しさは、いまのネブラには決して伝わらないものだ。でも、そんなものは伝わらなくともかまわないから、ネブラにとって必要なことを教えたいと、サダルメリクは思った。


「だからね、ネブラ。さっきの僕の台詞にも、こう言い返してやればいいんだよ——卵の殻でも食っとけ、ってね」


 ネブラは「え」と肩を震わせたが、サダルメリクは気にせずに「練習しようか」と微笑む。


「僕に続いて——

「……先生、卵の殻食べてください」

「いいね。じゃあ、いまから僕の言うことに、全部それで返してね」

「ええ……?」

「ネブラ、牛乳取ってきて」

「先生、卵の殻食べてください」

「僕の肩揉んでほしいなあ」

「先生、卵の殻食べてください」

「仕事に行くのしんどいから、ネブラが代わりに働いてきてよ」

「先生、卵の殻食べてください」

「ひどいことを言うね。ネブラのほうこそ卵の殻でも食べてなよ」

「…………」

「こら。言い返さないと」

「……先生、卵の殻食べてください」

「よしよし」


 サダルメリクは満足げに頷き、テーブルに身を乗りだして、ネブラの頭を撫でた。何故このひとは言い返されて嬉しそうなのだろうと、ネブラは困惑していた。

 凝視するように見上げてくるネブラを、サダルメリクは「猫ちゃんみたい」と笑った。愛おしさのあまりに顎まで撫でてやりたくなったが、その欲望をこらえ、手を離す。


「君のことを傷つけるようなやつを許さないでいいよ。傷つけられたと思ったら、相手のことも傷つけてやるんだ。それを反射でできるように、少しずつ怒る練習をしていこう」

「そんなことを、貴方は俺に望むの?」

「うん。君が、掃除も洗濯もしたくない、雑用なんかやってられない、心からそう思える日が、そう言える日が来るのが理想かな」

「変わってる。頭おかしい」

「あはは、いいね、その言い回し。悪口の語彙なんてあればあるだけ強いんだから」

「……やっぱり変だぞ」

「ううん」サダルメリクは微笑む。「変じゃないんだよ」


——思い返せば、魔法の知識も、杖腕も、暮らしも自尊心も与えてやれたのに、希望だけは与えられなかったな。

 ケートスとライラの三人で居間に残るサダルメリクは、コメットと上階へ行くネブラの足音が聞こえなくなったころ、座る椅子に背凭れて、足を組む。ぼんやりと天井を眺めた。

 ライラはその向かいの席に腰を下ろし、皿に盛られた一房の葡萄に手を伸ばす。その艶黒の果実を一粒口に入れ、ライラは口角を吊りあげる。

 ややあって、サダルメリクも葡萄を一つ口に入れた。飲みこんだのち、小さく呟く。


「……この葡萄イマイチ」

「そう? 美味しいけど」

「えーなんだろう、別に不味くはないけど、味薄めっていうか、甘さ控えめっていうか」

「あたしには百点満点の葡萄だけど、メリクにとっては何点の葡萄?」

「うーん。五十五点くらい?」


 調理場のケートスが「低っ」と呟く。酒のつまみを拵えているところだった。サダルメリクの元弟子で、この三人の中でも最年少となると、働くことに慣れている。

 サダルメリクはもう一粒だけ口に入れる。やはり五十五点の味だった。


「誤差四十五点の葡萄ってわけね」

「メリクさまがたまたま美味しくないところばっかり食べてるんじゃないですか?」

「えっ、当たりはずれ? 僕、はずればっかり連続で食べちゃってるってこと?」

「アハ! これが人徳ね!」サダルメリクの不幸でライラが調子に乗った。「メリクと違って、あたしには前世から積みあげてきたものがあるから。だから美味しい葡萄だって食べれるのよ!」

「前世の徳を葡萄なんかに使っていいの?」


 サダルメリクは眉を顰めている。

 ライラの安い挑発に乗るわけではなかったが、気分のよさそうなライラはいけ好かなかった。

 やがて、調理場からケートスが出てくる。スモークチーズにサラミを巻いたものと、ポテトサラダを持ってきていた。その皿をテーブルに置き、くだんの葡萄を一粒いただく。


「……うーん、七十点」

「ここにも人徳のないひとがいる」

「俺になくてライラにはあるっておかしくないですか?」

「はい、その発言で今世の徳もなくなったわね! 残念。来世でも美味しい葡萄にはあたりません。不幸せなひとって可哀想。葡萄の本当の味って知ってる?」

「うわ、むかつきますね」

「君の男運のなさもじゅうぶん可哀想だけど」

「男運がなかろうと、あたしはあんたたちよりも人徳があるし、美味しい葡萄も食べれる」


 ライラは得意げに笑み、葡萄にキスする。

 ケートスは「ライラが馬鹿舌という説もあります」と目を眇めたが、サダルメリクは少しだけ食らったような顔で「人徳かあ」とこぼす。


「コメットには人徳があったってことなのかな」

「コメットの食べる葡萄も美味しいの?」

「いや、ネブラが変わった理由」サダルメリクは頬杖をつき、階段のほうを見遣った。「復讐のために魔法を教わりたがってたネブラが、コメットのために魔法を教わりたいと言った。あの子が破滅でなく希望を願う姿を初めて見たんだ。僕はそれが嬉しかったんだけど……」

「あんまり嬉しくなさそうに見えるわよ」

「見えますね」


 二人の指摘に、サダルメリクは呻くように返す。


「……寂しいだろ。僕がなにを言っても、ネブラには届かなかったのに」


 それなのに、彗星のように突然落っこちてきた少女によって、彼は変わった。破滅を夢見て陽炎のようにふわふわ揺れていた少年は、足をとどめる重力を手に入れたのだ。

 ネブラから「コメットに魔法を教えたい」と言われたとき、何故そう思ったのか、サダルメリクは尋ねたのだ。

 ネブラはサダルメリクに返した——屑は屑でも星屑だって、あいつが言ったから。


「……僕だって、そういうつもりで、星雲ネブラって名づけたのにな」


 サダルメリクの声は淡々としていたけれど、その呟きには、悔しさやもどかしさが滲んでいた。

 その様子を眺めていたケートスが、ふっと苦笑する。


「メリクさま。もしや拗ねてるんですか?」

「子供相手に嫉妬なんて醜いわよ」

「いやあね、これでもコメットには感謝してるんだよ?」サダルメリクは二人へ振り返る。「だけどさ、僕だってずっとネブラのそばにいたのに、僕とコメットのなにが違ったんだろうって思って」

「誰が見ても雲泥の差でしょ」

「ライラ、コメットに失礼だよ」

「あんたが泥だっつってんの。そういうとこ性格終わってるわ。はー、あたしはこんな汚い大人にはなりたくないわね」


 ライラはぷらぷらと手を振りながら立ちあがった。酒を求めに調理場へ向かう。勝手知ったる家なので、どこに酒が保管してあるかは把握していた。

 へこんだままのサダルメリクへ、ケートスが答える。


「目ですよ」

「目?」

「あーね。メリクの胡散臭い目とコメットの無垢な目を比べたら、ネブラだって思うところはあるわよね」

「ライラ、茶化さない。そういうことではありません」


 ケートスはサダルメリクへ向き直り、「メリクさまがネブラを弟子に取ったのは何故ですか?」と尋ねた。


「そりゃあ、あの子が可哀想だったから」

「きっかけはもっと別のところでしょう。貴方は、旅館が火事になる前から、ずっとあの子を目にかけていましたから」


 ケートスの目から見ても、サダルメリクはネブラを格別にかわいがっていた。

 すれ違いざまに傷を癒やし、手を振って挨拶をし、次第にうきうきと話しかけるようになり、顔色が悪いと心配そうに眺めていた。

 出会ったばかりの少年に傾倒するサダルメリクを見て、ケートスは「仕事で来てるんだけどなあ」と呆れたものだ。

 ただ、ケートスとて弟子を持つ魔法使いだから、サダルメリクの気持ちも身に染みてわかる。


「あの子は貴方に憧れていた。口には出さなくとも、その目が語っていた。貴方は、そんなあの子の目が愛おしくて、あの子を弟子にしたのでしょう?」


 この世の全てがどうでもよさそうな目をしていたネブラだったけれど、サダルメリクを見るときだけは違った。

 光の差さない冷めた眼差しが、サダルメリクを見るときだけ熱を帯びる。深い闇にきらめきが宿る。それはそれは微笑ましい光景だった。

 そうやって自分ばかりをずっと目で追うネブラのことを、サダルメリクは向日葵のようだと思っている。

 ネブラの健気な様子が微笑ましくて、まばゆい視線が心地よくて、サダルメリクは振り返ってしまったのだ。


「ネブラもきっとそうなのです。たくさんの、それこそ星の数ほどいる魔法使いの中で、自分に一目惚れしてくれたコメットを、慈しむことにしたのでしょう」ケートスは微笑む。「弟子とはかわいいものですから」


 それは、いつかの日に、サダルメリクがネブラに放った言葉でもあった。

 サダルメリクは視線を落とし、少しだけ唇を尖らせて、「ちぇー」とこぼす。


「かわいさでは僕の負けだもんな。僕、かわいい系じゃなくて綺麗系だし。綺麗なお兄さんにはネブラもほだされてくれないかあ」

「綺麗なお姉さんのあたしにもそっけないんだから、ネブラがあんたに騙されるわけがないのよ」


 調理場から戻ってきたライラが言う。

 その左手には冷えたウイスキーを、右手には三つのグラスを器用に携えていて、鼻唄混じりにテーブルの上へ置いた。

 美人のライラは、椅子に腰かけるという、ただそれだけで様になる。神様の贔屓の詰まった無茶苦茶な美形だった。手心を加えすぎていて、一種の変態性すら感じる。

 自分のグラスにウイスキーを注ぎながら、ライラは言葉を続ける。


「ま、あたしからしてみればいい気味ね。コメットを利用していいとこ取りしようとしたあんたの敗北よ、このロクデナシ」


 グラスに満ちていくとろみのある琥珀色を眺め、ライラは悦に入るように笑みを深めた。

 自分のが注ぎ終わると、次に二つ目、三つ目のグラスへ、ウイスキーを注ぎはじめる。


「あんた、どうせあれでしょ。コメットを受け入れたのも、ネブラの情操教育のために仔犬でも飼うみたいな感覚だったんでしょ」

「ライラ、言いかたが悪いですよ。そんなことをメリクさまがお考えになったと、本気で思ってるんですか?」

「本気でそんなことを考えるのがメリクよ。ケートスはこいつのことを信頼しすぎ」


 聖人のような顔で微笑みながらも、お気に入り以外はわりとどうでもいいのが、サダルメリク・ハーメルンという男だった。ケートスとて例に漏れずサダルメリクのお気に入りなので、雅量のある男だと勘違いしている。

 一方で、ライラはそのあたりの機微には聡く、サダルメリクの本性を見抜いている。サダルメリクがライラに対してドライだったとも言える。ライラにとって、サダルメリクはこの上なく狭量な男だ。


「たしかにメリクさまは、たまに人の心がないのかと思うほど容赦のないことをおっしゃいますが、懐に入れた者には情の厚いお方です」

「そのせんまい懐に入れてやろうって相手が少ないから、この男の性格が終わってるって話よ。常識人ぶってにこにこ笑ってるから気づきにくいだけ」


 ライラはテーブルに身を乗りだし、向かいにいるサダルメリクの頬を、人差し指でつんと突く。

 サダルメリクは煩わしそうに睥睨した。


「ライラ……僕は、君の審美眼を信頼しているし、明け透けに言う性格だって気に入ってるよ。でも、飲み友達をそんなふうに酷評するなんてあんまりじゃないか」

「友達の清濁すら酒と一緒に飲み干してるからこそでしょ。あたしを散々にきおろすあんたを肴にしてね。お互いさまだって思えないなら無粋よ。あんたに足りてないのは雅量じゃなくて飲酒量」


 そう突っ返したライラは、サダルメリクの手元へ、ウイスキーの入ったグラスを差しだす。そのグラスと自分のグラスをチンと打ち鳴らし、大胆に酒を煽った。

 わかったような口を利く、齢三百歳にも満たない魔法使いの女友達に、やがて、サダルメリクは軽く笑った。

 お互いさまなのは自明であったし、ライラのこういうところをサダルメリクは気に入っている。そのうえ、先刻のライラの指摘は正しかった。

 サダルメリクにとって、ネブラとコメットはまったくの別物で、比べるまでもない。

 コメットのことはかわいいけれど、それは仔犬や野花を見ている感覚に近い。眺めていると和むし、守ってやりたくはなるけれど、大切にしたいとも愛でたいとも思わない。

 一方で、ネブラは慈愛の対象だ。サダルメリクはネブラを大事に育てた。心を癒やせるよう水を遣り、しっかりと根を張れるよう土を与え、健やかに育てるよう雑草や虫を取り除き、強く生きていけるよう光を与えた。

 自分のことを塵屑ごみくずだなんて言う彼に、君は尊い命なんだと、尊い命という言葉は君のためにあるんだと、教えてやりたかった。

 サダルメリクが届けてやれなかったものを、コメットが届けてくれたのだとしたら、


「コメットには感謝しなくちゃね」


 願いを叶えてくれたのに、お礼の一つも言っていない。年甲斐もなく拗ねたせいだ。

 思えば、「ネブラには魔法を教えない」と言っておいて、いきなり指導しはじめたのだから、コメットも混乱したはずだ。しばらくは物問いたげにサダルメリクを見ていたし、問う暇もなくネブラがコメットにつきっきりになった。さきほど「ネブラの頭がおかしくなった」と言っていたので、ネブラの心境の変化に気づかず、ただの奇行だと認識しているはず。

 そのように考えていくうちに、サダルメリクは二人の喧嘩の事情を察した。ただ、あの調子なら、ネブラは上手いことやるだろうとも思う。

 揃って居間に下りてきたときのために、二人分の飲み物を用意してやろうと、サダルメリクは席を立った。






 今日が命日か……と思われた絶望的な状況からいつの間にか挽回していたコメットは、ネブラに手を引かれるまま、彼の部屋に連れてこられた。

 ネブラの部屋に入るのは初めてで、ついつい見回してしまう。

 間取りや壁の色はコメットの部屋と同じだが、家具の色合いのおかげで印象は全然違った。

 ネブラは落ち着いた色を好んでいるようで、ベッドのシーツもカーテンも、彩度の低いカラーだった。ウォールナットのビューローには教本が積まれてあり、その横には漆黒の羽根ペンが立っている。

 ベッド際の壁面に、帝国地図のジグソーパズルが飾られているのを見つけて、パズルが好きなのかしら、とコメットは意外に思った。

 ふと窓辺を見遣れば、見覚えのある霞草カスミソウがオーロラに瞬いていた。

 建国祭の最後にもらったブーケだった。ルシファーやシリウスから贈られたものを、コメットがネブラに渡したのだ。ネブラはそれをガラス瓶に挿して飾ってあった。

 コメットがじっと見入っていると、ネブラが「おい」と声をかける。コメットがハッと振り向くと、ネブラが細い目でこちらを見ていた。

 ネブラはどこからか椅子を引いてきて、コメットの目の前に置く。座れ、ということだ。

 コメットがおとなしく腰かけると、ネブラはコメットの向かい側のベッドに腰を落とす。

 二人は静かに見つめあった。

 しばしの沈黙。

 なにを言ったものかと、コメットは救いを求めるようにあたりを見回したけれど、もちろん誰もいない。サダルメリクたちは下の居間だし、居候だったトーラスはブルースを発ってしまった。

 難しい。様子のおかしいネブラに声をかけるのは、本当に難しいのだ。

 いつまでも落ち着かないコメットに、ネブラがいよいよ口を開く。


「まず、俺の頭はおかしくなってない」

「え……あ、うん」

「どこにもぶつけてないし、ずっと正気だ」

「ん。ネブラは、正気」

「ネブラ先生な」

「ネブラ先生は正気」

「あと、お前のことは、正直わからん。俺よかお前のほうが頭おかしいと思ってる。考えれば考えるほどお前がわからなくなる」

「それは、最近言われる」

「だろうな」


 ネブラはずっとわからない。コメットと出会ってから今日まで、わかった試しがない。

 どうして自分なんかを選んだのか。

 その澄んだ目の先には、無数の星屑が輝いているのに、どうして自分のような塵屑ごみくずまで、きらきらした目で見上げるのか。

 いつか正気に戻るに違いないと思った。世間知らずで無垢な子供だったから、燦然と輝く星々を知るうちに、自分はどうかしていたと気づくはずだと。

 それなのに、コメットはいつまでもネブラだけを見つめた。誰になにを言われても、ネブラじゃなきゃだめだと、ネブラがいいと訴えた。

 理解できない。コメットが正気で、頭がおかしくないとしたら、きっと目がおかしいのだとネブラは思った。コメットの目には、ネブラがなにか特別なもののように見えているのだ。そうでもないと、とても信じられなくて、けれど、そんな目でずっと見ていてほしいとも思っている。


「で、俺がお前のことを見捨てるってやつだけど、」


 そこで、ネブラは一度口を閉ざした。わずかに目を逸らし、やがて「あー」と難しそうにこぼしながら、両膝に肘をついた。

 向かいのコメットは、ネブラの言葉をただ待っている。膝の上で手を組んで祈った。区切られたネブラの言葉の先に、悲しいものが続かないように。

 ネブラのそっけない態度になんて慣れているはずなのに、いざ見放されると思うと、氷柱に貫かれたように胸が痛む。組んだ両手の指先は、知らず知らずのうちに強張っていた。

 硬い顔のコメットに、ネブラは告げる。


「……お前は、いつだって弟子なんて辞めていいんだ。お前がそれを望むなら、俺は引き止めねえし、ちゃんと手放してやれる」


 ネブラはいまでも、自分の原風景は、徒野にあると思っている。

 燃えつづける憎悪で全てを焼き払って、自分の絶望を昇華したい。コメットに魔法を教えたいという思いだって、復讐の果ての焼け野に辿り着くまでの寄り道にすぎない。だから、コメットが離れることを選んだら、ネブラはそれを見送るだけだ。

 最初から、コメットが音を上げるのが先か、ネブラが折れるのが先か、そういうチキンレースだった。


「でも……俺から手放すことはない」


 ネブラはらしくもなく、どこか諦めにも似た、あるかなきかの笑みを湛え、そう告げた。

 コメットは目を見開かせる。

 祈る指先が、じわじわと熱を帯びていく。


「お前が魔法使いになるまで、俺は絶対にお前を放りださない。置いて行かない」

「…………」

「だから、絶交とか、嘘でも言うな」


 いつものようにぶっきらぼうで、けれど少し不貞腐れた声。ネブラの本音は真摯だった。

 魔法の呪文は、本当に効いていたようだ。葈耳オナモミを取りに森へ帰る必要はない。

 コメットの緊張は完全にほどけて、それでも言葉は出なかった。全身を迸る言いようのない感情の尾を掴めない。涙はとっくに枯れていたから、泣きそびれてしまった。笑みを浮かべるには、喜びよりも祈りが勝る。

 コメットはまだ手を組んだままだ。

 これが現実だと信じたかったから。

 お願い。夢なら覚めないで。


「……魔法なら、解けないで」

「魔法じゃねえよ」ネブラは続ける。「かけられたのは、ボタンなんだろ」


 そう、気づいてしまったら、負けだった。

 ネブラはコメットに敗北したのだ。

 やがて、小さな唇をむずむずと引き縛りはじめたコメットは、それを隠すように、顔を両手で覆う。頬の緩みに耐えきれず、肩を竦めた。

 現実に嬉しさのほうが間に合わないのだ。胸が高鳴るより先にどんどん溢れて、笑い声として宙に出てしまう。


「ぐふ、うふふふ、ぷふふっ」 


 だらしない笑い声を止められない。口の中でキャンディーを転がすような、しみじみと甘い幸福感だった。

 ネブラは「はあ〜〜〜〜」とうんざりした顔で仰ぐ。完全勝利を知ったコメットが目に見えて浮かれていて、なんかもうどうにでもなればいいと思った。


「いつまで笑ってんだよ」


 やがて、ネブラはコメットの小さな手を剥いだ。ふやけきった顔のコメットを見て、舌を打ちたくなる。

 ただ、コメットの目元と頬にわずかな朱が滲んでいるのを見つけてしまい、それが高揚から来るものなのか、はたまた泣いた痕なのか、ネブラにはわからないまま、口の中で苛立ちが溶ける。

 ネブラは左手を滑らせて、コメットの右頬に触れた。スフレみたいに柔らかいのにしっとりしている。そこから指で横髪を払い、右耳にかけてやるふりをして、目尻を覗きこんだ。

 けれど、その目がきらきらと自分を見ていることに気づくと、ネブラは自分がなにを確かめようとしていたのかを忘れた。

 いつか手放すのが惜しくなるような眼差しだった。自分が星屑なのだと信じられる、魔法のような双つ目。

——君が僕を選んでくれたからだよ。

 あの日には理解できなかった師の言葉の意味を、ネブラは思い知っている。

 徒野に至るまでのこの寄り道の終わりは、コメットが魔法使いになったときだ。師匠をお役御免となったネブラは、弟子であるコメットを手放すことになる。あるいは、それより先に、コメットが別離を選ぶかもしれない。

 それでも。

 いまはただ、その双つ目に見つめられる僥倖を、この小さな寄り道を、ネブラは手放さないと決めたのだ。

 チキンレースの延長線にあった二人の師弟喧嘩は、ここで終結した。






「そういえばライラ、今日はいつもみたいな面白い話ないの? いかにも地雷そうな男に引っかかってるとか、そういう男と別れたとかさ」

「あたしの純愛を面白がらないでくれる?」

「ないわけ? つまんな。今日は深酔いしたい気分だったのに残念」

「メリク、いつかあたしと同じように失恋して傷を負ったあんたの前で、腹抱えて笑いながらワインを開けてやるわ。絶対によ」


 コメットのネブラの二人が居間へ降りたときには、大人三人は出来上がりかけていた。

 テーブルの上には酒瓶の雑木林が茂っており、うちいくつかはすでに空だ。サダルメリクはだらしなく姿勢を傾けているし、ライラはシャンパンを瓶で煽っている。一見してまともに見えるケートスも、「ワインなら今開けましょう」と席を立った。これだけ飲み干してなお、さらなる酒を求めている。

 すると、シャンパンを置いたライラが「あら、二人とも戻ってきたのね」とコメットたちに気づいた。


「さあさ、お座んなさいな。美味しい葡萄もあるのよ。選ばれし者にだけ、その真価のわかる葡萄よ。ほら、あーん」


 ライラがコメットを抱き寄せて、一粒の葡萄を小さな口に放りこむ。

 突飛に転がりこんだ果肉に、コメットは歯を立てた。程よい甘酸っぱさが広がる。素直に「美味しいです」と告げると、「人徳よ」と返ってくる。

 なにがなんだかなコメットから見ても、ライラは唇が熟れるほどに酔っぱらっていたけれど、その甘い酒気さえ、華やかなシャンパンの香水に思えてしまう。


「メリクさま、ワインが見当たりません」

「そこになかったらないよ」

「ていうか、あんたもう飲んだでしょ」

「もう飲んだ酒とこれから飲む酒にはなんの因果関係もないのですが? 痴呆の進んだジジイのように扱わないでいただきたい。俺のアセトアルデヒドがワインに飢えているのです」

「おっ、たがが外れてきたね、ケートス」

「箍? ワイン樽のですか? 自分、全部飲めます」


 いつも柔和で理知的な態度を崩さないケートスが、テンションが上がって会話も通じなくなってきている。

 これは何杯目のケートスなのか。ネブラは左手で顔を押さえ、深いため息をついた。


「まあ、店で飲んで周りの客に迷惑かけてないだけだが……ケートス先生は絶対に見張っとけよ、この三人の中で一番手に負えないタイプだぜ」

「前も言ってたね。そんなにひどいの?」

「顔に似合わずグロめの絡み酒。初対面のやつにもおかまいなしなもんで、あのひと、近所の飲み屋じゃ軒並みブラックリスト入りしてるらしい。だからわざわざここまで飲みに来るんだよ」

「へえ……」


 コメットが見たことがあるのは五杯目までのケートスくらいで、公害のようなケートスを知らなかった。知らないほうがいいことも世の中にはある。


「そんなケートス先生ちょっと気になる」

「悪いことは言わない。やめとけ。百害あって一見の価値なしだぜ」


 ネブラはケートスの隣に、コメットはサダルメリクの隣に座った。ライラは二人の食べ物を用意してやろうと調理場へ向かう。

 ケートスがネブラに絡んだので、ネブラは「あークソ」と言いながらも甲斐甲斐しく世話をしていた。

 それをコメットが眺めていると、ちょんちょんと、肘のあたりをサダルメリクにつつかれる。

 コメットがサダルメリクのほうを向く。サダルメリクは腕を組むようにしてテーブルに寝そべって、コメットを見上げていた。ペリドットの髪が、エメラルドの瞳にかかって、きらめくような嫣然だった。

 サダルメリクは目を細めたまま尋ねる。


「ネブラと仲直りできたの?」

「あ……はい。たぶん?」

「そう。よかったね」

「はい。さっきは、お騒がせしました」


 コメットは少し申し訳なさそうにサダルメリクを見ている。ただ、サダルメリクとしては、謝るべきは自分なのだと知っているから、コメットのいじらしさには申し訳なさが募った。

 はじめから言ってやればよかったのだ。それだけで、コメットの気持ちだって楽になったはずだ。あの日願いをかけた小さな星へ、彼が変わったのは君のおかげなのだと。


「……コメット」

「はい」

「僕の願い事を叶えてくれてありがとう」


 コメットの瞳が膨らむ。

 驚きに満ちた顔が、ややあって、はにかむように蕩けた。まるでご褒美をもらったときのような、ひどく嬉しそうな顔だった。

 サダルメリクの完敗である。


「……はあ。僕、綺麗系だからなあ」

「? はい。大先生は綺麗でかっこいいです」

「ありがとう。コメットはかわいい系だね」

「え! えへ! うふふ!」


 コメットは照れながら、ひときわ嬉しそうにした。

 それを見遣りながら、サダルメリクは改めて実感する——師匠にとって、弟子というものは、かわいくて仕方のない存在なのだ。

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