星でなし編

第24話 異端の歌姫

 しっかりと外套ガウンの前も締め、耳当て、マフラー、手袋と、一寸の寒さも許さぬ武装で整えたネブラは、商店街の東通りを歩いていた。

 アーケードの窓からは、透き通るような冬晴れの陽光が注いでおり、ここ数日で最も暖かな日和だ。冬はその盛りを終え、春のつむじを見せはじめている。


「凍え死ぬ……」


 ネブラにとってはよその国の話である。

 マフラーに顎をうずめても、赤い鼻先は隠せなかった。自然と目線は足元へ落ちる。さらに、眼球を温めるため、瞼の奥へと仕舞うことにした。

 そのため、目の前の人影に気づくのが遅れ、ネブラは彼の背に頭突きをかました。


「は?」

「あ?」


 頭突かれたラリマーが振り返る。

 ネブラは睥睨して、それを見上げた。

 二人の視線が結ばれたとき、ラリマーの隣に侍っていた従者のルピナスは、驚いたように目を見開かせた。


「お前か。ネブラ」

「てめえ、今日ばかりはいいとこに転がってんな。このまま前に歩け」

「転がってはいない。まさかお前、俺を風除けにしようと?」

「つーか、またお忍びで来てんのかよ。らしくもなく従者連れて」

「俺がたびたび一人歩きしているのを、ついに咎められてな。行動の制限はしないから、せめて従者を連れていくように、と言われた。まあ、荷物持ちみたいなものだ」


 ラリマーがルピナスを一瞥する。

 そこでルピナスが口を開いた。


「それにしても……こんなに接近されてもネブラさまの気配に気づけませんでした。なにかおかしなことをされていますね?」


 ただの荷物持ち扱いされているとはいえ、ルピナスはラリマーの従者として、常に周囲に気を配っている。護衛も連れずに町へ下りるのだから、当然、警戒の意識は高い。

 それなのに、背後に立たれても、ネブラがいるのを悟れなかった。だから、ルピナスは驚いているのだ。


「魔力操作だな」答えたのはラリマーだ。「魔力の発露を最小限に抑え、存在感を消そうとしている。俺の霞草カスミソウ外套マントと同じだ。上達したんだな、ネブラ」

「俺を評価すんな」

「まあ、俺もそれくらいできるが」

「は? 俺だってもっとできるが?」


 応酬しつつも、ラリマーは前を歩きはじめ、ラリマーを盾にしながら、ネブラはその後ろを歩きだす。進行方向が同じだったので、ラリマーは自分が風除けにされるのを受け入れたのだ。


「で、なんでここに? まだマロングラッセを探してんのか?」

「いつの話だ。お前こそ、今日もコメットと一緒じゃないんだな」

「うちの馬鹿弟子ならたぶんどんぐり」

「あいつはいつまで探してるんだ」


 可哀想なコメットは、自分の知らないところで、二人に馬鹿にされていた。ちなみにどんぐりなんてちっとも探していない。


「こっちは先生に頼まれてお使い。お前は?」

「認定試験の過去問題が書店で販売されていると聞いてな。取り寄せてもよかったんだが、実際にこの目で見たいと思って来た」

「……お前、意外と庶民派だよな。よくこのへんほっつき歩いてるみたいだし」

「ふっ。実際の下々の者の生活を見て回るのも、為政者の務めというものさ」

「そして、ちゃんと見下してはいるんだもんな」


 相変わらず、ネブラにとって虫唾の走る男だった。

 ただ、その逆走感を、近ごろのネブラは必要としていた。

 ネブラの寄り道ことコメットという馬鹿弟子は、その眼差しこそ心地好いものの、そばにいると腑抜けてしまいそうになるのだ。そこを、ネブラの火に油ことラリマーが、いい塩梅に気を逆立ててくれるわけである。

 今日、ラリマーと邂逅したネブラが、ラリマーからすぐに離れなかったのも、そういう心理的な理由があってのことだった。最早、たまにラリマーと会いたくなっているネブラである。


「やっぱお前といると、世の中クソだなって思えて、イライラするからちょうどいいな」

「そうか。ところであの店に寄っていいか?」


 相手の人格を婉曲的に否定するような発言をしたネブラも相当だが、それに対して「そうか」とざっくり返したラリマーも大概だ。しかも、その関心は三軒先の店の売り物にあるときている。

 その背後に控えるルピナスは「なにこのひとたち……」という目で二人を見守っていた。

 ラリマーが指差したのは、魔法道具を販売している、〈王の巌窟〉という雑貨店である。

 その看板を見て、ネブラは目を瞬かせた。


「俺もそこに用があるわ」

「ハーメルン氏からの頼まれものと言っていたか。あそこにはよく行くのか?」

「今日はじめて聞いた。えらそうな名前の店だな」

「所詮は下民のくせにな」

「そこまでは言ってねえ」

「俺も最初は、自ら王族を名乗るとは恥知らずな痴れ者だと、そんな名前の店を構える人間の浅ましい顔が見てみたいと思ったものだ」

「なんか勘違いしてるかもしれんけど、お前も所詮は人間なんだからな。発言と夜道には気をつけろよ」


 二人の目的地である雑貨店〈王の巌窟〉は、主に魔力絶縁物質アダーストーンの加工品を取り扱う小売店だ。

 外観は漆喰を思わせる黒の渋い佇まいだったが、内観はその名のとおり、まるで洞穴を掘り進めたかのような岩肌の壁を持つ、アメジストドームのような店である。


「窮屈な店だな」

「ああ。納戸みたいに狭いだろう?」

「だからそこまでは言ってねえんだよ」

魔力絶縁物質アダーストーンの効果によるものだ。四方八方から自分の魔力を押さえつけられているような気分になる」

「俺はそのことを言いたかったんだよ」

「それで? お前のお目当ての品は?」

「耳栓。次の仕事で使う」


 ラリマーは「近衛星団で?」と不思議がる。

 ネブラがぶっきらぼうに「別件」と答えた。


「うちの先生は、たまに頼まれごとを引き受けてんだ。なんでも、近衛星団に入る前は、町の便利屋さんってのをやってたらしいぜ。魔法でなんでもします、っていう」

「へえ」

「そういうのを、いまでもときどき引き受けてんだが、その新しい案件を、俺に任せてくれることになった」


 ネブラはラリマーのほうを振り返り、にやりと笑みながら「飼い猫探しどころじゃねえでかい仕事だぜ」と続ける。

 深い紫紺の瞳が凛々しく輝いた。


「管弦声楽団〈ギャラクストラ〉から首席歌手の護衛依頼だ」






 管弦声楽団〈ギャラクストラ〉は、メンバーを魔法使いで構成した、帝国内でも歴史のあるオーケストラだ。

 公演は全席指定で満員御礼。特に歌唱を伴うコンサートが人気で、所属する専属歌手は皆、その時代で一世を風靡した。

 現在では、四十七名の奏者と二名の専属歌手を抱えており、首席指揮者プルート・ナイトフォードが楽団長を務めている。


「はぁあ〜、僕、演奏会なんてはじめて!」


 開演前の観客席で、コメットはパンフレットを両手に持ちながら、期待と緊張が混ぜこぜになった顔で、そうこぼした。

 その隣に座るネブラが、さらにその隣に座るサダルメリクに言う。


「チケット、よく取れたな。しかも三人分」

「ギャラクストラからの招待だよ。にしても、まさかロイヤル席のすぐ隣のボックス席に案内されるとは思わなかったけど」


 所謂いわゆる皇族席となるロイヤル席の隣ともなると、この箱で二番目にいい席だ。楽団のステージをほぼ真正面から観賞できる。

 一階一面に広がるプラテア席は、すでにたくさんの人々で埋め尽くされており、ギャラクストラの盛況ぶりが伺えた。

 帝都の一等地に建つこのオペラハウス<グレートウォール>が、ギャラクストラの本拠地だ。

 国立の大歌劇場と比べれば席数はやや小ぶりで、建築物としての歴史も浅いものの、当時のパトロンが多額の出資をしたことで、外観も内装も豪奢で洗練されており、帝国の観光名所の一つでもあった。

 

「まあ、この公演のチケットも、仕事の前金なんじゃないかな。今回の報酬は、十年先までの公演のご優待……まあ、タダ券みたいなものだから」

「十年先までって、馬鹿な数字だろ」

「そうでもないよ。魔法使いには十年なんてすぐだからさ」

「大先生、お金取らないんですね」

「ほら、僕って国家公務員だから、副業禁止なんだよね。金銭的なやりとりはなしで、で頂戴してるんだよ」

「いい加減やめれば? 便利屋さん」ネブラは目を眇める。「しょうもないのばっかじゃん。迷子探しに飼い猫探し、ドアの修理……浮気調査なんてものもあったろ、しかも勘違いだったってオチ」

「平和なのはいいことだよ。君の実力試しの機会にもなるし。でも、今回の依頼は、久々の大きな仕事だよね」


 ネブラに任せるとはいえ、サダルメリクとてフォローはするつもりで、わざわざ有給休暇を使ってまで、この仕事を引き受けている。


「脅迫状を送られた歌手の護衛だもんな。こんな物騒な話、先生よく引き受けたな」

「ブルース侯爵からも強く要請されてね」

「どうしてですか?」

「ピアニカ・ビアズリーの大ファンだから」


 コメットは手元のパンフレットへと視線を落とした。ピアニカ・ビアズリー。紙面上では独唱者ソリストとして記載された名前だ。


「僕たちが護衛するのは、このギャラクストラの専属歌手だ。天にも昇る歌声を持つと評判の、帝都一の歌姫。ギャラクストラのスター。ピアニカ・ビアズリー」

「そんなにすごいひとなんですか?」

「そりゃあね。帝都で一番ってことは、アトランティス帝国で一番ってこと」

「帝国で一番の歌姫……」


 すると、無人のステージの袖から、次々に楽員たちが現れ、奏者全員が揃ったところで、椅子に着席していく。いよいよ開演だ。

 チューニング特有の揺れるような音が響く。

 少し間を置いて、指揮者が登場した。そこで客席から拍手が起こったので、コメットも合わせて手を叩く。

 楽員たちが揃って立ち上がり、客席へ挨拶をした。しばらくして、指揮者が奏者と向かい合わせに立つ。

 あ、始まる、とコメットにもわかった。

 指揮棒がクイッと揺れたのを合図に、清らかな管弦の音が、せせらぎのように流れてゆく。

 のどかでゆったりとした序章。それなのに、不思議と興奮を掻き立てられる。コメットは驚いた。こんなに優しい音が、どこまでも大きく響いてくる。一小節ごとに背筋をくすぐられているような気分だった。

 次第に、音符が一粒ずつ小鳥の形を模し、会場を飛び回る。


「わっ!?」

「そりゃ、魔法使いの音楽団だぜ」隣のネブラが愉快そうに言う。「ただ演奏が上手いってだけじゃないわな」


 小鳥たちは音に乗り、自由に飛び回った。そのうちの一羽がコメットたちのボックス席を螺旋し、また違う席へと羽ばたいていく。

 それを目で追いながら、コメットは破顔する。

 ギャラクストラは、魔法使いによるオーケストラ。音色とともに魔法を奏でる。これくらいはパフォーマンスにすら入らない。

 そのとき、多彩な音が止んだ。

 バイオリンの響きを終えて、小鳥たちはパタリと落下していく。

 あちこちに横たわる、ぴくりとも動かないその姿は、さながら死骸の群れだ。

 この空間も、蝋燭の火が消えるように、暗闇に飲みこまれる。果てしない夜を思わせる静けさに、コメットは身を強張らせた。

 しかし、そのとき、歌声が響く。

 聴こえた瞬間に鳥肌が立った——耳が蕩けそうな、心が洗われるような、切に響く神秘的な女声。暗闇の世界にオーロラの音色が広がっていく。

 この世のものとは思えぬほどにうつくしい無伴奏声楽ア・カペラだった。

 そして、ステージ上に月光が注ぐ。

 鮮やかな髪の少女が立っていた。

 うつくしい声の主は彼女だった。死の蔓延はびこる世界の真ん中で、きよらかに詩篇を歌う。まるで真珠の粒が糸に通されていくように、バイオリンが、フルートが、オーボエが、コントラバスが、その歌声を追う。

 死に絶えた小鳥に、再び息吹を与える。


「ふ、わぁああ……!」


 すると、この空間が宇宙色に彩られた。

 飛び回る小鳥たちの輝かしさは、まるで流星群のよう。コメットの体も心なしかふわふわと浮いているような感覚があった。本当に無重力空間に放り出されたみたいだ。

 オーケストラの豊かな旋律は、次々に魔法を繰り出していく。爽やかに笑う歌姫の声が、耳の中で花を咲かせる。

 五感を刺激するような魔法演出。

 ギャラクストラの客が楽しむのは音楽ではない。奏でられた魔法だ。

 演奏が止む。

 客席から「ブラボー!」と言う声が上がり、割れるような拍手が起こった。

 同じように懸命に拍手を贈るコメットは、感動のあまりに目が潤んでいた。

 一曲目はギャラクストラのオリジナル曲『大輪の銀河』で、ギャラクストラの楽長にしてマエストロであるプルート・ナイトフォードが作曲および編曲をしている。

 歌詞にアンドロメダ・ディーの魔法を盛りこむことで、曲の最後には、客席の頭上から花々が舞い降りるのだ。

 ステージの上にずらりと並ぶ星々たちは、今宵も極上の輝きを観客に魅せた。






 およそ二時間に及ぶ公演が終わった。

 コンサートホールと直結したホワイエでは、熱気の冷めやらない客たちが、重い思いに感想を言い合っている。

 また、物販のブースには長蛇の列が並んでおり、一部のレコードやブロマイドはすでに完売していた。

 ホワイエの隅で、余韻に浸るコメットが言う。


「本当すごかったね、ネブラ!」

「こら。先生か閣下をつけろ、馬鹿弟子」

「ネブラ閣下、僕、感動しちゃったよ……まだ心臓がどきどきしてるであります」


 こいつちゃんと対応してきたな、とネブラは思った。コメットは、大理石の壁にもたれかかりながらも、はっきりと返答しており、いつかのときのような魔法中毒の症状は見られない。


「特に、最初に歌ってたひと、ピアニカさん! 奇跡みたいに綺麗な声! それに、とっても上手で、よく響いて……やっぱり帝国一の歌声ってすごいんだなあ」


 コメットの大袈裟な賛辞を、ネブラもサダルメリクも否定しなかった。

 ピアニカ・ビアズリーの歌声は、万人の認める才能である。


「今日みたいな定期演奏会でも、彼女が出るって言うだけで、チケットは飛ぶように売れるらしいからね。彼女が専属歌手になってからはスポンサーの数も増えたって聞く。楽団の看板にして稼ぎ頭だ」

「その稼ぎ頭が危険に晒されるわけにはゆきませんから、今回、貴方に依頼させていただいたのです」


 そう言いながら、一人の男が近づいてくる。

 コメットは顔を上げ、声の主を見た。

 そこにいたのは、ついさっきステージの上に立っていた人物だ。ギャラクストラの楽長にしてマエストロ。プルート・ナイトフォード。

 ナイトフォードは恭しく微笑み、サダルメリクへと挨拶をする。


「サダルメリク・ハーメルン氏ですね。お初にお目にかかります。私はギャラクストラの音楽監督と指揮を担当している、プルート・ナイトフォードです。今日はようこそお越しくださいました」

「サダルメリク・ハーメルンです。こちらこそ、素晴らしい演奏会へのご招待ありがとうございました。僕の弟子たちもいたく感動していましたよ」

「これはこれは、嬉しいかぎりです」


 二人は握手を交わした。

 コメットとネブラも簡単に挨拶をする。

 ナイトフォードは初老の男で、ロッキングチェアに腰かける姿の似合うような、穏和な風貌をしている。

 コメットは目を瞬かせる。公演中は気にも留めなかったけれど、魔法使いは若い見た目のままでいることが多いのに、このひとはなんだかおじいさんみたい。

 思い返せば、ギャラクストラの面々も、老若男女入り乱れていた。歌姫ピアニカ・ビアズリーはひときわ若く見えたものの、年齢の偏りがなさそうな集団だった。


「このたびは、急な依頼を引き受けてくださり、ありがとうございます」ナイトフォードは声量を落として続ける。「大っぴらにはできない話なので、楽屋のほうで」


 ナイトフォードを先頭にその場から移動する。

 案内された職員通路を歩くすがら、ナイトフォードが口を開いた。


「私たちギャラクストラは、一ヶ月後に、創設二百周年記念のアニバーサリーコンサートを控えています。公演は三日間。首席歌手のピアニカは、その全日程に出演します」

「そんな彼女に脅迫状が届いたと」

「ええ……『歌手を降りろ。さもなくば周年記念に殺す』という端的な内容でした。実を言うと、嫌がらせのような手紙は、これまでも何度かありました。しかし、殺害予告までするような脅迫状ははじめてで……」

「人気者ですしね。ファンもいればアンチもいるわけだ。ただ、そういう輩の悪戯にしては、今回の件はあまりにも物騒ですね」

「警察は、実際に被害に遭ってからでないと動いてくれませんし、ピアニカの安全のためには、もう、護衛を雇うくらいしかないと思いまして、このように依頼した次第です」


 サダルメリクとナイトフォードの会話を聞いていたコメットが、二人の背中に尋ねる。


「あの、楽団のひとたちは、みんな魔法使いなんですよね? あれだけの人数ならピアニカさんを守れそうですけど、それを大先生一人に頼んだのはどうしてですか?」

「彼らは、奏者としては優秀でも、実戦向きの魔法使いじゃないからね」ナイトフォードは諭すように答える。「所属する楽員は、五等級から四等級の魔法使いばかりで、有事に役に立つ魔法なんてほとんど知らないんだよ」


 そうなんですか、と言いながらも、どこか腑に落ちないコメットに、隣を歩くネブラが言う。


「詩の蜜酒の事件とか星団殺し事件とかがあったせいで、お前の感覚が麻痺してるだけだ。よく考えてみろ。魔法が使えても、ケートス先生は怪我人を治療して、ライラは服を作るだろ。普通の魔法使いは無闇に戦ったりしない。うちの先生は魔法使いの騎士で、そういうのに慣れてるだけだ」


 でも、魔法使いの騎士じゃない、見習いでしかないネブラが、ピアニカさんを守るんだよね——音にする前に、コメットはそれを嚥下した。

 ネブラなら「悪かったな、見習いでしかなくて」とか悪態をつくに決まっていたからだ。

 けれど、わざわざサダルメリクに頼むくらい、今回の仕事が危険なのだとしたら、ネブラも危ないのではないか。コメットは少しだけ心配になる。


「こちらがピアニカのいる楽屋です」


 そうこうしているうちに目的地に到着する。

 ノックしたナイトフォードが「私だ。入るよ」と声をかけ、扉を開ける。


「あ、お疲れさまです」

「お疲れさま。アリアとラスタバンもいたのか」

「今日のコーラスはいつもと違うアレンジをしたから、ちょっと確認したくて」

「マエストロ、そちらの方たちが例の件の?」

「ああ。ピアニカも挨拶をと思ってね」


 扉を開けてすぐのところにいた男女は、ナイトフォードの話を聞くや否や、すっと半身になり、奥にいる歌姫へと視線を遣る。

 その視線の先をコメットも追った。

 部屋の壁面に嵌められた、丸い魔法照明になぞられた鏡台の前で、ステージ衣装を着たままの、ピアニカ・ビアズリーがいた。


「ピアニカ。例の件について依頼した、宮廷魔法使いのハーメルン氏と、そのお弟子さんたちだ。アニバーサリーコンサートまで、君を守ってくれる」


 ナイトフォードの紹介を受け、サダルメリク、ネブラ、コメットと、順に部屋へと入った。

 間近に見る歌姫に、コメットはほうと息をつく。

 不思議と魅入ってしまうような、存在感のある少女だ。見た目の歳はネブラと同い年くらいで、背丈はミラと同じくらい。

 客席からでも目を惹いた、摘みたてのワインベリーを思わせる鮮やかな髪は、緩やかに波打ちながら艶めく。透きとおるような薄荷色の瞳も、硝子玉のように澄んでいて、魔法照明の光を反射していた。

 ただ、舞台メイクを施した美顔が形作るのは、何物にもまつろわぬ無表情だった。

 衣装から覗く石鹸みたいにつるつるな肌も相俟あいまって、まるで人形のように見える。作り物じみていて無機質的。どこかツンとすました、無情の芸術品。

——なんだか、さっきとは別のひとみたい。

 歌っているときは、あんなに感情豊かだったのに。喜びに満ちた顔も、切ない顔も、まるで光を浴びた宝石のような輝きに溢れていて、情熱的だった。歌うことが本当に楽しそうだった。

 ステージ上での彼女の印象とはあまりにかけ離れていたため、コメットは丸くした目で彼女を凝視する。

 薄荷色の瞳が、ぶっきらぼうにこちらを向いた。


「ふうん。よろしく」

「ピアニカ。きちんと挨拶をなさい。これから君がお世話になる方なんだ」

「あたしはピアニカ。ここの専属歌手。護衛のあいだはあんまり話しかけてこないで。年寄りの魔法使いに合わせられる話なんてないから」

「ピアニカ!」


 人好きのするサダルメリクが、こうも邪険にされることも珍しい。それも、依頼相手とも言える護衛対象に。

 無愛想を通り越して無礼な態度に、ネブラは顔を顰め、コメットは目を丸めた。

 サダルメリクも、これはなかなか、と驚いていた。ただ、千年単位で歳の離れた娘にわざわざ目くじらを立てるつもりもなく、ただ淡々と返す。


「はじめまして。依頼を受けたサダルメリク・ハーメルンだ。護衛と言っても、僕は不必要に君に近づくつもりはないよ。犯人捜査や現場警備がメインになる。君の身辺警護は、弟子のネブラに任せるつもりさ」


 そう微笑みながら、サダルメリクは、眉を顰めたままのネブラに視線を遣った。

 そこに「えっ」とこぼしたのはアリアと呼ばれた女性で、「この少年が?」と顔を引き攣らせたのはラスタバンと呼ばれた男性だ。

 ピアニカが怪訝な顔をする。

 サダルメリクに問うたのはナイトフォードだった。


「弟子に任せるというのは」

「僕は宮廷魔法使いで顔が割れすぎています。彼女につきっきりでいるのは怪しすぎるし、犯人だって警戒して出てこない。今後のことを考えると、ただ警護するだけじゃなくて、犯人まで突き止めたほうが彼女のためです」

「それはそうですが……」

「やる気あんの?」ピアニカが鋭く言う。「相手はあたしを殺すとまで言ってるのに、その不気味な見習いに任せるって?」

「君を殺すとまで言っている相手だからこそ、この先も野放しにするわけにはいかないよね。それに大丈夫。このかわいい弟子は、僕に似てとても優秀だ。君をちゃんと守り抜いてくれるよ」


 むっつりとした顔のネブラだったが、サダルメリクの顔に泥を塗るつもりはない。すぐ喉元まで出かかっている「こんなやついっぺん死んだほうがいいだろ」という言葉もこらえた。


「はあ……これをそばに置くとか最悪。せめて明日からはその不衛生な髪をなんとかして来てよね。天下のピアニカ・ビアズリーが不審者を連れてるなんて噂されたらたまんないわ」

「お前いっぺん死んだほうがいいだろ」

「こら、ネブラ」

「ピアニカ、失礼だぞ。彼に謝罪を」

「ケッ、こんな人格破綻者なら恨まれるのも当然だな。先生に守られる立場のくせして、さっきからえらそうなんだよ。何様のつもりだ」

「そういうあんたの先生はどなた様なわけ? あたしが敬意を払うのは、創造主とアステリア・ワイエスだけ。こっちは報酬払ってやってんだから依頼者様々でしょ」

「なはーにが報酬だよ。先生が金を受け取らねえからって紙切れ寄越しやがって、タダ働きもいいとこじゃねえか。性根のひん曲がったてめえのコンサートにどれほどの価値があんだよ!」

「はあ? あんた、あたしが一回の公演でいくら稼ぐと思ってんの? 金のなる木、金の卵を産むガチョウ、歌声はきんのピアニカよ!」

「沈黙も金だよ、ピアニカ。罵倒するときは相手を選びなさいといつも言ってるだろう」

「ネブラもやめなさい。言い返すなら、君の尊厳のために怒らなきゃだめだよ?」


 険の強まる言い合いに、サダルメリクもナイトフォードもまったく動じず、慣れたものと窘める。

 そばにいたアリアとラスタバンは「その教育は大人としてどうなんだ」という目で見ていた。コメットはずっとあわあわとしている。


「ピアニカがたいへん失礼を。深くお詫びします」

「いえいえ。こちらこそ」

「改めて。一ヶ月、ピアニカの護衛をお願いいたします。ここ〈グレートウォール〉へ自由に出入りできるよう、話は通しておきます」

「お願いします。それから、混乱を避けるため、楽員の皆さんとも面を通しておきたいので、他の楽屋にも伺ってよろしいですか?」

「もちろんです。いまここにいる二人のことも紹介しておきましょう」


 互いに睨み合いながら息と声を荒くする我が子たちをさておき、師匠と巨匠の二人は、なんでもないように今後について相談する。

 なりゆきを見守っていたラスタバンとアリアも、すっと前は出る。


「こちらはラスタバン。うちのコンサートマスターです。そして、もう一人の専属歌手であるアリア」

「すみません、ご挨拶が遅れてしまって。ご紹介に預かったラスタバンと申します」

「アリアです。よろしくお願いします」


 ラスタバンは、眼鏡をかけた誠実そうな男だった。コンサートマスターとは、第一バイオリンの首席奏者のことで、オーケストラにとっては二番目の指揮者とも言える立場である。

 アリアは昨日の公演でもコーラスとして参加していた歌手だ。深海のような群青色の髪をした美人で、ラスタバン同様、優しげな印象を与える魔法使いだった。


「こちらこそ。依頼を受けたサダルメリク・ハーメルンです。こちらは弟子のネブラ、そしてコメット」


 サダルメリクに紹介され、ネブラとコメットもそれぞれ「どうも」「はじめまして」と挨拶をする。

 そのあいだも、ピアニカは腕を組んでつんとそっぽを向いたままで、ネブラの苛々は止まらなかった。

 その後、コンサートの日まではネブラがピアニカにつくということで話はまとまり、「ではまた明日」と三人は〈グレートウォール〉を後にした。

 帰路の夜道をてくてく歩きながら、ネブラは眉間に皺を寄せて吐きだす。


「クソ公子といいあの女といい、護衛される人間ってのは、なんでああえらそうなのかね」


 マフラーの中に埋もれたネブラの声はこもっていた。恨みがましさもこもっていた。

 サダルメリクはちらりと視線を遣る。ピアニカと舌戦を繰り広げた弟子はさておき、半ば呆然としている孫弟子が気になった。


「コメット、噂の歌姫はどうだった?」

「へっ?」

「君にしては珍しくおしゃべりがなかったから。魔法中毒にはなってないけど、軽度の魔力酔いが起きていても不思議じゃないし、大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です。ただ、えーと、ちょっとびっくりしちゃったというか」

「わかるわ。あの態度の悪さにはびっくり」

「ネブラもそう変わんないよ」

「は?」

「なんか、ピアニカさん、すっごくオーラのあるひとでした……歌ってるときだけじゃなくて、間近で見ても迫力があった。でも怖くはなくて、ついつい目で追っちゃうような、存在感のあるひと」

「彼女の魔力によるものだね」サダルメリクが答える。「彼女は歌姫と呼ぶにふさわしい、心の安らぐような綺麗な声をしてるけど、特筆すべきは魔力のほう」


 魔力、とコメットはこぼす。

 元居候の羽虫男も言っていたことだが、魔力は、人によって、量も質も違う。

 まだそれを識別することはできないコメットだけれど、なんとなく「怖いひと」「すごいひと」という印象として感じ取れていた。


「世の中にはさ、一目見ただけでと思わせるひとっているでしょ? あれって、そのひとの持つ魔力の性質や量のせいなんだよ。わかりやすいところで言うと、うちの団長とか、あとは星団殺しがそうだ」


 カリスマ性がある。おぞましい。

 一緒にいて落ち着く、落ち着かない。

 動物に好かれやすい、避けられやすい。

 そういうスピリチュアルな話が、すべて魔力によるものだと明らかになったのは、魔力研究の進んだ近代でのことである。


「彼女の魔力はね、星団殺しの魔力を濾過して濾過して磨き抜いて、透明度を極限まで上げて綺麗に錬成したような感じ。なんかもうね、笑っちゃうんだよね。あ、こんな人間いるんだ、って。僕も生身で見て痛感したよ。千年に一人、いや、万年に一人の逸材だろう」

「大先生がそこまで言うひとだなんて……世の中にはまだまだすごい魔法使いがいるんですね」


 コメットがしみじみと感嘆していると、サダルメリクが「あっ」と気づいたように告げる。


「コメット。彼女は魔法使いじゃないよ?」

「えっ、まだ見習いなんですか!?」

「ううん。魔法が使えないってこと」

「……えっ?」


 理解できなくて、困ったように顔を顰めるコメット。そのまま視線だけでネブラに助けを求めれば、ネブラは端的に答えた。


なんだよ」

「音痴って……」

「魔力を魔法に変換するセンスがないってこと。たまにいるんだよな。遺伝だったり体質だったりで、先天的に魔法の素養がないやつ」

「大抵の人間は、生涯、魔法を使えるだけの魔力量に達しないから、暗数になってるだけで、潜在的な魔法音痴のひとって、けっこういると思うけどね」

「え、じゃあ、ステージの上で歌ってたのは?」

「歌ってるだけだぜ」

「歌ってるだけなの!?」

「うん。帝国で一番上手だよね」

「本当に歌ってるだけ!?」


 コメットは半信半疑だった。アワアワとしたまま、まるで訴えるように、二人に尋ねる。


「でも、ピアニカさんの歌、すごかったよ? ただ上手なだけじゃなかったもん! 聞いてるだけで幸せな気分になって、夢見心地になって……」

「魔力保有量が半端ないせいで、歌声に乗って溢れでてくるんだろうな。魔法が音に乗るように、魔力も音に乗りやすい」

「魔力が音に乗るって、ミラみたいな?」

「あー、若干違え。ミラの場合、話せばそれが魔法になる。下手なだけで、魔法は使えてんだよな」

「だが、ピアニカ・ビアズリーの場合、歌えば魔力が漏れるだけで、魔法には変換されないんだ。あくまでも、ただの魔力の発露だよ」


 魔力の発露による事象は、魔力の性質によって大きく異なる。

 ネブラの可燃性の魔力なら、着火しただけで猛火を起こせる。星団殺しのおぞましい魔力なら、威圧感どころかいっそ質量さえ覚える。

 ピアニカ・ビアズリーの魔力は、硝子細工や春の水面のように、ひどく澄んでいて美しい。それでいて、馥郁たる気品があり、感じた者の心を震わせるほどに神聖だった。


。あんな魔力を、ああも反響する空間で大量に垂れ流されたら、陶酔感と多幸感で中毒者も出るわな」


 サダルメリクがコメットを心配したのもそのためだ。

 ミラの一件もあったように、コメットは魔力に感化されやすいがある。


「セイレーンもかくやという美声に、玉虫色の歌唱力。極めつけに、魔力は世界最高峰。彼女は間違いなく帝国で一番の歌姫で、あのギャラクストラの大スターだ」サダルメリクは一拍置いて。「でも、魔法使いじゃない」


 人を魅了することに長けた、珠玉の魔法使いの集う管弦声楽団で、唯一魔法が使えない、異端の歌姫。

 たった一人の星でなし。

 それが、ピアニカ・ビアズリーという歌手だった。


「ま、魔法が使えないのに、魔法使いの楽団にいるんですか?」

「そこが反感を買う原因なんだよねえ」サダルメリクも苦笑する。「デビュー前からバッシングの嵐だったっけなあ。あのギャラクストラに所属する歌姫が魔法使いじゃないなんて、前代未聞だからね。そりゃあ散々叩かれるよ」

「気性も終わってるしな」

「ネブラもそう変わんないよ」

「は?」

「彼女のデビュー公演は客席からのブーイングから始まった、って噂だよ。一方で、彼女の歌を聴いて大絶賛するひともたくさんいて、風当たりは弱くなったみたいだけど……彼女のアンチは根強い。彼女が評価されればされるほど、伝統を重んじるファンは疎ましく思う。ギャラクストラへの思い入れが、ピアニカ・ビアズリーへの痛論になるわけさ」

「そんな……」

「口任せな批評だけじゃない。長年、大型公演のポスターを手がけてきたファゴット・ザシャも、彼女が専属歌手になって以降、ギャラクストラからの仕事を受けなくなってる」

「ザシャってあれだよな、近衛星団の画集を描いてる画家」

「うん。そのせいもあって、ザシャは魔法使いしか描きたくないんじゃないかって噂されてる。真相は謎のままだけどね」

「案外、あの底意地の悪さを見抜かれて、普通に嫌われてるだけかもしんねえしな」

「まあ、好かれるも嫌われるも、みんなが注目するスターであるがゆえだね」


 サダルメリクと話しながら、ネブラはぼんやりとした顔のコメットを見遣った。

 ここで一つ釘を刺しておかねばならなかったからだ。


「お前には手伝わせねえからな」

「ん?」

「今回の仕事。どうせお前は魔法の冒険がどうのとか言うんだろうが、脅迫状の犯人は、あの女を殺そうとまでしてんだ。ろくに魔法の使えないお前にうろちょろされても困る」


 と、突き放せば、またひどいだの意地悪だの自分も連れてけだの喚くのだろうな、とネブラは予想していた。

 しかし、その予想に反して、コメットは呆気なかった。


「うん。わかった。お仕事の邪魔しない」


 ネブラは眉を跳ねあげる。


「お前、珍しく聞き分けがいいな」

「魔法の勉強をするようになったおかげでわかるもん。ネブラだけじゃちょっと危ない仕事だから、大先生もフォローするんだよね。そこに僕までついてったら、きっともっと危ないんだよね」

「わ、えらいね、コメット。本当にわかってる」

「んへへ。だからね、ネブラがだめだって言うなら、僕も連れていってなんてわがまま言わないことにする」


 これまでコメットが事あるごとにネブラにくっついて回ったのは、いつ見放されるか不安だったからだ。さがない瞳であっという間に見捨てて、コメットの知らないところまで行ってしまいそうだったから。

 でも、もうそんなことはありえないのだと、コメットは知っている。


「無理矢理くっついたりしなくても、ネブラは僕を置いて行かないんでしょ?」

「……おう」

「じゃあ、お利口にしてる。だけど、楽団の練習をちょっと覗きに来るのはいい? 大先生の関係者は自由に出入りできることになってるんだよね? 魔法使いの演奏、僕も聴きたい!」


 すい、とネブラはサダルメリクを見遣る。

 少し思案するように宙へ目を遣ったサダルメリクが「ん〜、いいんじゃない?」とこぼす。


「見学だけならそうそう危ない目にも遭わないでしょ。コメット一人でお留守番っていうのも可哀想だしね」

「いいか。絶対に、絶対におとなしくしてろよ」

「うん! ありがとう、ネブラ」

「てか、ネブラ閣下な」

「ありがとうございます、ネブラ閣下!」






 翌朝、ネブラとコメットは、〈グレートウォール〉から徒歩十分ほどの場所にある、ピアニカの住まうアパートまで来ていた。

 アニバーサリーコンサートの日までは、朝と夕に送迎をすることになっている。これも護衛の一環だ。

 ピアニカのアパートは、多くの商業施設に押し潰されるようにしてそびえる、五階建ての縦長住居で、生活圏の利便性以外はまるで家賃と釣り合っていないような手狭さだった。

 そのアパートの三階の一室、ピアニカのいる部屋のドアベルを、ネブラが鳴らす。

 ちなみに、先日、ピアニカに頭髪を指摘されたため、珍しく、その癖毛を首の後ろで束ねていた。耳元と首回りの風通しがよくなったことで、ネブラはいま心底機嫌が悪い。

 一向に開かない扉を睨みつけて、低い声で唸るように言う。


「あのゴミ女、約束の時間を忘れてんじゃないだろうな……」

「約束の五分前だよ?」

「世の中は五分前行動で回ってんだよ、馬鹿弟子。これでもし寝こけてやがったら、本気で容赦しねえぞ……」


 そう言って、再びドアベルを連打する。

 すると、少しの足音ののち、扉が開いた。


「っるさいのよ! 時計の見かたもわかんないわけ? こっちにだって準備があるんだから適当な時間に来て催促しないでくれる?」


 部屋から出てきたピアニカは、髪を緩やかに束ね、シンプルなコートを着こんでおり、支度を済ませてきたのだとわかる。

 斜めがけのバッグを持ち直し、「ふん、行くわよ」と我先にと歩きだす。

 ネブラはピキっていた。コメットは「どうどう」と暴れ馬を宥めこむように手を振る。

 そんな二人を気にも留めず、ピアニカはタタンタタンとリズミカルに階段を下りていった。

 ネブラは苛立ちを嚥下して、ピアニカの後をついていく。ピアニカの歩幅は狭く、追いつくのはすぐだった。


「今日の予定は?」

「午前は練習。午後一番に入団希望者のオーディションがあって、夜は侯爵の屋敷で演奏会」

「朝から大忙しだね、ピアニカさん」

「なにこのガキは」

「馬鹿弟子」

「弟子です。コメットっていいます」

「あっそ」それきり、ピアニカはコメットに触れなかった。「あんたらの先生は?」

「脅迫状の分析だってさ。犯人の魔力が滲んでないか調べて、可能なら過去の犯罪者との照合もするとか」

「はあ。早く見つかってほしいわ。赤の他人に身の回りうろつかれるなんて、守られてるっていうより見張られてる気分よ」


 そうぼやくピアニカの横顔は憂鬱そうだった。表情の薄い顔には嫌気が差している。


「犯人に心当たりはないのかよ」

「あるわけないでしょ。あたしにはファンもアンチも多いのを知らないの?」

「特にしつこいアンチは」

「顔も名前もわかんないわ」


 アパートの階段を下りきった三人は地上に辿りつく。

 ここから〈グレートウォール〉までは、あえて人目につく大通りを避けて移動する。ピアニカは認識異常を起こす魔法道具のサングラスをかけ、自身の姿を誤認させていた。

 ただし、そのサングラスをもってしても、ピアニカの身に宿る膨大な魔力は霞みもしない。その途轍とてつもない燃焼量の前ではくらましにもならなかった。

 脅迫状の犯人に魔力探知の覚えがあった場合、あまり意味はないだろうと、ネブラは静かに思う。

 昨晩、コメットが言っていたように、ネブラには少々荷が重い仕事だ。真実、彼女の安全を考えるなら、犯人の言うとおりにしたほうが早い。


「ちなみに聞くが、お前がコンサートの主役を降りるって選択肢はねえんだな」

「はあ? あるわけないでしょ」ピアニカの声は刺々しくなる。「あたしはギャラクストラのスターよ。絶対に降りないわ」

「へいへい」

「それにねえ、アニバーサリーコンサートはずいぶん前から宣伝してるのよ? いろんなスポンサーが協賛についてる。それなのに、首席歌手のあたしは出ません、なんてギャラクストラの信用に関わるわ」


 ネブラが「この人間にも信用を気にする感性があったのか……」とぼやくと、ピアニカは「なに?」と短く刺す。


「僕も、昨日のピアニカさんの歌が素敵だったから、そのコンサートでも聴きたいって思うなあ」

「昨日だけじゃなくて、あたしの歌はいつも素敵よ」

「褒められたんだから普通に受け取れ」

「普通ってなに? 普通なんて嫌い」


 才能マンの言い分、とネブラは思った。

 つんとした顔で先を行くピアニカは、自分の目の前にある有象無象など全て蹴散らしてやるという気魄きはくがある。ただ、その魔力だけはひたすらに神聖で、そのちぐはぐさの奇妙な娘だった。

 さて、〈グレートウォール〉に到着し、ネブラとコメットは楽員の練習に同席する。

 個人練習ののち、音合わせ。兼業している学院もいるため、全員揃うことはなかったものの、練習室の隅で演奏風景を眺めるコメットにとっては、見応え——否、聞き応えのあるものだった。

 昼食ののち、入団オーディションである。

 審査はホールでおこなわれ、ステージ上で入団希望者が演奏まほうを披露するのを、客席にいる楽員たちが評価していく。この日の審査員は、ナイトフォード、アリア、ピアニカの三名だった。

 その三人から少し離れた席で、ネブラとコメットは待機していた。背凭れにどっかりと体重を預けたネブラとは対照的に、コメットは前のめりになり、目の前の席の背凭れを掴んでいた。

 入団希望者の一人が歌いはじめる。独唱者ソリスト志望の男性で、なめらかなテノールを持つ魔法使いだった。

 ステージから有名な聖歌が響き、その歌声に合わせ、光のヴェールがゆらゆらと揺れる。いまにも天使が舞い降りそうな雰囲気に、コメットは小声で「すごいすごい」とこぼしていた。

 ピアニカは足を組んだ膝に肘をつき、片耳をわずかに前に出す姿勢だ。瞼を閉じた面差しは真剣だったけれど、歌声に聞き入っているようにも、ただ目を背けているようにも見える。

 歌が終わり、ナイトフォードとアリアが拍手を送る。緊張した面持ちの男は礼をした。

 目を開けたピアニカが、ナイトフォードとアリアに尋ねる。


「ねえ。魔法の腕はどんな感じなの?」

「悪くはないかな」とナイトフォード。「オリジナルでない曲に、上手く魔法律を組みこんでいるね。威力が小ぶりなのが気になるけど、練習次第ではもっとだろう」

「光魔法は応用が効くからね。伸ばせもっといろいろ表現できるんじゃないかな。できれば彼自身が作った魔法も見てみたいところだけど、魔導資格ソーサライセンスは五等級で、一般的パブリックな基礎魔法しか使えないんだっけ」


 アリアの言葉に、ステージの上の男が「あ、でも、いまオリジナルの魔法も構想中で」と告げる。アリアはにこやかに「完成が待ち遠しいね」と言った。

 一連の話を聞き、ピアニカは眉を跳ね上げる。


「ふうん? じゃあ、結果は出たわね」淡々とした声で続ける。「不合格よ。次」


 ステージの上にいた男が「えっ」と漏らす。

 ピアニカは背凭れに身を預け、「つっかえるわ。早く出てって」と言うだけ。

 ナイトフォードとアリアはやや驚いた顔をしていたが、特に口を挟まなかった。物問いたげなのは入団希望の男だけだ。

 その視線に観念したように、ピアニカがちらりと目を向ける。


「大事なところで音程外してる。ビブラートも大雑把に揺らしてるだけになってる。ブレスが細かくて気が散る。トータルで、それっぽく歌いました感が滲んでて、あんた、本当にちゃんと練習してきたの?」

「なっ……」

「ていうか、曲の解釈がキモすぎ。よくもまあ、天下のオルガニオ聖歌を、そんな下品に歌えるものね。響きがぬるぬるしてて、ナメクジの子守唄かと思ったわ」


 ステージの上の男の顔に朱が散る。自分の歌をここまで扱き下ろされるとは思ってもみなかったのだ。握り締めた拳は震えていた。

 そんな彼へ、ピアニカは追い打ちをかける。


「魔法の腕が中途半端なんだったら、歌はアリア並みに歌えるべきでしょ。逆もまた然り。どっちも半端者なら入団資格はないわ。実力磨いて出直しなさい」


 歯噛みしていた男の口が開く。

 その胸ポケットから引き抜いた万年筆が彼の杖と気づいたのは、ネブラ一人だった。


「この、“痛いの痛いの飛んでく”っ、」

「“D.C. ダ・カーポ”」


 男が構え直す万年筆よりも、ネブラの杖腕が先んじたのが幸いした——相手の詠唱を追えないうちに、ネブラの放った魔法が発動し、魔法の発現が

 ゴウンッ!

 突如として現れた金盥かなだらいが、男の頭上に落ちる。お仕置き魔法“痛いの痛いの飛んでくる”だ。コメットもこれを食らったことがあるが、けっこう痛い。

 ナイトフォードとアリアが目を見開かせている隣で、ピアニカが「は?」と眉を顰めた。背後のネブラがなにかしたのはわかっていた。つまり、あの男は、あれを自分に差し向けようとしていたのだ。


「こいつ、やりやがったわね!?」


 ピアニカの絶叫のような怒声が響く。

 金盥かなだらいの衝撃から立ち直った男がまたもや呪文を唱えようとした。

 しかし、ネブラは客席の背凭れ伝いに駆け飛んで、「“巻きつけマフラー”!」と杖腕を振るう。

 ネブラの首にあったマフラーが、男へと蛇のように飛びかかり、その口の中へと突っこむ。男が唱えようとしていた音が乱れ、魔法が不発した。マフラーは余った尾で男の体を締め上げ、拘束する。

 ピアニカのすぐ隣の座席まで移動したネブラが、座席の上に立ったまま、呻き声を上げる男を見据える。


「ふが、は、んんんんん!」

「悪い、こいつに一泡吹かせてえお前の気持ちはかなりよくわかる! が一旦落ち着け? な?」

「んむむう!」

「なにが落ち着けよ、こいつ、あたしに怪我させようとしたのよ!? 逆恨みなんて信っじらんない! あんな外道このまま締め殺しちゃいなさいよ!」

「俺はお前じゃなくてあっちに言ったんだわ!」


 怒り心頭のピアニカは「この下衆野郎!」とステージの男のもとへ行こうとする。ステージの足下で、それを引き止めたのが、なんとか追いついたコメットだった。

 ステージの男は身を捩らせたことで、マフラーの呪縛から解ける。真っ赤な顔でピアニカに怒鳴りつける。


「誰が半端者だ、馬鹿にしやがって! お前なんか歌えるだけで魔法も使えないくせに!」

「魔法を使えなくてもあんたよりずっと歌えんのよ! ちょっと齧っていい気になってる暇あったら真剣に練習したら!?」

「この女……!」


 男が身を乗り出したところで、ネブラは魔法をかけ直した。

 マフラーの巻きつく万力の圧に男が呻く。

 自前のカシミヤのマフラーがどんどん傷んでいくのがわかり、ネブラの沸点もいよいよだった。怒りの矛先はピアニカに向く。


「お前も! 相手を怒らせたらこうなるってわかるだろ! 魔法使われたら敵わねえんだから!」

「魔法使いじゃない相手に魔法を使う時点で、そもそも人として負けてんのよ! 来世で出直してきな!」

「ここからさらに煽るな命知らずが!」


 ネブラはコメットを見遣り、顎をしゃくった。

 連れていけ、ということだ。

 コメットは「行こう、ピアニカさん」とホールから出ようとする。そのあいだも、ピアニカの背中に向かって、男は怒鳴りつけていた。


「こっわいね、まだなにか叫んでるよ」

「負け犬の遠吠えなんて言語圏が違うからなに言ってるかわかんない」


 コメットとピアニカの二人は、ゆっくりと歩いてホールを出て、すぐ近くのベンチに腰かけた。

 ややあってから、ネブラも出てくる。あの場はアリアがフォローして事なきを得たため、ナイトフォードと次の審査を始めている。

 ガシガシと頭を掻いたネブラの髪は乱れていた。せっかくひとまとめにしたのに何本も房のようにほどけている。

 ベンチに腰かけるピアニカの前まで大股で歩み寄り、ほつれたマフラーを突きだした。


「お前のせいでくたびれただろ! 弁償しろや弁償!」

「わざわざそのマフラー使って縛ったくせに、あたしに責任転嫁してんじゃないわよ! そんな大事なものを護衛中に持ち歩くなんて馬っ鹿じゃないの!?」

さみいんだよこっちは! クソ、こんなやつに脅迫状なんか送りやがって! 付き合わされる俺の身にもなれってんだ!」

「はー!? 喧嘩売られたのも殺害予告されたのもあんたじゃないんだけど!? あたしよりイライラしないでくれる!?」


 またもや口論になるネブラとピアニカに、「怒りんぼが二人……」とコメットの目は平たくなる。

 ネブラは自他共に認める怒り性だが、ピアニカも負けず劣らず沸点が低い。きちんと刺し返すというより、滅多刺しにし返す感じだ。

 しかも、至るところに逆鱗があるらしく、ついさっきまでは静かにしていたのに刹那でキレている。生命を吹きこまれたビスクドールが呪物に変わる様を、コメットは何度も見た。

 けれど、歌っているときだけは別だった。

 練習のときも、ステージの上でも、歌っているときの彼女は、爽やかに笑うのだ。まるでこの上ない幸せを噛み締めるように。

 それでいて、歌声は、この世のものとは思えないほどにうつくしく、瞬く間に観客の心を掴み抜く。音の一粒一粒が踊り、反響は輝いているかのようだった。

 才能ある若き歌姫。

 怒り心頭のピアニカが「お手洗い! ついてこないで!」と言い放ち、その場を去る。それを見送るネブラが「遠くまで行くなよカス!」と吐き捨てる。


「ったく、なんなんだあの女は……よく一歩も譲らずにあそこまで言い返せるよな」

「ネブラもそう変わんないよ」

「は?」






 その夜の演奏会は、ネブラもいつか来た、ブルース侯爵の屋敷にておこなわれる。というのも、侯爵と親交のある貴人をもてなすためだ。


「で、お前かよ」

「こんばんは、ラリマーさん」

「久しぶりだな、コメット。どんぐりは見つかったのか?」

「どんぐり?」


 ラリマーに尋ねられ、コメットは首を傾げる。ラリマーは、コメットが真冬にどんぐりを探していると思っているため、励ます気持ちで「がんばって探すんだぞ」と言った。

 演奏会の会場は舞踏室だった。

 以前、ネブラとラリマーが大立ち回りをした場所で、いまはすっかり修繕され、あの激闘の影もない。炎ではなく光の散るホールだ。

 事情を知っているブルース侯爵は、ギャラクストラと共に屋敷を訪問したネブラとコメットに、なにも言わなかった。二人分の席も追加で用意する歓待だ。

 本来なら、音楽家たちは中二階のオーケストラボックスを居場所としているが、今宵の余興はダンスではなく演奏によるパフォーマンスだ。ギャラクストラの面々は、シャンデリアの光の下、類稀な音色を奏でつづけた。

 弦楽器のカルテット、オーボエによるコンチェルト、そして、専属歌手ピアニカとピアノ伴奏によるセレナーデ。

 魔法使いによるオーケストラというのは、ラリマーにとっても初めての体験で、目を瞠りながらも終始楽しんでいた。

 主催のブルース侯爵も熱い拍手を送っており、「素晴らしい演奏でしょう」とラリマーに語りかける様子も、どこか誇らしげだ。

 ピアニカはブルース侯爵とにこやかに挨拶を交わしたのち、次の準備のために離席すると告げた。向かう控え室は、舞踏室のすぐ近くの部屋で、今宵、ギャラクストラのために貸し出している部屋だ。

 それについていくネブラがピアニカに言う。


「お前、ちゃんとお行儀よくもできんだな」

「なによそれ」

「ブルース侯爵の前では愛想よくしてたろ」

「ホストの顔立てんのは当たり前でしょ。あたしは一晩の公演で大金を稼ぐ歌手なのよ。そんなあたしとオケの奏者何人かを呼びだすのに、侯爵がどれだけの額を積んだと思う?」


 その台詞から、ピアニカが本当の意味で立てたのは、侯爵の顔ではなく、ギャラクストラの看板なのだとわかる。

 全てを取るに足らないと思っていそうなピアニカだけれど、ギャラクストラの首席歌手として、他者からの信用は気にしている。また、これがただの演奏会ではなく、接待だということも、きちんと理解している。


「なんか隣にいたやつ、どっかの国の王子様なんでしょ?」

「公子な」

「侯爵にはいつもお世話になってるし、そんなお方がここまでしてもてなしたいっていう相手なら、会場の中でくらいでいるわよ」


 控え室となる部屋に到着した。

 ピアニカは中央のカウチに腰かけて、台本リブレットに目を通す。ネブラはカウチの背後に立ち、形だけ周囲を警戒する。ここは侯爵邸だ。不埒な者は滅多と侵入しない。そのため、馬鹿弟子ことコメットがピアニカの隣に腰かけることを許した。

 しばらくしていると、ノックが聞こえる。

 ネブラとコメットは顔を上げたけれど、ピアニカは無視した。ギャラクストラの人間なら、わざわざノックが必要でないことを理解している。扉の向こうにいるのがギャラクストラの者ではないとわかっていたのだ。

 しかし、ノックの主は何拍か置いて、再び扉を叩く。

 コメットは少し警戒した面持ちになる。もしかして、ピアニカの命を狙う、怪しい者ではなかろうか。

 ただ、ネブラは「大丈夫だ」と囁くように言う。見知った魔力を探知したのだ。カウチを回りこんで向かい、扉を開けて告げる。


「やい、クソ公子」

「なんだ。ネブラか」

「いったい何用だよ。こっちは例の件で気ぃ張ってんだ。なるべく顔を出したくないのがわからんか」

くだんの歌姫に挨拶ができなかったからな。俺から直々に参った次第だ。いま時間はあるか?」


 ネブラは判断をピアニカに委ねる。ついっと視線を背後に遣った。

 ピアニカは依然として、カウチに腰かけたまま、台本リブレットに視線を落としている。

 隣に座るコメットはラリマーとピアニカを交互に見遣っていて、まるできょろきょろと首の動く鳩のようになっていた。

 ラリマーは目を瞬かせたのち、「失礼する」と部屋に入る。ピアニカの目の前に立ち、その姿を見下ろした。


「招待を受けたラリマーと申します。さきほどの歌は素晴らしかった。さすが帝国一と名高い歌手だ」

「あらそう。ありがとう」


 そっけない返事とぶっきらぼうな態度。

 ラリマーは眉をぴくりと跳ねさせた。


「……ずいぶんな対応だな」

「あたしが敬意を払うのは、創造主とアステリア ・ワイエスだけ。機嫌を損ねてしまったならごめんなさいね」


 そう返すあいだも、ピアニカはラリマーを見ようともしない。

 ピアニカは「会場の中でくらいでいる」と言ったのだ。控え室に入ってしまえば営業は終了である。

 ラリマーはネブラを伺う。

 ネブラは変顔で返した。

 この空気を俯瞰しているコメットは「ウーン……」と眉を下げる。正直、相性のいい面子メンツとは思えなかった。


「これはなんだ。俺が公国から来た帝国の貴賓だと知らないのだろうか」

「お前のそういうところ本当にウケるわ」

「ラリマーさん。ピアニカさんは誰にでもこんな感じなんだよ」

「初対面のネブラだってもう少し愛想はあった」

「ピアニカさんもそう変わんないよ?」

「は? あたしがこの不気味なやつとおんなじだって言いたいわけ?」

「そう言ってるんだゅぅ、ぃいだだだっ、やえで、ほっへたひっぱやないえよう」


 コメットの片頬を思いっきり抓るピアニカ。

 それさえも片手間で、視線は台本リブレットに落ちたままだった。

 ピアニカの手が離れ、コメットは小さな両手で片頬を押さえた。ぐすんぐすんと啜り泣くコメットのことなんか気にもせず、ピアニカは淡々とした声で告げる。


「やんごとなき立場をひけらかすのは、生まれ持った身分しか誇れるものがないからでしょ。高級なミジンコの自己紹介聞かされるあたしの身にもなれ、って感じ」


 無感情な人形のような顔で、ラリマーをけちょんけちょんに罵る。相手の反応を伺うこともなく、淡白な罵倒は続く。 


「勝手に入ってきといて礼を尽くせとか。公子だか王子だか知らないけど、それがあんたでなくちゃいけない理由なんて一つもないのに、たまたまそう生まれただけでえらそうにしてんでしょ? ラッキーね、賽の目がよくて」


 そんなピアニカの言い様があまりに爽快で、ネブラはざまあみろと思った。

 一方のコメットは、他国の王子を相手に怖いもの知らずなピアニカに「このひと本当にすごいな」と思っている。そして、同じようなことをラリマーも思った。


「なるほどな」海色の目でピアニカを見据え、静かに腕を組む。「それは道理だ。しかも、それを俺に言ってのけるのは感心に値する」

「あんたがあたしを評価しないで」

「今回の非礼は不問とする。俺もブルース侯爵の接遇を無下にするのは不本意だった。今宵は引き続き素晴らしい歌を頼むぞ」


 ついにピアニカは顔を上げ、カウチにあったクッションを引っ掴み、ラリマーへと投げつけた。

 ラリマーはそれをさっと避け、何事もなかったかのように告げる。


「では、またな。ピアニカ・ビアズリー」

「あんたとは二度としゃべらない」


 優雅に部屋を去るラリマーを見送るように、ネブラも部屋の外に出ようとする。

 コメットは部屋に残るべきか悩んだけれど、隣のピアニカがしらっとしているのを見て、自分などいてもいなくてもどっちでもよいのだろうな、と悟り、ネブラの後をついていく。後ろ手で扉を閉めて、ラリマーのほうを見た。

 ラリマーはいつも尊大だが、意外にも寛大であり、ネブラやピアニカと比べればその懐はずいぶん広いと、コメットは見抜いている。

 そのため、二人がどれだけ無礼な態度を取っても、ラリマーは意に介さない。なんだこいつは、と思うくらいで、いつまでも根に持ったりしないのだ。立っているステージが違うというのは、こういうことなのだろう。


「……という具合に、あの女は誰彼かまわず恨みを買うようなやばい人間なもんで、あんまり近づかねえほうがお前の身のためだぜ」

「いや。思えば、初めて会ったその日に服を燃やしてきたお前のほうがやばい人間だったかもしれない。彼女自身はクッションを投げつけたくらいで、お前に比べればかわいいものだ」

「あの女だって魔法が使えたらお前のこと切り刻むくらいはしたと思うぞ」

「まさか、お前じゃあるまいし」

「俺の嫌悪感をちゃんと汲み取ってんのになのがお前の怖いところだよな」


 この二人、仲がいいのか悪いのかわかんないんだよな……と、コメットは困った顔で二人を見守っていた。先日のルピナスもそんな顔をしていた。

 さて、ネブラやコメットとはステージの違うラリマーは、やはり考えることも違う。

 つい先刻けちょんけちょんに罵倒してきたことさえも頓着せず、自分の中で弾き出した結論を信じている。


「ふふん。ネブラ、感謝しろ」

「なんだよ」

「俺も彼女の護衛を手伝おう」


 その言葉に、ネブラの「あ?」とコメットの「なんで?」が重なった。

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