第15話 続・水瓶には返らない

 黒髪ダークヘアの隙間に紛れる、悪魔的な紫の瞳が、温度もなくコメットを見下ろしている。その視線だけで人を殺してしまえそうだった。

 その視線に撃ち抜かれる身体よりも先に、コメットの魂が怖いと訴えている。目の前にいる男が、ミーティアという魔法使いを、ライラの恋人を、歴代の宮廷魔法使いを幾人も葬ってきた使


「どうも。最近流行りの星団殺しだよ」


 魔弾の射手。

 気づいた途端、コメットはカノープスの服をぎゅっと握る。魔弾の射手から視線を逸らさないまま、カノープスを揺すり起こそうとする。かじかんで絡まりそうな舌で、引き攣る喉で、必死に「お、起きて……逃げよ、カノさん、」と漏らす。


「そうそう、南極老人星カノープス!」魔弾の射手は弾けるように声を大きくした。「殺すにはってつけだよな。老害は、俺がこの世で一番消したいものの一つだ。新陳代謝が滞る。生命の癌だよ。次世代の幸福追求のために土へ還ろうぜ」


 そう言った魔弾の射手は、左手に持っていた本を地面に落とす。ザシャの『星団姿絵集』だ。ページは開かれたままで、そこには、夜空みたいな暗色の髪と頬の傷が特徴的な魔法使いが描かれていた。カノープスであることは容易に見てとれる。

 コメットは恐怖で震える思考の隅で悟る。ああ、そうか。たとえ制服を脱いでも無駄なのだ。近衛星団は顔の割れた騎士組織だ。

 ゆらりと、魔弾の射手は右手を上げる。その手には、不思議なを持っていた。中が真っ暗な細長い砲身。それが武器であると、凶器であると、コメットは理解する。それによってカノープスは撃たれたのだ。そして、それを再び向けられている。

 魔弾の射手が引き金を引く直前に、カノープスが動く。痛みに呻きながらも気を失ってはいなかった。銀朱の瞳を燃え滾らせながら、骨のように真っ白い杖を腰から抜き、荒い息で「“抉れ”!」と唱えた。

 魔弾の射手の杖ごとその腕を抉ってやろうとして、しかし、魔弾の射手はそれを紙一重で避ける。まるで獣のような反射速度だった。外套コートを翻して屈みこんだ魔弾の射手が、ゆらりと上体を起こす。再び杖を向けてカノープスの肩を撃った。カノープスはその衝撃で倒れ、今度こそ気絶する。

 魔弾の射手がもう一発と引き金を引こうとして——パチンと指が鳴る。

 羽虫の姿から変化を解いたトーラスが、コメットの背後から現れた。

 魔弾の射手の指が完全に引き金を引くのと、トーラスがもう一度指を鳴らすのは、同時のことだった。撃ち出された弾丸はまるで刃に直撃したかのようにぱっくりと割れて、別々の方向へ飛んでいった。離れたところで二箇所、壁に小さな穴が開く。

 コメットは呆然としている。魔法を繰りだした二人にしか理解できない、刹那の応酬だった。

 魔弾の射手は目を見開かせていた。そこには純粋な驚きがあった。己の攻撃をいなされたがためではない。やや声を上擦らせて「おいおい、」と吐きだす。


「お前、さてはトーラスだろ」深く揺れるような声が愉悦に膨らむ。「何百年ぶりだ? 会えて嬉しいよ。ハグしようぜ」

「俺のハグは高いよ。お前に払える?」

「その拝金主義……古い知人が変わらないのは感動だな。いや、停滞は悪だ。常に更新されゆく世界において、救いようのない害悪であり老害だ。ああ、残念だ、俺はなんの変化もないお前に会って悲しいよ」

「お前が輪をかけて頭おかしくなってて俺も泣きそう」


 トーラスはまた指を打ち鳴らし、ピゥイと軽く口笛を吹いた。魔弾の射手の右腕が糸に操られたように頭上まで上がり、そのまま動かなくなる。

 針金でガチガチに固定されたみたいな感触に、魔弾の射手はハッと息を吐いた。すぐさまパンッと乾いた発砲音が響き、それに乗せて魔法が発動する。自身を戒める金縛りを解いた瞬間に、トーラスへと杖を向けた。

 ぼそぼそと小さな声で呪文を唱えながら引き金を引く。撃ち出された弾丸は凶々しい紫の光を帯びていた。魔法圧力で地面を抉る、鬼気迫るほどの弾速は、唸りを上げてトーラスへ目がけた。

 トーラスが指を鳴らすと、コメットの視界は一変した。ハッと気づけば、さっきまで対峙していた魔弾の射手の背が離れたところに見えた。そばには横たわるカノープスと、指を構えるトーラス。

 空間転移魔法だ――魔弾の射手の攻撃軌道から脱したのだ。

 しかし、魔弾の射手の反応は早かった。再び杖をトーラスへと向けて発砲。トーラスはもう一つ指を鳴らし、元いた地点にまで一瞬で移動する。空間転移魔法を突然に二度も使われたコメットは、酔いでくらくらと眩暈がした。


「五発使ったな」トーラスは呟く。「あいつの銃の弾数は少ない。装填にも時間もかかる」

「じゅ、銃……? そうてん? なに?」

「今が逃げ時ってこと。俺あんな化け物と喧嘩するなんて絶対ヤだもん、割に合わねー。もう一回飛ぶぞ。吐いてもいいから耐えろ」


 魔弾の射手は「“再装填リロード”」と唱える。

 すると、空から華やかなフルートの音色が響いた。

 たちまち魔弾の射手を取り囲むように水が湧きでる。空気から漏れだすようにして生成されていく。その水は蛇のように大きくなり、降り注ぐ旋律に合わせて、魔弾の射手の周囲を螺旋した。

 コメットは顔を上げる――箒に乗ったサダルメリクが、フルートを吹いて見下ろしていた。

 コメットが「大先生!」と叫ぶと、サダルメリクはフルートからわずかに口を離し、トーラスに告げた。


「コメットを連れて離れて。なるべく遠く」

「了解」


 トーラスがそう答えると、パチンと指が鳴らされる。ライラのもとで新しい足掛けと羽根飾りをつけた、樫の箒が現れた。

 座標計測に時間のかかる空間転移魔法よりも、箒で飛ぶことを選んだのだ。気絶するカノープスを肩に背負い、コメットを乗せて箒で飛ぶ。


「待って、トーラス、」

「待たねえ。あいつに任せろ」

「だめ、大先生、そのひと魔弾の、」


 ぐいんっと風を浴びる。トーラスが箒の舵を切ったのだ。流れていく視界の先で、魔弾の射手と共に置き去りにしてしまったサダルメリクを、コメットは見つめる。サダルメリクが「大丈夫」と言った気がした。大丈夫なわけがない。だってその魔法使いは、八百年も生きた魔法使いのカノープスを、たったの一発で——

 今にも泣きそうな顔でトーラスに連れられたコメットを、サダルメリクは横目で見送る。ごめんねコメット、と心の中でこぼした。サダルメリクとて、コメットに気まずい思いをさせたいわけでも、心細い気持ちになってほしいわけでもなかった。あんなに顔をぐずぐずにしちゃって、ああいうところがかわいいよね、ネブラも気にしちゃうの納得。

 少なからずかわいいと思っているから、やはり、関わってほしくはなかった。見せたくなかったと言ってもいい。日頃から大先生と言って慕うその星が、遥か昔から届いた光だと、コメットは知らない。

 パンッと乾いた音が響くと同時に、魔弾の射手を覆っていた水魔法が一瞬で蒸発した。湯煙りの上がる中、魔弾の射手が口角を吊りあげている。がくんと首だけ仰け反らせるようにして、サダルメリクを見上げた。


「トーラスにお前に、今日は同窓会か? 聞いてないぜ」

「もし同窓会を開いたとしてもお前は絶対に呼ばれないでしょ」

「酷いな。同じ十二星者のよしみだろ」

「お前とは会いたくなかったよ、サジタリアス」


 魔弾の射手——サジタリアスは、紫の瞳を細めて笑んだ。

 神代とも呼ばれる紀元前、世界のほとんどが水没した未曾有の大災害、《大洪水》が、当時の《十二星者》と呼ばれる有能な魔法使いたちにより起こされものだということを、現代の誰も知らない。その十二星者も長い時を経てそれぞれに寿命を迎え、生き残るのはごくわずかな者のみだ。

 そのうちの一人がサダルメリクであり、トーラスであり、魔弾の射手ことサジタリアスだった。


「お前、まだ銃なんて杖にしてるの。水没した文明にこだわるだけの情がお前にもあるなんてびっくりなんだけど」

「俺はいまさらお前がそんな玩具おもちゃを杖にしてるのが驚きだよ。好き好んで自ら枷をつけてる破綻野郎。いい歳した魔法使いの一人遊びなんて見てられないぜ。停滞以上に衰退は悪だ。自死や自滅は獰悪だ」

「極悪人の犯罪者に言われたくないね」

「俺は悪でも必要悪だぜ。環境によくない害悪は間引くべきだろ」


 見上げつづけるサジタリアスのフードがずるりと剥ける。烏の濡れ羽色をした黒髪ダークヘアが、ぬるく湿った風に靡いた。

 引き金が引かれる。発砲音と同時に、銃口から紫電の弾丸が発射された。

 箒に乗ったサダルメリクがそれを避けようとも、弾丸は火花を散らしながら追尾している。パパパンッと三度打ち鳴らされ、追撃が来る。サジタリアスはそれを見送りながら「“再装填リロード”」した。その隙にサダルメリクがフルートを吹くと、紫電の弾丸は爆発して塵に還った。

 サダルメリクは箒を下降させ、柄の上に立つようにして低空飛行する。宙を滑りながらフルートの音を響かせれば、ぐつぐつと煮え滾るように通りの石畳が蠢いた。

 サジタリアスは自分の足元に三度発砲する。発砲音が響くと同時に、三角錐の結界が張られた。

 たちまち石畳は間欠泉が噴きだしたように上昇し、吹き飛ばされていった。結界の中にいたサジタリウスはただ静かに地に足をつけていた。一寸の隙もない防御魔法だった。

 魔法は音に乗って発動する。大きな音や複雑な旋律は、それだけ強力な魔法を乗せられる。しかし、サジタリアスが鳴らすのは発砲音のみ。トーラスとて、指を鳴らす音、口笛一つで魔法を発現させることができるけれど、それはあくまで中級程度の魔法か上級魔法の先駆けだ。サジタリウスは、たった一発の発砲音に膨大な魔力を注ぐことで、強力な上級魔法さえも構築する。二人の魔法効率はまったく異なる。

 それほどの魔力なのだ。

 サジタリアスは、昔から、十二星者と呼ばれたときから、並々ならぬという言葉が陳腐に思われるほどに、膨大な魔力を持っていた。粒揃いだったかつての十三人の中でも一頭地を抜く魔力量で、それは質量を感じるほどに重々しく凶悪だった。


「お前って本当に規格外」

「どっちが」


 サジタリアスが連続で発砲する。二度の発砲音が響き、弾丸は一つの炎流となって収束した。燃え盛りながらのたうち回り、サダルメリクへと襲いかかる。

 サダルメリクはフルートを奏でる。再び空気中から水が生成される。ぶくぶくと膨れあがった水の玉は、サダルメリクを覆うほどの大きな盾を作った。素早く「“再装填リロード”」したサジタリアスは、もう四発も撃ち鳴らし、炎の竜を大きくした。我武者羅に突っこんでくるその竜を、しかしサダルメリクの水の盾はたちどころに消火し、じゅうじゅうと蒸発してゆく。

 再び水の玉を蘇らせようと、サダルメリクがフルートを振りあげたとき、いつの間にか間合いに回りこんでいたサジタリアスが、サダルメリクのフルートを撃った。

 甲高い音を立ててフルートが割れ、砕け散るように地面に落ちた。杖を失ったサダルメリクは箒に乗ったまま距離を取る。目線の先ではサジタリアスが「“再装填リロード”」と唱えていた。

 サジタリアスの弾丸は世界最硬度の金剛石であるアダマンタイト製で、すでに装填されているオリジナルを魔法で複製しながら使っている。いまの文明には拳銃どころか専用の弾丸も存在しない。六発装填できる銃を使いながら、五発目で再装填を必要とするのは、オリジナルの弾丸を残しておくためだ。

 戦いの最中さなか、サダルメリクは、対峙する魔法使いについて、冷静に思い出す。懐旧の哀愁も感動もないのに、滲んで溢れだしそうになる。その身から魔力が滴り落ちた。


「魔法使いあるある。不老魔法の維持問題」サジタリアスは銃口を向けたまま、素っ頓狂に告げる。「身体が老いないようにするために、大がかりな長寿の魔法を定期的にかけ直しているやつがほとんどだ。そもそも寿命に反するなんてのは非倫理的なおこないだから、消費する魔力も構成する魔法量も膨大。大詩篇を三日三晩演奏してかけてるやつもいた。当時の偉大な魔法使いである俺たち十二人だって同じだった」


 サダルメリクが「双子がいるから十三人だって」と静かにツッコんだ。サジタリアスはすぐさま「忘れちゃってごめんポルクス……いやカストルかもしれない」と呟いてから、再び口を開く。


「そんななかでお前一人だけが違った。話を聞いたときは俺も驚いたよ……、だっけ」


 化け物かよ。

 サジタリアスの呟きに、サダルメリクは眉一つ動かさなかった。

 代わりに、その遥か頭上で水がとぐろを巻く。音もなく練りあげられる、『アルマデル奥義書』の第三章の水魔法。それはどんどんと膨らんで大きな塊となり、二人の頭上で異様に浮かぶ。


「“擬似無音詠唱”だっけか。わざわざフルートなんか使わなくたって、お前は、呼吸や心臓の鼓動、瞳の瞬きほどのごく小さく短い音に、魔力を乗せて、発現させることができる。上手く紐づけたよな。お前は鼓動を止めるまでは老いないし、老いないから死なないし鼓動も止まらない。コストパフォーマンスが馬鹿みたいに高いんだよ。人体に優しく、不必要な騒音もないなんて、隣人への配慮さえ感じる。効率主義の鑑だよ。効率主義の鑑の世界代表」

「魔力おばけのお前にそう言ってもらえるなんて光栄だな」

「俺と張り合いたいの? ぜ、お前」


 サジタリアスに指摘され、サダルメリクは嫣然と微笑んだ。

 そのしなやかな身には、世界を飲みこんだ大海がごとき魔力が満ちている。滲みでた魔力があたりに充満していて、サジタリアスの体にも伸しかかった。まるで海底に立っているようだ。並の魔法使いなら魔力圧で息絶えてもおかしくはない。

 サジタリアスは己の身に満ちる魔力で抗いながら、歯を見せて笑った。

 水の塊へと引き金を引けば、穿たれた弾丸により花火のように散り、水瓶をぶちまけたような雨となる。全てが降り落ちたあと、サジタリアスが首を傾げる。


「水も滴るな? 色男」

「お前は濡れ鼠」


 そう言葉を交わし、二人は魔法を撃ちあう。サダルメリクは呼吸と瞬きに乗せ、サジタリアスは弾丸と発砲音に乗せ、攻撃する。魔法の攻撃を避けたサダルメリクの頬を、サジタリアスの実弾が掠めた。しかし、たちどころに傷は塞がる。唇で紡ぐまでもない微々たる魔法だ。

 止め処なく繰り広げられる応酬の間隙で、サダルメリクは言った。


「どうして近衛星団を狙う? お前は三百年のあいだに七人の魔法使いを殺し、ミーティアも殺した。今度はカノープス。何故そこまでする。僕の穏やかな隠居生活の邪魔なんだけど」

「むしろお前はなんで殺らない?」サジタリアスはなんでもないように告げる。「隠居なんて、水臭くてお前らしいね。悲しいよ。俺たちはかつて平等という思想の下に集まったはずだぜ。誰かが増長しすぎても卑下しすぎてもいけない。時を経て、今度はくたばり損ないの魔法使いがのさばってやがる。それはだめだ。世界によろしくない。大きな木の樹冠は下草の成長を遮る」

「それで星団殺し? 今時、差別なんて流行んないよ」

「流行りってんなら、エコロジーはどの時代でも一世を風靡してる。それを意識せずに生きようなんて周回遅れの考えかただぜ」

「お前の行動のどこが環境にも経済にも優しいんだよ」

「魔法騎士組織なんて、特に間伐の必要な箇所だろ。邪魔な老木を切り落として、新陳代謝を促す。環境浄化だ。未来を生きる若い芽にはこれからの時代で輝いてもらわなくちゃならない。俺は若者がかわいくて仕方がないんだよ」

「長生きなんてするもんじゃないな。二千年生きて性癖歪んだか?」

「お前が言うかよ。あんなおチビちゃんに大先生なんて呼ばれて喜んでやがる」

「あの子は僕の弟子の弟子。本当の弟子は別にいるよ」

「弟子の飽和時代か……未来の魔法使いがそんなにいるんなら未来は明るいね。世代交代のビッグウェーブに乗り損ねないよう、一刻も早く老害は死に絶えるべきだ」


 サジタリアスが弾丸を放つ。

 サダルメリクは薄膜の結界を盾にして防いだ。はあ、と短く息をつく。


「……やっぱりお前おかしいよ。微塵も理解できない」

「理解とは終焉で、未知とは将来性だ。これから俺たちはもっと仲良くなれるよ」


 パパパンッと発砲するサジタリアス。魔法ではなく実弾だ。サダルメリクは再び盾を張ろうとして——ふと気づく。

 右手上方。そう遠くない。あと十数秒ほどでここまで到達する、馴染みのある魔力を感知した。速い。箒に乗って飛んできているのだと理解する。ここまでの速度を出せるのは、近衛星団の中でも鼓星の逃亡星ベテルギウスくらいのものだ。すぐそばには爆発しつづける巨大な魔力の塊。やや遅れて、白銀のように輝く魔力。連なるうら若い魔力はオリガに違いない。近衛星団の面々が応援に駆けつけてくれたらしい。

 ならば、とサダルメリクは盾の強度を下げた。サジタリアスの放った弾丸は盾を突き破ってサダルメリクへと到達した。抵抗を受けて威力は弱まったものの、その弾丸はサダルメリクを撃ち抜く。右肩、左横腹を穿ち、左腿を抉った。サダルメリクは血を流しながら膝をつく。

 違和感と感じ取ったサジタリアスは眉を顰める。そこで、この場に飛びこんでこようとする気配を察知した。げんなりしてサダルメリクを見つめる。


「は? お前の一人遊びに巻きこむなよ」

「なんのこと? 僕みたいな若手の魔法使いが、あの魔弾の射手に敵うわけがないだろ」


 そのとき、建物の群れの向こうから、息を切らした魔法使いが姿を現す。箒の穂先から火が噴きだすようなスピードだ。案の定、ベテルギウスだった。

 ベテルギウスは「サダルメリク!」と叫び声を上げ、その場の現状を見て、息を呑んだ。通りは惨憺たる有様で、石畳はしっちゃかめっちゃかだ。銃口を向ける魔弾の射手と、撃たれて蹲る仲間の姿。流れた血が足元を赤く染めている。

 呑んだ息で闘志を燃やした。ベテルギウスは「“武装”」と唱え、彼の杖であるパイクをその手に召喚する。振りかぶって地面へと投げ落とすと、パイクが石畳を割って突き刺さった。


「許さない……魔弾の射手! ミーティアやカノープスに飽き足らず、サダルメリクまでも……そいつには一歩たりとも近づけさせないぞ! “悪霊爆散”!」


 ベテルギウスが呪文を唱えると、突き刺さったパイクが光を放つ。地面にベテルギウスの魔力が満ちる。たちまち、火薬でも仕込まれていたかのように、通りの地面が飛沫を上げて爆発した。

 それを避けるようにサジタリアスは後方へ飛ぶ。粘度を上げた魔力を身に纏わせ、爆破の衝撃を回避していた。瓦礫と化したものを掻き分けながら、土煙にまぎれたサジタリアスがぼやく。


「最悪だ、自慰行為に付き合わされた……倫理観がイカれてやがる、尊厳を傷つける大罪だぜ……年下には優しくしろよ……」


 サジタリアスは、魔力を心臓の裏側に収束させる。あちこちに散らばっていた己の魔力までもを、呼子笛を吹くように。息を止めれば、あれほど膨大だった魔力には無に等しくなった。サジタリアスは空間転移魔法でその場を離脱する。


「百歳しか違わないくせに、なにが年下だよあいつ」


 サダルメリクは血の流れる腹を押さえながら、低い声で呟いた。

 頭上からは「逃げたぞ!」「まだ追える、オリガはサダルメリクの手当てを! それ以外の者で魔弾の射手を探せ!」と声が響く。

 ややあってから、オリガがサダルメリクのもとへと降り立った。箒の後ろには泣きっ面のコメットも乗っている。オリガを残したのはこのためかと、サダルメリクは察した。


「サダルメリク先輩!」私服姿のオリガが駆け寄る。「撃たれた箇所を止血します! 知ってると思いますけど、私、痛み止めはともかく、治癒魔法はちょっとしか使えないんで、死ぬ気で意識保ってくださいね!」

「だよねえ……せめてフォーマルハウトだったらなあ……」

「ないものねだりはしない! 弾はまだ体内にありますか? 取り出せます?」

「“出ておいで”」


 サダルメリクの肩と腹から弾丸が転がり落ちる。それを認めたあと、オリガが精いっぱいの治療魔法を唱えた。

 サダルメリクは、目を真っ赤にしてしゃがみこむ、コメットを見た。トーラスと一緒に逃げたあと、近衛星団に通報したのだろう。

 息をつきながら、「カノは無事?」と尋ねた。コメットは涙も拭わずに、「っはい」と震える喉で答えた。そういえば、一緒にいたトーラスはどうしたのだろう。もしかしたらあいつ、面倒事を避けてコメットのそばを離れたのかもしれない。そんなことをサダルメリクがぼんやりと考えていると、コメットが「大先生、」と口を開く。


「死なないって、言った」

「……死んでないでしょ」

「だっ、大丈夫だよって、心配いらないって、言ったのに……」


 滲む瞳で睨みつけるコメット。ただ、責められている気は微塵もしなかった。その真ん丸い瞳のように、コメットの魔力が揺れている。サダルメリクは苦笑して、「そうだね、心配はかけちゃった。ごめん、コメット」と謝った。コメットがゆるゆると首を振る。


「ごめんなさい、僕、大先生を置いてっちゃった……危ないって、わかってたのに」

「いいや、僕が追いやったんだよ。君を危ない目には合わせたくなくて。助けを呼んでくれたんだね。ありがとう」

「うっ、ううううぅうぅっ!」


 コメットはサダルメリクの胸に飛びこんだ。中途半端にしか治してもらっていなかったので、普通に「ぐうっ」と呻いてしまった。しかし、わんわんと泣くコメットを責められようはずもなく、サダルメリクは左手でぽんとその頭を撫でた。


「……オリガ、痛み止めはまだ?」

「もう! いまやりますから! 後輩には優しくしてください!」

「怪我人にこそ優しくしてほしいけどなあ」






 近衛星団はブルースの町を隈なく探したが、魔弾の射手は見つからなかったという。

 その後、サダルメリクは宮廷医のもとまで届けられ、治療を終えた。魔法医療により傷口は塞がったものの、大量の血を流したことや体の調子が戻っていないことなどを理由に、その日は、宮殿の敷地内にある、近衛星団の使う医務室のベッドで、夜を明かすことになった。隣にのベッドにはカノープスもいる。カノープスは「死ぬかと思った」とけらけら笑っていた。

 サダルメリクのベッドに寄り添っているのは、浮かない顔をするコメットと、連絡を受けて駆けつけたネブラだ。医務室に入って一言目に、「だっかっらっ無理っつったろ!」とネブラはサダルメリクを叱りつけた。


「信じらんねえ、どうかしてる、魔弾の射手と一人で応戦しただあ? バディのカノープスがやられた時点で一緒に逃げろや」

「ごめんごめん、いけると思ったんだよ」

「きっちり三発も食らっといて、なはーにがだよ。ああもう本当馬鹿。師匠も馬鹿、弟子も馬鹿、馬鹿で俺を挟むな」

「馬鹿の乱発」

「なんで僕まで罵られるの?」

「いや、でも、お弟子さんの言うとおりですよ、先輩」そのように呆れるのは、カノープスに付き添っていたオリガだ。「副団長も呆れてました。バディ単位で行動する理由忘れちゃったんですか?」

「覚えてたからバディ単位でやられた、って見かたもあるよね」

「そんな見かたは空の彼方にでも吹き飛んじゃえばいいんですよ。ベテルギウス先輩がどんな気持ちであの場に駆けつけたと思ってるんですか」

「まあ、ベテルギウスには傷を抉るようなことをしたよねえ……あとでちゃんと謝らなくちゃな」


 サダルメリクがそうぼやいていると、「俺には謝ってくれないの? サダルメリク」という声が割って入る。その聞き馴染みのない声に、コメットとネブラは声のほうへ視線を遣った。目を瞠る。医務室の扉を開けてそのように囁いたのは、近衛星団の団長、ルシファー・ゴーシュだった。

 サダルメリクは「あ、団長」と言いながらひらりと手を振った。カノープスとオリガも「こんばんは、団長」「団長! お疲れさまです~!」と朗らかに迎え入れる。上司を相手にあまりにも気安い態度だったけれど、ルシファーが気分を害した様子はなかった。それよりも、先のサダルメリクの発言について気を揉んでいるようで、サダルメリクのベッドにまで近づき、ため息をついて見下ろす。


「……無事でよかった」

「すみません。ご心配をおかけしたみたいで」

「本当にね。俺は団員を信頼しているけど、だからと言って、無謀な体当たりを許しているわけじゃない。君たちが応戦したと知って……血の気が引いたよ」


 ミーティアの件があってすぐの話なのだから、その動揺も知れよう。

 念を押すように「もう二度とこんな真似はしないでくれ。いいね?」と言葉を落とされ、サダルメリクは寝たまま、「わかってますよ」と応じる。


「僕にもかわいい弟子たちがいるんだから、自分からくたばりにいくような真似はしませんって」


 サダルメリクはルシファーにそう返しながら、コメットとネブラの手を、ぽん、ぽん、と叩く——そのとき、二人の脳内にサダルメリクの声が流れた。


『団長がなにを言っても会話を合わせてね』


 コメットはびっくりして肩を強張らせた。思わずサダルメリクを見遣ったけれど、彼はにこにことルシファーに答えている。コメットになにかを言ったわけではない。それでも、確実にサダルメリクはコメットに伝えた。おそらく魔法で。

 ネブラも眉を顰めていたけれど、コメットほどは動揺していない。そういう魔法があることを知っているのだ。ただ、サダルメリクの意図が読み取れないでいる。

 そんなとき、ルシファーがコメットとネブラを見遣った。


「はじめまして。君たちはサダルメリクの弟子かな?」人好きのする笑みを浮かべ、続ける。「俺はヘスパー・ゴーシュ。一応、近衛星団の団長をしている」


 あれ?

 コメットは自分の耳を疑った。サダルメリクがなんでもないように「一応もなにも、正真正銘の団長でしょう」と笑っているのが不思議でならなかった。サダルメリクだけでなく、カノープスもオリガも、当たり前のように受け入れている。

 ヘスパー・ゴーシュ? そう尋ね返そうと口を開いて、逡巡、さきほどサダルメリクから魔法で伝えられたことを思い出し、一寸の間もなく取り繕う。

 

「はじめまして、ヘスパーさん。僕はコメットです」

「どうも」ネブラも短く答える。「うちの先生が、いつもお世話になってる」

「こちらこそ。今日のことは本当にすまない。君たちの師匠に怪我をさせてしまった。怖い思いもさせてしまったようだし……団長の俺が不甲斐ないせいだ、いくら謝罪をしても許されないとは思うけれど、どうか詫びさせてほしい」

「い、いえ、そんな! ヘスパーさんはなんにも悪くないですよ。むしろ、一番大変なのはヘスパーさんだろうし……今日は、魔弾の射手から大先生を助けてくれて、ありがとうございます」

「あはは。それはベテルギウスとオリガに言ってやって」赤い瞳をサダルメリクに遣って。「しっかりしたお弟子さんたちだね、サダルメリク」

「でしょ? 自慢の弟子ですよ」

「さぞかし優秀なんだろうね。こちらはネブラくんだっけ、フォーマルハウトやカノープスからもよく話は聞くよ。君と俺はそう歳も変わらないだろうし、これからも気軽に話せると嬉しいな」


 コメットはいよいよわけがわからなくなった。それはネブラも同じである。しかし、コメットよりは冷静だったので、「そう変わらないって、あんたはいくつ?」と訊けるだけの余裕があった。


「俺は二十五だよ」苦笑いをして。「だから、近衛星団じゃあ萎縮しちゃうんだよね。君よりはお兄さんとはいえ、俺みたいな若造が、自分より何十歳も何百歳も年上の魔法使いを率いるなんて……でも、星団のみんなは気さくでいいやつばかりだから、俺も俺なりに、その座にふさわしくなれるよう、これからも精進していくつもり。魔弾の射手もきっと捕まえるよ」


——二十五歳という若さで近衛星団の団長の座に就いて以降、四百年間ずっと星団を率いているって話だからな。

 一昨日のパレードでネブラがそう言っていたのを、コメットはたしかに覚えている。しかし、目の前にいる近衛星団の団長である彼は、ヘスパー・ゴーシュと名乗る男は、初々しくて、瑞々しくて、本当に二十五歳の魔法使いみたいだった。麗しい顔でよく笑う、物腰の柔らかな好青年という印象。とてもじゃないけれど、この帝国でトリスメギストスの次に力のある魔法使いのようには、ドラゴンと巨人と女神が交配して生まれたとまで言われるような魔法使いには、決して見えない。

 そこで「おい」と乱暴な呼び声がかかる。

 コメットが視線を滑らせると、医務室の扉の前で、瑠璃色の髪をした目も綾な魔法使いがこちらを睨みつけていた。ダイヤモンドのように輝く瞳も相俟あいまって、剣を突きつけられているみたいだった。コメットは後ずさるほどおののいて、けれど、どこかで見たことがある気がする。誰だっけとコメットが思っていたところ、「シリウス」とヘスパーが呟く。コメットはようやっと、この棘のある魔法使いが近衛星団の副団長シリウス・カドリングであることを思い出した。


「だらだらとしゃべっている暇はないからな」シリウスは冷たく言う。「後始末が残ってる。俺たちは仕事に戻るぞ。ミーティアの一件があってから、マンチキン家の連中も目を光らせている。これ以上付け入る隙を与えると面倒だ」

「そうだね。任せっ放しにしてすまない、シリウス。俺もマンチキン家の対応を、」

「はあ? お前が対応してなんになるんだ。いいから行くぞ」


 コメットは二人の会話を聞いて、さきほど睨みつけられていたのは自分たちではなくヘスパーなのだと、俄かに悟った。それほどにまでシリウスの態度はあからさまで、団長であるヘスパーを邪険に扱っているように見えた。

 ヘスパーは苦い表情をしながらも、やはり、それを咎める様子はない。ただ、そこに見えるのは、先刻のサダルメリクたちとの応酬にあるような上司と部下の信頼関係ではなく、どうしようもない諦観だとか、どう扱えばよいのかという躊躇いだとか、そういったぎこちない関係性だ。

 ヘスパーが「わかったよ」と答えると、シリウスは舌を打った。さすがにサダルメリクも「シリウス、」と彼を諫める。


「君のそれは今に始まったことじゃないけど、団長に対してあまりに失礼だよ」

「はっ、団長?」シリウスは吐き捨てるように言った。「俺はこんな情けないやつを近衛星団の団長とは断じて認めない」


 シリウスは踵を返し、去っていく。ややあって、廊下の先から「オリガ」と声がかかったので、オリガは「はーい」と答え、その後を追った。医務室を去る間際に振り向き、両手を合わせて片目を閉じる。謝罪のジェスチャーだ。もう一度「オリガ!」と呼ばれたので、今度こそ「はいはい!」と駆け足になった。

 シリウスとオリガが去ったあとを眺め、サダルメリクはため息をついた。ヘスパーに向き直り、「相変わらずですね、あいつ。ごめん、団長」とこぼす。


「サダルメリクが謝る必要はないだろう」ヘスパーは目を伏せる。「むしろ、星団の空気を悪くしてごめん」

「団長が謝る必要はないのに。あんな失礼な態度を取ってるほうが悪いんですよ」

「認めてもらえないのは、それだけ不甲斐ない団長だからだ。たぶん、俺が団長で、シリウスも納得できないんだと思う。シリウスはカドリング家の出だし、誰の目から見ても優秀な魔法使いだ。本来なら、あいつが団長をするべきだったのに……」


 そのようにこぼすヘスパーは、ひどく窶れて見えた。近衛星団は派閥争いだって少なくないと聞く。無門の魔法使いが近衛星団の団長の座に就いているのだから、名門の四家からは顰蹙を買いやすいのかもしれない。コメットはそのように分析して、再びヘスパーを見遣って、そして最後にサダルメリクを見た。

 一瞬、エメラルドの瞳と、目が合った気がした。

 サダルメリクはやはりなにも言わなかった。けれど、あるかなきかの笑みを浮かべる口角は意味ありげで、コメットはこの不可思議になんらかの意図を悟る。

 ぼんやりとするヘスパーに、サダルメリクは穏やかに告げる。


「そんなことないですよ。団長はすごい魔法使いです。ねえ、カノ?」

「そうそう。八百年生きた俺が言うんだから、間違いないです」

「ほら。カノもこう言ってる」

「たしかに、カノープスにそう言ってもらえるのは光栄だね」

「自信を持ってください。近衛星団のみんな、団長を慕ってますよ。シリウスがやりすぎてたら、副団長への敬意なんて天空の彼方に飛ばして、やり返してやりますから」

「それはそれで星団の規律が乱れるから。副団長に対して敬意は忘れないように」


 カノープスはおどけるようにして「はあい」と答えた。おどけていても、団長への敬意は忘れていない。この応酬だけで、ヘスパーが近衛星団の団員に慕われていることは、誰の目にも明らかだ。

 そして、団長のヘスパーも近衛星団の団員を信頼している。自分に対して歯向かうような態度を取る副団長のことすら、彼は決して悪し様には言わない。近寄りがたいほどの偉業の噂とは裏腹に、近衛星団の団長は、気さくで優しげな、ただの青年だった。

 それでも、コメットは不思議な心地が拭えず、彼らのやりとりをただ眺めていた。

 サダルメリクが「それに、僕は、団長が団長でよかったと思ってますよ」と言う。


「あの堅物のシリウスが団長とか、靴下の色まで指定されそう」

「あはは。毎朝、何色を履くか迷わなくて、いいと思うけど」

「団長って、損な性格してますね」

「えっ、そうかな?」

「自覚してないから損してるんですって」

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