03
アランはそんな風に言われたことも、求められたことも、『ワーッ』となられたこともなかった。だがさすがにそれが意味するところは理解していた。
だからアランは顔を真っ赤にして、プルプルと震え、しかしなんとか男らしく足を踏ん張らせてクリーチャーのために運んできたお盆に乗った朝食をこぼすことがないように床に置いた。
「そ、それは……」
「それは? アラン、知ってる?」
「えあ、……ええ、はい……」
アランは何度か咳払いをしてから、自分にまとわりついてくる触手を撫でつつクリーチャーのたくさんの目を見た。クリーチャーは真っ直ぐアランを見ている。
「……多分、それは俺がいて、……嬉しいってことです」
「嬉しい? ……嬉しい……これが、……それ、知ってる。聞いたことある……嬉しいがたくさん集まると幸せになる……、……もう、たくさん『ワーッ』てなってる、……じゃあ、幸せ、……これが幸せ? ……幸せ……」
クリーチャーはおぞましく口を歪めて震えた。
そうして世にも恐ろしい声をあげた。それがクリーチャーの笑い声で、アランの淹れたコーヒーのはいったマグカップにヒビが入るほどの音量だった。
そうして、--しかし、アランはそのおぞましさをもう感じないぐらいに、その柔らかくてあたたかい真っ黒でヌチャヌチャしている生き物に慣れていた。だから怯えはなかった。だが同時に、アランはこんな風に思われることには少しも慣れていなかった。
アランは耳まで真っ赤になった。
「……俺も、あなたがいて嬉しい。その、……こんなこと会ってすぐ言うのおかしいけど、……あなたがいて嬉しいよ……エラ」
それが眠ったことで思考が戻ったアランが言える精一杯だった。昨日のようにプリンスのごとき振る舞いはこのときのアランにはもう無理だったのだ。
だが、そんな拙い言葉を聞いたクリーチャーは身もだえしてから、スリスリとアランに頬を寄せた(もちろんそれが頬なのかはなんといえないところだが)。それは昨日よりもずっとプリンセスらしい振る舞いで、アランをさらにときめかせた。
「また、『ワーッ』てなった。嬉しい。アラン、……アラン、……もっと呼んでほしい。もっと嬉しくなる。もっと、……幸せにしてほしい」
恋愛未経験のアランはそのクリーチャーの言葉に、頭の中で鐘が鳴ったのを聞いた。
彼は力の限り、そのおぞましく恐ろしいクリーチャーを抱き締めてしまった。ヌチャ、としていても、アランはもう少しも気にならなかった。
「幸せにします、エラ、……僕のかわいい人」
それから彼らは玄関でわずかばかりの朝食を取った。
これが今から一年前のことで--要するにマンハッタン地下爆発事件から一年前の出来事である。
マイ・ラブリー・プリンセス 木村 @2335085kimula
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