第22話 あおはる ①

 翌朝、昨晩はしっかりと鍵をかけて寝たはずなのに、起きたら何故か全員が僕の部屋で寝ていた。


「ダメだって言ったのに、何で入ってきちゃうかなぁ・・・」


 ひょっとしてカギを掛け忘れたのかなと思い、独り言を呟きつつ起きて確認をしてみた所、鍵が回りはするものの鍵のかかった感触が無い。


 不思議に思い扉を開けて何度か鍵を回してみると、鍵がかからないようになっていた。


 まだ数年しか使っていないのに、どうやら壊れてしまったようだ。


 ・・・まぁ、こればかりは仕方がないだろう。


 掛かりっぱなしになるよりかはいいけれど、これは僕一人でも修理ができるのだろうか?


『おはようございます、ご主人様。』


 そうやってどうするべきかを悩んでいると、物音で起きたらしいイオリが後ろから声を掛けてきた。


「あ、おはようイオリ。・・・ごめん、起こしちゃったみたいだね。」


 確認の為に何度も何度も鍵を回していたからか、物音で起こしてしまったらしい。


 ダメだと言ったのに入り込んだ事を差し引いても、彼女達が寝ていたのだからもう少し気を使うべきだったと反省する。


『いえ、元々朝ご飯の支度をお手伝いをするつもりでしたので、大丈夫ですよ。』


「そっか・・・ありがとう。でも、困ったな・・・」


『どうかしましたか?』


「うん。この扉の鍵が壊れちゃったみたいでさ・・・ノアに言えば交換して貰えるかな?」


 鍵が掛けられないと、色々と困るんだよね・・・。


『あぁ、なるほど・・・その事でしたか。それはサオリちゃんと私で、ご主人様がお風呂に入っている間に細工をしたからですし、壊れた訳ではありませんので大丈夫ですよ?』


「そうなんだ?それなら・・・って、いやいや君達、何してるの!?」


 イオリの問題なんて全く無いと言わんばかりの口調に思わず納得しかけてしまったが、何て物騒な事を笑顔でしれっと言っているのだろうか?


『だって、昨日の様子ですと本当に鍵をかけて寝そうだったので、仕方がなかったんです。』


「えぇー・・・?」


 ドン引きである。


 そして何故、僕が悪いみたいに言われなければならないんだ?


『私達の楽しみを奪われる訳には行かないので、仕方のない事なんですよ。理解してください。』


 真面目な顔でイオリは嘯くが、間違っても真剣な顔をして言うような事ではない。


「ちょっと、ノア!?何で止めてくれないの!?」


 これはイオリに何を言っても無駄だと悟り、思わずノアを呼んでしまったのだが、まぁイオリ達が何かをしてもノアに止める手段はないよね。


 〈当機からの提案です。〉


 お前が主犯なのかよ!?


 だが、冷静に考えればイオリ達が自分達で鍵の構造を理解して細工をしたとは到底思えないから、ノアが手を貸したというのは間違いないな。


 でも、こんな提案をするなんて、ノアは一体何がしたいんだ?


 益々持って、分からなくなるじゃないか・・・。




「・・・という事で、僕の部屋の鍵を直してくれないかな?」


 どうするかを考えた結果、僕は朝食の席で今回の事件の実行犯の二人を含めた全員にお願いをしてみた。


 無論、何故必要なのかは恥ずかしいので黙ったままではあるが。


「イヤです。」

『ダメです。』


「だんなさま、カギかけちゃうからやだー!」

「ボク、まだちいさいのでむずかしい事はわかりません。」


 分かっては居た事だけれども、全員から拒否されてしまった。


 それにこれは恐らくだが、シホに至っては僕が何を言っているか分からないフリをしてるよな?


 この中だと、シホが一番話が通じると思ったのに・・・。


 とはいえ、これでは埒が開かない。


 仕方がないか・・・余り気乗りはしないけれど、ノアにも頼んでみよう。


「・・・じゃあ、ノア。部屋の扉を交換してほしいんだけど?」

〈残念ながら、そのご希望に沿う事は出来かねます。〉


 ノアにまでやや食い気味に即答されてしまった。


 どうやら、この件だと僕の味方は本当に誰も居ないらしい。


 ・・・となると、やれるだけは自分でやってみるしかないか。



 そう思い立ち朝食後に工具を取り出して来たはいいものの、結局その日の夕方まで頑張ってもカバーすら外せなかった事を鑑みるに、恐らく僕が修理を試みる事も織り込み済みで細工をされていたようで、結局は諦めざるを得なかった。




 そうして、それから一週間程の間苦肉の策として、扉の前に荷物を置いてみたり、畑で使う支柱をカンヌキ代わりとして仕掛けたり等の攻防が始まる。


 しかし、物を置いても彼女達は僕より力が強いので殆ど意味が無く、つっかえ棒は一回目は効果があったものの、翌日以降は使えそうな棒を悉く隠されてしまい、二度と出来もしなかった。


 だが、寝ている間は特に何かをされている様子は無いので、ついには僕が折れ、彼女達に何もしないと約束をさせ、一緒に寝る事については渋々了承する。


 流されていると思うのは間違いではないだろうし、やはり多少の抵抗感もあるが内心、頼られているような気がして少し嬉しくもあるのは内緒だ。


 というか普通こういう約束って、男が何もしないと女の子と約束するものなのでは・・・?


 尤も、自分で言って悲しくなるが体力面で彼女達より劣る僕が、彼女達をどうこうするなんて出来ないとも思うけどね。


 無論、そんな事はしないけどさ。





 そうやって話がついた翌日、朝食を摂りながら僕はつい思っていた事を愚痴ってしまう。


「何でそんなに必死なのさ?起きている時だって一緒にいるのに・・・」


「何を言っているんですか兄上?あたし達と一緒がイヤなんですか?」


 嫌じゃないけど、僕も男の子なんだから色々とあるんだよ!


 特に起き抜けは・・・その、本当にマズいんだって!


 ・・・とは、流石に口が裂けても言えない。


『サオリちゃんが美人さんだからですよ、きっと。』


 それは・・・間違いないな。


 成長した今でも可愛いと言えるイオリに対して、サオリはまだ顔にあどけなさが残るけれど、海に行った頃よりかは髪も伸びセミショートぐらいの長さになった事も相まって凛々しく、麗しいといった印象を受ける。


 何より、控えめなイオリよりも大分自己主張が強いので、お風呂上がりは本当に僕の男の子な部分が刺激されてしまう為、違う意味でも目が離せなく・・・


「兄上?あたしの顔に何かついてます?・・・それに、顔も赤いですよ?大丈夫ですか?」


 気付けば僕は彼女をじっと見つめていたらしく、サオリは不思議そうにこちらへ顔を近づけ覗きこむ。


 最近の僕は、明らかにサオリを意識してしまっている。


 原因は分かっているんだ。


 あの日、彼女にキスをされたから。


 でも、仕方がないだろう?


 男なら誰だってこんなに魅力的な女の子にキスをされたなら、意識しない筈がない。


「大丈夫だよ。今日は暖かいからかな?」


 面と向かうと、どうしてもあの時の事を思い出してしまい照れてしまう為に、思わず苦しい言い訳が口を吐いて出てしまう。


「むー・・・なら、いいですけど。・・・そう言えばこの間から考えていたのですが、兄上!あたし、お花見がしたいです!」


 そんな僕の返事に、サオリは益々不思議そうに小首を傾げたかと思えば、唐突な提案をしてきた。


『お花見、ですか?いいですね。』


「・・・確かに、いいかもしれないね。多分もうそろそろだろうしさ。」


 実のところ、この家の近くの森には桜が植えられていて、毎年四月の頭から中頃に差し掛かると森の一部が色付くのだ。


 それまでも把握はしていたけれど、日々の生活の中で忘れかけていた所に去年改めてノアから教えられ、方舟へ来て初めてのお花見に三人で行ったのだが、気付けば今年ももうそんな時期になったらしい。


 時間の流れって、本当に早い・・・。


『去年は見てきただけでしたし、折角なら今年はお弁当を作って行きませんか?』


「はい!ボクもさんせいです!」


「マホもー!おべんとー!」


「お弁当か・・・いいね。去年と同じならもう少ししたら満開だろうから、そうしたら皆で行こうか。・・・あ、それなら今日ちょっと様子を見てくるよ。」


 折角なら、満開の桜を見たいからね。


「なら、あたしも行きます。」


「わかったよ。・・・とは言え、確認してくるだけだから、すぐ戻ってくるんだけどね。帰ってきたら、皆で畑の水撒きをしようか?」


 様子を見に行くのは正直僕1人でも事足りるのだけれど、サオリがお花見の提案をしたくらいだから待ちきれないのだろうな。


「わかりました、兄上。」


『でしたら、私は先に畑で水を撒いていましょうか。マホちゃんシホちゃんは、私のお手伝いをしてくれますか?』


「はい、イオリねぇさま。」

「はーい!」


『・・・そう言えば確か、去年もサオリちゃんがお花見をしたいって言い出しましたよね?まだ小さくて体力が無かったからか、ご主人様におんぶされてすぐ寝ちゃってましたけれど。』


「そうだったかな?」


 温泉の時も然り、似たような事が多かったからか僕はイマイチ覚えていないのだが、イオリはその時の様子を鮮明に覚えているらしく、クスクスと笑いながらサオリへと視線を向けた。


『はい、そうですよ。・・・サオリちゃん、そんなに桜のお花を気に入ったのですか?』


 ・・・言われてみれば、サオリは普段余り花等には興味を示さないのに、桜だけ見たがるのも不思議な感じはするな。


「それもありますけど・・・今年はマホちゃんやシホちゃんもいるので、またあの牧場みたいに皆で行きたいなーって・・・」


 すると、イオリに笑われたと感じたからか、サオリは恥ずかしそうに顔を赤らめながら呟くように理由を話すのだが・・・成程な。


 口振りからすると桜がどうこうと言うのもあるようだが、どちらかといえば皆で出かけたかったという気持ちが優っているらしい。


 余程あの牧場へ皆で行った事が嬉しかったのだろう。


 僕だって、その気持ちはよく分かるから、恥ずかしがる必要なんて全く無いんだよ。


 と、そう声を掛けようと口を開きかけた時、不意にイオリが座っているサオリへと近づいて、彼女の頭を抱きしめた。


「姉上・・・?いきなり、どうしたんですか?」


 突然のイオリの行動にやや困惑した声色でサオリは返すのだが、イオリはそんな彼女の頭を慈しむように撫でながら、優しくサオリへと言葉をかける。


『私も、サオリちゃんと同じですよ?みんなで、一緒に・・・』


「はい・・・」


 その光景が、母の姿に重なるように思えて、僕はただただ見守る事しか出来なかった。






「じゃあ、行ってくるね。」


「いってらっしゃいー!」


 それから朝食の後で、マホに見送られながら僕とサオリは森へと足を踏み入れる。


 桜が咲いている場所までは、家から歩いて十分もかからない距離ではあるので、往復してもそこまで遅くなるような事は無い。


 故に、イオリ達が畑の水撒きを終える前には帰れるかなと考えつつ、サオリと二人で木漏れ日の中を歩く。


「風が気持ちいいね。寒過ぎも暑過ぎもしないから、いい散歩日和だ。」


「そうですね。・・・あ、それなら畑の水撒きが終わったら、お布団を干しませんか?」


「この間出来なかったから、いいかもしれないね。」


「ふかふかのお布団は気持ちいいですし・・・」


「うん、あったかくて気持ちいいよね。」


 こんな風に他愛もない会話をしながら二人で歩いていると、ふとした瞬間に会話が途切れてしまう。


 一度会話が途切れると、どうしても意識してしまって中々言葉が出てこなくなるが、決して嫌な沈黙ではなく、どちらかと言えば何処か心地よくもあるのだが・・・この気持ちは、一体何なのだろう?


 そんな風な自分でもよく分からない感覚に包まれたまま歩いていると、不意に僕の左手に彼女の手が触れる。


 いつの間にか、少し近づきすぎたのかもしれない。


 ・・・と、そんな事を考えた刹那、サオリの手が恐る恐る僕の手に重ねられた。


 突然の彼女の行動に少し驚き、咄嗟に視線を隣へ向けると、サオリが頬を染めやや俯いている。


 こんなに空気が暖かいのに、僕に触れる手は酷く冷たい。


 それに、微かに震えてもいるようだ。


 ・・・自惚れでなければきっと、僕に拒絶されるのが怖いから・・・なのだろう。


 勿論、振り払ったりなんてするつもりは微塵も無いけれど、それを言葉にした所で、彼女の恐怖を取り除く事なんて恐らく出来やしない。


 こういう時、僕はどうしたらいいんだ?


 なんて声をかけるべきなのだろう?


 そんな答えの出ない迷いを抱えたまま僕は、目的地に辿り着くまでの間ずっと、無言のまま彼女に手を引かれるように歩いていった。





 暫くして、桜が自生している場所に辿り着く。


 その場所の周りは他の樹々に囲まれており、春の短い間だけ森の緑の一部が桜色に染まる。


 今は六分から七分咲きといった所だろうか?


 蕾はまだ開き切っては居ないが、薄い桃色に彩られた光景は、やはり美しい。


 ここに来るまでは、ただの風物詩のひとつとしてしか認識してはいなかったのに、僕自身が少し変わったからなのだろう。


 当たり前にあったものが、当たり前ではなくなったから。


 たった、それだけの事なのに。


「・・・綺麗、ですね。」


 思考を巡らせていた僕の耳に、桜の花を見上げながら呟いた彼女の声が届く。


 だが、随分と長い時間話すキッカケを無くしていたからか、喉に何かが張り付いたかのように中々声が出てこない。


「・・・うん・・・そうだね。・・・でも、満開になったなら、もっともっと綺麗だろうな。」


「きっと、そう・・・でしょうね・・・」


 同意の言葉を何とか返しながらサオリと二人、手を繋いだまま桜を眺める。


 恐らく、満開まではもう数日といった所だろう。


 そうやって再びの静寂が訪れる中また暫く二人並んで桜を見上げていると、サオリが僕の指と指の間にゆっくりと自分の指を通し、軽く握った。


 ・・・これは、よくアニメや映画で観る恋人同士がする手の繋ぎ方だ。


 イオリとだって、まだこんな手の繋ぎ方はした事がない。


「サオリ・・・?」


 今更彼女の真意なんて尋ねる必要は無いと言うのに、僕は思わず彼女の名前を呼んでしまう。


「兄上、少しだけ・・・少しだけでいいんです!このままで、いさせて下さい・・・」


 僕にそんなつもりは無かったとはいえ、彼女は咎められたと感じたのだろう。


 そう告げるサオリの頬は先程よりも赤く染まっているのに、眉は今にも泣き出してしまいそうな程に歪んでいる。


 つられて僕も鼓動が早くなるけれど、その表情を見たらそれ以上は何も言えず、手を払い退ける気にもなれなくて、また暫くの沈黙が流れた。




「兄上、そろそろ帰りましょうか。・・・姉上達を、手伝わなくちゃ・・・」


 どれだけの間そうしていたのかは分からないが、暫くすると恋人のように繋いでいた手をサオリは自ら離して、名残惜しそうな表情のまま僕に帰ろうと提案してくる。


「・・・うん、わかった。」


 それに何とか短く答えて二人で歩き出すのだがその帰り道の間、僕はサオリの辛そうな表情がずっと忘れられなくて、何も話す事が出来ずにただただ先を歩く彼女の小さな背中を眺めていた。




『おかえりなさい。桜はどうでしたか?』


「きれいだったー?」


 帰宅した僕達に、後片付けをしていたらしいイオリが一瞬怪訝そうな表情をした後で尋ねる。


 どうやら思いの外時間が経っていたようで、畑の水やりは既に殆ど終わってしまったらしい。


「うん。綺麗だったけど、満開までもう数日って所かな?だから、皆で行く頃にはもっと綺麗に咲いていると思うよ。」


 少し申し訳なくは思うものの、三人は特に気にした様子を見せなかったので、状況を伝え後で僕達も片付けを手伝い始める。


『そうですか、それは楽しみですね。・・・それで、ご主人様?私、以前から気になっていたおいなりさんをお花見で食べてみたいのですが、作り方はわかりますか?』


 片付けも直ぐに終わり、そのまま全員で裏口から居間へ向かおうとしていると、イオリがお弁当の要望を口にした。


「おいなりさん?・・・と言う事は、油揚げの作り方って事かな?判ると言えば判るけど、だとしたらまずは豆腐を作らないといけないね。」


「むー・・・?兄上、なんでお豆腐なんですか?」


「豆腐を薄く切って、油で揚げた物が油揚げなんだよ。」


 とは言ったものの、僕もよく知らないんだけどね。


『でしたら、折角ですし皆で作ってみませんか?』


「そうだね・・・皆でやってみようか。」


 調べながらになってしまうだろうけれど、それもこの生活での楽しみではあるしね。


「サオリおねえさま、おいなりさん?ってなーに?」


 そうやって話が決まったと思いきや、大人しく僕達の会話を聞いていたマホが疑問を口にする。


 シホも首を傾げている様子なので、僕達が何を話しているのかが気になっていたらしい。


「あたしもアニメでしか見た事無いから、あたしに聞かれても困るなぁ・・・」


「だんなさまー?」


「甘辛く煮付けて、ごはんを詰めた袋みたいな形の・・・お寿司、かなぁ?」


 サオリが上手く答えられず僕を見た為か、マホが僕にも問い掛けたけれど、これはどう形容するのが正しいのだろうか?


 特定の名詞を知らない相手に説明するのは、イオリやサオリ相手でも経験しているとは言え、やはり難しいよな。


 ちゃんと考えても、結局別の名詞を出す事になっちゃう訳だしね。


「おすし!・・・じゃあ、おさかなさんなの?」


 よかった。アニメで見てお寿司そのものは知っていたようだ。


 けれど、新たな誤解が生まれそうになってるような?


 うーん・・・こうなればーーー


「お魚じゃないよ。んー・・・説明しにくいな・・・なら、後でどんなものか一緒に調べようか?」


 ーーー本等で一緒に調べた方が手っ取り早いし、確実だろう。


「はーい!」


 これで良し。


 しかし、いずれ味噌等も作ろうと思っていたために大豆は保管してはあるとは言え、豆腐の作り方は・・・ちょっとよく分からないな。


 材料も大豆の他に何が必要なのだろう?


「豆腐の材料って何かわかりますか?」


「うーん・・・僕もそれを今考えてたんだよね。大豆と・・・何だったかな?何処かで見た覚えはあるんだけど・・・」


 それに、油揚げ自体もどう言うものか知ってはいるけれど知っているだけだから、豆腐を含めて正確な作り方を調べる必要がありそうだ。


 〈豆腐の主原料は大豆とニガリです。ニガリはご用意出来ますのでお持ちしますか?〉


 すると、そんな僕の独り言が聞こえていたのか、ノアのヒトガタが答えをくれる。


 ニガリ・・・って、聞いた事はあるな?


「ニガリって、塩を作る時に出来るものだっけ?」


 〈逆です。海水から塩化ナトリウムを抜いて作るものになります。それ故、食塩を作る際に必ず出来るものではありません。〉


 ・・・うん?違いがよく解らないのだけれども?


 まぁ、どの道話を聞く限りだと短時間で僕達にどうにか出来るような物には思えないので、今はノアに用意してもらうのが良さそうか。


「・・・じゃあ、お願いしていい?」


〈承りました。〉


「後、豆腐の作り方が載ってる本ってあるかな?」


 ・・・だがしかし、全てをノアに任せてしまうのは間違っていると思うから、せめて作り方に関しては自ら調べるべきだろう。


 結果上手くいかなかったとしても、その時はその時でまた何か考えればいい。


〈そちらに関しましては、以前お渡しした書籍の中に記述がございます。また、当機が補助をする事も可能ですが如何しますか?〉


 あれ・・・?


 この聞き方は、僕の意を汲んでくれたって事なのか?


「判った、調べてみる。・・・それと、補助はしなくていいよ。ありがとう。」


〈畏まりました。〉


 今までは殆ど気にしていなかったけれど機械的な応答の中に、時折僕達への配慮のようなモノが感じられるのは、気のせいなのか・・・?



 そんなノアとの会話の後で、僕は居間にある本が仕舞ってある棚から料理の本を幾つか見繕い調べた所、時間は掛かったがノアの言葉通りに無事、豆腐の作り方が記載されている本を見つける事が出来た。


「これが、おいなりさん?」


「ううん、これは豆腐だよ。これを油で揚げたモノが油揚げで、それを味付けしてからごはんを詰めたら、おいなりさんになるんだ。・・・えぇと、ほら、こっちのページに書いてあるね。」


「そっかぁ・・・」


 本によると、大豆は一晩水に浸けておく必要があるらしいので、大きめの鍋に水を張り今のうちから浸けておき、豆腐用の型枠も用意して明日に備える。


 イオリの希望だからというだけでなく、僕だっておいなりさんが食べたいからね。


 




 そうして翌日になり、朝食の後でニガリを受け取ると、僕達は豆腐作りを開始した。


 本の指示によれば最初は、水に浸した大豆を戻すのに利用した水毎すり潰す工程らしい。


「はいっ!マホがやる!」


「ボクもー!」


「じゃあ、二人にお願いするね。」


 お願いをすると言っても、使うのは擦り漕ぎでは無く安全装置のあるフードプロセッサなので、まだ小さなマホやシホが扱っても安心して見ていられる為、二人に任せる事にした。


 それに、この後の工程だとすり潰した大豆を鍋で沸騰させないように煮詰め、それを熱いうちに布で濾す必要があるようなので、マホ達も一緒に作るとなると、このすり潰す工程か、出来上がる直前の型枠に流し込む時にしか無いだろう。


 火が出ないとは言え途中からコンロを使う為、今はまだ鍋に手が届かない二人には見てて貰うしか無い訳なのだが・・・そうだ!


「ねぇ、サオリ?ちょっといい?」


「はい?何ですか兄上?」


「後でマホとシホの二人と・・・」


 マホ達が大豆をすり潰す作業をしている後ろで、僕と同様に少し離れていたサオリを小声で呼び、思いついた事を耳打ちした。


「・・・あ、なるほど。それはいい考えですね。マホちゃん達も見てるだけはつまらないでしょうし。」


「じゃあ、任せていいかな?」


「はい!任されました!」


『んー?二人で何を話しているんですか?』


 すると、マホ達に機械の扱い方を教えつつ、少しだけ補助をしていたイオリが、サオリの大きな声でこちらへと振り向き、不思議そうに尋ねてくる。


「実は・・・」

「姉上には内緒です!兄上も姉上に教えちゃダメですよ!あたしが兄上に頼まれたんですから!」


『えー!?サオリちゃんのいじわる!』


 大した話では無いので別にイオリに教えてもいいと思うのだが、何故かサオリが頑なに嫌がるので、とりあえず彼女のやりたいようにさせるべきだろうな。


「・・・いや、ごめん。何でもないんだよ。」


『最近、ご主人様はサオリちゃんとばかり仲良しさんですね?』


 そんな僕とサオリの様子を見たイオリの思わぬ言葉に、思い当たる節があった僕の心臓が跳ね上がり、湧いた罪悪感からか咄嗟に返す事が出来なかった。


「・・・そう、かな?・・・気のせい・・・じゃ、ないかな?」


 少し間を置き漸く出た否定の言葉すらも、サオリの泣きそうな表情が何故か頭を過ぎった所為で、途切れ途切れになってしまう。


『冗談、ですよ?』


 すると、彼女はまるで僕の思考を見透かしたかのように悪戯っぽく笑うと、再びマホ達の手伝いを始めた。



 ・・・何で、イオリの言葉をきちんと否定出来なかったのだろう?

 

 そして否定しなかったのに何故、彼女は少し嬉しそうにも見えたのだろうか?


 僕には、分かりそうにない。

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