第23話 あおはる ②

「おねえさま、これでいーの?」


『はい、よく出来ましたね。』


 用意していた全てをすり潰し終え、鍋に移した後でマホがイオリへ尋ねると、彼女は微笑みつつ誉めながら妹達の頭を撫でる。


「これで第一段階完了だね。二人とも、お疲れ様。」


 そんな光景を微笑ましく思いながら、僕はマホ達に労いの言葉を掛けた。


「だんなさま、つぎはなにするの?」


 すると、次も自分達が受け持つつもりなのか、マホがやる気に満ち満ちた表情で尋ねてくる。


「えーと、次は・・・すり潰して出来た液体に同量の水を加えて、焦げないようにかき混ぜながら煮るみたいだから、マホ達は暫く見てるだけになっちゃうかな?」


 加熱する為に危ないからと言うのも勿論あるが、120センチ強しか身長のない二人では、今ある踏み台だと高さのある寸胴鍋の口には手が届きそうにない。


「そっかぁ・・・」


 それらもあり、〝今〟は手伝える事が無いと伝えたつもりなのだが、上手く伝わっていないらしく、マホが少し残念そうに呟く。


 シホも、口にこそ出してはいないが酷くつまらなさそうにしているので、マホと同じ気持ちのようだ。


「違う違う!・・・まだまだお手伝いは終わりじゃないんだよ?」


「そうなの?」

「そうなんですか?」


 マホ達の表情で自分の言葉が足りていないのだと気付き、慌ててまだ二人にもやる事があると伝えると、二人とも意外そうな顔で僕を見上げた。


「うん。後でマホとシホの力が必要だから、それまでは待っててくれるかな?」


「はい!だんなさま!」

「わかりました!」


 どうやら二人も僕の言葉の意図を理解してくれたらしい。


 危なかった・・・もっと言い方に気を払わなければ、もう少しでただただマホ達を悲しませてしまう所だった。


「じゃあ次は、あたしの出番ですね。」


「任せたよ。・・・なら、その次の工程は僕がやろうかな。」


『では、私は全体的にお手伝いしますね。』


 十分ぐらい沸騰しないように煮込んだ後は、冷めない内に布で濾すらしい。


 それが終われば、出来た豆乳を使い豆腐と、サオリに頼んだもう一品も作れるようになる。


 さっきのお詫びという訳では無いけれど、マホとシホが喜んでくれるといいなぁ。




「これが豆乳・・・で、いいのかな?」


『書いてある通りであれば、そうなりますね。』


 本の指示に従い大豆をすり潰し水を加えた後、それらを暫く火にかけてから、温度対策に手袋をした上で何度かに分けつつも木綿の布で出来た袋を使い濾すと、鍋の中に豆乳と思しき液体が出来上がった。


『このままでも飲めるそうなので、少し飲んでみませんか?』


 全てを絞り終え、次の工程を確認している僕の真横で同じ本に目を通していたイオリが、そんな提案をしてくる。


 初めて作るからか、豆乳がどんな味なのか気になっているらしい。


「そうだね。折角作ったんだし、豆乳も飲んでみようか?」


 とは言え、あまり飲みすぎてしまうと豆腐にする分が減ってしまうので、少量だけと伝えてからカップに注ぎ、皆に配った・・・所までは良かったのだがーーー


「・・・ねぇ、兄上?これが本当にお豆腐になるんですか?なんと言うか、こう・・・水っぽく、ないですか?」


 サオリが一口飲んだ直後に眉間に皺を寄せながら発した言葉で、僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。


 言われて僕も少し飲んでみるも、確かに彼女の言う通り何処か薄くしたような味で、サオリ同様にマホ達も困ったような表情をしている。


「た、多分・・・も、もう一度本を確認してみるね。」


 彼女達の表情を見て、益々心拍数が上がるのを感じながらも改めて確認をしてみるが、手順を間違えているようには到底思えず、どうしてこうなったのかが分からない。


 何をどこでしくじったんだ?


 そんな失敗したかもしれないという考えが頭をよぎると同時に、背中に冷たい汗が滲む。


『んー・・・そのまま飲むにしても、少し煮詰めた方が良かったみたいですね。結構な量のお水を足しましたから、当然なんでしょうけれど・・・』


「むぅー・・・」


 記憶にあるお店で売っていた豆乳は、もっと味が濃かったような?


 ・・・これはやはり、ノアに補助を頼むべきだったのかもしれない。


 いや、流石に主原料のニガリを用意してもらった上で、手まで借りる訳にはいかないだろう。


 ほんの少しずつでもノアの力を借りないようにしていかなくては、技術の伝承云々を考えるのすら、烏滸がましくないか?


『兎も角、本を参照する限りでは手順や分量を間違えてはいないと思いますから、今はこのまま続けましょう?』


「・・・わかった。」


 僕の焦りを察したのか、イオリは冷静に料理本を読み返しつつ手順を再確認してくれたようで、彼女の言葉で何とか気を取り直し、豆腐作りを再開する事にした。




 そうやって出来た豆乳(?)をコンロにかけたのだが、失敗への不安感からか暫くの間、寸胴鍋から離れられなくなってしまう。



 いつの間にか僕は、過度に失敗を恐れるようになっていたらしい。


 恐らくだが彼女達に色々な事を教えている内に、彼女達の期待に応え続けなければならないという半ば思い込みに近い考えを、無意識のうちに抱いてしまったからなのだろう。


 何をしても必ず上手く行く事なんて、どれだけ優れた人間でもありはしないのに、我ながら情け無いな・・・



「・・・うえ?・・・兄上っ!兄上ってば!!タイマーが鳴ってますよ!早く火を止めないと!」


「あ・・・あぁ、うん。」


 そんな考え事の所為か、いつの間にか時間が経った事を告げる計時機がけたたましく鳴り響いていた為、慌てて火を止め、最後にニガリを加えかき回すと、サオリが興味深げに覗きこんできた。


「さっきまではあまり匂いがしませんでしたけど、煮詰めたからか少し独特な匂いがしますね?」


 煮詰める前とは確かに様子が違うので、これならばなんとか上手くいきそうだと、内心で少しだけ胸を撫で下ろす。


 だが、まだ安心するには早いだろう。


「後は少し待って成分が分離し始めたら型に入れて、水切りをしてから、固めれば完成みたい。」


 素直に上手くいくか不安だと口にすれば済む話なのに、正直この期に及んでもまだ取り繕おうとしている自分の浅ましさが、心底イヤになる。


「普段、姉上や兄上がお料理するお手伝いはしますけど、ここまで手の込んだモノを作るのは初めてですから、分からない事だらけでなんだか楽しいですね!」


 そんな小心者な僕に、サオリは目を輝かせながら心の底から楽しんでいるのだと判る程の満面の笑みを見せた。


 ・・・するとその刹那、僕の中で不思議な事が起きる。


 彼女の笑顔を見た瞬間に、沸き続けていた焦りや苛立ちが嘘のように消え失せてしまったのだ。


「むー・・・?兄上、どうかしました?あたしの顔に何かついてます?」


 きっと彼女の無邪気さが、僕のちっぽけな杞憂なんて吹き飛ばしてくれたのかもしれない。


 サオリにとっては、先程の失敗したかもという感覚ですら、僕とは違い楽しいと思えたのだろう。


「・・・兄上?おーい?兄上ー?」


 ・・・それに昨日、自分で失敗したらその時はその時だって、考えていたじゃないか。


 失敗してしまった時は、皆で笑い飛ばして次を頑張ればいい。


 そうだ、何を思い悩む必要がある?


「ごめん、何でもないんだ。・・・それより、こっちは一区切りついたから、そっちは任せるね?」


 忘れかけていたが、彼女の様子に釣られて自然と口角が上がるのを感じつつも頼んだ事を思い出し、木綿の布に残ったオカラを見ながらこっそりサオリへ伝えると、彼女は益々もって嬉しそうに頷き返す。


「あっ!はい!わかりました!レシピは既に調べておきましたから、任せてください!」


 ・・・自分でイオリに内緒って言ったから敢えて小声で話しかけたのに、何故自らバラすような調子で話すのだろう?


 まぁ、サオリらしくていいのだけれども。


『さっきの内緒話の事ですね?結局、何を作るんですか?』


 大きな声を出したから当然と言えば当然ではあるが、僕とサオリのやり取りはすぐ近くに居たイオリにも聞こえていたようで、興味深々といった様子で彼女は再度尋ねてくる。


 ・・・いや、違うな?


 このイオリの反応、恐らくは演技だ。


 よくよく見ればサオリは手元で本を開いたままにしているから、イオリはそれに気付いていながらも敢えて乗っているのだろう。


「そ!れ!は!完成までのお楽しみです!姉上は、兄上を手伝ってあげてくださいね。・・・マホちゃんシホちゃんは、あたしのお手伝いしてくれるかな?」


「マホとしーちゃんのでばん?」


「うん、そうだよ。サオリのお手伝いをしてもらってもいい?」


「わかった!いこ、しーちゃん!」

「はい!」


 ややわざとらしさすら感じたイオリの問い掛けに、サオリはニンマリと含み笑いを浮かべつつ棚からボウルと攪拌器を取り出すと、マホとシホに声を掛けると材料を二人にも渡し、三人並んで居間のソファに腰掛けた。


『あんなにはしゃいじゃって・・・サオリちゃん、本当に楽しそう・・・』


 すると賑やかな妹達の様子にイオリは嬉しそうに目を細めつつ、独り言ともつかない呟きを零す。


「・・・うん、そうだね。サオリは皆で何かをするのが好きみたいだから、はりっきってるんじゃない?」


 そう言えば、机や椅子を作った時も凄く楽しそうにしていたな。


 これだけ喜んでくれるのならば遊びに行くだけではなく、もっとこういう機会を増やした方がいいのかもしれない。


 彼女達が嬉しそうにしてくれている方が、僕も嬉しいからね。


『どうしてそうなるんですか・・・』


「ん?何か言った?」


『なんでもありません!』


 考え事の所為か上手く聞き取れなかったので問い返えすと、イオリは不機嫌な様子でそっぽを向いてしまった。


 どうも僕は、気付かぬうちに彼女を怒らせるような事を口にしたらしい。


 それ程おかしな事を言った覚えは無いけれど、どうしたものかな・・・

 



「おねえさまー?なかなかまざらないよー?」


 イオリの機嫌を損ねた事で少しの気まずさを覚えながらも、分離を待つまでの間、彼女と二人で使った調理器具を洗う等の後片付けをしている僕の耳に突然、困ったような様子のマホの声が聴こえてくる。


「むー・・・?何でだろ?あたしがやってみようか?」


 水音の所為で、僕の居る位置からでは何を話しているのかまではよく判らないけれど、何か問題でも起きたのだろうか?


 そう考えて片付けの手を止め、三人に近付こうとするとーーー


『あの子達に任せたのなら、助けを求めてくるまでは見守りませんか?』


 隣にいたイオリが微かに首を横に振りつつ、小さな声で僕を静止した。


 確かにイオリの言う事は尤もで、何にでも手を貸すのは良くないと考えを改め直し、僕も静観を続ける事にする。


「やーあー!マホがやるのー!」


「ボクの方も、うまくまざりません・・・」


「シホちゃんも?むー・・・どうしてなんだろ?本にも書いて無いし・・・」


 しかし思い直しはしたものの、三人共作業を止めて、料理本を開きながら相談をしているようにも見えるのだが・・・本当にこのままでいいのか?


〈恐らくですが、オカラに含まれていた水分の所為だと思いますよ。出来上がった直後で、水分をかなり含んだ状態の物を使った為でしょう。〉


 そんな風に静観しながらも手を貸すべきかを逡巡し続けていると、居間の隅で待機していた筈のノアのヒトガタが三人へと徐に近付き、何かを話しかけた。


「そうなの?・・・じゃあ、このままだと上手くいかないのかな?やり直した方がいい?」


〈いえ・・・多少時間は掛かるでしょうがそのまま攪拌を続ければ、その内に水分が均一化され、生地と馴染むかと思いますよ?〉


「ノアちゃんがそういうならマホ、がんばる!」


「ボクもー!」


「疲れたら代わるから、言ってね?」


「うんっ!」


 ・・・うーむ?


 三人の様子からして、どうやらノアの助言で解決した・・・のかな?


 良かった・・・が、しかしノアは一体何を話しかけたんだ?


 後でサオリ達に聞いてみるかな?


『もうっ・・・どっちも甘いんだからっ・・・』


 だが、そんな呑気な事を考えていた僕とは対照的に、イオリは不満そうな表情で何かを呟くと、止めていた手を再び動かし始める。


 先程も怒らせてしまったばかりだから聞くに聞けないけれど、何が気に障ったのだろう?


 

 


 そうこうしている内に、15分程でひと通りの片付けを終えたので鍋の中の様子を伺うと、既に分離が進んでおり、細かな白い塊が沢山鍋の中に浮かんでいた。


「もういいかな?」


 記事の通りならばちょうど頃合いだと思われたので、鍋を流し台に下ろし、用意していた型枠に布を掛けてから、そこに出来た豆腐の元を流し込む。


『んー・・・このドロドロしたものが本当にお豆腐になるんですか?』


 すると、隣で僕の作業を眺めていたイオリが首を傾げながら尋ねてきた。


「そうだよ。途中、上手く行くかちょっと不安だったけど、ちゃんと出来たみたいでホッとしたよ。」


 ちょっと・・・ではなく、かなりなんだけどね。


『一応本を読んではいましたけれど、何か想像していたものとは大分違いますね?・・・私、お豆腐はプリンの様に、牛乳のようなものを固めて作るのかと思っていました。』


「確かに、実際に見てみたりやってみたりしないと、中々分からない事かもしれないね。僕も昔は似た様な事を思っていたからさ。」


 小さな頃に学校の授業で見た映像だと、容器に液体が充填されていくようにしか見えなかったんだよな。


 だから、当時は僕もイオリと同じ事を考えていたものだ。


「あーっ!兄上っ!あたし達の見てない所で先に進めないでくださいよ!」


 そんな風に感心するイオリに見守られながら、内心で微笑ましく思いつつもせっせと豆腐の素を型枠に流し込んでいた所、急にサオリの声が響いたので驚き顔を上げる。


 すると、二人とサオリがいつの間にか台所に戻ってきており、彼女が僕を指差しながら不満そうな表情を浮かべていた。


「あっ・・・ごめんね。」


 折角皆で作っているというのに考え事に夢中になっていた所為もあり、声を掛けずについつい自分だけでやろうとしてしまった。


 サオリが怒るのも当然だな。


「だんなさま、マホにもやらせてー!」


 罪悪感を覚えながら謝罪を口にすると、マホが僕の腰あたりに抱きつきながら自分もやりたいと訴えてくる。


「じゃあ、順番にやろうか?」


「まーちゃんのつぎは、ボクもやりたいです。」


 すると、マホの様子を見たシホも僕の服の袖を引きつつ、控えめに伝えてきた。


「うん、勿論だよ。」


『では、二人はまた私と一緒にやりませんか?私も、見てるだけではつまらないですからね。』


「はーい!」


 そんな二人にイオリが声を掛けると、マホとシホは僕から離れ今度はイオリの胴に戯れ付く。


 ・・・何故だろう?


 初めて見る筈なのに、この光景が酷く懐かしく感じる。


「あっ!マホがさきにやるのー!しーちゃんはマホのつぎでしょー!?」


「まーちゃんのいじわるー!ボクだってみたいのにー!」


『マホちゃん、シホちゃん、ケンカはダメですよ?二人一緒に仲良くやりましょうね?』


 三人の様子を少し離れて見守っていると、マホとシホはイオリが昔使っていた踏み台を我先にと取り合いを始めてしまうのだが、すぐにイオリに嗜められ仲良く二人同時に乗りながら、三人で流し台の前に並んだ。


「・・・ごめんね、しーちゃん。」


「ボクのほうこそごめんなさい、まーちゃん。」


 ・・・あぁ、そうか懐かしく感じた理由がわかったよ。


 三人の並んでいる姿がきっと、アルバムで見た母さんと並ぶ幼い僕とサキの姿に重なったんだ。


 僕とサキも料理をしている母さんに纏わりついては、どちらが手伝いをするかで何度も喧嘩をしていたから、すぐに仲直りをした二人とは少し違うかもだけどね。


 そう言えばあのアルバム・・・確か、僕の部屋の押し入れにあった筈だから、今の僕の部屋にあるのだろうか?


 探してみようかな。


「兄上?どうかしました?さっきからヘンですよ?」


「・・・本当に、何でもないよ。心配かけてごめんね。」


 三人の並ぶ姿を眺めながら幼い頃を思い出し懐旧の情に浸っていると、酷く心配そうにサオリが覗き込んでくる。


 どうやら、また表情に出ていたらしい。


 何故だか分からないけれど最近の僕は、急に昔の事を思い出してしまう程に感傷的というか、妙に落ち着かないような感じがあるのは確かだ。


 今は、考えるのをやめるべきだな。


「ならいいですけど・・・」


 あまり納得はしていない様子だが僕が問題無いと伝えたからか、彼女はそれ以上聞こうとはしなかった。


 これは、話題を変えた方がいいだろう。


「そういえば、生地は完成したの?」


「いえ、まだですよ。少し時間を置いた方がいいらしいので、先にこっちを終わらせてからですね。」


 これは多分、ノアの助言に従ったって事か。


 んー・・・でも、まだ少しさっきボーっとしてた理由を聞きたそうにしているな・・・。


「そっか・・・」


 前に弱い所を見せてしまったから、それで心配してくれているようだ。


 多分だが、サキの事を考えていた所為で、もしかしたら僕が二人の前で泣き喚いてしまった時と似たような表情をしてしまっていたのかもしれない。


 でも、僕だってあんまり彼女が心配そうな顔をしている姿を見たくはない。


 どうしたら・・・


「・・・あ、そうだサオリ?」


 ちょっとズルい気がしなくもないが、こう聞けば彼女の表情も晴れるだろう。


「どうかしましたか?」


「楽しんでる?」


「はい!とっても!マホちゃんとシホちゃんもあんなに楽しそうですしね!」


 僕の問い掛けに、彼女は再び満面の笑みを浮かべて僕に返す。


「それはよかった。」


 思った通りだ。


 サオリには、やっぱり笑顔が一番似合うからね。


 だが、そう見えたのも束の間で、みるみる間に彼女は悲しそうに眉間に皺をよせつつ口を開く。


「・・・兄上は、楽しくないんですか?」


 ・・・拙い。


 聞き方をもうちょっと考えるべきだった。


 彼女の前でボーっとしていた上に楽しいか聞いてくるなんて、まるで僕自身は楽しんでいないみたいじゃないか!


「そんな事ない!勿論楽しいよ!・・・でもさ、僕はそれよりも皆の笑顔を見れる方が嬉しいんだ。多分だけど、イオリも僕と同じなんじゃないかな?」


「・・・それは、良かったです。」


 言葉とは裏腹に、サオリの表情は更に昏く沈んだようになり、こちらへ返事を返しつつも寂しげに微笑みを浮かべる。


 特に意味は無かったのだが、イオリの名前を出したのは失敗だったか?


「やっぱり、兄上は姉上の事しか・・・」


 そんな風に考えた直後、サオリがか細く呟きを溢す。


「イオリがどうかした?」


 多分、本人も意図せずに漏れ出てしまった言葉なのだろう。


「い、いえ、何でもありません!」


 僕が問い掛けると、彼女は酷く慌てた様子で自らの口元を押さえ、首を横に振って何でも無い風を装う。


 しかし、僕には彼女のその表情が・・・微かに涙すら浮かべているように見えて、不意にこの間の出来事を思い出してしまい、胸の奥が鈍く傷んだ。




 交代交代で豆腐の素を型枠に流し込むと、結果的には大体予想通りの分量だったらしく、凡そ豆腐四丁分程になった。


 後は暫くの間、水気が切れるまで待てば豆腐の完成だ。


 とは言え・・・


「お昼にはまだ少し早いから、アニメでも見て待つ事にしようか?」


『そうですね。』


 イオリも初めての経験からか少し疲れているようだし、サオリはサオリでまだ暗い表情のままだから、気分を変えるべきだろう。


「ねぇねぇ、だんなさま?マホここでみてていい?」


「構わないけど、退屈じゃない?」


 どうやらマホは、ただただ水滴が垂れるのを眺めたいらしい。


 面白い・・・のかな?


「だいじょぶ!」


「ボクも!」


「シホも?・・・まぁ、いいか。」


 飽きたらこっちに来るだろうから、マホ達もしたいようにすればいいだろう。


 そうして、二人が見やすいように型枠をすだれを引いたバットの上に置き、僕達は居間で休憩をする。


 結局、マホとシホは何が面白かったのか、僕達が休憩を終えるまでそのまま観察し続けていた。




 マホ達が見守っている内に一時間程が経ち、軽くスプーンで押してみた所充分に水分が抜けたと思われた為、タライに張った水の中でそっと型枠を外してみる。


 上手くいっているといいのだが・・・?


『上手く出来たみたいですね!』


 どうやら、これで出来上がったようだ。


「・・・そう、みたいだね。他の型枠も外してみてくれる?」


 イオリに残りを頼むと、他の三つも角が多少崩れたが上手くできたようで安心した。


「これがおとうふですか?」


「そうだよ。」


『あれだけの量のお豆を使っても、これだけしかお豆腐が作れないんですね・・・』


 用意していた大豆は凡そ一キロと少しぐらいなのだが、形が不揃いな事を考慮しても出来上がった豆腐は四丁しかなった為か、イオリがつぶやきを溢す。


 分量に関しては事前に本を読んで知っていたとしても、完成した物の量を見てしまい何とも言えない気持ちになってしまったのかもしれない。


「確かにこうして見てしまうと、豆腐と言えど手間も暇もかかる贅沢な物なのかもしれないね。」


『いえ、贅沢・・・と思ったのではなく、どうしたらこういった物を作れるようになったのかが、気になっただけですよ。とてもでは無いですが、私では思いつきもしないだろうな、と思いまして・・・』


 そういう事か・・・。


「なるほど、ね。・・・言われてみれば確かに、どうやってこの手法を生み出したのか、気になるよね。僕も調べた事が無いから知らないし・・・」


 ノアに聞けばすぐ分かるのかもしれないが、それは何か違う気もするから、今度マホ達と本で調べてみよう。


『本当に不思議ですよね・・・』


 完成した豆腐を感慨深そうに眺めるイオリを見て、頭の中でとある思考に行き着いた為、それをそのまま言葉にしてみる事にした。


「・・・今、ふと思ったんだけどさ?こういった技術のひとつひとつを作った先人に敬意を払い、それを連綿と続く営みの中で継承し、その意義を考える・・・それが、引き継いで行くって事の本質なんじゃないかな?」


『んー・・・?意味がよくわかりませんよ?』


「あはは、僕もよくわからないんだ。ちょっと、そんな事を思っただけだよ。」


 言ってしまってから、自分に酔っているような気がして少し気恥ずかしさを覚えるも、イオリは僕の言葉の意味を真剣に考えているらしく首を傾げていた。


「さて、豆腐もこうして出来た事だし、いよいよ油揚げ作りだね。」


「おとうふはたべないの?」


「勿論食べるよ。崩れた所は油揚げにしないで、取り除いて晩御飯に使うつもりだから楽しみにしててね。」


「はーい!」


 ・・・とは言え、折角ならば油揚げもおいなりさん以外にして食べてみたくはある。


 なので、一枚だけ豆腐を横に切って大きな物を作り、他は縦に切っておいなりさん用の小さな物を作れるだけ作ってから、布巾の上に並べて上から軽く錘を乗せた。



 後はこれをそのまま1時間程上に重りを置いたままにしておき、水分を切ってから低温でじっくり揚げた後、少し時間を置完成らしい。





「じゃあ、あたしこっちのコンロを使いますね!」


 そうして豆腐から更に水分が抜けるのを待つ間、サオリが出来たオカラで作った生地をフライパンで焼き始めた。


 何を焼き始めたのかと言うと、先程から彼女がマホ達と作っていたタネを使う、オカラ入りパンケーキだ。


 ちなみに、既にお昼前の為これが今日の皆のお昼ご飯を兼ねてもいる。


「おねえさまー!マホもやりたいー!」


「むー・・・マホちゃん達は姉上と一緒に待っててくれるかな?」


 マホは、小さな頃のイオリよりも積極的に僕達の手伝いをしようとしてくれるんだよな。

 

 それ故に、ちょっと危なっかしい気がしなくもないんだけれども・・・


「まーちゃん、ボクたちじゃあぶないからだめだよぉ・・・」


「マホもやりたかったのにぃー!」


 シホにまで止められたからか、不服そうではあるがマホは諦めたらしい。


 ・・・が、マホだけでなくシホもシホで、少し寂しそうな表情をしているような?


 これは、参ったな・・・火を扱うのはもう少し成長してからと考えていたのが、裏目に出ているようだ。


 どうしたものか・・・


『・・・では、待っている間に私達はこれを作ってみましょうか?』


 すると、二人の様子を見かねたらしいイオリは料理の本を忙しなくめくり始め、その内に項をめくるのをやめたかと思えば、嬉しそうにシホ達に開いた箇所を見せながら呟く。


「何を作るの?」

「何を作るんですか?」


 僕の位置からでは何を二人に見せているのか分からなかったので尋ねたのだが、サオリも気になったらしく、ほぼ同時に同じ質問をイオリにぶつけた。


『ナイショです♪』


 だがそんな僕達の問いに、今度はイオリが意趣返しと言わんばかりに含み笑いを浮かべながら、冷蔵庫から材料を取り出してキッチンを離れてしまう。


 彼女達の手にあるものは、牛乳と・・・あれはバターかな?


 他には、コップとスプーン?


 だとしたら沢山は作らないだろうから、口出しはしないでおくか。




 暫くして、サオリが焼けたパンケーキをテーブルの上に並べたので、全員で席に着きお昼を摂る事にした。


「・・・うん、美味しいね。自分達で作ったからか、より美味しく感じるよ。」


「良かったぁ・・・いつもは兄上と姉上のお手伝いぐらいしかしていなかったので、余り自信がなかったんですよ。」


「これだけ上手なら、これからはサオリにも料理を任せようかなって思ったよ?」


「・・・それに焼いてる時、ちょっと水分が多いのも気になってましたが、兄上がそう言うなら安心しました。」


「うーん?確かにしっとりはしてるけど、甘すぎないし僕は気にならないかな。」


 余り膨らんだりはしていないが、水分でべちゃべちゃしている訳でも無いから、特に問題は無いかな?


『では・・・これもつけて食べてみてください。』


 そう言うと、イオリは嬉しそうにオーブンレンジからいつの間にか温めていたらしいマグカップを取り出し、テーブルの上に置く。


 すると、バターのいい香りがこちらまで漂ってきた。


「これは?」


『牛乳とバターで作る生クリームの代用らしいですよ。生クリームやハチミツはノアが時々持ってきてくれますし、折角なら偶には違う物を・・・と、思いまして。』


「へぇ・・・そんなのがあるんだ?」


『えぇ、本によると本来はコーヒーに入れたりするようですが、作り方を見てパンケーキにつけて食べても美味しいかなって思ったんです。』


 確かに、パンケーキと言えばたっぷりのバターと牛乳がよく合うから、試すまでもなく美味しいだろうな。


「じゃあ、いただきます。」


『どうですか?』


「・・・うん、美味しい。生クリームって言ったから甘く作ったのかと思ってたけど、これはこれでバターの風味が足されたからか、美味しいね。」


 液体故に、ハチミツのように掛けたりする訳にはいかないし、やはり乳脂肪分を抽出して作っている生クリーム程濃厚という訳でも無いが、牛乳に溶かしたからか強すぎないバターの香りが、オカラパンケーキによく合っていると思う。


 僕は好きだな。


 ・・・液体に浸した所為で、しっとりを通り越してかなり水分を含んでしまうのは、ご愛嬌ではあるが。




「これ、サオリねぇさまとボクとまーちゃんでつくったんです。・・・だんなさま?あーんっておくちあけてください。」


 皆で賑やかに昼食を摂っている内に、シホがもじもじしながら僕の口元にパンケーキを運ぶ。


「あっ、しーちゃんずるい!マホもやるー!」


 すると、それを見ていたマホからもパンケーキを口元へ運ばれたので、両方とも食べた。


 ・・・が、流石にちょっと恥ずかしいかな?


「だんなさま、おいしい?」

「おいしいですか?」


「うん、美味しいよ。二人ともありがとう。」


 そして、この後は多分・・・


「兄上。」『ご主人様。』


「『あーん。』」


 すると、シホとマホの様子を見ていたイオリとサオリも、同じように僕に食べさせてくる。


 やっぱりね。




「わぁ・・・いいにおいー!ねぇねぇだんなさま?まだたべないの?」


 お昼を挟んでから一枚目を揚げ始めると、部屋中に香ばしい匂いが立ち込た為か、それに釣られてマホとシホがいつの間にかすぐ側に来ていた。


「一枚は今日の晩ご飯用だから、楽しみにしててね。・・・後、近づきすぎると油がはねて危ないから、もうちょっとだけ離れててくれるかな?」


「はーい!」


 まぁ、正直僕も作っていたら食べたくなってきたので、マホのその気持ちはよくわかるよ。


 そうやって僕とイオリで交代をしながら全てを揚げ終え、今日の油揚げ作りが完了した。


 揚げている内に、所々穴が空いたりしてしまったから不恰好かもしれないけれど、それすらも満足出来てしまうような体験が出来たと思う。


 夕飯は豆腐と油揚げの味噌汁に油揚げを使った煮物で、此処に来てから初めて自分達で作った加工食品を使ったからかとても満足する出来栄えだった為に、誰に見せる訳でも無いのに思わず写真を撮ってしまった程だ。




 そして翌朝になり、朝食の用意と並行して昨日作った油揚げの仕込みを行う。


 僕は甘辛いおいなりさんが好きなので、醤油と砂糖で味をつける。


 調味料も自家製の物を作りたいとは思うけれど、去年まではまだ余り余裕がなかったんだよな。


 だが、今後は色々なものを自家製に切り替えていけるように、作る作物を段々と増やしていくつもりだ。


 その為の打ち合わせを、今夜する予定だしね。


 そうして下ごしらえを終えた後、数日前に下見した様子だと丁度今日辺りが桜の見頃だと思うので、改めて朝食の席でお昼からお花見をしようと伝え、皆でお弁当を作り始めた。




「だんなさま、みてみてー?」


「う、うん、大きい・・・ね?」


 マホさんや・・・それは、おいなりさんじゃなくて最早、でかいおにぎりの端に油揚げを被せているだけだよ?


「ボクのもみてくださいー!」


「シホのこれは・・・なんだろ?」


 マホに対抗したのか、シホも自分の作ったいなりを見せてきたのだが、錦糸卵で顔らしきものを描いてはいるものの、それが何かまでは僕には分からなかった。


「おうまさんです!」


「そ、そう・・・上手、だね?」


 


「兄上、唐揚げも詰め終わりましたよ。これで全部ですね。」


 そんな風に賑やかに、一時間以上の時間をかけて皆でお弁当作りを済ませ一息ついた所で、最後のおかずを入れた重箱を風呂敷で包み終えたらしいサオリが声を掛けてきた。


「ありがとう、サオリ。でも、加工食品がもっと作れたら、もう少し品数増やせるんだろうけどね・・・」


 いなり寿司と余ったご飯で作ったちらし寿司だけで、マホ特製も含め一升以上のご飯を使っているので、これ以上は贅沢すぎる気もしなくはない。


『それは仕方がないですよ。これから作れるようにしていきましょうね。』


「うん。・・・それじゃあ、出発しようか?」


「はーい!」


 食生活が豊かになると皆きっと喜ぶので頑張ろうと、心に誓いながらお弁当を背嚢に仕舞い、敷物と飲み物も用意して皆でお花見に出かける。 




『いい天気ですね。少し強いですが、風も気持ちいいです。』


「うん。いい散歩日和だね。」


「だんなさまー!だっこー!」


「ボクもだっこしてください!」


「ふ、二人同時は無理かな?順番、ね?」


 マホとシホがだっこをせびるのだが、同時に抱えると僕と同じぐらいの重さになってしまうため、小さくとも二人同時に抱える事は出来そうにない。


『ご主人様、私もー!』


「いや、姉上は無理でしょう?あたしより重いじゃないですか。」


『・・・サオリちゃん?今、何か・・・言いましたか?』


「いえ、気の迷いです姉上。」


 笑顔で凄むイオリに、サオリも恐怖を感じたらしい。


 確かに、その笑顔は怖いからね。


 そして、その笑顔を僕にまで向けないでくれないかな?


 ボクハ、ナニモキイテイナイヨ?




 いつも通りにそんな他愛もない話をしながらも、マホとシホを交代で抱き抱えつつ、今日の目的地を目指す。


 途中、本気で抱っこされたかったらしいイオリに抱き付かれたりもしたが、十分程で無事に目的の場所に辿り着く事が出来た。


『綺麗・・・ですね。』


 到着して早々、一面に咲く満開の桜の広場の中央に立ち、見上げながらイオリが呟く。 


「・・・うん。本当に、綺麗だ。」


 薄く桃色に染まった花びらが風で地吹雪のように舞い、その中で佇みつつ腰まで伸びた赤桃色の髪をたなびかせ、穏やかな表情で微笑む彼女に、僕はつい見惚れてしまう。


「だんなさま!早くごはんたべよー!」


「・・・そうだね、そうしようか。」


 マホに急かされ我に返った僕は、桜の樹々の中心に敷物を広げた。


 鬱蒼と茂る緑の中で、この場所だけは天空を枝に遮られてはおらず、明らかに人為的に穴が開けられたようになっている為か、森の中だというのにかなり明るい。


「去年ノアから聞いて驚いたんだけど、桜って元の木を接木して増やした所為で病気に弱い上に、かなり間隔を開けて植えないといけないんだってね?」


『言っていましたね。』


「そうなんだぁ・・・」


「だから、僕のいた街でも桜が植えられている場所って、自然な感じがしなかったんだろうなぁ・・・」


〈桜の種類にもよりますが、この種の場合根の育成のために必要な処置です。〉


「ノアちゃんがおていれしてるの?マホ達がおやさいさんにお水をまくみたいに?」


〈はい、そうですよ。枝の剪定を行うために、隔壁から余り離れていない箇所や施設の近く等で育成をしています。この区画では、ここだけではなく何箇所か自生させていますが、いずれも管理しています。〉


 問い掛けたマホは、返答が少し難しかったらしく首を傾げているが・・・そんな事までノアが行っていたのか。


 おかげで僕らは桜を楽しむ事が出来るんだな。


「改めて・・・ありがとう、ノア。キミのおかげで、僕達は豊かな生活を送れているんだね。いつも、感謝してるよ。」


 例え、ノアに何か思惑があるのだとしても、きちんとお世話になっているお礼は伝えるべきだと思い、素直に感じた事を言葉にする。


〈わ、私は、あなた達の補助をする為に居るのですから、感謝などしなくとも・・・大丈夫、ですよ。〉


「ノア・・・?」


「兄上、早くお弁当食べませんか?あたしもお腹空いちゃいましたよ。」


「あ、あぁ、・・・うん。それじゃあ、食べようか。」


 すると先程マホの質問に答えた時と違い、ノアの返事の端々から明らかな動揺らしきモノを感じ取れた所為か、違和感から思わず聞き返してしまうも返事はなく、更に問い掛けようかと考えている内にサオリに急かされたので、取り敢えずお弁当を展げる事にした。




「ホント、改めて見ると凄い量だね・・・」


 そうして鞄から取り出した重箱を幾つも並べると、その光景に相変わらずとても五人で消費し切れるとは思えない物量だなと驚く。


 それに、あの量の食べ物が僕より小さな身体の何処に、格納されると言うのか。


「だんなさま、これね・・・だんなさまに食べてほしくてマホが作ったの!食べて食べてー!」


 そう言って、マホが満面の笑みを浮かべながら、僕に米の塊を差し出してくる。


 マホが作っていたこのバカでかいおにぎりは・・・どうも、僕の分だったらしい。


 いや、ちょっと待って・・・そのおにぎり、僕の握り拳の倍程の大きさがあるんだけど?


 これは、明らかにキミ達基準の大きさだよね?


 ・・・マホのお手製を食べてしまえば、僕の胃袋から察するにほぼ間違いなく、他に何も食べられなくなってしまう事だろう。


 だがしかし、マホが僕の為にと頑張ったのだから無碍にする訳にはいかないので、此処は食べる以外の選択肢は・・・無いよな・・・


「あ、ありがとう、マホ・・・」


 三角形のおにぎりの角全てに、油揚げを被せているマホ製を受け取ると、僕達は桜を楽しみながらお弁当を食べる。


 ・・・マホのお手製は結構固めに握られていて、中の具には何故か唐揚げまで使われていた為に、何とか食べきる頃にはお腹がはち切れんばかりに膨れてしまったのは、言うまでも無い。




 それから沢山作ったお弁当も皆で全て食べ切り、後片付けをした後で僕が動けなかった所為でもありはしたが、一休みをしつつ再び桜を眺めてから、日が傾く前に全員で帰宅した。



 その後は特に畑作業をする予定はなかったので、帰宅後にマホ達とアニメを見てから、いつも通り夕食を摂り順番にお風呂へ入る。



「だんなさまー・・・ねんねしよ?」


「だんなさま、ねむいです・・・」


 最後に僕がお風呂から上がると、時間も遅くなったせいかマホとシホがうとうととしており、目を擦りながら僕の寝巻きの袖を引っ張ってきた。


「ごめんね、今日はノアと畑の計画を話し合う予定だから、僕はまだ寝れないんだよ。」


 目線を合わせながらマホに謝るも、既に目が閉じかけているマホ達には余り聞こえていないらしい。


 朝からかなりはしゃいでいたので仕方がないだろうけれど、イオリ達も参加して相談する予定だったから、少し困ったな・・・。


「むー・・・じゃあ、あたしと姉上がマホちゃん達を先にお部屋へ連れていっておきましょうか?」


 すると、その話を聞いていたイオリとサオリが僕の部屋でマホ達を先に寝かしつけてくれるという。


「うーん・・・」


 畑を拡張するかどうかと、何の種を何時植えるかの相談ぐらいだから、イオリ達には僕から後で伝えればいいのか。


「・・・じゃあ、お願いするよ。」


 そう思い至ったのでそちらは彼女達に任せ、僕は春先の恒例になりつつあるノアとの相談を始めた。




〈・・・最後に、以前夏野菜を増やしたいと仰っておられましたが、現状を鑑みると今季はまだ様子見をするべきかと思われます。〉


 相談をしている内に気付けばかなり遅い時間になっており、そろそろ今日の相談もお開きにしようとした頃、ノアが最後にと前置きをした上で、以前僕が提案した件の回答をくれる。


「どうして?」


 オクラぐらいなら調べた限りだと簡易温室を造りさえすれば、5月の夜間に十度以下になる事が多い此処の気候であっても、種から育てられそうではあるのだが?


〈理由につきましては、穀類を生産する手始めとして栽培しやすい品種の生産から増やしていく事が、今後人口を増やす上で最も重要と当機が考える為です。故に、現状では農地拡大した分を、まずは収穫の実績があるとうもろこしに当てるべきだと考えております。〉


「な、なるほど・・・」


 去年まで僕達が育てていたのはノア曰く甘味種とやらだけど、確かに世界で最も生産されていた穀物はとうもろこしだと授業で聞いた事もある。


 挽いて粉末にしパンのような物を作る事も出来たり、ジュースの甘味料や家畜の飼料等にも使われる為、世界中で栽培が盛んだったのだそうだ。


 それに、言われてみればマホ達の事例を考えても、裏でノアが培養層を稼働していないとは限らない。


 ・・・ま、まぁ、それは兎も角、現状とうもろこしは甘い品種を育てているからか、夏場はイオリ達もおやつ代わりに喜んで食べていたし、生産量を増やす事自体に反対する理由はないな。


「分かったよ。僕もノアの言う通りだとは思うからね。」


 そうなると、ポップコーンが作れる品種を育ててみるのも面白いかも?


 地球に存在した植物の種子全てをノアは低温保存しているらしいし、豆腐作りであんなにはしゃいでいたのだから、ポップコーンでもきっと喜んでくれるだろう。


 明日の朝にでも聞いてみるかな。


〈ご理解いただき、ありがとうございます。〉


「じゃあ、今年からはノアに任せていた分の種取り用の品種の育成を僕達でも幾つか開始する事と、本格的な穀類生産へ向けての水路作りを、今年の秋頃から始める・・・という事で。」


〈はい。ご不明な点がございましたら、都度お尋ねください。〉



 ノアとの会話を終えそろそろ僕も寝ようかと思い、簡単に居間の整頓を始めた時だった。


「・・・兄上、少し時間をくれませんか?」


 サオリが居間の扉を少し開け、おずおずと尋ねながら顔だけをのぞかせたのだ。


 どうやら、話があるらしいのだが、普段の彼女とは明らかに様子が違う。


「どうかしたの、サオリ?」


 僕がそう問い掛けると、何故かやや緊張したような面持ちで彼女は居間へ足を踏み入れた。


 何かあったのだろうか?


 それに、先程まで彼女は寝間着を着ていたと思うのだが、今は何故か普段着に着替えてもいる。


「一緒に、来てもらえませんか?」


 その事を少し不思議に思っていると、僕の側まで来た彼女は真剣な表情でついて来て欲しいと告げた。

 

「構わないよ。」


 昼間とは違いすぎる彼女の様子に、もしかしたら大事な話なのかもしれないと気付き、僕は頷きながら返事を返す。


 


 そうして、彼女と連れ立って居間を後にすると、サオリは何故か真っ直ぐ玄関へと向かい、靴を履こうとし始めた。


 こんな夜中に外へ出たいのか?


 人一倍怖がりな彼女が明かりも持たずに?


 辺りは街灯なんて有りはしないのだから、当然真っ暗なんだぞ?


「サオリ、どこへ行くつもりなの?」


「ついて来て下さい。お願いします。」


 沸いた疑問をそのまま問い掛けるも、彼女は先程よりも真剣な、必死そうな表情で告げた為、僕は黙って玄関先に置いていた外套を羽織り、サオリの後をついていく事にした。


 ついていけば分かる事だし、彼女も酷く緊張しているようだから、これ以上はサオリの好きなようにさせよう。


 ・・・それにしても、サオリがこんなに緊張するなんて、まさか・・・ね?

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