第10話 やきもち ②

 サオリが家に来て二カ月以上が経過し、三月ももうそろそろ終わりを迎えようとしていた。


 彼女達も幾分か成長しイオリは恐らく14歳前後になり、最近では女性らしい丸みも帯びてきて、何故か目が離せなくなる事がある。


 身長は正確に測っていないが、僕の肩辺りだから恐らく160センチぐらいで、サキとほぼ変わらない。


 サオリは多分、7歳か8歳ぐらいだろうか?


 現在の身長は130センチ強といった所で、幼い頃から身長が高めだった僕と比較しても殆ど差が無く、このまま伸び続けたら180センチを超えている僕も追い抜かれてしまうのではと、少し心配してもいる。




 三人になってからの2か月はまだまだ冬であった為、農業に割く時間が減りサオリと一緒に居る時間を確保しやすく、またイオリも積極的に手伝ってくれたおかげか、慌ただしさも然程感じる事がなく、イオリと共にこの家へ来た当初よりは大分落ち着いた日々を過ごせたように思う。


 サオリが一人で歩けるようになるまでには約半月、発話出来るようになったのも大体同じ頃で、単語を理解し発音するようになったのは確か1か月も掛からなかった筈だ。


 そして、そこから先は更に早く幼かった頃のイオリと同じ様に質問責めを開始するまでに、殆ど時間を要しなかった。


 だが、活発を通り越してお転婆だったイオリとは対照的に、サオリは引っ込み思案とまではいかないまでも大分大人しく、聞きたい事がある時に飛びついてきたりもしない為か少し寂しく感じるが・・・実は、困っている事もある。


「あにうえー?このひとはなぜこのこにいじわるをするのですか?」


「それはね、この男の子が悔しがる所を見たいからだよ。」


「なんでそんなことするの?」


「なんでかなぁ?いつもやり返されてるから、たまには勝ちたいのかな?」


「ふーん?」


 イオリよりもサオリの方が早い段階で人の感情の機微や、何故そういった行動をするのかといった質問が多いのだ。


 なので、伝える言葉はより慎重に選ばなければいけなかった。


 名詞に関して偶に質問されたとしても、そう言う名前なんだよと答えると素直に受け入れてくれる分は、楽だったかもしれないが。


 言葉の方はイオリともよく話すからか、偶にイオリの様な言葉遣いをする事がある。


 かなり泣き虫な所など細かい部分でも個人差を感じるけれど、本当に子供の吸収力とやらは目を見張るモノがあるな。


 ・・・そして、イオリが姉上だからか、僕は兄上らしい。


 


 個人差と言えば好むアニメも違っていて、サオリはすこしふしぎなアニメが好きなようだ。


 確かに僕も幼い頃、あの道具の数々にワクワクしながら見ていたなぁ。


 まぁ、今も見てるんだけどさ。


「ねぇねぇあにうえ?このこはなんでおこってるの?」


「うん?」


 余計な事を考えていたら、映像が頭に全く入っていなかった。


 ・・・あぁ、これは好きな女の子が他の男の子と仲良くしているのを目撃してしまって、家に帰って泣きつくシーンだな?


 その気持ちが昔は分からなかったけど、今なら理解は出来るんだよね。


「あぁそれはね、ヤキモチを妬いてるんだよ。」


「おもち?」


「おもちじゃないよ。ヤ・キ・モ・チ。」


「うー?」


 癖がイオリに似ていて、本当の姉妹みたいだと思うと自然と口元が緩むけれど、この言い方ではサオリは理解出来てはいないようだから、解るように説明しなおさないとな。


「えーっと・・・そうだなぁ。あの女の子が大事で、自分以外の誰かと一緒に居て欲しくないって気持ちの事、かな?」


「なんで?」


「独り占めしたいからだよ。」


 うーん・・・まだ首を傾げているぞ?


 思ってた以上に人の感情が絡む事柄を言語化するって難しい・・・。


 これでもサオリに伝わっていないとなると、どう言えばいいんだろう?


 そんな僕とサオリのやり取りを台所で聞いていたらしいイオリが、気付けばサオリの側で両膝をついて座り、会話に加わってくる。


『ねぇ、サオリちゃん?もし、私がご主人様を独り占めして、サオリちゃんと遊べなくしちゃったら・・・どうする?』


 僕が答えに窮していると思い、助け舟を出そうとしてくれたようだ。


「やーだー!」

『本当は・・・』


 突然イオリにそんな事を聞かれて、泣きそうな顔でサオリが必死に僕の服へしがみついてくるのだが、何だろう?


 サオリの声で聞こえなかったが、今・・・イオリの口元が微かに何かを呟くように動いていたのは気のせいじゃないよな?


『そんな事になったらイヤだよね?怒っちゃうよね?』


「うん!ダメなの!」


『今のその気持ちがヤキモチだよ。わかった?』


「そっかぁ。わかりました!あねうえ!・・・でもホントに、あにうえをとらない?」


『・・・うん、取らないよ。』


 ・・・そうか、サオリを納得させるには、言葉での答えだけじゃ足りていなかったって事なのか。


 そんな事に直ぐ気付くなんて、凄いな・・・イオリは。


「ありがとうイオリ。助かるよ」


 僕が感謝を伝えると、イオリは浮かない顔をしながら大丈夫です、と短く答え再び台所へ戻っていく。


 どうかしたのだろうか?


 そう言えば最近、こうやって僕がサオリとアニメを見ていたり話をしていたりすると、イオリの表情が不意に曇る事が時々ある。


 でも、サオリとイオリが2人で遊んでいる際は、凄く楽しそうに笑ってもいる。


 ・・・あっ。


 そこまで考えて、僕は漸くと思い至った。


 近頃はイオリと何かをする時間が減っていて、僕が居る時は必ずと言っていい程サオリがついてくるのだ。


 勿論、それは仕方がない事なのだけど、恐らく内心は相当複雑なんだと思う。


 イオリも理解しているからこそ感情的にもなれなくて、行き場の無い気持ちが表情に出てしまうのだろう。


 ・・・ただ、直接聞いたらきっとイオリを酷く傷付けてしまう。


 何か、解決するいい方法は無いものかな?


 そんな事を考えるも、答えは出ずに時間だけが流れた。




『そろそろ晩ご飯出来ますから、食器出してもらえますか?』


「はい!あねうえ!」


「ありがとう、手伝うね。」



 どうしたらいいのかの結論に中々辿り着けないまま、いつも通り三人で晩ご飯を食べた後、僕は1人湯船に浸かる。


 イオリに関しては去年の秋ぐらいまで僕とお風呂に入っていたのだが、サオリは基本的にイオリと入る。


 一日中サオリの相手をしたり、畑仕事をしている僕を気遣ってか、イオリから提案されたのだ。


 こんな事にまで気を遣わせてしまい申し訳ない気持ちはあるけれど、幼いとはいえ女の子とお風呂に入るのは僕も本当は抵抗があるし、イオリが成長した事もあってお言葉に甘える事にしたのだった。


 ・・・だがこうやって考えてみると、イオリの負担がかなり増えてしまっているよな。


 朝食は僕が担当してはいるものの、昼食や夕食に関して半分程はイオリが主だし、洗濯に関しては下着の事もあり彼女がやっている。


 掃除は・・・半々かな?


 イオリにも好きにさせてあげたいけれど、サオリは僕が畑に行っていない時は、何故かイオリではなく僕と一緒に居たがるからどうしても相手せざるを得なくて、その分がイオリへといってしまうのだ。


 だから、イオリの負担を減らすのは現状だと正直難しい。


 どうしたものか・・・。


『ご主人様、大丈夫ですか?サオリちゃんが眠そうなので、そろそろ・・・』


 気付くとかなりの長風呂になっていたらしく、イオリが脱衣所から申し訳なさそうに声を掛けてくる。


 そう言えば、今日は僕が先に入っていたんだった。


 元々長風呂なのに、考え事をしていた事も相まってかなりの長時間になってしまっていたようだ。


「ごめんね、大丈夫だよ。今上がるね。」


『偶にはご主人様に先に入って貰おうって思ったのに、ごめんなさい。』


「いやいや、僕の方こそ・・・」


 イオリに返事をして湯船から出ようとした時ふと、ある考えが浮かんでくる。


 ・・・そうだ、イオリと話をしよう。


 話合いをするのではなくアニメの話でも、思い出話でも何でもいいから話をしよう、二人で。


 それで、少しでもイオリのガス抜きが出来ないかな?


「・・・そうだ、イオリ?」


『はい?なんでしょう?』


 先程の僕の返事を聞き、居間に戻ろうとするイオリに声をかけ、サオリが寝たら居間に来て欲しいとだけ伝えた。




 イオリに伝えた後、僕はお風呂を出て髪を乾かして、ひとまず自分の部屋へ戻る。


 暫くするとお風呂場の方からは、二人が色んなアニメの主題歌を歌っているような声が聞きこえてきて、とても楽しそうに思えた。


 その歌声を聞きながら、僕は部屋を見渡す。


 去年の末ぐらいまでは、沢山フィギュアが飾ってあったりもしたんだけれど、実は今はもうない。


 あの時、サキとの思い出の物だけでなく、自分で集めた物も同様に片付けたんだ。


 僕にとって、それらは過去の象徴でしかないのだと気付いたからね。


 故に過去を振り返るのではなく、これからに自らの視線を向ける為、敢えてそうした。


 だから、今此処に飾ってある物はイオリやサオリが描いてくれた、僕の似顔絵だけだ。


 こちらの方が、今の僕には余程大事な宝物だから。


 ・・・でも、ちょっと気になる部分もある。


 彼女達は絵は書いても、文字は書いていないような気がするのだ。


 まぁ、確かに必要が無いと言えば必要は無いんだけどさ・・・。


 僕が小さな頃は全てとまではいかないまでも、幾らかの文字を理解して絵の隣に自分の名前を書いていたような気もするんだ。


 あんまりハッキリとは覚えてないけれど、この似顔絵にはそれらが無い。

 

 これが誰の絵か分かるように、その人物の名前を書いたりすらしていない。


 ・・・僕しか居ないから、なのかな?


 些細な事なのかもしれないし、考えすぎなのかもしれないけれど、何となく気になってしまうんだよね・・・。


 


 そんな事を考えながら二人が書いてくれた何枚もの似顔絵を眺めていると、廊下からバタンと扉が閉まる音が聞こえた為、時計を確認する。


 ・・・どうやら結構な時間が経っていたらしい。


 自分から言った手前、居間に居なければダメだとそこで漸く気付いた僕は、慌てて部屋を出て居間へと行き、ソファに腰掛けた。


 まだイオリが来ていなかった事にホッと胸を撫で下ろしながら、彼女が来るまでアニメでも見ようかと思いテーブルに置かれていたタブレットを操作するのだが、何となく落ち着かなくて中々見る作品を決められず、暫くの間ただひたすらに画面を弄り続ける。


 そうこうしている内に、ガチャリと居間の扉を開く音が聞こえたので、そちらへ視線を向けると、イオリが恐る恐る居間へ入ってきた。


『ご主人様?何か御用でしたか?』


「ごめん。何か用があるとかじゃないんだ。・・・ただ、イオリと話がしたいなって思ってさ。」


『そう、ですか・・・。』


 何となく気まずいような雰囲気が流れ、僕はなにかを話さなきゃと思い、とりあえずソファの側に立ったままいたイオリに着席を促す事にした。


「立ったままもなんだから、こっちへおいでよ。」


『あ、はい。』


 隣の空いている場所をポンポンと叩くと、イオリは僕の横に腰掛ける。


「サオリは寝た?」


 何を話そうかと思案するも当たり障りの無い事しか思い浮かばず、ついそのまま言葉にしてしまってから、自分がかなり緊張している事に気付く。


 何を聞いているんだ僕は?


 しかも、これではまるで夫婦の会話みたいじゃないか・・・。


『お風呂に入る前から眠そうでしたからね。お布団に入ったらあっという間に寝ちゃいましたよ。』


 そう考えると顔が少し火照ってきたのだが、それを誤魔化すように自分が小さな頃を思い出そうとするも、妙な気分になった為か霞がかかった様によく思い出す事が出来ない。


 ・・・まぁ、いいか。


「イオリもそうだったけれど、やっぱりすぐ眠くなってしまうんだね。」


『まだ遊びたいけど、目蓋が重くなると言うか、意識が遠くなるというか、そんな感じでしたね。』


「そんなものなのかな?そう言えばイオリは、眠くなるとよくだっこーって言って来てた気がするけど。」


『あれは・・・ご主人様が暖かくて安心するからですよ。』


 それは分かる気がするな。


 人の温かさって安心するよね。


 僕も、イオリから貰った暖かさがあったから、頑張ろうって気持ちになれた訳だし。


「それに比べたら、サオリはあんまり抱っこしてって言わないね。」


 それが何となく寂しく感じてしまう理由の一つなんだけども。


『確かに言わないですが、寝てる時にしがみついて来たりとか、ご主人様の膝の上に座ってたりだとかで、しょっちゅうくっついてきますよ?サオリちゃんはお寝坊さんなので、朝とか困っちゃう時もありますけど。』


「あー・・・なるほど。」


 言われてみれば確かに。


 偶に僕の部屋で寝る時も、朝起きたらいつの間にか服を掴まれていたり、抱きついていたりしているもんね。


 ・・・あれ?


 確か、イオリだって似たような事をしていたと思うんだけど・・・まぁ、それは黙っておくとしよう。


『・・・でも、それがちょっと羨ましいです。』


 僕が懐かしみながら思い返していると、イオリはそんな風にポツリと零しつつ少し暗い顔をして俯く。


 するとほんの少しの間、沈黙が流れた。


「・・・なら、イオリも膝にのる?」


 何となくイオリの様子に居た堪れなくなった僕は、ついそんな事を口走ってしまう。


 いやいや、何を言っているんだ?


 ・・・でもまぁ、偶にはいいのか?


『いえ、大丈夫ですよ。今の私重いですし。』


「大丈夫大丈夫。ほら。」


 最初は無理にするつもりは無かったのに、僕の言葉で真っ赤な顔になったイオリが可愛くてつい悪戯心が湧いてきてしまい、自分の膝を叩き座る事を促すも、イオリは頑なに拒み続ける。


「全然重く無いから大丈夫だよ。」


 実際は調整の為に、イオリはかなり細身で160センチぐらいしか無いにも関わらず、身長180センチを超えている僕の体重と大きくは変わらない。


 だが、その事を気にして食事の量を減らしたが為に、体調を崩した事がある彼女にとっては大問題なのだろうから、少し迂闊だったかもな。


 ・・・とはいえ、出来心もあり動こうとしないイオリを何とかして膝に乗せようとしたのだが、更に真っ赤な顔をしながら無言で抵抗されたからか、僕も半ば意地になってしまい、つい引き寄せる腕に力が入ってしまった。


 そうすると勢いがつき過ぎてしまった所為か、イオリの頭を僕の胸に抱き寄せる形になる。


『痛いです。』


 胸元から小声で抗議が聞こえてくるのも当然だろう。


「ご、ごめん。」


 少しやりすぎてしまったと慌てて自分の腕を離すが、イオリは動こうとはせずにもたれかかったままだ。


『あったかい。』


 そう呟くと僕の胴に腕を回すイオリ。


 僕は、自分の体温が上がっていくのを感じていた。


 お風呂上がりだからだろうか?


 目の前のイオリの髪から、凄くいい香りがする。


 とても同じモノを使ってるとは思えないくらい、女の子特有の甘い香り。


 その香りに誘われるように、思わず僕もイオリの背中へと手を伸ばす。


 すると、それを感じたイオリが微かに震え、僕を抱きしめる腕に更に力を込める。


 きっと時間にすると数分だったとは思う。


 早鐘を打つ僕の心臓の音がイオリには聴こえているであろう体勢のまま、彼女の体温だけを感じていた。




 少ししてハッとした僕は、背中に回していた腕を離してから彼女の肩を掴みそっと引き離そうとすると、僕を見上げるイオリと目が合う。


 ・・・イオリは潤んだ瞳で頬を上気させながら、無言で僕を真っ直ぐに見つめていた。


 そんな表情を見て、僕は思わず息を呑む。


 何か、言わないと。


 そう考え口を開こうとした刹那、不意に柔らかいモノが僕の唇に触れる。


 気付けば、先程までよりイオリの顔が近い。



 ーーーそれは、痛いくらい・・・彼女の想いが伝わってきた瞬間だった。





 それから、身体を離したイオリは何も言わず足早に居間を出て行く。


 突然の事に驚きすぎて僕は身動きが取れなくなってしまい、去っていく彼女の後ろ姿に声を掛ける事すらも出来なかった。


 居間に1人残された僕は暫くして仕方なく部屋へ戻るも、色々な感情が湧き、まとまらない思考が頭の中を駆け巡る。


 どうしてこうなった?


 一体いつから?


 僕はどうしたらいい?


 怒るべきなのか?


 何故?イオリは怒られるような事をしてはいないだろう?


 じゃあどうする?


 このまま、何事も無かった事にするというのはどうだ?


 ・・・いや、それは一番やっちゃいけないし、最もイオリを傷付ける選択肢だと、流石の僕にでも分かるぞ?


 では、どうしたらいい?




 何度も何度も同じ様な自問自答を繰り返し続け気付けば朝を迎えてしまい、仕方なく何時もの様に朝食の用意の為に台所に立つと、暫くして二人も現れた。


「おはよう2人とも。」


「あにうえ、おはようございます!」


『おはようございますご主人様。』


 声を掛けると挨拶が返ってきた為にいつも通りに見えるが、イオリの目は少し腫れているように見える。


 僕と同じで、眠れなかったんだろうな。


「どうしたのあにうえ?おなかいたい?」


「大丈夫だよ。それより、朝ごはんがもうすぐ出来るからお皿出してくれるかな?」


 きっと難しい表情をしていたのだろう。


 サオリにまで心配をかけてしまうなんて。


 これではいけないと思い、今はひとまず置いておいて、朝食を作り終える事にした。




 それから暫くの間、イオリが1人で部屋に居る時間が少し増えた事以外、表面上は今までと変わらない日常のように思えた。


 だが、イオリと話そうとしても、サオリが居る以上2人きりでと言うのも難しく、またイオリが一人の時に声を掛けようとしても、彼女は僕と目を合わせようともしない所為か、あの日のように2人きりになれる事もなく時は過ぎる。

 

 サオリがいたら、そこまで露骨に避けられている訳でも無いが、サオリの前で出来る話ではない。




 あの時悪戯が過ぎた所為で、幻滅でもされてしまったのだろうか?


 いや、最近気遣っていないから、愛想を尽かされた・・・とか?




 過ぎゆく日々の中、彼女の態度に僕はそんな不安を抱えつつも、ひたすらあの出来事を思い返しながら、必死で考え続け・・・そして、ある答えに辿り着く。


 だが、その後もイオリと二人きりになれる機会は訪れなかった。


 そうして、イオリと話してから十日程が経ったある日、痺れを切らした僕は思い切って行動に出る事を決める。




 逃げられないようイオリが部屋に1人で居る時に、話をしにいく。


 無論、サオリが寝ている隙にだ。


 ・・・伝えて、確認しなければ何も始まらないから。


 そして、時機はそう覚悟した日のうちに訪れた。




 お昼を3人で摂り、何時も通りサオリを膝にのせアニメを見始めたところで、イオリは昏い表情をして部屋で休むと言い席を立つ。


 居間に残った僕とサオリがアニメを見ていると、その内にサオリが舟を漕ぎ出し、ついには寝息を立て始める。


 少し揺すって声を掛け簡単には起きない事を確認してから、僕は起こさないよう慎重にサオリをソファーに寝かせ毛布を掛けて、イオリの元へと向かった。



 部屋の前に立ち、ノックをするも返事はない。


 少しだけ扉を開け中の様子を伺うと、布団が敷かれていてどうやらイオリも寝ているようだった。


 ・・・余り、眠れていなかったのかもしれない。


 起こさないようにそっと中へ入り、イオリに近づくと彼女が寝ている布団の横に座り、覗きこむ。

 

 何やら苦しそうな寝顔だ。


 起こすのは可哀想ではあるのだが、この間の件が夜に眠れない原因であると思うので覚悟を決め、イオリを軽く揺すってみる。


『んっ・・・』


 女性らしい艶めかしくもある声を出し、彼女はゆっくりと目を開ける。


 その様子に僕はドキドキしてしまう。


『・・・あれ?ご主人様?』


「うん、起こしてごめんね。」


『なんでここに・・・!』


 何故かと問いながら慌てて起き上がるイオリを、僕はいきなり抱きしめた。


『えっ?』


 一瞬、何が起きたのかわからなかったのだろう。


 成長したとはいえ、まだ幼さもあり、身体だってこんなにも細い。


 そんなイオリを壊さないように優しく抱きしめながら、僕は想いを伝える。


「この間の事は驚いたけど、嬉しかったよ。あの時は何も言葉が出なくて、余計にイオリを悩ませてしまったんだと思う。」


 彼女は今、どんな表情をしているのだろうか?


 確かめる勇気は、無い。


「ちゃんと、僕の気持ちを伝えなきゃって感じたから、こうしてるんだ。」


 それでも、僕は言わなきゃいけない。


 受け入れて貰えるかは、分からないけれど。


「大好きだよ、イオリ。」




 決して、昔の恋人に似ているからという理由などではない。


 まだ出会って2年と少しだけれど、僕にとってかけがえのない存在になってしまった女の子。


 これからも、ずっとずっと一緒に歩んで行きたいと願う女の子。


 ここ数日、僕が悩んで悩んで、悩み抜いた末に出た結論は、イオリを大切にしたいって気持ちだけだった。

 



 自分の側から居なくなっても・・・なんて思いもしていたけれど、何故か迷ってしまう理由を考えた時にただ格好をつけていたからなのだと、そんなのは誤魔化しなのだと僕は・・・あの出来事から何日も経って漸く気付く。


 女性らしくなっていくイオリから、いつの間にか目を離せなくなっていたのがいい証拠だ。


 それに、彼女がサオリにヤキモチを妬いていた事だって、正直に言うと・・・分かってはいたさ。


 しかも、それが子供が別の子供に向けるような幼さから来る感情などでは無く、もっと違う性質のモノである事には彼女の表情からも気付いていた。


 ・・・僕にも、覚えがあるからね。


 でも、二人の前で保護者の様に振る舞う事で、自分の気持ちにも気付いていないフリをし続けるしかなかったんだ。


 何故なら、そうしなければ僕は二人を公平に見られなくなってしまうから。


 イオリだけを見続けてしまったら、まだまだ幼いあの子はどうなる?


 僕は、そんなに器用じゃない。


 でも、もう気付いてしまったから誤魔化す事も出来やしない。


 避けられた理由が、嫌われてしまったからだとしたらその時はその時で、せめて兄として側にいさせてくれるように頭を下げるだけだし、そう努力すればいい。


 それが、僕の答えだ。

 



 自らの想いを告げた直後、腕の中のイオリが僅かに身動ぎをしたので、抱きしめる力が強すぎたのかと思い腕を離し、向かい合うように座りなおすのだが、彼女は無言で俯いたままで前髪が垂れている事もあり、僕からは表情がよく見えない。


 それから少しの沈黙が流れ、その間様子を伺っていると、微かにイオリの肩が震えている事に気付き大丈夫かと声をかけようとした時、ポタリと小さな雫が落ちた。


「イオリ?」


 名前を呼ぶも、返事はない。


 何故だかはわからないが、彼女の頭を撫でようと思い手を伸ばそうとした瞬間、勢いよく抱きつかれ後ろに倒れてしまう。


「いてて・・・。」


 後頭部を打った所為か思わず痛みを訴える言葉が口をついて出てくるけれど、次の瞬間僕に馬乗りになる形で見下ろす彼女の表情を見て、僕はそれ以上言葉が出なくなる。


 ・・・顔をくしゃくしゃにして、涙を流しながら僕を見つめていたからだ。



 嗚咽を零しながら僕を覗き込む彼女の頭へ、僕は無意識の内に手を伸ばすと、暫くの間撫で続けた。


 多分、泣き止んで欲しかったんだと思う。



『・・・怖かったんです。・・・サオリちゃんに、貴方を取られてしまったような・・・そんな気がして。』


 そうしている内に少し落ち着いたのか、ポツリポツリと呟くようにイオリは言葉を紡ぎ始める。


「イオリ?」


『私だけのご主人様だったのに!何で!?私だけじゃダメなの!?ここは私の居場所なんだから取らないでよ!!』


「それは・・・。」


 やはり、イオリはこの3か月弱の間、相当苛立ちを募らせていたらしい。


 ここまで感情を露わにするイオリは久しぶりに見た。


『・・・なんて、本当はこんな事言ったらダメなのは分かってるんです。サオリちゃんの居場所が、無くなっちゃう。』


 更に大粒の涙を零すイオリに、僕は言葉が出ない。


『でも・・・!それでも!私だって、どうしていいのか・・・!何なんですかこの気持ちは!?こんなの、私知らない!貴方を困らせたくないのに、自分が自分じゃないみたいで・・・』


「落ち着いて、ね?」


『・・・はい。』


 いい子だから・・・いや、サオリや僕の為に良い子であろうとしたから、僕では測りきれないほどの我慢を彼女に強いてしまったのかもしれない。


 こんなにも・・・細い肩に、その重圧は重かっただろうな。


『・・・これが、嫉妬なんだって事は頭で理解はしてます。この間、サオリちゃんに教えた時に気が付きましたから。』


 その感情そのものも、よく分かる。


 僕だって幼馴染の所為にして・・・いや、今は止そう。


『・・・それに、この何日も・・・本当に怖かった。』


「怖かった?」


『貴方に拒絶されるんじゃないかって、怖かったんですよ。嫌な顔されたらどうしよう?何であんな事したんだって怒られたらどうしようって・・・すっごく怖かったんです。』


「そんな事は、しないよ。」


 僕が否定をすると、イオリは首を横に振ってから少しだけ笑みを浮かべながら言葉を続ける。


『・・・そう言ってくれるのも、分かってるんです。貴方はとても優しいですから。・・・でも、貴方に見てもらえなくなるんじゃないかってほんの少し考えるだけで、私は・・・おかしくなっちゃうんじゃ無いかってぐらい、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって・・・それで、顔も見れなくなっちゃって・・・』


「・・・そっか。」


 それで僕を避けていたのか。


 ・・・嫌われた訳じゃなかったんだな。


『・・・だから、大好きだって言われて、うれしくて、あたま真っ白になっちゃって、泣いちゃって。でも、貴方に何とかして伝えたくて。・・・私、何がしたいんでしょうね?』


 独白を続けつつも、イオリは此処まで彼女を落ち着かせる為に撫で続けていた僕の手を取ると、軽く瞳を閉じながら自らの頬に当てがい、少し間を空けた後で髪の色とよく似た赤い色の瞳で僕を見つめ直す。


『・・・私も、貴方が大好きです。大好きなんです。だから、ずっと一緒にいてください。お願いだから、私だけを・・・見てください。』


 一呼吸空けてから思いの丈を告げ終えた彼女は再び目を瞑り、ゆっくりとした動きで寝転がっている僕の首元へと腕を絡め、僕の想いを確かめるように唇を重ねてくる。


 そうして僕達は、いきなりではない二度目のキスを交わしたんだ。




 顔に触れるイオリの長い髪が少しくすぐったくもあったけれど、20秒程はそうしていただろうか?


『長いキスって、ちょっと息しづらいんですね。』


 イオリは僕の頭を抱きしめたまま唇を離すと、代わりに額をくっつけ目を合わせながら照れ隠しにそんな事を言う。


「鼻で呼吸すればいいんだよ。」


 何て頓珍漢な返しなのだろう?


 もっと気の利いた事を言えないのか僕は。


『それもそう・・・ですね。じゃあ、もう一度・・・』


 そう言って、イオリが再び僕に唇を近付けようとした時ー


「あーにーうーえー!」


 サオリの叫ぶ声と共に、走り回る音が家の中に響く。


「あーにーうーえー!?どーこー!?」


 その瞬間、僕達は少し冷静さが戻ってきたのか、とてつもなく恥ずかしくなり、どちらからともなく離れてしまった。


 ・・・イオリの暖かさが名残惜しい気持ちも湧くが、サオリも放ってはおけない。


「ここにいるよー!」


 部屋の中からサオリにそう呼びかけると小さく、あっと言う声がすぐ側から聞こえたので思わずイオリを見ると、酷く残念そうな表情を浮かべ僕を見ている。


「すぐ行かないとね。」


 彼女にそう言ってから、僕はイオリのおでこにキスをして彼女の部屋を出た。


 少し・・・というか、かなりキザな事をしてしまったと身悶えしそうになりつつもサオリへ此処にいると再び呼びかけ、僕は居間へと戻る。




 それから10分程時間が経ち、居間でサオリとアニメの続きを見ていると遅れてイオリも居間へとやってくるが、表情は既に普段のイオリに戻っていた。


『まだ見てるんですか?』


 さも知らなかったと言わんばがりに、わざとらしくイオリがそう尋ねてくる。


 先程までとの違いに内心驚くも、態度に出す訳にはいかない。


「うん。サオリのお気に入りだし、まだ夕食までに時間もあるからね。」


「あねうえも、みる?」


 僕の右膝に乗ったサオリがイオリに問い掛けると、イオリは少し悩んだ素振りを見せる。


『そうですねぇ・・・夕飯の支度をするにもまだ早いですし、私も見ようかな?』


 彼女はそう返しながら何故か、空いていた僕の左膝に座り一緒にアニメを見始めたのだけれども、これ・・・僕から画面があまり見えないし、とても重いんだけど?


「ねぇ、あねうえー?」


『なぁに?サオリちゃん?』


「あにうえとなかなおりした?」


『うん。』


「よかったぁ。」


 サオリは気付いていたのか・・・。


 なのに、何も言わなかったなんて。


 ・・・女の子って、凄いな。

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