第9話 やきもち ①

 方舟に来てから2年が過ぎて、ついこの間僕は19歳となり、イオリに出会ってからは1年半以上が経った。


 12歳前後にまで成長したイオリとこれまで2人で生活をしてきたけれど、今日からは・・・3人になるんだ。


 勿論、イオリに手を出したという訳ではない。


『・・・懐かしい感じがしますね。』


「僕とイオリが初めて出会った区画・・・だからかな?」


『そうかもしれません。私が懐かしいと言うのは、おかしいかもしれませんけど・・・。』


「そんな事は無いんじゃない?イオリが懐かしく感じたって、僕はいいと思うよ?」


 そんな風に僕達は他愛の無い会話をしながら、培養槽のある区画を進む。


 イオリは僕と一緒に住み始めてから一度も訪れて居ないのだが、僕自身は2ヵ月程前から度々訪れている。


 2人目の女の子がこの培養区画で育てられているからだ。


『よかった。たった二年しか生きてないクセにー!とか言われたらどうしようかと思いましたよ。』


「そんな事思わないって。」


 ・・・だけど、イオリに初めて出会った時のように毎日通う事までは出来なかった。


 この区画と住居のある区画が丁度方舟の端と端にあるようで、途中に移動するための設備もなく徒歩と階段で移動するしかないため片道で二時間はかかってしまう事と、以前と違って農業を行っている都合もあるし、何よりまだイオリを一人にするのが心配だったというのが大きい。


 イオリを連れて行けば良かったのかもしれないが、この距離を何度も往復するのは僕でも厳しいモノがあったが故、ではある。


 まぁ、出来る限り通っては居たけどね。


 そう言えば、あの娘と初めて会った時にはイオリと違い既に僕の声や姿をしっかり認識していたようで、呼びかけたら直ぐに笑顔でこちらへ近づいて来たんだっけ。


 僕達から得られた情報より作成したプログラムとやらを利用して一年程言語等の教育を施したおかげらしいけれど、それを聞かされた時に少し・・・複雑な気分になったのを覚えている。


 彼女に余り時間を割けなかった事で、イオリだけを特別扱いしている様に僕自身が感じてしまい、悪い事をしてしまったという思いが湧いたからなのだが、それだけ・・・という訳でもない。


 そこについては、置いておこう。


 イオリの時よりも長く培養槽にいた理由は、僕やイオリの負担を軽減する為もあったようだが、それならそうと早くに教えておいて欲しかった。


 ・・・まぁ、知っていたとして夏まで僕はイオリだけで手一杯だったから、あの子に何が出来たとも思えないが。


 最初の頃にイオリのような子を複数生み出すと聞いていたのだから、こうなると想定をしておらずノアに聞かなかった僕が悪いのかもしれないけどさ。


『あの・・・ご主人様?どうかしました?そんなに見つめられると恥ずかしいですよ?』


 ・・・いや、待てよ?


 あの子に関しては、伴侶がどうこうと言われた覚えがないから、こんなにも悩む必要は無いのか・・・?


 いや、その考えこそイオリだけを特別扱いしているような気がする。


 それに今気付いたけれど、計画とは無縁だとするとあの子が生み出された目的は何だ?


 何故、僕の姿や声を教え込む必要がある?


 ひょっとして、農業の為・・・とか?


 ・・・いやいや、それではまるで大昔に居たという農奴だろ。


 流石にこんな考えは馬鹿馬鹿しい。


『・・・ご主人様?』


 なら、彼女も僕の伴侶とする為なのか?


 彼女が成長もしない内から?


 それこそ、巫山戯るなと言いたい。


 元よりイオリを僕の伴侶にするという話だって、まだ僕自身の気持ちもイオリがどう考えているのかも分からない訳なのだし・・・。


 じゃあ、あの子にはどう接したらいい?

 

 普通に接したらいいのか?


 いや、普通じゃないこの状況で普通も何もあったものではない。


 そもそもが余り子供と接した事が無い僕にはーーー

 

『・・・ご主人様!ご主人様ってばー!』


「え・・・?どうかした?」


 考えを巡らせていると、いつの間にかイオリが不機嫌そうな表情で、袖口を引っ張りながら僕を呼んでいた。


『どうかした?じゃ、ないですよ!さっきから話しかけてるのに、難しい顔をして!最近多いですよ!』


「あ・・・。ご、ごめん!」


 しまった。


 どうやら考える事に夢中になりすぎて、全くイオリの話を聞いていなかったらしい。


 しかも、その考えていた内容もよくよく思い返すと自意識過剰気味というか、何というか・・・自分本意すぎる。


 イオリの言う通りだな。


 サキとの思い出を整理して、自らの意思を確かめたばかりだというのに、まだ僕はこんなにも迷ってしまう。


『何か、考え事ですか?』


「いや・・・。」


『私には、話せない事・・・ですか?』


「本当に、何でもないんだよ。」


 ・・・寧ろ、さっきまで考えていた事をイオリに聞かせる訳にはいかないんだ。


 計画がどうのとか、イオリやあの子には気にして欲しくはないから。


 そんな事なんて気にしないで、キミ達の好きなように生きて欲しいから。


 それが、今の僕の素直な願い。


 僕がこの一年半イオリと共に過ごした事で学び、そして・・・この間のクリスマスに導き出した結論だ。


 この方舟や、計画とやらを作った人間の思惑なんて知った事か。


 結果、イオリ達が僕の側から居なくなってしまったとしても、もう既に沢山の物をイオリから貰った僕は、サキを失った時の様にはならないと今なら確信出来るからね。


 寂しさは、勿論あるけどさ。

 

『早く、大きく・・・なりたいな。そうしたら、きっと・・・』


「どうしたの?何か、言った?」


『な、何でもないです!・・・それよりも、どんな子なんですか?』


 また考え込んでいた所為かよく聞こえなかったので、浮かない表情のイオリへ問い掛けると、酷く焦った様子のイオリから逆に聞き返される。


 ・・・イオリをほったらかしてずっと考えっぱなしなのは良くないな。


「イオリの妹になるんだから、いい子だとは思うけど・・・。会いに行っても寝てる事が多くってね。」


『そうなんですか・・・?でも、それならどんな子なのか、ご主人様も楽しみですね!』


「そうだね。」


 イオリの言葉に同意を返しながら、話を聞いていなかった事の謝罪の意味を込めて隣を歩く彼女の頭を軽く撫でると、少しぎこちなさは感じるものの笑顔をこちらへ向けてくれた。



 そうして僕達は気分を変える為に最近二人で見たアニメ等の話をしながら培養槽のある部屋へと辿り着き、僕は腕に付けた端末を扉の横のパネルへと近づけロックを解除する。


「よし、開いた。・・・じゃあ迎えに行こうか。」


『はい!』


 ちなみに此処はイオリが居た所とは別の部屋で、ノア曰くイオリやあの子に使われているモノを含め、この船には合計で三機培養槽があるらしい。


 培養液の精製には多少時間がかかるようで、まだ同時に稼働させた事は無いとノアは言っていたが・・・。


 一人でも大変だったのにいきなり三人増えるとかじゃなくて、良かったよ・・・ホント。


 内心でそうボヤきつつも二人で部屋へ入ると、奥へと進み培養槽の前に立つ。


 どうやら今日は起きていたようで、僕を見つけると彼女は笑顔で近寄って来たのだが、隣に居るイオリに気付くとそちらに視線を向け、不思議そうな表情で首を傾げる。


 ・・・イオリの事を知らないのかな?


 若しくは、イオリを初めて見たからか・・・?


『私も、こんな感じ・・・だったんですね。』


 じっと見つめる女の子にイオリは笑顔で小さく手を振りながら、ポツりと零す。


「うん。イオリはもう少し小さかったけど。」


 今イオリは何を考えているのだろうか?


 淡い緑色の光に照らされたその横顔からは、何も読み取れない。


 夏ぐらいまでは分かりやすかったのに、最近じゃこういう事が増えてきた。


『ちゃんと、覚えてますよ。あの頃はまだ、ご主人様の事をはっきりとは分かっていませんでしたが。』


「そっか・・・。」


 一緒に暮らすのだから、やはりイオリを一度でも連れてきておくべきだったかな・・・。


 二人が仲良くなるまでに、時間が掛かったりしたらどうしよう?


『・・・そう言えば、この子は何て名前なんですか?』


 今まで連れて来なかった事を後悔していると、イオリが僕の方を見上げながら彼女の名前を尋ねてくる。


「あ、まだ言ってなかったっけ?」


 まぁ、敢えて秘密にしていたのは僕なんだけどね。


『聞いてないですよ!会うまでは内緒って言ったのはご主人様じゃないですかー!』


 とぼけたように返事を返す僕に、イオリは抗議の声を上げる。


 ちょっとした茶目っ気のつもりだったのだが、イオリは額面通りに受け取ってしまったらしい。


 こういう所は、まだまだ子供って事なのかな?


「冗談だって・・・。サオリって言うんだ。今日からイオリの妹になるんだよ。』


 そう考えると何故か安堵する気持ちが湧いてくるけれど、それが何なのかよく分からないまま僕は彼女の名前をイオリに教える。


『サオリちゃん・・・ですか。そう言えば今私の声って、サオリちゃんに聞こえてます?』


 妹という言葉にはイマイチピンときてはいない様子だが、僕の言葉でイオリはふと何かを思い立ったかのように問い掛けた。


 何かしたい事があるのかもしれない。


「ノア、今は僕達の声って聞こえてるのかな?」


 そう考えた僕は、ノアに確認をしてみる。


〈現在、その機能は停止しております。有効に致しますか?〉


「お願い。」


〈音声伝達が有効になりました。〉


 何をしたいのかは分からないが、きっとイオリには必要な事なのだろう。


「これで届く筈だよ。何か伝えたい事があったの?」


『はい。どうしても挨拶がしたくって・・・。私は、イオリ。今日から宜しくね、サオリちゃん。』


 僕がそう言うとイオリは頷き、培養槽の壁面へ手を当て、サオリへと笑顔を向け自己紹介をした。


 そんなイオリを、サオリは只ひたすらにじっと見つめ続ける。


 彼女には何か感じるモノがあったのだろうか?


 幾ら考えても僕では分かりそうにはないけれど、そんな二人の様子を暫くの間僕は眺めていた。





「・・・ノア、そろそろサオリを培養槽から出してあげて。」


〈かしこまりました。〉


 それから少し経ち、改めてノアに彼女を迎えに来た事を告げると、培養槽を満たしていた液体の水位が徐々に下がっていく。


 いよいよだ。


 僕とイオリが見つめる中、三割程液体が排出された辺りでこちらを見ていたサオリは漸く異変に気付いたのかパニックを起こしたらしく、手足を激しくバタつかせ始めた。


 ・・・このままで、本当に大丈夫なのか?


 その様子が溺れているようにも見えてしまい心配をするけれど、壁面が格納されるまではこちらから手を出す事が出来ない。


 身体の中も培養液で満たされているから、本当に溺れている訳で無いのは分かるが・・・。


 暫くして液体が抜けきると、培養槽の底部に彼女はぐったりと横たわる。


 唐突に感じるようになった重力の所為だろうが、どうにもまだ上手く動けないらしく、這い回るように手足を動かすのが精一杯のようだ。


 そうやってサオリを見守っている内に、今度は培養槽の壁面が音もなくゆっくりと床面へ吸い込まれていく。


 やっと動き出した壁面の上部へ焦りからか無意識に視線を向けていたら、いつの間にか彼女は少し身体を起こしていたのだが、次の瞬間彼女の口内から緑色の液体が溢れ出す。


『ご、ご主人様・・・サオリちゃん大丈夫なんですか・・・?』 


 その後もかなり苦しそうにえづき、何度も繰り返し培養液を口から吐き出し続けるサオリに不安を覚えたのか、イオリは青い顔で僕の服を掴みながら尋ねる。


「イオリも同じだったから、多分・・・大丈夫だよ。」


 イオリの気持ちは分かるが、今はまだ彼女に近付く事は出来ないし、ある程度は吐き出さないと呼吸もままならないようだから、可哀相だけど見守るしかないんだ。


 うん、分かってる。


 ・・・そう、解ってはいる。


 けど・・・!


 内心で苛立ちを募らせながら、下がっていく培養槽の壁と苦しそうなサオリへ交互に視線を向けていると、間もなく僕でも乗り越えられそうな程に壁が下がってきた。


 その事を確認した僕は、早る気持ちを抑えられなくなり持ってきた荷物をその場に置き、濡れた床に滑りそうになりつつも彼女へ駆け寄り、まだ液体を上手く吐き出し切れていないであろうサオリの背中を軽くトントンと叩く。


 イオリが培養槽から出た時とは少し違うがこれならば・・・と考えながら、背中をさすったり、背中を軽く叩いたりを繰り返して、彼女が上手く液体を吐き出せる様に介抱し続けた。


『大丈夫、ですか・・・?』


 イオリはどうやら先程から足がすくんでいたらしく、僕のように動き出せずにその場で立ったまま心配そうな声をあげる。


「大丈夫だよ。もう少しすれば落ち着くはずだから。」


 イオリを安心させるためにサオリの背中を撫でながら、なるべく優しく返した。


 呼吸さえ安定すれば・・・。


 そう考えながら暫く背中をさすり続けていると、まだ少し咳込みはするものの、次第に彼女の口元からぜーぜーと言う音が聞こえ始める。


 どうやら、少しずつ呼吸が出来るようになってきたらしい。


 それでも培養液は肺に多少残ってしまうらしいが、赤ん坊の肺液と同様に身体へ吸収される為、問題は無いとイオリの時にノアから聞いた覚えがあるので、口や鼻から呼吸が出来るようにさえなれば一安心だ。


 無事に呼吸を始めた事にホッと胸を撫で下ろすも、ふと視線を向けた彼女の腕が微かに震えている事に気付く。


「イオリ、小さなタオルを何枚か取ってくれないかな?」


『あっ!は、はいっ!』


 僕が声を掛けると、イオリは漸く我に返ったようだがまだまだ冷静さを欠いているらしく、鞄をその場に置いたまま中を急いで漁り、慌てた様子でタオルを数枚か持ってこちらへやってくる。


『これでいいですか?』


「うん、ありがとう。そうしたら中に大きなタオルも入ってるから、鞄毎持ってきて貰っていい?」 


 培養区間はかなり寒いから、まだ幼いサオリを濡れたままこの気温に晒し続けるのは、流石に忍びないからね。


『は、はい!』


 言い方が悪かったので、タオルを受け取りながら改めて荷物をイオリに頼み、僕は視線を再びサオリへ向け彼女の身体を拭きつつ、様子を見る。


 髪は緑色をしていて肩甲骨の下ぐらいにまで伸び、手足は細く、あばらも浮き出ているが、痩せすぎという程でも無い。


 まぁ、イオリも似た様な状態だったし、ノアに管理もされていた筈だから栄養状態は問題無いのだろう。


 年齢は、身長からすると・・・多分6歳くらいか?


 この辺りは一年もの間を培養槽で過ごした為だな。


 顔立ちについては、イオリの垂れ目に対して吊り目で、幼い中にも凛々しさを感じられるような、そんな印象を受ける。


 この子は将来、かなりの美人になりそうだ。


「へくちゅ!」


 気付けばいつの間にか僕はタオルを持つ手を止めていたらしく、目の前から聞こえた可愛らしいくしゃみで我に返ると、イオリが持ってきてくれていた鞄から大きめのタオルを取り出し、サオリを包み抱き抱え立ち上がる。


 イオリもそうだったけれど、この子もまだ歩く事は出来ないので、こうするしか移動をする方法がない為だ。


「さて、一度居住区画へ行こうか。ここは寒いから。」


『・・・はい、わかりました。』


 僕達の家は居住区画の大分先にあるから、ひとまず以前居た居住区画へと向かう事にした。


 ・・・にしても、イオリが不機嫌そうな顔をしているのは何故なのだろう?





「やっと着いた・・・。」


『ご主人様、大丈夫ですか?』


 居住区画に着き、呼吸が落ち着いたからかここに来るまでに眠ってしまったサオリをベッドに寝かせた後、疲労感で地面にへたり込んだ僕をイオリが心配そうな顔で覗き込む。


 まだ小さいとは言え、調整の影響の為に見た目より大分重いサオリを抱き抱えて30分も移動するのは、中々に骨が折れたので仕方ない。


 最後はイオリに手伝って貰いながら何とか背中におぶってはいたが、次は1時間以上かかる僕達の家に移動する訳だから、何かしらの手段を用意しなければ・・・。


 イオリを背負った時に使ったから持ってきたけど、おんぶ紐では彼女の体重を支えるのは難しいだろうしなぁ。


 ・・・だけど、そんな事より今はー


「流石に少し休ませてぇ。」


 想像していたよりも疲れてしまった僕は、思考を放棄しながら情けない声を上げ床にゴロンと横になる。


 久しぶりに居住区画で以前使っていた部屋に来たけれど、床に寝そべるのが汚いとか、そんな事すら考える余裕が今の僕にはなかった。


『休むのであれば、ソファーの方がいいのではないですか?汚れちゃいますよ?』


「大丈夫大丈夫、ちょっと伸びたかっただけだから。」


 イオリが困った顔でこちらを見るが、僕はそんな事構いもせずに寝転がり続けながら、重くなった腰をぐーっと伸ばす。


 そうしていると、行儀悪いですよとイオリに再度注意されたため、寝転がるのをやめ上半身だけを起こした。


『それにしても、サオリちゃんよく寝てますね。』


「苦しい思いをしたから疲れたんだと思うよ。イオリもそうだったし。」


『・・・苦しかった事だけは覚えてます。』


 記憶が残ってはいても、殆どパニックを起こしていたので他の思い出程には覚えてはいないようだ。


 まぁ、無理もないと思う。


 何たって、イオリは窒息しかけていたのだから。


 ・・・だから、あの時は僕も中々に大変だった。


「イオリはまだ小さかったから、培養液を吐き出させるのに苦労したなぁ。』


 それもあったから、サオリはもう少し培養槽で成長させたのかもしれない。


『サオリちゃんも辛そうでしたけど・・・。私はもっと酷かったって事ですか?』


「うん。サオリは自分で吐き出してたからしなかったけど、イオリの時は中々吐き出せないみたいだったし、後ろからお腹の辺りに腕を回して抱えながら、何回か圧迫するってやり方をやったんだよ。子供への応急処置にあるやり方だね。」


 確か、幼い子供が誤飲で喉を詰まらせたりした時にやる方法だった気がする。


 あの時はノアに教えられながらだったけど、その後念の為にしっかり覚えようとして読んだ子供への応急処置の本にも、そんな事が書いてあった筈だ。


『・・・後ろから?・・・どんな風にやるのか、教えて貰っていいですか?もしかしたら、サオリちゃんが必要になるかもしれませんし。』


「構わないけど・・・此処で?」


『はい。』


 どうしてだか、赤い顔をしながらもイオリは頷く。


「んー・・・まぁいっか。・・・イオリの時は確か、まだ小さかったからこうやって座りながら膝の間にイオリを座らせて・・・って!」


 本来は子供の身長に応じて立ったりもするようだからと、少し思案をしたがそんなに知りたいならばと思い直し、膝を伸ばして座りながら僕がイオリにした処置の説明をし始めると、何故かイオリが無言で僕の膝の間に座る。


「ねぇ、イオリ?何も本当に座らなくてもいいんじゃない?説明しづらいよ?」


 何がしたいんだ?


『そ、それでこの後・・・どうするんですか?』


 ・・・聞いちゃいない。


 別にいいけどさ。


「こうやって、後ろから・・・」


 ・・・あれ?いや、ちょっと待て。


 今のイオリにやるとなると、これじゃ・・・。


『・・・後ろから?』


「肋骨の下辺りに、こうやって腕を回したら・・・」


 これじゃあ、後ろから抱きしめてるようにしか見えなくないか?


 ・・・まるで、恋人同士がするかのように。


「組んだ手をお腹の中心に当てながら身体毎後ろに引っ張るようにして、培養液を吐き出させたんだ。詳しくは家に本があるから、帰ったら読むといいよ。」


 漸く、今どういう体勢なのかに気付いた僕は不覚にもドキドキしてしまい、説明もそこそこに慌ててイオリから離れようとしたのだが、その刹那此処に来るまでに動き回った所為か、僕のお腹の虫が盛大に騒ぎ出す。


『あっ・・・。そう言えば、そろそろお昼ですね。』


「・・・ここで昼食にしようか。」


『はい、わかりました。』


 至近距離だった為にイオリに聞こえていない筈も無く、二つの意味での恥ずかしさを誤魔化すようにお昼の提案をすると、彼女は真っ赤な顔でクスクスと笑いながらも家から持って来た荷物の中から水筒と何かの箱を取り出し、お昼の準備を始めた。


「今日のお昼は何かな?」


『今日は、嵩張らないようにサンドイッチにしました。』


 出掛ける前に僕はタオルやらサオリ用の服やらを用意して鞄に詰め込んでいたので、食べる物はイオリに任せたのだが、荷物が重くならないようにと気を利かせてくれていたらしい。


「イイね!タマゴサンドある?」


『はい、勿論ありますよ。ご主人様はタマゴサンドが好きですから用意してます。』


「やった!」


 まだまだ幼いのにこういう細かい気配りが出来るイオリは、将来いいお嫁さんになる。


 結婚をした事もないクセに、内心で何故かそう確信する僕だった。


 



 昼食を食べ終えてひと心地着いた僕達は、もう暫く此処で休む事にする。


 寝転がった時には気付かなかったのだが、一年半振りに訪れたにも関わらず部屋の中は清掃が行き届いているようで、塵一つ見当たらなかった事もあり、食休みを兼ねてゆっくり休めると判断した為だ。


『サオリちゃんのお昼は本当に要らなかったんですか?』


「うん、まだ固形のものは食べれない筈だから。」


 イオリもそうだったのだけれど、サオリも最初数週間はお粥やゼリーのようなものしか消化が出来ないようだ。


 それにまだ消化器にも培養液が多少残っている筈で、それらが吸収されるまでの何時間かはお腹も減らないみたいだしね。


『そうなんですか?・・・そういえば私も、おかゆを食べてましたね。』


「覚えてるの?・・・僕、最初作り方知らなくてさ。ノアが収集してた本を貰って、それを見ながら必死でやってたんだよね。」


『はっきりと覚えていますよ。ご主人様が料理するのに、あたふたしてた事も。』


「そこは、忘れてほしいかな?」


 一緒に暮らし始めた直後を思い返し悪戯っぽく笑うイオリに、自らの失敗を覚えられていた恥ずかしさからか、僕は顔が熱くなるの感じながらもそう返す。


 しかし、僕は自我がハッキリとはしていなかった小さな頃の記憶なんて殆ど無いというのに、イオリは随分と明確に色々覚えているように思える。


 この記憶力もひょっとしたら調整の影響なのか?


 ・・・いやいや、また同じ事を繰り返すなよ。


 気恥ずかしさと、再び思考に飲まれそうになったのを誤魔化す為に、僕は話題を変えてみる事にした。


「・・・イオリと、こんな風に会話出来る日が来るなんてあの頃は思わなかったよ。それも・・・こんなに早く。」


『そうなんですか?』


「うん、成長が早いとは聞いて居たけれど、いざこういう風に会話出来るようになると、不思議な感覚だね。」


『んー?』


 最近は減ってきていたが、前からよくわからない時に出る口癖は相変わらずなのだなと思うと、上手く言葉で表現出来ない感情が再び僕の中に湧く。


「だって、最初の頃はすぐに泣くし、怒って物に当たり散らかすしで大変だったんだから。」


『それは覚えてますが、ご主人様が構ってくれなくて寂しかったからですよ?」


 僕がつい揶揄うような口調で言うと、イオリはバツが悪そうに顔を伏せてしまう。


 ・・・そんな顔をさせたかった訳じゃ無いのに、僕はもう少し考えて言えないのだろうか。


「ごめんごめん、そんなに悪く言うつもりじゃないんだ。ただ・・・。」


『ただ?』


「誰かと一緒に居るって感じがして、その思い出すら、今思うと楽しかったって言うのかな?」


『んー?』


 どうにも上手く伝えられないのが、もどかしいな。


「イオリから元気を貰ってるというか・・・あーー、何て言えばいいんだろ?・・・とにかく!僕は、イオリと一緒に居たいって事なの!」


 何を言いたいんだ僕は?


 いつか、彼女達は僕の側から居なくなってしまうかもしれないのに。


 よくわからないけど、これが父性ってヤツなのか?


『そ、それは・・・す、すきって、こと・・・ですか?』


「うん?それは勿論。僕はイオリの事が好きだよ?」


 それとも歳の離れた妹がいたら、こんな感じなのかな?


 妹ともちょっと違うような気がするが・・・。


 赤い顔で僕に問い掛けたイオリに、またしても余計な事を考えつつ答えると、彼女は更に耳までも真っ赤に染めながら押し黙る。


「さて、そろそろ片付けないとね。」

『・・・両思いって事かな。』


 その所為か僕は何となく気不味くなり、そろそろ帰る準備をしようかとイオリへ提案した時、ほぼ同時に聞き取れないぐらい小さな声で彼女も何かを呟く。


「ん?なにか・・・」


 話しかけていた所為で、イオリが何を言ったのかが分からず、聞き返そうとした時ーーー


「あーー!」


 僕が大きな声を出してしまった所為なのか、物音で目を覚ましたのかは分からないけれど、サオリが手をバタつかせながら泣き声のような声を出しつつ、こちらを見ていた。


「あらら、起きちゃった。」


 僕は慌ててベッドに行き、サオリの様子を見る。


 しかし、泣いたりしているわけではなく、こちらに手を伸ばし僕を呼んで居ただけのようだった。


「んーー。」


 僕が近寄ると、安心したかのような声を出しながら更に手足をバタバタとさせる。


 構ってほしいのかな?


「よしよし、サオリは元気だねぇ。」


 優しく言いながらサオリの頭を撫でる。


「うーー。」


 凄く嬉しそうだ。


 暫くそうやって頭を撫でていると、心地良かったのか再びサオリは眠ってしまったらしい。


「そろそろ帰ろうか。晩御飯はサオリの分も作らなきゃいけないし。」


 そう言いながらイオリの方に振り返ると、イオリは何故か物凄く頬を膨らませて僕を睨んでいた。


「ど、どうしたの?」


『なんでもありません。帰るんですよね?残り片付けますね。』


 恐ろしく抑揚のない声でそう言い、イオリも帰る準備を始める。



「あっ、そうだ!紐だけじゃなくて、タオルで補強すればいけるんじゃないかな?」


 イオリが何に怒ったのかが分からなかったが、帰り支度をしている間にそんな呑気な事を僕は思い付いたのであった。

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