Ⅱ 探し物には悪魔の助力を

「――さてと。どうしたもんかなあ……」


 総督府からの帰り道、俺は歩きながら腕を組むと、大きく首を捻って考え込んでいた。


 盗まれたダイヤの捜索を引き受けたのはいいが、まさかその期限が三日後――つまり残された時間は正味二日しかねえとはな……。


 普通に聞き込みして捜したんじゃ、とてもじゃねえが間に合わねえだろう。


 となれば、もう魔導書を使って悪魔の力に頼るしかねえ……。


 魔導書グリモワー……それは、この世の森羅万象に宿る悪魔(※精霊)を召喚し、それを操ることで自らの願望をかなえるための技術が書かれた魔術の書。


 無許可ながら、俺もそいつを一冊持ってるってわけなんだが、ここに一つ問題がある。


 俺の持ってる『シグザンド写本(巻末付録『サアアマアア典儀』付き)』てえのは魔導書の中でもケッタイな代物で、魔除けや悪魔祓いに特化しているために悪魔を召喚する術についてはまったくもって記されちゃいねえときている。


 だから人気がなくて値段も安く、貧乏な俺でもなんとか買えたんだが、つまりはこれで願いをかなえることはできねえってことだ。


「仕方ねえ。ここは爺さんに頼んでみるか……」


 俺はその最後の手段に思い至ると、裏路地にある探偵事務所へ帰るよりも先に、その建物の一階にあるオンボロな本屋へと足を向けた――。




「――というわけなんで爺さん、なんか失せ物探しに向いてる魔導書ってねえか?」


 俺が二階の部屋を借りて自宅兼事務所にしているその本屋の爺さんは、好々爺のような顔をしていながら、じつは裏で魔導書の写本を非合法に売ってるという大悪党だ。


 かく言う俺が魔導書を買ったのもこのジジイからだったりする。


「おぬし、〝怪奇探偵〟などと名乗ってるくせに相変わらずそういった知識についてはからっきしだな。それなら基本中の基本、『ソロモン王の鍵』にいい魔術が記されておるぞ? ま、失せ物というより盗まれた物とその犯人を捜す魔術だがの」


 俺が助言を求めると、爺さんは眉をひそめて嫌味を言いつつも、即答でそれを教えてくれる。


「うるせえ。俺は知識より実践型なんだよ…ってか、まさにピッタリじゃねえか! とにかく時間惜しい。そいつをすぐに出してくれ!」


 『ソロモン王の鍵』……無知な俺でも知っている、メジャー中のメジャーなよく知られた魔導書だ。基礎的な悪魔召喚魔術の方法が記されているので、その道の入門書としても使われている。


 だが、その使い勝手ゆえに人気があり、つまりはお値段もそれなりにしていたりする。清く貧しい俺には高値の花だ。


「けど、知っての如く俺には金がねえ。そこで、買うってわけじゃなく、ちいとばかし貸してくれるだけでいいんだが……」


「なに? 買うではなく貸せとな? 禁書の貸本屋など前代未聞だぞ? うちではそういう商売はやっておらん。早々にお引き取り願おうか」


 そこで、素直に懐事情を口にすると無理を承知で頼み込むが、爺さんはさらに眉をひそめて俺をさっさと追い出そうとする。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! この仕事がうまくいきゃあ、たんまり報酬も入るはずだ。そしたら借り賃も溜ってる家賃もちゃんと払うからよう。じゃ、じゃあ、分割払いで買うってのでどうだ? もちろん全額支払い終わるまでは借りてもちゃんと物は返すからさ」


 いまやその魔導書の有無が、この依頼を解決できるかどうかを握る重要な鍵となっている……俺は慌てて食らいつくと、さらに譲歩して交渉を続けた。


「うーむ……ま、そういうことなら貸してやるか。ただし、貸し賃は相応にもらうぞ?」


「そうこなくっちゃ! 任せときな。その魔導書さえありゃあ世界一のダイヤ、このハードボイルドな怪奇探偵、カナールさまが必ず取り返してやるぜ!」


 色好い爺さんの返事にパチン! と指を鳴らすと、俺は不敵な笑みを浮かべてそう嘯いてみせた――。



「――ええと……全能の主よ! 我に憐れみをかけたまえ! 主の力によりて霊達に命じ、盗人を見つけ出したまえ! そんでもってその盗まれた品の在処ありかを教えたまえ!」


 深夜、俺は郊外にある朽ちかけた石造りの空き家へ忍び込むと、準備万端、『ソロモン王の鍵』に記された魔術儀式を独り執り行っていた。


 金も時間もねえんで正式な服装じゃねえが、最低限必要な左胸の金の五芒星ペンタグラムと、右裾の仔牛の革製六芒星ヘキサグラム円盤はちゃんと着けている。ちなみにやっぱり闇本屋の爺さんが、魔導書の付録として売っている商品をタダで拝借してきたものだ。


 また、足下の石畳の床には大きな同心円と正方形、その四つ角に小さな四つの同心円を組み合わせた魔法円を白チョークで描いてある。


 よくよく考えたら俺に依頼するよりも先に、この魔術を魔法修士(※魔導書を専門に研究している修道士)なりなんなりにさせればよかったような気もするが、まあ、そうして公の人間を使うとこの大失態が上に知られる心配があったんだろう。


「主の名によりて現れた霊たちよ、我が探し物の在処を示したまえ! ……よーし、こんなもんでいいかな? さて、次いってみよう……」


 何度か召喚の呪文を唱えた後、俺は茶匙一杯の香を炉で焚くと、刑場から失敬した吊るし縄で吊るしたふるい・・・を左手で回転させながら、同時に右手に握った月桂樹の若枝で、清潔なブリキの盥に満たした泉の水をふるい・・・とは反対方向へ掻き回す……。


 そして、ふるいが回転を止めるのを待ってから、じっと盥の中の水を覗き込んだ。


「……ん? おお! 来た来た! 来たぜ! 来やがった!」


 すると、波立つのを止めて鏡面の如く静かになったその水の上には、見慣れたサント・ミゲルの街の風景からとある裏通りの景色へと画面が切り替わり、さらにその通りを進んだ所にある宝飾店の店構えへと次々に映像が浮かんでは消えてゆく……。


 さらにその薄暗い店の中で巨大な青色のダイヤを店主に手渡す、若い船乗り風の男の姿まで水面の上に映し出された。


「こいつがその盗んだ航海士か。なるほどな。この店で速攻金に変えたってわけだ……んんっ!?」


 こうして俺は悪魔の力で盗まれたダイヤの行方と、その犯人の姿を無事拝めたわけなんだが、次の瞬間、予期せぬ展開が盥の中で繰り広げられる。


 なんと! ダイヤを渡して代金の銀貨を確認していた航海士が、背後から迫る店主に棍棒で滅多打ちにされたのだ!


「あ〜あ、こいつは逝っちまったな……どいつもこいつも悪党ばかりかよ……」


 もとより明らかに盗品とわかるものを取り引きしているので闇市場マーケットの商人に違えはねえが、まさかその取り引き相手をぶっ殺してただでダイヤを手に入れるとは……まったく、なんて極悪人だ。


「ま、犯人が変わっちまったがダイヤの在処はこれで突き止めた。あとは直にお伺いして回収するだけだぜ……ありがとよ、悪魔さん達!」


 ともかくも、予想以上に『ソロモン王の鍵』の魔術が功を奏し、知りたいこと以上のことを知れた俺は、どこかその辺にいるであろう姿の見えない悪魔達に礼を述べると、今夜は家へ帰るために儀式の片付けを始めた。

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