第十二歌 罪の報いは宴のあとに・3
飲んだ瞬間の、舌を刺す奇妙な味。けれどもそれは毒ではなかった。
「なのに、まさかシャルルが飲むなんて……」
皇帝が去った後、ディエナを書斎に呼んで事情を聞けば、彼女は泣きながら素直に謝った。
「もういい。大したことはない」
そのまま我慢して歌うのには苦しかったが、シャルルはディエナを許した。
「ねえ、ディエナ……」
まだ涙で目を潤ませたままのシトリューカが聞いた。
「どうして、クロワを……罠にかけようとしたの?」
「あなたのせいよ、シトリューカ」
泣きじゃくりながらディエナは言う。
「あなたが私の大切な人を殺したから、同じことをしてやりたかったの。クロワは、あなたの許嫁だったヨナディオ王子なんでしょ」
シトリューカは一度目を伏せた後、再びディエナを見つめ直した。
「……教えて、ディエナ。私があなたの大切な人を殺したのはいつ? きっと、どこかの戦場ですね?」
「ボンサンジェリーに戦場なんてなかった!」
ディエナが叫んだ。
「私たちはみんな平和に暮らしてたのに! あなたたちが攻めてきたせいで、私の家族は、みんな……」
言葉を失って泣きじゃくるディエナを、シトリューカは悲しみと当惑の入り交じった目で見つめている。
「お前は誤解をしている、ディエナ」
シャルルが言うと、ディエナは顔を上げた。
「ボンサンジェリーを亡ぼしたのは、サン=セヴァチェリンではない」
「嘘よ! だって兄様の軍は、『戦場の女神』と戦うって! その直後に敵が来たんだもの!」
「『兄様』?」シトリューカは、その一言を聞き逃さなかった。「それじゃあ、あなたは……」
ディエナは頷いた。
「私はディエナ・サンジェリー、ボンサンジェリーの王女だった。皇太子イハールは私の兄よ」
それを知ったとき、シャルルは思わず
「……ディエナ、私の話を聞け」
イハール皇太子は確かにシトリューカと戦ったが、策にかかってすぐに退却したこと。その主力軍が不在の隙をついて、シャルルがボンサンジェリーを攻めたこと。シャルルの話を聞くにつれて、ディエナの表情が凍りついていく。
「……シャルル、バエンニュラ城に火をかけたのも、あなたの指示なの?」
「私ではない。だが……」
焼き討ちを命じなかったのは、シャルルが慈悲深いからではない。火が嫌いだからでもない。王族たちを皆殺しにした後に接収するためである。かの国で配下の将兵が働いた悪逆非道の振る舞いを看過して、シャルルは次なる策謀のためにゼアテマ王のもとへ向かったのだ。
「私が受けるべき報いだ」
シャルルにとって、その言葉は自然と出た。
ディエナは酒瓶に毒を入れるべきであった。そうすれば復讐が果たせたのだ。しかしすでに遅きに失し、彼女は泣き叫びながらシャルルの頬を何度も打つことしかできなかった。
口中が切れて血の味がしても、シャルルは抵抗しなかった。シトリューカも止めなかった。
それでいい。大した痛みではない。ふたりの姫が経験した苦しみに比べれば。
最後にシャルルを思い切り突き倒し、ディエナは書斎を出て行く。「愛してる」と笑ってくれた少女が扉を閉ざす。その音は、シャルルの耳に重く響いた。
「……どうして、毒かもしれないお酒を飲んだの?」
シトリューカが差し伸べた手を、シャルルは取らなかった。
「この屋敷の誰かが酒に毒を入れたなら、主人たる私の責任だ」
「だからって……」
「ここは戦場ではない。宴席に殺人など不要だ」
いや、要か不要かという問題ではないのだ。
潤んだ榛色の瞳に見つめられて、シャルルもあの日の光景を思い出す。
旅装のままでベーテルウォールの山上に馳せ参じたゼアテマの王子。剣の腕はシャルルと比べるまでもなかったが、愛に突き動かされて恐れず向かってきた。敵ながら立派な人物であった。彼こそ、シトリューカの愛を受けるにふさわしい。
シャルルは書棚を見上げた。たくさんの書物とともに、先ほど久しぶりに弾いた竪琴がシャルルを見下ろしている。昔と変わらぬ澄んだ音色は、シャルル自身の心にも染みわたっていた。
「……貴女の愛する人を、二度も殺したくはなかった」
正直な思いがこぼれ落ちたとき、乙女の瞳が新しい涙を落とした。
これ以上、シトリューカの視線に晒されるのは耐えがたい。シャルルは彼女の答えを待たずに立ち上がり、寝室へ逃げ込もうとした。
「待って」
シトリューカはシャルルを呼び止め、思いもよらぬ言葉を口にした。
「……ありがとう。ヨナディオを助けてくれて」
感謝の言葉は、かえってシャルルの背中を鋭く突き刺した。自分がそれに値しない男であることを、よくよく分かっているからだ。皇帝陛下のためと言いながら、自ら道を踏み外して償いきれぬほど罪を重ねた愚かな男。
シトリューカには憎まれていたかった。憎まれていれば、芽生えかけたくだらない望みを潰してしまえる。いつかこの美しい人が自分を許し、ともに生きてくれるのではないかと、浅はかな希望を抱かずにすむ。
ただ、たとえ彼女に許される日が来ても、自分が自分を許す日は永遠に来ない気がした。
シャルルは何も答えなかった。そうして着の身着のままで真っ暗な寝床へ入ると、空しい腕を縮めて固く目を閉じ、長すぎる夜をひとりで耐えたのであった。
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