第十二歌 罪の報いは宴のあとに

第十二歌 罪の報いは宴のあとに・1

 やあ、こんばんは。

 あんたともかなり長い付き合いになったね。

 私の歌物語を欠かさず聴きに来てくれて、本当にありがとう。

 いつだって私は、あんたに心を込めて語ってきた。でも今夜はこれまでで一番、力が入りそうだ。

 ……いやいや、今夜で終わり、ってわけじゃないんだけど、ね。



   許す人、許される人


   けして許されることのない人


   いまだけ声を重ねて歌え


   罪の報いは宴のあとに



 人気ひとけのなくなったロザールの大広場。その片隅で長い髪を夜風になびかせ、クロワはほとんど満ちかかった月を見上げていた。

 今日はここが野営地だ。グライスとバンチェッルは背後でやけ酒を飲んでいる。なんでクロワだけ皇帝に気に入られるんだ、と。

「……クロワ、ちょっといいかい」

 マールが声をかけた。クロワは歌う以外に話せないと知っているが、そんなことは気にしない。

〈あんた、ゼアテマのヨナディオ王子だろ?〉

 突然ゼアテマ語で話しかけてきたマールに、クロワはわずかに目を丸くした。

〈その顔。あたしの言ってること分かってるね? あんたの考えてること、だんだん分かってきたよ〉

 自慢げに笑うマールは、まるで少女のようであった。

〈あたしは長いこと旅してたから知ってる。ゼアテマの王子様は、サン=セヴァチェリンのお姫様と相思相愛だったってね。……でも、王子様は帝国との戦で死んで、お姫様はいまあのヴァルカンっての奥方だ〉

 マールもクロワと一緒に月を見上げた。ヴァルカン邸への慰問は明後日の夜。その頃には、月もすっかり丸くなっているだろう。

〈あたしには生まれてこのかた、恋人なんていたことがない。踊りと結婚したようなもんだからさ。でもあんたの歌を聴いてると、たったひとりのことを思い続けるってのがどういうことか、分かる気がするんだ〉

 クロワはうつむいた。彼は言葉が話せないだけでなく、表情もほとんどない。それでもマールはクロワの声を聞いているかのように、うんうんと頷いた。

〈やっとお姫様に会えるんだ。悔いのないようにしなよ〉

 力強くクロワの背を叩いて、マールは立ち上がった。クロワの顔はもう見ない。彼がどんな答えを返したいか、マールには分かるからだ。


* * *


 吟遊詩人クロワが、ヴァルカン邸に来る。

 皇帝の使者を待つまでもなく、その報せは当日中にレナンによってもたらされた。女たちはみな美しい吟遊詩人の訪れに心を躍らせているが、初めディエナの反応は薄かった。

「あれっ、『だから何?』って顔ですねえ、ディエナ様」

「ディエナでいいよ。同じ使用人だったんだし」

 本当は一国の姫だったのだが、それもまたどうでもいいことだ。

「わざわざ部屋まで報せに来てくれたところ悪いけど、別に興味ないわ。私にはシャルルがいるし」

「あらまあ、言うわねえ」

 レナンは以前同様の軽口に戻った。

「でも、もし私の聞いてきた噂が本当なら、これはあんたにも無関係な話じゃないと思うよ」

「どういう意味?」

 そこでレナンが語ったことは、なるほど興味深い話であった。クロワは、かつてシトリューカの許嫁であった亡きゼアテマ王子ヨナディオに瓜二つだというのだ。

「奥様はクロワに興味津々だったよ。いま思えば、奥様も噂を知ってたんじゃないかね。……そうだ、きっと前に来た怪しい客が報せたんだよ。ねえ、どう思う? もし噂が本当なら、旦那様と奥様と、その昔の恋人が大集合するんだよ! 面白いことになりそうじゃない?」

「……そうね。面白いことになりそう」

 レナンは無責任に妄想の翼を羽ばたかせている。ディエナの考えは、全く別の方へ向かっていた。


* * *


 書斎の窓から、夜空に満月が上っているのが見えた。

 皇帝の一存で決まった吟遊詩人クロワの慰問に、シトリューカの心は揺れていた。

 使者が贈り物とともに報せを持ってきたときは、シャルルは皇帝の強引さに半ば呆れながらも、温かい心遣いに対する感謝を伝えていた。その唇には微笑さえ浮かんでいた。彼はクロワがどんな人物なのか知らないのだ。自分が殺したはずの男が目の前に現れたら、いったいどんな顔をするだろう。

 一方シトリューカは、クロワとの出会いを素直に喜べないでいる。焼け残った白いドレスと髪飾りで着替えを済ませても、まだ一階へ降りる気になれないでいる。

 恐れているのだ、クロワに会うことを。もしもクロワがヨナディオとは似ても似つかぬ別人だったら、今度こそヨナディオの死を受け入れなければならなくなる。

 ではもし、クロワが本当にヨナディオだったとしたら――?

「何をしている」

 シャルルの声が、シトリューカの頭をよぎった考えを吹き飛ばした。

「じきに皇帝陛下がお見えになる。早く降りて来い」

 シャルルはいつもの軍装の上に、白く輝く絹の羽織物と、七色の腰帯を巻いている。皇帝陛下から贈られた見舞品だ。夏の夜には不要なはずの衣装を、皇帝への謝意を表するために身にまとっているのだ。

 さらに、シャルルは本棚から竪琴を取った。

「……クロワに弾かせるのですか?」

 シトリューカはまだ、シャルルもかつて竪琴の名手であったことを知らない。

「素性の知れぬ吟遊詩人などには触らせん」

 シャルルに続いて、シトリューカも一階へ降りた。

 厨房が焼けてしまったので、皇帝とクロワをもてなすための料理と酒は北東の使用人部屋で慌ただしく支度されている。といっても、そのほとんどは皇帝から分け与えてもらったものばかりで、城の料理番たちが作った豪勢な料理を配膳するだけだ。今日は皇帝のご厚情で、使用人も全員ご馳走にありつける。重傷を負ったゼペルとクララも、杖を突きながらどうにかやってきた。皇帝が勝手に決めた宴だが、火事以来不便な思いをしている皆の心が少しでも華やぐなら、悪くはないとシトリューカは思った。

「レナン、私にも手伝えることはないかしら」

 シトリューカがそう申し出たのは、クロワの登場を前にじっとしていられない気分だったからだ。ドレス姿では大した手伝いはできないが、気が紛れるならなんでもよかった。

「それじゃあ奥様、申し訳ないんですが、二階のディエナの部屋からお酒を持ってきていただけませんか? 陛下からクロワにって珍しいお酒を頂いてるんですが、この部屋は手狭だから、上にいっとき置かせてもらってるんです」

「分かりました」

 再び二階へ上がり、ディエナの部屋をノックする。ディエナはまだ中にいるはずだが、返事がない。聞こえないのか、眠っているのか、それとも無視されているのだろうか。

「シトリューカです。入りますよ」

 一言断ってからドアを開けると、ディエナが驚いた顔でこちらを見た。レナンに頼まれて酒を取りに来たことを伝えると、ぶっきらぼうに四角い小瓶を押しつけてくる。瓶は頭にガラスの球体がついたコルク栓によって封じられ、中には琥珀色の液体が入っている。

 どうしてディエナに嫌われているのだろう。正室の立場に嫉妬しているのだろうか。しかし、ディエナが敵意を向けてきたのは、シャルルの側室になるよりも前、使用人としてここへ来たときからだ。

 シトリューカは半ば追い出されるように部屋を出た。酒瓶を渡すと、レナンは首を傾げた。

「どうかしたの? レナン」

「いや、なんだか蓋の締まりが緩いような気がしたんですけど……まあ、そういうこともありますかね」

 そのとき、「奥様、皇帝陛下がお見えです」と呼ぶ声がした。

 ギオン皇帝は、数名の近衛兵とともに黒塗りの馬車で現れた。玄関先に現れた皇帝を、シトリューカはシャルルとともに最敬礼で迎え入れた。クロワの姿は、まだ見えない。

「陛下、この度は、私どものためにこのような場を設けていただき……」

「よいよい、そのような堅苦しい前置きは」

 シャルルの挨拶を、皇帝は笑って遮った。

「クロワなら、もうじき来るはずだ。……今日の『観客席』へ招待してくれるか?」

 皇帝が吟遊詩人の晴れ舞台に選んだのは、屋敷の中ではなく屋根さえ焼け落ちた厨房跡地であった。炭になったがらくたは片付けられているが、黒焦げの梁や崩れた壁がむき出しで、観月かんげつの宴というにはいささか殺風景だ。だが確かにここなら、夜空に輝く満月がよく見える。焼けなかったありったけの布を敷いただけの観客席が、焚き火を囲んでクロワの訪れを待ち構えている。

 皇帝も使用人も、ディエナも、次々に集まってきた。

 シトリューカはシャルルの右隣だ。いやおうなく胸がざわめく。シャルルが顔の火傷のない側を向けたまま、横目で訝しげに見たが、彼は何も言わない。

 ――もし、クロワが本当にヨナディオだったとしたら、シャルルの隣にいる私をどう思うかしら。

 野ざらしの宴席に、強い風が通り抜けた。

 思わず頭を覆って、その後再び顔を上げたとき。

 彼は、そこにいた。

 昔から青みがかって見えた髪はかなり伸びて、少し色褪せて見える。肌は夜の中でも青白く浮かび、潤みがちだった大きな瞳は暗く乾いている。

 竪琴はシトリューカの知らないものだし、服は風砂に晒されてすっかり汚れている――それでも。

 彼が挨拶もなしに奏で始めた竪琴の旋律で、シトリューカは確信した。

 間違いない。ヨナディオだ。

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