第十一歌 いまも炎に焼かれたままで・3

 シャルルのもとには、毎日多くの貴婦人が人目を忍んで訪れた。上品な外見とは裏腹にみな過激な加虐的嗜好の持ち主ばかりであった。

 汚れひとつない美しい男娼もいたのに、彼らはシャルルにしか興味を示さなかった。娼館にとって男娼は高価な商売道具なのだ。傷物にすると高い金を払って弁償しなければならない。けれどもすでに傷物のシャルルなら、遠慮なく痛めつけられるという理屈である。

 そういう客の相手には当然苦痛が伴った。シャルルを殴り、鞭打ち、刃物で切りつけ、汚物や罵詈雑言を浴びせた。シャルルの身体に残る傷は、戦場よりもベッドの上でつけられたもののほうが多い。竪琴を弾いて歌ってくれと頼んでくる客など、ひとりもいなかった。

 シャルルがもっとも嫌がったのは蝋燭であった。溶けた蝋を肌に垂らされる痛みなら、ほかのことと大差ない。ただ、火を見ると母に殺されかけた日のことを思い出して身体が動かなくなるのだ。

「火が嫌いなんです、やめてください」と懇願するのは、客をいっそう興に乗せるだけでまったく逆効果であった。結局歯を食いしばって耐えるしかないのだ。男娼になって、火はいっそう苦しい思い出に彩られた。

 そうして泣き叫ぶシャルルの姿を見て客が悦んだ後で、いよいよに及ぶ。客を満足させなければ、もっとひどい目に遭うし、女主人にも罰された。しかし満足させれば、客に気に入られて何度も指名される。どちらに転んでも、シャルルが苦しみから解放されることはなかった。

 娼館は貧民街よりもひどい場所であった。確かに人並み以上の衣食住は保証されるが、人間としての尊厳は与えられなかった。耐えかねて脱走を図った男娼や娼婦は、すぐに捕まって見せしめとして殺された。ここから穏便に逃げ出せるのは、大金をはたいて身請けしてくれる客が現れたときくらいだが、そんな幸運は滅多に訪れない。期待するだけ無駄であった。

 シャルルには女性客がみな母と同じに見えていた。みな可憐な姿の裏に、冷たく残忍な欲望を隠している。毎晩ろくに眠れなくなり、眠れても悪夢を見る。心が安まるときなど訪れなかった。

 やがてシャルルの身体に異変が起きた。女を相手にするとどうしても身体が反応せず、最後まで仕事をやり遂げられなくなった。

「シャルル、あんたはもうお客を取らなくていいよ。ここを出て、どこへでも好きなところへお行き」

 女主人にそう告げられたとき、シャルルは喜ぶどころかかえって震え上がった。

 商品として不要だと、そう言われているのだ。娼館を出たところで、平和に暮らせるはずがなかった。貴婦人たちのおぞましい性癖をいやというほど知っているのだ。きっとすぐに口を封じられるに違いない。

「僕はずっとここにいたいです。男のお客さんを取らせてください」

 まったく望んではいないことだったが、生きていくためにはそう言うしかなかった。


* * *


 地獄のような男娼の暮らしは、シャルルが十五になるまで続いた。

 あるときシャルルは、いつもと違う客を案内した。客はまるまる太った裕福な古物商で、大きな箱を抱えていた。本当はシャルルとは別の男娼を目当てに来たのだが、その男娼は少し前に悪い病気にかかって働けなくなり、娼館を去っていたのだ。商人は「それは残念だなあ」と、大して残念でもなさそうに言った。

「いいものが手に入ったから見せてあげようと思ったのに。あの子、竪琴が上手だったから」

 商人はベッドに腰かけると、木箱を開けた。

 箱の中身は、なんと父の形見のあの竪琴であった。五年前、火事の日に母が持ち去ったはずだ。それがなぜ、いまここにあるのか。

 ――売ったんだな、金欲しさに。

「その竪琴、僕に譲ってくださいませんか」

 母に対する憎悪が閃き、シャルルはそう口走っていた。

「いやいや、これは売り物だからねえ」

「どうかお願いします」シャルルは目の色を変えて懇願した。「その竪琴は、父の形見なんです」

「なんと、それは本当かね? ……だとしてもね、いまは私のものだよ。私が大金を払って買ったんだから。ものすごく高かったんだよ。君を身請けしたってお釣りが来るくらいの額だ」

 そんな金はとても自力では用意できない。客が男娼に払う金は、全部娼館に巻き上げられている。

「それなら……せめて一度だけ弾かせてください」

 商人はシャルルの願いを聞き入れてくれた。

 シャルルは父の竪琴で、父がよく歌ってくれた子守歌を弾いた。けれども、最後まで歌い切ることはできなかった。幸せだったころの記憶はいまのシャルルを苦しめるばかりで、何の救いももたらしてくれない。

 歌はやがて嗚咽おえつに変わった。商人も一緒に涙を流してくれた。ここに来る客は嫌な人間ばかりだと思っていたが、中には情が深い人もいるのだ。それでも大金をはたいて買った竪琴をただで譲ってくれるほど、彼はお人好しではなかった。

 代わりに、商人はこんな提案をした。

「……そうだ、私の知り合いに、君みたいな子を探している人がいる。上手くいくかは君次第だが、その人が君を気に入れば、代わりに竪琴の代金を支払ってくれるかもしれないぞ」

「何でもします。僕にその人を紹介してください!」

 シャルルはこれから訪れる恐ろしい仕打ちを覚悟した。だが古物商が連れてきたのは、いままでで一番シャルルを大切にしてくれる客――当時はまだ皇太子だった、今上帝ギオン・ド=ギオークであった。


* * *


 それから後のことは、いまのシャルルを見ればおおよそ見当がつくだろう。シャルルはギオン皇太子にたいそう気に入られ、古物商から竪琴を買い戻してもらうばかりか、身請けまでしてくれたのである。

「なんと美しい!」

 皇太子はシャルルを一目見てそう言った。火傷の痕が目に入らないわけではない、むしろそれがあるからこそ美しいのだと。

 それは皇太子が持つ一風変わった嗜好に過ぎなかったが、それでも美しいと言ってくれる人は初めてであった。

 決して聡明とはいえないし、その血筋ゆえに何の悪意もなく他人を見下す欠点もあるものの、シャルルは皇太子の素直さを深く愛した。皇太子も、決して自分を愚昧だと侮らないシャルルのことを気に入ってくれた。

 当時からギオーク帝国は近隣諸国への野心を見せており、ギオン皇太子も先帝の命によって一軍を任されていた。シャルルが軍人になったのは皇太子のためだ。まずは皇太子付きの副官となり、先帝が崩御してギオン帝が即位すると将軍に取り立てられ、貴族位まで与えられた。

 シャルルは形ばかりの将軍になりたくはなかった。きちんと戦功を挙げ、あの地獄から救い出してくれた陛下に報いたかったのだ。文字すら満足に読めなかったシャルルが兵学を修め、皇帝の情夫と後ろ指を指されながらも勲功第一の将へ上り詰めたのは奇跡的であった。

 地位や名誉に興味はなかった。重要なのは、皇帝陛下のために有用な人間であること、ただそれだけであった。

 戦争は気弱で心優しい少年に務まる仕事ではなかったが、好き嫌いを言っているわけにはいかない。初めシャルルはあえて悪辣に振る舞うことで、恐怖や罪悪感を隠し通した。だが本性を隠すための仮面はやがて素顔と分かちがたく食い込み、少年を冷酷無比の大将軍に育ててしまった。

 それでもシャルルは、竪琴を処分することはできなかった。竪琴はギオン皇帝から受けた恩義と愛情の証だったからだが、彼自身がかつて持っていた純粋な心の証でもあった。それは長いこと忘れ去られていたものだったのだ――女神が、嫁いでくるまでは。

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