第十一歌 いまも炎に焼かれたままで

第十一歌 いまも炎に焼かれたままで・1

 やあ、こんばんは。

 こないだは確か、ヴァルカン邸に、クロワが招かれることになったところまで話したね。

 ギオン皇帝が、「シャルルも竪琴を弾いて歌ってた」と言っていたね。

 今日は、シャルルの若い頃について話をしよう。

 貧しい農村に生まれた少年が、帝国軍の頂点に立つまでの昔話を……。



   父を失い、母に捨てられ


   その苦しみから救われても


   竪琴を捨てた少年は


   いまも炎に焼かれたままで



 ギオーク帝国軍の大将軍シャルル・ド=ヴァルカンは、生まれたときシャルル・ヴァルカンであった。苗字の前に、貴族の家系を示す定冠詞はなかった。貴族位を得たいまでも、他人からは「ヴァルカン」と呼ばせている。

 シャルルはヴィラージュという名の貧しい農村の子であった。もっとも「ヴィラージュ」というのは、住人が自分たちの住む地域を指してそう呼んでいただけで、実際は「村」という意味のギオーク語でしかない。ギオーク帝国には無数の「ヴィラージュ」がある。帝国政府が与えた正式名称はシャルルも知らずじまいで、いまとなっては彼がどの村の出身だったのかは分からなくなってしまった。

 シャルルの黒い髪と美貌は父親譲りである。父はかつて旅の吟遊詩人であったらしいが、立ち寄ったヴィラージュの田舎娘と運命的な恋に落ち、竪琴を捨てて代わりに鍬を取った。

 シャルルもおぼろげながら父を覚えている。背の高い男だった。野良仕事のせいで手はいつも汚れていたが、竪琴弾きだっただけあって指は長く美しかった。顔はもうはっきりと覚えていないが、おそらくいまのシャルルによく似ていたのだろう――シャルルと違って父には火傷の痕がなく、よく笑う快活な人であったことを除いては。

 ヴァルカン一家はほかの農民同様に貧しく、家は木造のあばら屋だったが、ひとつだけ高価な宝があった。竪琴である。父が吟遊詩人であった頃に、とある国の王族に褒美として与えられたものであった。遠い異国の名工によるもので、ブナ材を弓なりに削り出した胴体に、細かな花模様が彫り込まれていた。糸巻きには翼の生えた美しい女性を象った小さな木像がついている。父が言うには、音楽を司る女神なのだそうだ。

 父は村人たちから頼りにされていた。村祭りの日に父が竪琴を奏で、豊穣ほうじょうを願って神に歌を捧げると、必ず豊作になったからだ。おかげでシャルルが物心ついてから十歳になるまで、ヴィラージュはずっと飢え知らずであった。気候の厳しいギオークの農村では、実に珍しいことである。

 祭りの日以外は、竪琴はシャルルの手が届かない棚の一番上に飾られていた。

「父さん、僕にもあれを弾かせてよ」

 シャルルはいまでこそ身体強健な剣の達人であるが、幼い頃は病弱であまり外に出られなかった。日がな一日家の中で過ごす退屈を紛らわせたくて、竪琴を使わせて欲しいとよく父にせがんでいたが、父は「貴重な竪琴だから、よく練習してからでないとだめだ」と触らせてもらえなかったし、竪琴の弾き方を教えてもくれなかった。父は毎日畑の世話で忙しく、そもそもわびしい農村では竪琴など手に入るわけがなかった。もしかしたら、父は初めからシャルルに竪琴を教える気などなかったのかもしれない。

「だめよ、あなた。竪琴なんて覚えたら、私の可愛いシャルルがどこかに旅立ってしまうでしょ」

 シャルルは父よりも母のことをよく覚えている。小柄でくせのない栗毛で、息子がいるというのにまるで少女のように幼く見えた。いつも優しく穏やかで、シャルルのことをとても大切にしてくれていた。自分が大切にされていたことを、シャルルはよく知っていた。

「そうは言っても、男の子はいつか独り立ちするものだよ。シャルルだって、元気になったらいろんなところを旅してみたいだろう?」

 息子が父の問いを肯定するより早く、母の手が伸びてきた。

「それは、あなたの話でしょう? シャルルは違うもの。ね?」

 母に抱きしめられて頬にくちづけされると、幼いシャルルはもう母に従う気になった。

「うん、僕はずっと母さんと一緒だよ」

「ありがとう。母さんはシャルルがいなくちゃ、生きていけないわ」

「やれやれ」と父が苦笑いをし、「シャルルに母さんを取られちゃったなあ」とぼやくまでがお決まりの家族団欒だんらんであった。

「シャルルは本当に、父さんの若い頃にそっくりね。すごくかっこよかったんだから」

「おいおい、いまでも僕はかっこいいだろ?」

 父が苦笑いを浮かべた。

「そうね」母は笑った。「少しおじさんになっちゃったけどね」

 聡明なシャルルにはなんとなく分かっていた。母が自分を溺愛するのは、父によく似ていたからだと。

 母は老けていく夫よりも、日に日に成長していくシャルルに、かつて激しく身を焦がした大恋愛の面影を見ていたに違いない。もちろんそれは、夫が老けてもなお尽きせぬ愛情あってこそだ。母は夫を愛し、夫に似た息子を愛し、そしてまた息子に似た夫を愛した。そうして幸せな日々が、いつまでも続いていくと思われた。

 ところがシャルルが十歳のとき、突然父が亡くなった。畑仕事をしている最中に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。近所の人から報せを受けた母はその場で泣き崩れた。その姿があまりにも痛ましく、シャルルも胸に深い悲しみを抱えながらも、涙を流すことができなかった。

「母さんには僕がついてるから。ずっと一緒だからね」

 シャルルがまだ小さな身体で母を抱きしめると、母は「ありがとう」と繰り返し言って泣いた。

 だが幼いシャルルが母のためにできることなど、そう多くはなかった。身体の弱いシャルルには、畑仕事はもとより十分に家事を手伝うこともできなかった。母にはシャルル以外に身寄りがなく、父の遺した畑を耕すしか生きていくすべがなかった。

 父が亡くなった途端、ヴィラージュは大凶作に見舞われた。父の歌に何か魔道の力があったのか、それとも偶然かは分からない。

 毎年の豊作に慣れ切っていた村人たちは、翌年に備えて蓄えを残す知恵を忘れ去っていた。作物はわずかしか取れず、人々は近くの山や川へと食糧になるものを探しに行かなくてはならなくなった。

 母もそうすべきであったが、病弱なシャルルを置いたままでは長く家を空けられない。初めは村人たちの好意で食糧を分けてもらっていたが、やがて母の代わりに知らない老婆が家へ来てシャルルの世話をするようになった。

「まったく、あんたはとんだ足手まといだねえ、シャルル」

 シャルルが熱を出して寝込んでいるとき、老婆は無遠慮に毒づいた。

「あんたさえいなけりゃ、あんたの母さんは再婚できるのに。こぶ付きの寡婦やもめで、しかも息子は死んだ旦那にそっくりときたもんだ」

 狭いヴィラージュでは、何かもが筒抜けだった。

 シャルルの母は最近、食糧探しを口実にある男と逢瀬を繰り返している。亡き夫のことなどすっかり忘れてその男に入れあげているが、相手は子持ち女との結婚を躊躇している――ぺらぺらと語る老婆の口調は、どこか母を非難しているように聞こえた。

 母の秘密は、ただでさえ空腹と発熱で弱り切っていたシャルルの心を鋭く抉った。

「……僕がいらないなら、母さんは僕を捨ててくれていいのに」

 そう答えたら、老婆は大いに鼻を鳴らして嘲笑った。

「あんたはものも知らないんだねえ、シャルル。母親が子どもを捨てるなんてのはね、この世で一番やっちゃいけないことなんだ。病気か事故かで勝手におっんじまったならしょうがないが、生きてる実の子を見殺しにするなんて外道げどうだよ、外道」

 シャルルは目を見開き、嫌々ながらも汗を拭ってくれる老婆を見つめた。

「……僕が、勝手に死ねばいいんだね?」

 これには老婆もさすがにぎょっとしたようだ。

「いやいやいやいや、あのね、そういう意味じゃないよ。だいいち自分で自分の命を捨てるなんて、それこそ外道中の外道だよ」

「……そっか。そうだよね」

 ――母さんが楽になれるなら、僕は外道でもいい。

 胸の中に閃いた思いを、シャルルは微笑の内に隠した。

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