第八歌 ひそかなたくらみの芽吹く夜・3

 最近は毎晩のように、石女うまずめの薬を運ばされる。三人の側室に、代わる代わる。

 レナンからこの薬が何なのか説明されたときは、心底ぞっとした。品行方正だった兄と同じ顔をしたシャルルが、子作りのためでない交わりを繰り返していることに身勝手な怒りを覚えた。

 側室たちは揃いも揃って、ディエナら使用人を人とも思わぬ気取った高慢ちきな女たちばかりだが、夜が来ると、彼女らは階下の使用人部屋にも届くほどに高い声で鳴く。まるで豚が鞭打たれているみたいだと使用人たちは笑うが、姫であったディエナは豚の鳴き声を聞いたことがなかった。

 正妻シトリューカの部屋には、いまのところ薬を届けたことがない。あの女はもうシャルルに抱かれたのだろうかと下卑た想像をするとき、ディエナの憎しみはいや増した。

 イハールの顔で、イハールを殺した女と交わるなんて絶対に許せない。この憎悪はなぜかシャルルではなくシトリューカに向いた。彼女もギオークとの戦争で、シャルルに婚約者を殺されたらしいが、同情などできようはずもない。ボンサンジェリーを亡ぼしておいて、自分だけが悲劇を背負っているような顔をしないでもらいたい。――まだディエナは、自分が祖国滅亡の経緯を誤解しているとは知らなかった。

 その日もディエナは、シャルルの使いで薬包を届けた。奥から三番目の部屋にいるのは、確かニーナとかいう名前だ。側室三人の中で、夜中に上げる声が一番大きい。隣の部屋の正妻に聞かせたいのだ。

 ドアをノックしてみたが、いつもの気取った返事がない。一言断って中を窺うと、ニーナは枕に顔を埋めてしくしくと泣いている。

「あの……ニーナ、様?」

 恐る恐る声をかけてはみたが、やはりニーナは何も答えなかった。

 この様子では、今夜のお勤めは無理だろう。ディエナは薬包を使用人部屋に持ち帰り、城から戻ってくるシャルルを待った。

 夕食後に書斎を訪ねたとき、ディエナはその傍らにいるシトリューカに構わずシャルルを呼び立てた。頭に来るくらいの美貌に、かすかに困惑の色が見える。

「あの……ニーナ様は、今日はお加減がよろしくないようで」

 耳打ちするとき、ディエナの胸は高鳴った。シャルルの冷たい金色の視線の奥に、優しい兄の面影がちらつく。

 シャルルはディエナから薬包を受け取ると、何も言わずニーナの部屋に向かう。ディエナも後を追った。彼はノックもせずに部屋へ押し入り、ベッドの上で震える側室の傍らに立った。

「シャルル様、お許しください、どうか……」

 ニーナは何度も繰り返すばかりであった。

「医者には行ったのか」

 シャルルは静かな声で話しかける。気遣いではない、尋問だ。ニーナはためらいがちに頷く。

「子どもができたのだな?」

 その答えを、もうシャルルは知っているようである。

「ニーナ、お前はもう不要だ。夜が明けたら、この屋敷から出て行くがいい」

 冷淡に言い放つシャルルに、ディエナは絶句した。

 側室に石女の薬を飲ませて好き放題その若い身体を貪り、子ができたら放り出すのか。薬の効果なんて絶対ではないし、そもそも子どもを産むための側室が言いなりに飲んでいるはずがない。そのくらい分かっているくせに、この仕打ちはあんまりだ。

「……ちょっと待って、ください。こんなの、ひどい……です」

 震える拳を握りしめ、ディエナは言葉を選びながら抗議した。

「出しゃばるな、ディエナ。何も知らぬ下女の分際で」

「いいえ、知っています! 男女がまぐわえば子どもができるに決まっているわ!」

 思わず語調が荒ぶった。率直すぎる物言いに、さしものシャルルも驚いて眉をひそめている。

「やめて、ディエナ」

 ニーナが震えながら身を起こした。

「全部私が悪いの。……シャルル様の仰せの通りにします」

「でも」とディエナが食い下がったとき、肩をシャルルに強い力で掴まれた。

「ディエナ、お前は『なんでもします』と言ってここへ来たのだったな? それなら、今夜はお前がニーナの代わりをせよ」

 見下ろすシャルルの視線からは何の感情も読み取れなかった。ディエナの肉体を品定めするでも、また反抗的な下女を罰するようでもない。

 何と恐ろしいことを言うのだろう――それなのに、その瞳はイハールとそっくり同じでディエナを血迷わせた。

 この男は兄ではないが、兄の代わりにはなるのではないか? 恐怖と期待とが入り交じって、ディエナの背中の傷にぞくぞくと寒気を走らせる。

「……いいわ。あなたの寝室に連れていってちょうだい」

 ディエナは意を決して右手を差し出した。

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