第八歌 ひそかなたくらみの芽吹く夜・2

「先般の献策は見事だった」

「復讐」は当たったらしい。夜中にわざわざシャルルが部屋を訪れてきて、今後も必要に応じて有用な策を提供するように、などと高慢な態度で命じてくるほどに。

 要するに、相談に乗ってくれと言っているのだ。いまさらになって同衾どうきんする気でも起こしたのかと身構えたシトリューカは、内心の安堵を隠して強気な笑みで応じた。

「協力すれば、私を外出させてくださる?」

「それは別の話だ」もない即答だ。「貴女は私に対して、駆け引きや交渉ができる立場ではないこと、お忘れのようだな」

「あなたこそお忘れのようね、シャルル」

 シトリューカは夫を睨み返す。

「帝国がわが国を亡ぼす気がないのは分かりきったこと。であれば、私がここに大人しく縛られている理由があるでしょうか?」

「外出の自由を得たいなら、私の居ぬ間に不審な真似をせぬことだ」

 誰かからミゼルのことを聞きつけたのだろう。話を逸らして弱味を突いたつもりかもしれないが、シトリューカは緩んだ言葉尻を逃さない。

「あら、まるで『場合によっては外出の自由を与えてやってもいい』と仰っているように聞こえますわ。本当はもう許してくださる気になっているんじゃなくて?」

 シャルルの無表情がわずかに歪む。駆け引きや交渉ができないのは彼のほうだ。シトリューカが守らねばならないのは祖国だけである。大将軍が妻に助力を望まねばならない帝国の状況を鑑みれば、しばらくは心配はいらない。嫌なものは嫌だと言ってよいのだ。ほんの少しだけ、手元に自由が戻ってきた。

 ついにシャルルは小さく息を吐いてこう言った。

「……いいだろう。月に一度、昼間に監視つきの外出を許可する。ただし、役に立つ策を出してからだ」

「その約束、必ず守ってくださいね。ゼアテマのように、騙し討ちはなしですよ」

 シャルルは返事もせずに部屋を出たが、朧月おぼろづきの色に曇った瞳を見れば、彼が約束を破る気でないのは明らかであった。

 翌日から、シトリューカはたびたびシャルルの書斎へ招かれるようになった。シャルルが城から戻ってきた後だから、たいていは夜が更けてからだ。ついにふたりが真の夫婦になったのではと、レナンあたりは興味津々のようであったが、もちろんそんな話をシトリューカからするわけがない。

 話の内容は、主に帝国が侵略によって手に入れた新たな領地を、どうすれば効率的に守れるかという相談であった。

 やはりシャルルは、自分の近くにランプや燭台を起きたがらない。机を挟んでともに地図や資料を眺めるが、シトリューカの手前ばかりが明るかった。

 シャルルと話をして分かったのは、彼は攻める戦については知悉ちしつしているものの、守る戦の経験は決して多くはないということだ。領土を奪うのは簡単でも、維持するのは大変だ。彼は大将軍として拡大しすぎた版図はんとの隅々にまで目を配らねばならなかった。まして地理や気候やその地特有の文化を把握するのは至難の業である。彼自身決して口には出さないが、重すぎる負担にじわじわと疲弊しているのが見て取れた。

 いい気味だ、と少しは思う。自業自得だ、とも。ギオーク帝国は、皇帝の野心が赴くまま他国を呑み込み、分不相応に腹を膨らせた蛇だ。いずれ消化不良を起こして身を亡ぼすだろう。

 だが本人に自覚があるかないかは別として、なるべく少ない出費で、いかに領民に反乱を起こさせないかを考えているときのシャルルは真剣そのものであった。

「ここ、フィーラン北端のノルボーラ港あたりは、海上の守りが手薄なように見えますが」

 シトリューカの言葉に、シャルルも頷いた。

「全く同感だが、いま軍艦を新造する余力はない。それにフィーランは海から来る外敵よりも、内陸の守りを優先すべきだ。モーア卿のような煽動者が現れれば、……」

 どうやら彼は、シトリューカが思っていたような人殺しを楽しむ冷血漢ではないらしかった。ある夜のこと、シャルルは片眼鏡を磨きながら、突然思いがけぬことを言ったのだ。

「貴女はよほど戦が好きなのだな」

「私が?」

 シトリューカは思わず目を見開いた。

「少なくとも、あなたほどではないつもりですけれど?」

「どう守るかを考えるとき、同時に自分ならどう攻めるかを考えているはずだ。違うか?」

 シトリューカは言い返せなかった。図星を突かれたからだ。作戦を考えるとき、われ知らず胸が躍っていたのは確かだ。けれどもそれは、大陸の平和に貢献できるからだと思いたかった。

「貴女をけなしたいわけではない。むしろ評価している。私も貴女と同じで、不要な戦は避けたいのだ」

 シャルルの口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。

 ならばもっと早く、シャルルは無闇な侵略を止めるよう皇帝に進言するべきだったのだ。サン=セヴァチェリンやゼアテマは攻められずにすんだかもしれないのに。シトリューカもいまごろヨナディオと結婚して、ロンドシア城で幸せに暮らせていたかもしれないのに。

「どうした」

 シャルルの向けた視線が、感傷的になっていたシトリューカを冷静にさせた。

 ――この男にも人の心があるのなら、自分がしたことを後悔することも有り得るのだろうか。

「いえ、何でも」

 さっと目尻の涙を拭ったが、シャルルには見られてしまったらしかった。

「もういい、今日はこれまでだ。部屋に戻れ」

「はい。おやすみなさい」

「……待て、シトリューカ」

 部屋を出て行こうとしたとき、シャルルはシトリューカを呼び止めた。机から立ちもせず、顔も上げず、彼は初めて妻の名前を呼んだ。

「外出したいときは、必ず事前に私に報せるように」

「……はい」

 条件つきとはいえ、シャルルから外出の許可を引き出せた。

 ヨナディオに似た吟遊詩人に会いに行けるかもしれない。けれども嬉しい気持ちはさほどに起こらなかった。

 シトリューカはベッドに戻った後も、すぐには眠れなかった。やがて二つ向こうの部屋から、大袈裟な喘ぎ声が漏れ聞こえてきた。

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