第八歌 ひそかなたくらみの芽吹く夜
第八歌 ひそかなたくらみの芽吹く夜・1
こんばんは。突然だけど、人間は誰しもひとつやふたつ秘密を持っているもんだよね。
あんたにだってあるだろう? ……いやいや、言わなくてもいいよ。
でもね、どんなに隠し事をしたところで、お月様には全部お見通しなんだよ……。
男はとらわれの姫を思い
少女は閨で真実を知る
救うべき人を救うため
ひそかなたくらみの芽吹く夜
私が、あなたをお救いいたします。
シトリューカの前で思わず口走った言葉が、ミゼルを突き動かしていた。
久しぶりに対面したシトリューカは相変わらず美しかったが、その表情は絶えずヨナディオ王子を失った悲しみと、その仇ヴァルカンの妻として閉じ込められている鬱屈のために翳っていた。かつては満月のごとく輝いていた乙女が、いまや欠けてゆく下弦の月のようだ。
姫をあの屋敷から助け出し、もう一度ヨナディオ王子に引き合わせてさしあげたい。それがミゼルの使命となった。自分が命拾いしたのは、そのためだと信じた。
ミゼルはウェルケを名乗り、ロザールの貧民街に身を寄せていた。華やかな大陸一の繁華街の裏で、同じく奴隷崩れの仲間らとともに汚れ仕事をして
仕事がない日は残飯を漁って食いつなぐこともあった。「うちで働かないか、楽な暮らしができるよ」と派手な赤いドレスを着た宿屋の女主人に色目を使われたこともあるが、ゼアテマの武人たる誇りが女相手に身体を売るのを許さなかった。
ヨナディオ王子らしきあの吟遊詩人を、ミゼルはあれから一度も見かけていない。しかし彼は必ずこの街に来るはずだと確信していた。
ロザールには中央広場があり、昼夜問わずリオラント中から旅芸人や吟遊詩人が集まってその技芸を競う。あの吟遊詩人の一座も、路銀を稼ぎながらここへ向かっているに違いない。彼が現れるまでに、シトリューカを屋敷から救い出しておきたい。――いや、一刻も早く救い出さねば、いつヴァルカンの気が変わって、あの美しい方から純潔を奪い取ってしまうとも知れぬ。
だが、ひとりでシトリューカを救うのは無理がある。屋敷には警備兵が常駐しているし、使用人たちの目もある。貧民街の人足仲間はほとんどが敗戦国からの流れ者で、帝国やヴァルカン将軍に恨みを持っていない者を見つけるほうが難しかったが、かと言って誰彼構わず協力を求めるわけにはいかない。計画を口外せず、冷静に遂行できる人間を見極めなければならなかった。
オーディルという男に出会ったのは、ちょうどそんなときであった。
「お前、ゼアテマ人だろ? 俺と一緒にヴァルカンの野郎に復讐しねえか」
少しまとまった金を手にしたミゼルが、情報収集と仲間捜しを兼ねて立ち寄った安酒場でのことだった。隅の席で
「俺はボンサンジェリー人だ。バエンニュラ城の近衛兵だった。あの薄汚えヴァルカンは、イハール皇太子殿下があんたの国を攻めている隙を狙って、俺たちの国へ攻め込んできやがったんだ」
ミゼルははじめオーディルを信用しなかった。確かにボンサンジェリー風の訛りはあったし、みすぼらしい格好はお互い様だが、王に近侍していた者とは思えない、汚い言葉遣いが気に入らなかった。
「私はヴァルカンに復讐したいとは思わない。ほかを当たってくれ」
「おいおい、また『戦場の女神』を見殺しにするのか?」
ミゼルは酒瓶を口元へ運ぶ手を止めた。
「知ってるぜ。あんたたちの王様が、同盟国のシトリューカ姫を裏切ったんだってな。いまやヴァルカンの奥方らしいじゃねえか? 可哀想なお姫様だぜ、あんな化物に下げ渡されるなんてな」
その言葉は、普段は忍耐強いミゼルを逆上させた。硬い酒瓶を、無神経なボンサンジェリー人の
だがオーディルは黄色い濁り酒を浴びただけだった。素早い動きで、ミゼルの手首を掴んで止めたからである。
「ウェルケ殿……いや、レアゼン砦のミゼル将軍。貴殿も武人なら、恥を
前髪から滴をしたたらせながら、声を潜めたオーディルの口調はがらりと変わっていた。ミゼルの素性は、すでに調べ上げられている。
「『戦場の女神』を救うなら、私も協力しよう。……我々も、ディエナ姫をお守りできなかったのだ」
オーディルの血走った目の奥に光る深い後悔は、ミゼルにも覚えがあるものであった。
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