第七歌 みちびく先は光か闇か

第七歌 みちびく先は光か闇か・1

 こんばんは。今日は物語を始める前に、ひとつあんたに質問をしたい。

 あんたは、「運命」を信じるほうかい?

 わたしはあんまり好きな言葉じゃないね。物語を語るときにはね、何もかも「運命」にしてしまうと、お客がしらけちまうんだ。「そんな都合のいい『運命』があるか」ってな具合にね。

 でもね、この世には、ほかの言葉では説明しようのない巡り合わせが、実際に起きることもあるんだ……。

 これからするのは、まさにそんな出会いについての物語だよ。



   月はすべてを知っている


   つ国には外つ国の神


   傷ついた人の子ふたりを


   みちびく先は光か闇か



 乱を鎮めるのに、必要な援軍はたった十人であった。

 帝国領の北方フィーラン地方で、大規模な反乱が起こった。帝国に叛旗を翻したのは、ボンサンジェリーのように、公王を自称して帝国からの独立を目指す有力貴族モーア公であった。

 当地のフィーラン砦には帝国の守将がいたが、モーア公の所領から兵糧の提供を止められたうえ、反乱軍は意気軒昂で兵力もかなり大きかったため、鎮圧するどころか籠城戦を強いられる有様であった。

 ギオン皇帝は激怒し、第一将軍シャルル・ド=ヴァルカンと第二将軍オズワール・ド=ザンチに鎮圧を命じた。帝都ギオザから片道十三日半の遠征である。帝都からの増援がまともに反乱軍と衝突すれば、大規模な戦闘に発展することは火を見るより明らかであった。

 ところがあと数日でフィーラン砦に辿り着こうというとき、シャルルは小高い山の麓で突然進軍を停止させた。副将たるザンチにすら、何の相談もないままに。

「ヴァルカン将軍、急がねばフィーランが落ちてしまいますぞ。何かお考えがおありか?」

 ザンチが疑義を呈しても、シャルルは「待て」と答えるだけであった。

 すると不思議なことに、日に日に反乱軍の攻勢が弱まり始め、三日経つ頃にはフィーランから軍を引いてしまった。シャルルは軍を進発させ、逆にモーア公の城を取り囲んだ。モーア公は帝国の大軍を前にあっさりと降伏した。

 戦わずして帝都へ凱旋したシャルルら帝国軍本隊の損耗は、兵糧だけであった。それも戦闘が長引かなかった分、予定よりもはるかに少なくてすんだ。

「シャルルよ! こたびの戦、まことに見事であった! いったいどのような策を用いたのだ?」

 ザンチとともにギオン皇帝に謁見したとき、シャルルは答えた。

「工兵を派遣し、古い水門を修理させました」

 それはまさにシトリューカの献策であったが、シャルルはそのことを皇帝には話さなかった。

 遠征に出る前夜、地図を見たシトリューカは不自然な川の分岐に気づいた。ちょうど、シャルルが軍を止めたすぐ西側の山中だ。地図には記載がなかったが、ここに分流水門があるはずだ、と彼女は言った。

 果たしてそこには清らかな川と、蔦に埋もれた古い水門があった。清流を人工的に二つに分け、モーア公の土地を潤していたのである。工兵隊が水門を開け余分な土を掘削くっさくすると、モーア領側への水流は大幅に減り、細くなっていた本来の川の流れが蘇ったという。

 もとよりギオークは雨の少ない国である。夏が近いこの時期はことさら乾いている。貴重な水源を奪われた反乱軍は領民からの信頼を失い、急激に疲弊して降伏を余儀なくされた。

 逆に水量が増えた土地の人々は喜んだだろう。修理した水門は、今後も灌漑かんがい設備として有効活用できる。フィーランにおける大将軍シャルルの心証はかなり良くなったはずだ。「戦場の女神」はそこまで計算に入れていたに違いない。

「水門は百年以上前に作られたもので、為政者いせいしゃが変わるうちに忘れられ、地図からも消えていたようです。それを地図上の川の曲がり方から見抜くとは。いやはや、ヴァルカン将軍の慧眼けいがんには感服いたしました」

 いつもはシャルルの作戦に異を唱えるザンチも、このときばかりは手放しでシャルルを称賛した。

「さすがは私のシャルルだ」

 常ならば、ギオン皇帝からこの言葉を賜るのが、シャルルにとって至上の喜びであった。けれどもこの日、彼は皇帝にその妖艶な微笑で応えることができなかった。

 その点に関しては、シトリューカが期した「復讐」は成功したといってもいい。ただ彼女は思い違いをしていた。シャルルは皇帝に勝利を捧げられさえすれば満足なのだ。それがたとえ、自分の策によるものでなくても。

「どうした。浮かぬ顔だな? シャルルよ」

「いえ……大変情けないことですが、遠征で少し疲れたようです」

 それは嘘ではないにせよ、本心とも言いがたかった。これまでにないほど、楽な戦だったのである。

「そうか。残念だな。今日は帰ってゆっくり休むがよいぞ」

 ギオン皇帝はシャルルを夜の勤めのために引き留めなかった。ふたりの関係は、シャルルが十代の頃から二十年以上も続いている。いまやギオザ中の誰もが知っていることだ。

 ギオン皇帝のあけすけな寵愛を、シャルルはありがたく思いこそすれ恥じる気はなかった。かつてはロザールの男娼に過ぎなかった自分を身請けし、取り立ててくれたギオン皇帝のことを深く敬愛していた。皇帝陛下のためなら何でもできる。もし死ねと言われれば迷わず死ねる。殺せと言われれば喜んで殺す。

 事実、これまでシャルルは何の躊躇もなく数多あまたの敵を手にかけてきた。罪悪感はなかった。殺せば殺すほど、愛しい陛下の御威光が輝くのだと思うと、むしろ愉快でさえあった。けれども、今日は。

 ――、だと? 戦わずにすんで喜んでいるのか、私は?

 夕方に屋敷へ帰ったシャルルは、皇帝に宛がわれた新妻シトリューカにそっけなく出迎えられた。

「あら、お帰りなさい。遠征はどうでした?」

 シャルルは妻のすまし顔を無視した。作り物よりもよほど整っているのが忌々しい。しかも心なしか顔色が良いようだ。その理由を、夫たるシャルルはまだ知らない。興味もなかった。

 書斎に入ると、本の並びが変わっていることに気づく。使用人の仕業ではなかろう。シトリューカは、わざとに無断侵入の痕跡を残したのだ。「いつでも相談に乗りますよ」という挑発である。

 シャルルは部屋に鍵をかけずに出た己の迂闊うかつさに苛立ちを覚えたが、かといって明日から施錠するのも癪である。シトリューカの策――モーア卿鎮圧の策そのものではなく、彼女が考えている本当の策――にかかったことをわざわざ知らせてやるようなものである。

 ふと本棚の竪琴が目に止まった。シャルルのために、皇帝陛下があがなってくれた大切な宝である。

 シャルルはその黄金の瞳で曇りのない木目と、弦の一本一本の輝きとを追った。

 竪琴がいつまでも美しい理由は二つある。まずひとつは、彼自身が手入れを欠かさないからである。この複雑な構造の楽器をどう手入れすればよいか、シャルルはよく知っていた。

 もうひとつの理由は、シトリューカが言った通りである。誰にも奏でられない楽器は、傷つくこともない。

 遠征の間放置していた竪琴を、シャルルは柔らかな毛織のきれで丁寧に磨き、十九弦に錆や緩みがないかを注意深く確認した。

 本来ならば一本ずつ鳴らして調律すべきだが、それは時々楽師を呼んでやらせている。、自分でわずかな音の狂いを聞き分けられる自信がなかった。軍人になり、将軍として戦に出るようになってからは、竪琴をまともに触っていない。

 磨き上げられた竪琴の胴に、シャルル自身の顔がうっすら映り込む。左目の周りには火傷のせいで眉がなく、皮膚が赤黒く膨れたりえぐれたりして無数の凹凸おうとつを作っている。

 ――いつ見ても、醜い。

 そして今日も、誰も竪琴を弾く人はいない。


* * *


 老いた下女が自ら暇を申し出た。シャルルが将軍に任じられてこの屋敷を与えられてから、ずっと仕えていた女である。すっかり腰が曲がってしまって、もう仕事がつらいのだという。シャルルは長年の務めを労い、老婆が驚くほどの金貨を袋いっぱい詰めて与えてやった。

 代わりの使用人を見つけてくるようレナンに言いつけた翌日には、もう若い女がやってきた。小柄な銀髪の娘であった。シトリューカと同年代で、名をディエナというらしい。

 レナンが知り合いを当たるより先に、ディエナは勝手口にやってきて「どうしてもここで働きたいんです。なんでもしますから!」と泣きながら訴えたらしい。あまりにも身なりがぼろぼろで、気の毒がったレナンはつい素性も確かめずに屋敷に迎え入れた。

 申し訳ありません、とレナンは謝ったが、シャルルは大して気にしなかった。

 真面目に働くのなら誰でもかまわない。もし怪しい真似をするようならそのときは追い出せとだけ言いつけた。使用人たちにとって、シャルルは冷酷どころか、むしろ寛大な主であった。

 ところがこのディエナ、何をやらせても役に立たない。洗濯させれば生地をこすりすぎて傷めるし、書斎の掃除をさせれば床を掃き終わった後に本棚にはたきをかけてまた床に埃を落とす始末。炊事場に立たせても、ナイフの握り方すら知らないらしい。とにかく不器用で手際が悪いのである。

 本当に申し訳ありません、とレナンにまた謝られた。このまま仕事を覚えないようなら、責任を取って私が屋敷から追い出します、と。

 そんなディエナでも、まともにできる仕事がひとつだけあった。

「ディエナ。昼のうちに、二階にこれを届けよ。奥から三番目の部屋だ」

 初めてシャルルの顔を見たディエナは呆けたように、こちらを見上げている。

「何だ」

「いえ……別に……」

 シャルルは登城する前に、ディエナに白い薬包紙に包まれた届け物を任せた。

「……これは、何のお薬ですか?」

「こら、いちいち詮索をしてはだめ」

 主人の手前、レナンがディエナをたしなめた。どうせ後で説明してやるのだろう。彼女の口の軽さはシャルルも知っているが、使用人に何と言われようがどうでもいいことだ。

 それよりも、怪しいのはディエナという新入りの女である。顔の火傷を不気味がられるのはとうに慣れているが、ディエナが向ける視線は種類が違うように感じる。

 振り返ると、ディエナは慌てて顔を背ける。

 どう見ても不審な娘であった。

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