第六歌 くじけぬ者に光はともる

第六歌 くじけぬ者に光はともる・1

 こんばんは。今宵の満月も美しいね。

 さて、こないだはクロワとミゼルの話をしたから、今日はお姫様の話をするよ。

 ヨナディオを殺され、ヴァルカンの屋敷に閉じ込められっぱなしの、可哀想なシトリューカ。彼女が、ヨナディオに似た吟遊詩人クロワのことを知る日は来るのかね?

 それじゃあ、今日の歌物語を始めようか。



   愛する人を、自由を奪われ


   生きる望みをなくしてさえも


   なすべきことはまだあるはずと


   くじけぬ者に光はともる



 シトリューカがまともに夫のシャルルと会話したのは、結婚式からふた月以上過ぎた後であった。

「私は明日から、北方へ遠征に出ます。貴女はこれまで通り屋敷の中で過ごすように」

 珍しく昼過ぎに王城から戻ってきたシャルルは、シトリューカの居室へやってきて高圧的なな口調で告げた。シトリューカはベッドに潜り込んだまま返事をしないつもりだったが、シャルルは強引に掛布団を剥ぎ取ってしまった。

「何をなさるの? 寒いわ」

 薄絹の部屋着姿をじろじろ見られたくない。シトリューカは布団を奪い返そうとするが、シャルルに阻まれて上手くいかない。

「私の部屋にある竪琴に触ったな」

「存じません」嘘をついた。

「見え透いた嘘など、不要。この部屋から流れてくる竪琴の音色と、貴女の歌声を聞いた者がいる」

 誰かに告げ口されたらしい。側室の喘ぎ声が聞こえてくるのだから、逆に歌声を聞かれても、何の不思議もあるまい。

「あの竪琴は皇帝陛下に頂いた大変貴重な品だ。みだりに手を触れないでいただきたい」

「それを言うなら、私だって皇帝陛下からあなたへの贈り物のはずです」

 シャルルが顔をしかめて押し黙る。シトリューカは一気に言葉をまくしたてた。せめてもの自由を勝ち取るための好機だ。

「竪琴を弾いたくらい、何です? 楽器は飾り物ではありません。せっかく陛下から頂いたのに、弾かない人が持っていても宝の持ち腐れでしょう。……それに、私はもうふた月以上もこんな狭い屋敷に閉じ込められているのよ。少しくらい楽しみがないと、息が詰まって死んでしまいます。陛下が下さったものがそんなに大事なら、私のことももう少し気にかけてくださってもよろしいんじゃなくて?」

「なるほど」

 しかしシャルルは少しも動じてはくれなかった。

「姫よ。それほど息抜きがしたいなら、着替えて表に出るがいい。私と手合わせをして一度でも勝てたなら、外出を許してさしあげる」

 自分が負けるわけがない、とでも言わんばかりの余裕ぶりだ。シトリューカの闘志に火がついた。

「望むところです」

 シトリューカは召使たちから男物の服を借りて着替え、手早く髪を束ねて屋敷の外に出た。

 灰色の石塀の内側は、ぎりぎり庭と呼べるくらいの広さしかないが、それでも久しぶりに吸った外の空気は彼女の気分を昂揚させた。

 結婚式の日は後れを取ったが、何度か手合わせをすれば一度くらいは勝てるかもしれない。上手くいけばシャルルを痛い目に遭わせることができるうえに、自由な生活が約束されるのだ。――シトリューカはシャルルがエガーテ王との約束を破って、ゼアテマを亡ぼした男だとはまだ知らなかったのである。

「……どこからでも来るがいい」

 シャルルは例の独特な構えだ。訓練用の剣を手にしたシトリューカは、意気込んでシャルルに相対した。

 しかし結果はというと、何度やっても負けであった。シャルルに切先を軽くいなされ、押し返され、勢いを逆手に取られて打ち倒された。シトリューカの剣は、まるでかすりもしなかった。

 レナンら使用人たちも、窓から顔を出してふたりの対決を心配そうに見守っていたが、転んだシトリューカの頬に擦り傷ができると、悲鳴交じりの声が上がった。

「これ以上の勝負は不要だ。なぜ外に出るべきでないか、貴女もいい加減お分かりだろう」

 まだまだ、と立ち上がろうとするシトリューカの鼻先に剣を突き立て、シャルルは冷たく言い放った。

「貴女は弱い。そしてここは貴女の祖国でもない。ギオザ市民がみな、貴女を蝶よ花よと敬愛するわけではない」

 シャルルが懸念しているのは、シトリューカが反乱分子の求心力になることだけではなかった。ギオザ市街は、決して治安の良いところばかりではない。不逞の輩が現れて、彼女に危害を加える可能性もある。屋敷の中にいたほうが安全なのは確かだ。

 だとしても、シトリューカは納得できなかった。

「……だから、私を閉じ込めておくというの? それで私を大事にしているとでも?」

 膝をついたままシャルルの顔を睨み上げる。火傷に覆われた左目がぎょろりと動くのを見ると、言いようのない嫌悪感が背筋を走る。

「蹴らなかっただけありがたいと思っていただきたいものだ」

 返す言葉もなかった。ずっと手加減されていたのだ。

 シトリューカの心を傷つけるのは、シャルルに痛めつけられることではなかった。「皇帝陛下からの頂き物」として、丁重かつ無難に扱われることであった。こちらはヨナディオの仇として強く憎んでいるのに、その矛先を遠慮なく向けられるほどには、彼は冷淡でも残酷でもなかったのである。憎悪の炎は胸の中でみじめにくすぶり、しかし消えることなくシトリューカ自身を苦しめていた。

 ――どうしても、この男に復讐したい。剣で敵わないなら、別の方法で。

「お手を貸しましょうか、姫?」嫌味たらしい視線が降り注ぐ。

「……結構よ」

「左様ですか」

 シャルルは妻を助け起こすこともなく、剣を収めてさっさと屋敷へ帰ってしまった。一階の窓から見ていたレナンが飛び出して、「大丈夫ですか」と走り寄る。

「まったくもう、旦那様には奥様こそ『宝の持ち腐れ』ですねえ」

 何気なくいレナンの一言が、シトリューカにひらめきをもたらした。

「それだわ、レナン!」

「それって、どれです」

 ふつふつと意欲が湧いてくる。シトリューカが「持ち腐れ」ている宝は、美貌でも剣の腕でもなかったのである。

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