第四歌 花の彩るいつわりの契り・3
頬を冷たい風に打たれて、彼は目を覚ました。
どうも長い間眠っていたような気がする。目を開いても、なかなか焦点が合わない。頭もぼんやりしたままだ。
自分ががらくた倉庫のような建物の中にいると気づくまで、どれくらい時間がかかっただろう。彼は何度も瞬きを繰り返した後で、風は枕元にある歪んだ窓枠から絶え間なく入り込んでいるのだと気づいた。
彼が起き上がろうとすると、腹に激痛が走った。全裸の腹を、何針も縫われた大きな傷が横切っている。たまらず声を上げたはずなのに、何も聞こえなかった。
かさかさと、誰かが近づいてくる足音がする。
「おはよう、ヨナディオ王子様。生き返った気分はどうだい?」
かすれた女の声がした。彼は横たわったまま
「私はレガリア。ベーテルウォールの魔女……と言えば、少しくらいは聞き覚えがあるかな?」
ベーテルウォールの魔女。ヨナディオが知る伝説では、はるか昔、愛する男に裏切られて殺された女が魔女となり、ベーテルウォールに立ち寄った恋人同士を引き裂くという。――だが、まさか実在するとは。
「ひどい言われようだよな。自分じゃ、むしろ縁結びの魔女だと思っているのだが」
なるほど魔女と呼ばれるにふさわしい、奇妙な
「そう不気味がらないでくれないか。いまやあんたも私と同類なのだから」
声の出ないヨナディオの思考が分かるかのように、レガリアは言った。
「ヨナディオ、あんたは一度死んだのだよ。全身傷だらけで、
その瞬間に、ヨナディオの記憶は一気に蘇った。
――シトリューカ!
ヨナディオは痛みを忘れて跳ね起きた。
「活きの良い死人だな」
レガリアがくすくすと笑う。
「いまのあんたの命は、不完全だ。だから声が出ないし、顔の表情も少ない。ちなみに文字や絵も書けないから後で試してごらん。心が、ちゃんと身体につながっていないのだよ。命は月神様がお作りになる代物だからね、私の魔道ではこれが精一杯だ。……でも、もしもシトリューカ姫の愛を再び受けられたなら、魔道は成就し、あんたは本当に生き返ることができる」
――シトリーは、いまどこにいる?
「あんたの愛するシトリューカ姫は、いまじゃあんたを殺したヴァルカン将軍の妻だよ」
声が出るなら、「嘘だ」と叫びたかった。
レガリアが壁際に積み上げられた有象無象のがらくたの中から大きな水晶玉を持ち出して、小声で呪文を唱えた。そこに遠く離れたシトリューカの姿が映し出されると、ヨナディオはすでに血の気のないはずの身体がいっそう冷えていく思いがした。
水晶玉の中で、シトリューカは泣いていた。ヨナディオにもう二度と会えぬことを嘆いて。
――僕が彼女を助けに行かなくては。
「どうやって? ひとりでヴァルカン将軍の屋敷に殴り込むつもりかい? 無茶だろう」
レガリアの言う通りである。ヴァルカンから力ずくでシトリューカを奪い返すなど、無謀極まりない。愛する人が泣いているのに、自分には何もできないのか。
「まあ落ち着いて、私の言うことを聞くがいい」
そこまで言うとレガリアは手を高くかざした。
がらくたの中に埋もれていた布や金属がヨナディオの身体を包み込み、衣服や靴や帽子へと変わる。髪もみるみるうちに腰まで伸びた。
まるで旅人のような出で立ちだが、腹の傷は晒されたままである。「ちょっと布が足りなかったかね」とレガリアが笑った。暑さや寒さは感じないから問題はなさそうだと思った後で、ヨナディオはいよいよ自分が死人なのだと認めざるを得なくなった。
「それと、これをあげよう」
最後にレガリアは竪琴を与えてくれた。
世にも美しい竪琴であった。木でも石でもない、ヨナディオの知らないすべすべした材質でできていて、自ら七色に照り輝いている。
「その竪琴は、月夜にだけ鳴る。あんたもそのときだけは歌えるはずだ。あんたは吟遊詩人として、お姫様のもとへ向かうといい。月神様が、あんたに力を貸してくれるだろう。……さあ、早く行くのだね」
剣ではなく竪琴と歌で、なぜシトリューカを救えるのかは分からない。けれどもヨナディオにはほかに方法がなかった。それに、不思議とレガリアの言葉に従うべきだろうとも思えたのである。
――レガリア、ひとつ聞かせてくれないか。なぜ、あなたは僕を生き返らせてくれたのか。
レガリアは薄く笑みを浮かべた。
「言ったろう? 私もあんたの『同類』だって。この世に未練を残して死にきれないでいるうちに、こうなっちまったのさ。お仲間の応援くらいさせてもらうよ」
――ありがとう、レガリア。
心の中で発した感謝の言葉に、魔女は背を向けてどうでもよさそうに手を振っていた。
かくして吟遊詩人となったヨナディオは、魔女の隠れ家から飛び出してシトリューカがいる北へと旅立った。
試しに竪琴の弦を弾いてみたが、この日はぷつりと音が途切れた音が鳴るばかりであった。夜空を見上げると、分厚い雲が月を隠していた。
今夜はまだ、そのときではなかった。
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