第二歌 闇におとなううらぎりの罠・2
ボンサンジェリー「公国」は、自分たちの国をひとつの国家だと信じていたが、ギオーク帝国からは自国の領土と見なされていた。帝国領の南西端にあって領主の自治権がある程度認められているのを良いことに、数代前から領主たるサンジェリー家の当主が不遜にも「公王」を自称するようになったのだと。
第三国たるゼアテマからすれば、どちらの言い分も半分正論で、半分暴論である。
確かにかつてサンジェリー家は一貴族にすぎなかったのだ。とはいえボンサンジェリーは、帝国からは実質的にほとんど支配を受けていなかったし、帝国に属することで恩恵を受けもしなかった。むしろ余計な租税を取られて迷惑なくらいだったのだ。帝都ギオザからは満月が欠けてまた満ちる間中、馬を走らせ続けてもなお辿り着けないほど離れているとあっては、同じ国だと主張するほうが無理筋ともいえた。
ただ、ボンサンジェリーの名前が地図上から消えたとなれば、ゼアテマも「第三国」などと無関係を気取っていられなくなる。
「次にレアゼンに押し寄せる敵は、ギオークの黒旗を掲げているかもしれない、ということですね」
「その通りだ」
エガーテ王が眉を曇らせた。
「だが帝国に蹂躙されるのを、手をこまぬいて待つわけにはいかない。そのためにこうして、皆に集まってもらったのだ――座れ」
だが、口にするのも無意味なほどの提案がいくつか泡のように浮かんで消えた後は、王も列席の重臣たちもみな眉間に皺を寄せて唸るばかりだった。
ヨナディオも同じだ。攻められてはひとたまりもないが、下手に帝国に媚びればそのまま属国に成り下がる。妙案らしきものは何もない。ゼアテマはいま、建国以来最も困難な局面を迎えていた。
「……王子とシトリューカ王女とのご結婚を、早急に進めるべきではないでしょうか」
白髭の重臣がふと口にしたのをきっかけに、ほかの大臣たちも手や膝を打って口々に発言し始めた。
「なるほど、サン=セヴァチェリンとわが国の同盟がいっそう強まれば、帝国とておいそれと軍を差し向けては来られないのでは」
「サン=セヴァチェリンにしても、わが国が帝国領との間に存在している限りは国内の平和を保てます。王女の輿入れに兵を伴わせるのは、決して悪い話ではないでしょう」
「『戦場の女神』が正式にゼアテマ軍を率いてくだされば、士気も高まりますね」
「私は賛成できません」
ヨナディオがきっぱりと反論すると、王はぴくりと片眉を動かした。
「いまの状況で結婚を推し進めるのは、シトリューカを人質に取るようなものです。サン=セヴァチェリンにはこれまでにも幾度となく助けられているのに、そのうえ『姫を守りたければもっと兵をよこせ』などと要求するようでは、同盟国の
それがヨナディオの真摯な思いであった。
愛するシトリューカの国、隣国サン=セヴァチェリンは、これまでのところ豊かで平和だ。ギオーク帝国とは
それでもシトリューカの父である名君ブルゼイ王は、同盟国であるゼアテマに兵を融通してくれているばかりか、王女シトリューカまでもが自ら進んで力を貸してくれている。ありがたいことだが、彼女を戦場に立たせるのは全く本意ではなかった。
婚約しているとはいえ、シトリューカはゼアテマにとってまだ借り物の将軍にすぎない。いまならもしも状況が悪くなっても、彼女には逃げ場がある――シトリューカ自身がそれを望まなかったとしても、無理矢理にでも母国へ返せばいい。
だが正式にヨナディオと結婚してゼアテマ王族の一員となった暁には、そう簡単ではないだろう。ゼアテマの民は無邪気に「戦場の女神」の栄誉にすがり、臣らも彼女を当然のように自軍の戦力として計算に入れる。そんな風に、シトリューカを迎え入れたいわけではない。
しかしエガーテ王は、首をひとつ振るだけで息子の訴えを退けた。
「いま取り得る最善の方策のようだ。早速サン=セヴァチェリンへ使者を送ろう」
「ですが、父上!」
「ヨナディオ、お前は甘すぎる。人生の全てを国のために捧げるのが王族というもの。シトリューカ姫とて同じ覚悟であろう。それに、いま結婚しないというなら、いつならよいのだ? お前の意向を汲んで平和になるまではと待ち続けていたが、このままでは王女もとうが立ってしまうぞ」
何人かの大臣が笑いを噛み殺している。彼等はシトリューカを見目麗しいお人形か、その場しのぎの便利な援軍くらいにしか思っていない。
ヨナディオは腹を立てたが、代案を出さずに拒むのはただの駄々っ子にすぎない。結局は王の決定に従うしかなかった。
「……分かりました。ですが父上、ひとつお願いがございます」
「申してみよ」
「サン=セヴァチェリンへは、私が参ります。ブルゼイ王とシトリューカにせめてもの誠意を尽くしたい」
ヨナディオの真っ直ぐな視線を受け流し、エガーテ王はやれやれと苦笑いを浮かべた。
「よかろう。お前の好きにせよ」
「ありがとうございます、父上」
ヨナディオは明朝どころか夜すら待たず、わずかな従者を引き連れて急ぎサン=セヴァチェリンへと出発した。宵の口から城内で催された祝勝の宴にも、その美声を披露することはなかった。
だから、その夜密かに訪れた客人の存在を、ヨナディオが知ることはなかったのである。
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