第二歌 闇におとなううらぎりの罠

第二歌 闇におとなううらぎりの罠・1

 やあ、こんばんは。

 あんたなら、きっと来てくれると信じていたよ。

 いや、あんたが来ることを、初めから知っていた――というべきかね。

 なぜかって? ふふ、嫌だねえ、いちいち理由なんて気にするもんじゃないよ。あんたが聞くべきなのは、こないだの歌物語の続きさ。

 そのために、またここへ来たんだろう? ――それじゃあ、始めるとするかね。



    妻となるべきいとしい人の


   国へと向かう王子はしらず


   せまる魔の手にあせる心の


   闇におとなううらぎりの罠



 ゼアテマ王国の王子ヨナディオ・ゼアロードは戦場において勇敢なばかりでなく眉目秀麗で、しかも歌と竪琴の名手として、国民から広く愛されていた。

 愛するシトリューカとともにレアゼン砦を守り抜いてから十日後、ヨナディオは首都ロンドシアへ凱旋し、民衆から沸き立つ歓喜をもって迎えられた。戦と長い帰途を経てもなお鎧に汚れひとつなく、まばゆいばかりに美しい王の子は、日々泥仕事に明け暮れる平民たちの目にはさぞかし神々しく映ったことであろう。

「殿下! あなたこそ私たちの守り神です!」

「ヨナディオ様がおわす限り、ゼアテマは不滅だ!」

「無敵の神将にして次代の王、ヨナディオ様、万歳!」

 農民から学者まで、街道に集った者どもが、口々に惜しみない賛辞を送る。

 ――僕には、過ぎたる賛辞だ。

 民衆に笑みを傾け手を振りつつも、ヨナディオは内心かすかに苦いものを感じていた。

 ヨナディオが率いていた砦の守備隊は、ボンサンジェリーの先鋒部隊とわずかに戦ったのみである。しかも計略にかかって戦意喪失していた部隊だ。地の利を占めていた自軍が勝てたのは、当然の帰結といえた。

 本来、称賛されるべきはシトリューカだ。だがいつ終わるともしれぬ戦乱に怯えるゼアテマの国民には、強い王族が必要であった。一の手柄を立てたのは、いまだ嫁いで来ぬ外国の姫君より、次代の王たるヨナディオのほうが都合が良い。シトリューカ自身も戦の誉れを厭うゆえに、ヨナディオは黙って欲さざる称賛を引き受けたのである。

 番兵が最敬礼し、凱旋ラッパが華々しく鳴って、ロンドシア城郭門がゆっくりと開いた。

 冷たい風がヨナディオの髪とマントを揺らす。外郭から内郭へ、そして王族の住まう居館へと歩む間に、ヨナディオはかつてリオラント大陸一堅牢と数多の吟遊詩人に謳われた古城に、しばしばほころびがあることに気づかずにはいられなかった。長年の風雨は石積みの城壁にわずかずつ空隙くうげきを作り、内郭の跳ね橋を支える太い鎖には赤錆を生じさせていた。兵士たちの鉄兜や槍も、丁寧に手入れをしているようだが、いずれもかなりの年季物であることは隠しきれない。

 レアゼンのように、外寇のために放棄せざるを得なかった金銀鉱はひとつやふたつではなく、そのことがゼアテマの財政に少なからぬ打撃を与えていた。限られた軍費は前線へ注ぎ、まだ平穏なロンドシア城の修繕は後回しにしているのだ。それが父エガーテ王の政治判断であった。

 その点においては、ヨナディオも父を支持する。財政が逼迫ひっぱくしている以上やむを得ない判断であろう。しかしこんな状態では、敵の襲撃を守り切るのは厳しかろうとも思う。

「おお、やっと来たのか、わが息子よ」

 旅の疲れを癒す間もなく議事室へ呼ばれたヨナディオに対する、エガーテ王の第一声であった。円卓はすでに文武両方の重臣たちで囲まれていた。空いているのは王の正面だけである。

「……お許しください、陛下」

 父からねぎらいの言葉がないのは分かっていた。エガーテ王は決して愚かな為政者ではないが、自分の都合しか考えないところがある。もちろん、王が他人に気を配る必要などない。しかし一兵卒にさえ常に礼儀正しく思いやり深いシトリューカと比べたとき、どちらが人心を集めるかは考えるまでもなかった。

 ただ、このときのエガーテ王を責めるのはいささか酷というものであろう。このときの王は、これから息子に伝えなければならない不吉な報せのせいで常ならず心乱れていたのである。その証拠に、王はヨナディオを跪かせたまま、着席を許すのさえ忘れていた。

「ボンサンジェリー公国が亡びた」

 ヨナディオはあまりの驚きで返答を忘れた。

 ほんの十日前、その国はレアゼン山上に大軍をもたらし、麓にいたゼアテマ軍を押し潰そうとしていた。かの陣営が篝火の明かりで夜空とレアゼン山地を画するのを、ヨナディオも確かに見たのだ。シトリューカの奇策がなければ、いまごろレアゼン砦は奪われていてもおかしくはなかった。――それほどの軍を擁する国が、ヨナディオがロンドシアへ戻る間に亡びたということは、その理由はひとつしか考えられない。

「……帝国、ですか」

 エガーテ王は重々しく首肯した。

「帝国は各地から密かに南へ軍を集めていたようだ。イハール皇太子がわが国を攻めている間に、疾風はやての如くバエンニュラへ攻め込んだらしい」

「王家の方々は、どうなりました」

「帝国に屈服するをよしとせず、お互いを剣で刺し合って心中したとのことだ。急ぎ引き返したイハール皇太子や、十六歳の妹君も含めてな」

「なんとむごい……」

 十六歳といえば、シトリューカよりもさらに一歳若かった。

「いよいよ皇帝陛下のお慈悲が尽きたと見える」

 エガーテ王が重い息を吐いた。

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