第5話 尻切れトンボと薄い夏
約1週間後。午後9時。自室。
進路希望調査票の提出はいよいよ明日に迫っている。
迫り来る提出期限や、何がしたいのかが一向に定まらない事に対し、焦燥感と不安な感情で頭がいっぱいだった。
私は半ばやけになり、ひとまず自分の考えをまとめようと紙を引き出しから取り出し、ボールペンで書き出していく。
まず、大学入学について。
これは大学に通ってみようと思う。
琴音ちゃんとは違い、『これだ!』ってものに出会えていない私にとって、ほかやることもないからだ。随分と消極的だがこれはまぁ、仕方ない。だってとことん打ち込めるものがないのだもの。
つぎに、将来就く職業について。
これについては、この先業界が伸びそうなところに適当に入ってみようと思う。
これについても仕方ない。こっちのほうが将来的に効率よく生きていけるから。
ここまで書いて気付いた。
これは一体誰の人生なのだろう。
刹那。目頭が熱くなる。
鼻の先から強い刺激を感じる。
胸の奥底からぐつぐつと黒い感情が体内から溢れてきそうな勢いで煮えくり返る。
びりびりびりと紙が破れる音がする。
正気な私はどこにも存在しない。
視界がだんだんと朧気になるなかであるものが目に留まる。
──ベッドの側に置いてあるぴかぴかの薄紫色のベースである。
私はすぐ側まで歩み寄り、ヘッドに刻まれているロゴを指でそっとなぞる。
どうせ、私のことだ。将来なんの役にも立たないこのベースだっていつかは使わなくなるのだろうな。
途端。『そんなこと勝手に決めつけるな!』と体のなかから声がした。
耳を疑った。
自分のいままでの生き方と相反するような事を言ってる気がして自分でも面白くなって、そこからしばらく、からからと声をあげて笑った。
半分泣いてるのかもしれない。それとも、純粋に面白くなって笑ってるのかもしれない。それとも、気が動転して知らぬ間に頭が悪くなってしまったのかもしれない。
けれどそんなことはどうでもよくなっていた。
ただ一つ気づいたことがあった。
きっと、そうか。
──今まで、気づかなかっただけで、好きなものに『これだ!』って感じてたのかもしれない。
それなのに、私は初めから無理だ無理だと心のどこかで感じていて、他人と比べて始めたのが遅いとか、もっと才能がある人がやればいいとか他人のことばっか気にして、本当の自分と向き合うのを忘れていた。
──自分の好きなことをすればいい。
いつの日か茜色の空の下で完璧才女が言っていた言葉が頭の中で浮かび上がる。
今、自分がベースに対して感じている『これだ!』っていうのも一時的なものなのかもしれない。
もしかしたら明日にはベースが飽きているのかもしれない。
色々な事を次々と好きになって、やがて本当に『これしかない!』っていう世界に出会えるのかもしれない。はたまた、色々考えた挙句、1周してベースにかえってくるのかもしれない。
私がどうなっているかは誰にも分からない。
ミライはわからないことだらけ。
不確定。不安定。不親切。
けれど、裏を返すと無限の可能性を秘めている。
そんな至極当たり前の事にこのとき、初めて気づけたのだった。
「ひとまずベースを頑張って見ますか、っと」
持ち上げたベースはいつもより少し軽く感じた。
* *
翌日。薄い白い光がクラスに差し込む中、朝のLR前の桜の席に人だかりができていた。
「えぇー、それ大丈夫?」
「うわぁ。黒いネームペンじゃんそれ」
「あはは、桜らしいっちゃ桜らしいかも」
席に座る桜の前にあったのは、進路希望調査票。
紙一面に大きく、そして力強く書いてあったのは、
「『乞うご期待!!』かぁ…。桜らしいなぁ」
何か悪いことを思いついたように、口元には小悪魔的微笑を湛え、
「ところで桜、これ本当に自分で決めた事?」
この前のお返しだと言わんばかりに問いかけてくる涼香ちゃん。
私はそれに怯えず、太陽が照り輝くような力強い笑顔でこう言った。
「大丈夫だよ!涼香ちゃん!」
なにせ、
「──人生に正解などないのだから。」
尻切れトンボと薄い夏 前田 米路 @dolemi0306
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