4 やっぱり疫病神は見逃さない
「何でしらその辺についてもっと落ち着いて話をしませんこと? 日本の事も話したいですわ。何なら私の工房を案内致しましょうか。このお店は何時頃終わるのかしら」
成功だ。でも顔を見れない。恥ずかしくて。
私は目をそらしたまま答える。
「8の鐘の頃には終わると思います」
「わかりましたわ。その頃に迎えを寄越します」
本人が迎えに来る訳ではないようだ。仲間がいるという事なのだろうか。
彼女が去っても私はうつむいたまま顔を上げられない。
「アン、どうかしたのですか。先程のお客様とわからない言葉で会話してから下を向きっぱなしですけれど」
おっと、ショックのあまりマリに状況を説明するのを忘れていた。しかしどう説明しよう。まさか獣姦スキーになってしまった事を話す訳にもいかない。
『他の世界の言葉で話が通じました。それらしい本を書いている事も確認しました。間違いなく今の方が
夜8の鐘過ぎに会う約束をしました。お昼の書き入れ時が終わったら教官に報告を入れますわ』
これだけを伝達魔法で説明する。
『流石ですわ。ところで何か恥ずかしい事でも言われたのでしょうか。何せ相手はあんな本を作る方ですから』
違うんだマリ、恥ずかしい事を言ったのは私自身なんだ。なんて事は勿論自白できない。
『マリの耳に入れるようなお話ではありませんわ』
そう言って誤魔化させて貰う。
「お昼も近いですわ。数を出す準備を致しましょうか」
「そうですわね」
心の傷は魔法でも治療できない。心を強制的にハッピーにする魔法は存在する。ただし使用はダメ、ゼッタイだ。
ラーヌン屋に専念しよう。時間でこの心の痛みが少しでも癒されるように。
◇◇◇
ラーヌン屋の屋台を畳んで1週間後。
私達は遥かな南、ヒュー・ガの国にいた。
「温かいのはいいですわね。こちらに来て正解ですわ」
「確かにそうですわね。ですが何故、いきなりムサッシからヒュー・ガへ移動したのでしょうか」
「寒い季節は太陽が恋しくなる。それだけですわ」
勿論本心はそうではない。一刻も早くあの穢されてしまった地を離れたかったのだ。
正直なところ二度と思い出したくない。あの夜の出来事全てを抹消し尽くしたい。
しかし今でも悪夢で見てしまう。あのおぞましい夜の事を。
◇◇◇
あの日8の鐘が鳴り終わった直後。閉めた屋台の前に若い女性が現れた。昨夜に営業開始時間を聞いてきたあの女性だ。
私はサクラエ教官との打ち合わせ通り、女性についていく。途中、ちょっと興味を持ったので聞いてみた。
「貴方もあの絵物語をお描きになるのでしょうか?」
「私はまだヤオイ様の
随分と本格的な執筆体制で描いているようだ。それにしてもあの貴腐人、ヤオイなんて名乗っているのか。
UFOでも追いそうな名前、いや違うそっちじゃない。描いている分野そのままの方だ。
しかしどうせこの世界では通じないので言葉には出さない。
案内されたのはそこそこ大きな印刷屋の2階。ヤオイ様と名乗る貴腐人の他、アシスタント4名体制でやっているようだ。
「それにしてもその名前をお使いになっているとは思いませんでしたわ」
「この名前でしたら同郷出身の同志にわかりやすいかと思いまして。勿論貴方は意味がわかりますわよね」
「山無しオチ無し意味無しの方でしょうか。やめてお尻が痛いの方でしょうか」
この単語は私(の前世のおっさん)より更に上の世代で使われたものだ。しかし私もとい俺も基礎知識としてこれくらいは知っている。
「流石ですわね。ところでまだお名前を伺っておりませんでしたね。筆名で宜しいですからお聞きして宜しいでしょうか。お店ではアンと呼ばれていたと記憶していますけれど」
うっ。悪いがこんな奴に名前を憶えて欲しくない。獣姦スキーと思われているのでなおの事。
略してアンになる適当な名前……
「アーネスト・シートンとお呼びください」
しまった。姉●支遁が頭にあったせいでついその元ネタを出してしまった。偉大な動物学者様ごめんなさい。この世界では目の前のヤオイ様以外わからないだろうけれど。
「そこまでネタに徹されるのですわね。何なら絵も描いてみません事? 特別にGペン丸ペンカプラペンと作らせましたの。よろしければ試してみませんこと?」
こうなったら
「ああ、何と。このような世界もあるのでしょうか。見事ですわ」
私をここへ案内してくれた女性にそう褒められてしまった。ここでついつい私のサービス精神が起動してしまったのだ。
ここで引き下がれば傷はまだ浅かったのだろう。しかし愚かにも私はその事に気付かなかった。あろうことか求められるまま、支遁動●記だのけだものフ●ンズだのポケチャヌプコロだのといった絵を描いてしまった。それも劇画調、アニメ調とタッチを変えて幾つも。
また私がゴールデンカ●イをネタにしたのも敗因のひとつだ。あの漫画、やたら男の全裸が出てくる事でその筋には人気だったりするのだ。
当然ヤオイ様もその辺は基礎知識として知っていらっしゃった。だから私と同じように描く、描く、描く。
なおヤオイ様的には白石総受けの模様だ。やはりヘタレキャラなのが敗因だろうか。
そんな訳で空が白み始めた頃。
「今夜は楽しかったですわ。是非こちらのメンバーに加わっていただけないかしら。この世界に新しい表現を広げるのですわ」
そう言われて私はやっと自分のしでかした事に気づいた。結果、慌てて逃げるようにその場を辞してきた次第である。
翌朝一番で借りていたガレージの賃貸料を支払いムサッシの国を去った。その日は1日中、マノハラ伯爵家本館にお借りしている自室で一人己の犯した罪に震えた。
なおサクラエ教官はあの夜の会合の後、ヤオイ様の行動を確認して本名住居を突き止めたそうである。当然あの夜の私の行動も全て遠隔視で視ていたらしい。
「残念ながらあの絵物語についての知識しか持っていないようだった。場合によっては利用価値はあるだろう。しかし私には必要ない知識のようだ」
2日後、マノハラ伯爵家に現れた教官にそう結果を伝えられた。それでも無事約束のお金はいただけたのだが、問題はその後の教官の台詞だ。
「それにしてもまさかアンフィ―サ君にああいった才能もあるとは思わなかった。ところでアンフィ―サ君、君には本当にああいった趣味があるのかね」
待ってくれ教官!
「断固として違います。あの場に適切なものとして話をあわせただけです。そのような趣味は一切ありません」
勿論そう答えた。だが果たして信じて貰えただろうか。頼む信じてくれ教官。そして私が犯した罪を誰にも言わないでくれ。特にリリアには。
お願いだ! 頼む!
◇◇◇
そんな訳で全てを忘れる為、遥か遠く南の地へと移動した訳だ。
今いるのはヒュー・ガの海岸沿い、チン・ターオという観光地。私は忌まわしきあの地を遠く離れ明るく温かなこの地を健全に旅するのだ。
ふと前方に知っている気配を感じた気がした。見ない方がいい、気付かない方がいい。そう感じつつもつい視線がそっちを向いてしまう。
「やあアンフィ―サ君、マリアンネ君。久しぶりだな」
出てしまったな
私はそう思いつつ表面上は笑顔で応じる。
「お久しぶりです。ところでどうされたのですか、こんな処にいらっしゃって」
「実はだな。ここヒュー・ガからもほど近いサッツマーのテンモン・カーンに他の世界の知識を持っている可能性が高い者がいるらしい……」
ああ頼む。勘弁してくれ! そう叫びたい。
しかしサクラエ教官の頼みだ。おいそれとは断れない。なんやかんや言っても奴には勝てないのだ。実力的にも権力関係的にも今までの経緯的にも。
誰か助けてくれ!
心の声は誰にも伝わる事無く波に消えて行った。
悪役令嬢に転生したおっさんだけれど、やっぱり女の子の方がいいよね。その後のおまけ 於田縫紀 @otanuki
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