カフェ・オ・レが冷めるまでに
小倉さつき
カフェ・オ・レが冷めるまでに
「どうぞ」
そう言って机にコトリと置かれた、ひとつのカップ。
注がれている中身はカフェ・オ・レ。
淹れたてのようで、もわもわと白い湯気がカップから溢れている。
ジャズのBGMが心地よい静かなカフェで、私はカップを見つめていた。
きっととても美味しいのだろう、と。
だが口をつけることはない。何故なら私は猫舌で、熱いものはすぐには飲み込めないからだ。
なので、普段は冷たい飲み物ばかり注文するのが私という人間の定石だ。
熱いカフェ・オ・レを好むのは、あの人の方だ。
あの人とは、付き合って3年目になる。
付き合い始めた頃には、毎日飽きもせず長い時間やり取りをしていた。
それがだんだんと短くなり、やり取りをする日も減り。返事が来るまでに数日かかることもあった。
寂しくもあったが、お互い時間が常に取れるわけではないのだから、と自分に言い聞かせていた。
心移りをしたのでは、とこっそり調べたこともあった。しかし、特に何もそれらしい証拠は見つからなかった。
幸か不幸か、浮気をしているわけではないらしい。
つまり、いわゆる倦怠期というやつなのだろう。
ただ、私への愛情があの人の中で磨り減ってしまっただけ。
私はぼんやりと顔を上げ、カップから視線を外す。
本当なら今頃、あの人がカフェ・オ・レから立ちあがる湯気の向こう――私の向かいの席に、座っているはずだった。
今日はあの人との、待ち合わせの日。
直接会いたいと、取りつけた約束の日。
それは賭けのようなものだった。
まだ私への気持ちが残っているのか、あの人に聞いて確かめたかったのだ。
けれども、待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。
何度確認しても、遅れるといった報告や、謝罪の言葉は私の元へ届く様子はない。
認めたくない考えが、じわりと染み出していく。
やっぱり、もう終わりなのかもしれない。
このまま自然に関係が消滅することを、あの人は望んでいるのかもしれない。
カフェ・オ・レの湯気も、運ばれてきた時より量が減り、薄くなってしまっている。
すがるようにそっと両手でカップを触ると、カップはじんわりと私の手を暖めていく。
まるでこのカフェ・オ・レは、私の心のようだ。
カップから上がる湯気は、あの人への期待。
カフェ・オ・レの温度は、あの人への愛情。
湯気は時間と共に薄くなって、消えてしまう。
それでもまだ、カップの中のカフェ・オ・レは暖かいまま。
あの人がここへ来てくれる期待を諦めつつあるのに、今なお捨てきれないこの感情のように。
白かった湯気はもう、煙のように微かになり、ほとんど透明だ。
あと数分もすれば、カフェ・オ・レの湯気は消えてなくなるだろう。
私の、あの人への期待と一緒に。
けれど、カフェ・オ・レはまだ熱を持っている。
私が、あの人をまだ愛しているように。
どうか、どうか。
あの人が、ここに来てくれたらいいのに。
カフェ・オ・レが冷めるまでに。
カフェ・オ・レが冷めるまでに 小倉さつき @oguramame
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