-渋谷Ø切断-(終)「切換」


 船を運転する老師探偵の隣の席で、窓の外の海を眺める。


 ウチらが目指す場所は、地図にすら載っていない絶海の孤島。

 そこでウチは、20人以上を殺す予定だ。


 でも、視界に広がる海は日差しを受けて、キラキラと輝いて見えた。


 八ツ裂き公と出会ってから今までに、リカルド以外に三人を毒殺する機会を与えられてきたけど、未だに殺しには慣れない。

 殺すことを考えただけで、頭がぼんやりする。


「ボーッとしているみたいだが、大丈夫か?」


 シワの多い手でハンドルを操りながら、老師探偵が訊ねた。


「いや何というか……これから大勢を殺すし、数日後にはウチも死ぬんだなぁと思うと、変な気分になってさ」


「結局、殺しには慣れんかったか。お前さんはそれでいい。最後まで自分を貫くといい」


「……自分だって八ツ裂きにされる予定なのに、よく平気だね」


 つい皮肉を口に出すと、老師探偵はクックと低い声で笑う。


「私の死地となる館は、かつて私自身が設計した妖館と呼ばれるもののひとつだ。私の作った妖館で、多くの殺人事件が起こり、大勢が死んでいった……作者である私自身がそこで死ぬのは、宿命とも言える」


「それが、本音ってワケ? 自分が建てた館で死んだヒトへの贖罪のために死ぬっていうの?」


「まぁどうせ最期だ……島に到着するまでは時間がかかるから、教えておくか」


 老師探偵がハンドルから手を離し、懐からタバコを取り出して咥え、ライターで火を点けた。

 ウチのいない方に煙を吐き出しつつ、話を続ける。


「私が過去に『館探偵』として名を馳せたのは知っているな?」


「ドラマの題材にもなったんでしょ? 主演の役者さん、顔は全然似てないのに、じっちゃんの髭だけはしっかり再現してて笑っちゃったわ」


「くく、懐かしいな。自分で作った妖館で起きた怪事件を、設計者としての義務感から解決していただけだったんだが……世間から評価を得た。愛する妻と出会い、子が生まれ、孫までできた。後継の探偵の育成を始め、いつしか老師探偵と呼ばれるようになった。順風満帆の人生。贖罪は済んだと、そう思っていた」


 いつになく饒舌な老師探偵の語りが、途切れた。

 それから心の整理がついたのか、紫煙を口から吐き出し、言葉の続きを紡ぐ。


「だが明けぬ夜事件で……自分の後継者だと見込んでいた探偵が、私の家族を皆殺しにした。まだ言葉も話せなかった孫すらも、容赦なくな」


「何、ソイツ。何の恨みがあって、そんなこと――」


「その探偵は……私が設計した『妖館』で起きた事件の、生き残りだったんだよ。明けぬ夜事件の犯人、明王にその事実を教えられた彼女は……理性を失ったんだ」


 火のついたままのタバコを素手で握り潰し、老師探偵は苦々しげ表情を浮かべる。


 その顔には、いつでも余裕な素振りを見せるジイさんには珍しいほど、怒りと悲しみが滲み出ていて。取り繕う余裕すらないほど、老師探偵の心に深い傷を残した事件だったんだと感じさせた。


「許せないのは犯人ではない。彼女の事情も知らずに、師匠面をしていた私自身だ。家族を失って以来、老師探偵などと呼ばれ、のぼせ上がっていた自分自身を、未だ許せていない」


「……犯人は、じっちゃんが妖館の設計者だなんて、知らなかったのかもね。ほら、どんなに好いている相手だって、嫌な面を知ったら好意が反転することってあるじゃん?」


 ミユキのことを思い出しつつ、ウチは語った。

 あの子が死を望むまで追い込まれた要因は間違いなく、尊敬していた主治医の裏の顔を知ってしまったことだ。


 慕っていたヒトに失望するのは、普通の裏切りよりも、ずっとツラくて。好きでいつづけるのがツラいから、自分を誤魔化すために、全力で嫌いになる。


 程度の差はあれども、ヒトなら誰だってとりうる行動だ。


「じっちゃんは、じっちゃんなりに罪を償ってきたのに……何だか、やるせないね」


「結局、ヒトは自分の犯した罪からは逃げられんのだよ。器用に糾弾を逃れ、記憶からも忘却したところで、いつかは報いを受けるものだ」


「でも、大勢を殺して自分も死ぬウチらは、逃げ切りってことになるんじゃない?」


「いいや。お前が背負い切れなかった罪を、残られた者たちが背負うことになる。復讐心とは、対象がいなくとも……いや、対象がいなくなったあとほど、大きく膨らむものだ」


「なるほど、ね」


 スマホの写真フォルダを開き、オカンや弟妹チビたちの写真を。次に、チョッパーやナッツ、ミユキと遊園地で撮った写真を見つめる。


 自惚れているようで気恥ずかしいけど、みんなミユキを失った時のウチみたいな反応を、きっとしてくれるよね。


 想像しただけで、胸が痛いな。

 でも、もうウチは、止まれない。止まるワケには、いかないの。


「できる限り、罪を背負って死ぬしかないっしょ。これは、他の誰でもない。ミユキの名誉を守るっていう、ウチのエゴで行う殺戮なんだからね」


「いい覚悟だ、3点をやるぞ」


「点数しょっぱ」


 その時、後ろからガツン、ガツンと、重厚な足音を立てて、黄色の和製甲冑を身にまとった人物が近づいてきた。


 ウチより小さく、身長は150cmにも満たないだろう。

 ただ、顔を包む面具は鬼を想わせる形相で、口元が銀色の髭で包まれており、体格以上の威圧感を醸し出している。


 その威圧感とは不釣り合いな、女子中高生らしい声で、甲冑の人物はウチらに話しかける。


「到着、何時いつ? 拙者、退屈」


蒲公英たんぽぽ、そう逸るな。通信用のアンテナの破壊や、万が一の戦闘の際は、お前さんが頼りだ。今は身体を休めて、カロリーの摂取に集中してくれ」


「合点」


 老師探偵の言葉に素直に従って、甲冑の少女は船の奥へと戻っていく。

 声こそ可愛いものの、その風貌や佇まいからは、並々ならない圧を感じた。


 何となく分かる。

 恐らく彼女は、ウチよりもずっと多くのヒトを、殺しているんだ。


「あの子が『明けぬ夜』の用心棒ねぇ……見えないなぁ」


「小柄な体躯だが、蒲公英は体重が百キロを超える、筋肉の塊だぞ。もちろん鎧を抜いてな」


「あ、漫画で読んだことあるわ。ミオスタチンなんちゃらっしょ? 筋肉がヤバいことになるヤツ」


「やれやれ……若い衆は何でも漫画から知識を聞き齧るな。もっと詳しく言うなら、蒲公英は幼い頃から筋肉の成長速度が異常で、過剰なまでの筋肉量を誇るそうだ」


 足音がやたらと重厚なのも納得。

 絶対に直では、やり合いたくない。


「まだまだ世界には、ウチの知らないことがいっぱいだなぁ」


「世界に未練があるか?」


「そりゃあるっしょ。まだまだツレたちと遊びたかったし、モデルとしてランナウェイを歩きたかったし、探偵としてもっと色んな事件を解決したかった」


 ミユキのために死ぬと決めてから、毎日のように、もしかしたらありえたかもしれない未来の光景を夢に見た。


 その傍らには、必ず笑顔のミユキがいて。

 ウチはミユキに微笑みかけて、手を伸ばす。


 すると、ミユキがいたはずの場所は空っぽになって、手は宙を切ってしまうんだ。


 まるで調布トルソ・マーダー事件を終えたあと、駅のホームで、ミユキに手が届かなかった時のように――。


「でも、未練以上に後悔がある。

 だから、ウチの物語はここで終わり。

 ここでスパッと、切断サヨナラして、物語を終わらせるんだ」


 ガタッと音がして振り返る。

 振り返った先では、運転室の隅のタオルケットの上に、ウチと同い年くらいの黒髪の男の子が寝かされている。


 きっと寝返りを打ったんだろう。

 見れば見るほど、平凡そうで、何もオーラを感じない。

 蒲公英と同じ『明けぬ夜』の一員かと思って、警戒をしていたけど、その必要はなさそうだ。


「ずっと気になってたんだけどさー……あの子、何?」


 老師探偵はウチの問い掛けを受けて、何だかとても楽しげに白い歯をこぼしてみせた。


「私から八ツ裂き公への、最期の置き土産さ」



 『探偵撲滅』前日譚-渋谷切断-(終)

 「切換」


    ◆


 島に船をつけて上陸し、船着き場から続く長いトンネルを抜け、山に囲まれた野道へと出た。


 この先には監視カメラが設置されていて、ウチや蒲公英の同行がバレるそうなので、道から外れて林へと踏み込んでいく。


 木々の香りに涼やかな風、小鳥の鳴き声、波の音。

 都会では縁のない大自然が心地いい。

 大量殺戮の予定がなかったら、じっくりと味わいたいところだ。


 ただ、ウチや蒲公英の先を行く老師探偵の顔は、やけに険しかった。


「警戒しろ、渋谷探偵、蒲公英。例のロボットの警備ルートに入ったぞ」


「八ツ裂きのヤッくんが説明していたヤツっしょ? ウチらは索敵対象じゃないし、出血だってしてないから大丈夫だって」


 そう言うと同時に――老師探偵の足元でガシャンと、鋼鉄がぶつかり合う音がした。


 老師探偵の足元を見てみると、足のすぐそばでゲームでよく見る罠、トラバサミが閉じた状態で置かれている。

 さっきのは、トラバサミが閉じた音だったのか。

 少しでも踏み外していたら、足が悲惨なことになっていた。


「血のニオイで索敵を行うロボットが警備役なら、出血が生じる罠も合わせて設けられる。警戒する理由が分かったか?」


「……りょ」


「理解。拙者、警戒、強化」


 ウチの後ろを、例の男の子を担ぎながら歩く蒲公英が答えた。

 この子は、無駄を省くことに心血を注いでいるとかで、熟語でしか話さない。

 ぶっちゃけ話しづらい。


蜜姫ハニー、後退、推奨。拙者、前方、警戒」


「下がればいいのね、あいあい」


 ただ、ウチを気遣ってくれている様子から、いい子なんだろうことは伝わってくる。


 犯罪者集団『明けぬ夜』に身を置いてみて、分かったことはみっつだ。


 まず、裏社会は意外と日常のすぐそばに存在すること。

 次に、やっぱりウチ程度の能力じゃ、探偵としても、犯罪者としても、中途半端ってこと。


 そして最後は、犯罪者だって人間で、リカルドや四崎のようなクズばかりではないってことだ。


 ウチが出会った『明けぬ夜』のメンバーは、どいつもコイツも、揺るぎない信念を持ったヒトたちばかり。

 ブッ飛んではいても、筋が通っている分、ある意味で信頼できた。


「おっと、いい塩梅のものが落ちているな。蒲公英、担いでいる少年は、このロッカーの中に入れてくれ」


 老師探偵が爛々とした目でボロボロのロッカーを見つけ、戸を開いて手招きした。

 開くとギチギチと鈍い音がして、中から虫が飛び出してくる。

 この中に数日間入れられるとか、どんな拷問だよ。


「もっとマシな場所に入れてあげれば?」


「研究棟は毒で満ちるし、洋館にはトリックを仕掛ける。どうせ手術の影響で、まだまだ目覚めないんだ。どうせなら安全でかつ、ギョッとするような場所で目覚めさせたい」


「いや、何でよ……可哀想じゃん」


 ウチの真っ当な問いに、老師探偵は今日一番愉快そうな顔で答える。


「若者に試練を与えるのが好きなんだよ、私は」


「じっちゃんのそういうところ、マジで嫌いだわ」


「さて、この場を離れる前に、コイツの探偵デバイスにメッセージを残しておかなくてはな。出会ったのは今から、あー……三日前だったか。よし、二人とも、ちょっと離れていてくれ」


 そう言ってウチらを離れさせて、男の子の探偵デバイスに声を録音する老師探偵の姿は、意気揚々といった雰囲気。

 弟子の成長を期待する師匠のようだった。


「……若者に試練を与える、ね。誰への試練なんだか」


 計画外の参加者。

 ウチらとは別行動で準備を進める八ツ裂き公にとって、この男の子の存在は何よりも、寝耳に水なはず。計画が破綻する最大の要因になりえるだろう。


 仮に探偵同盟から指示を受けていたとしても、邪魔なら始末すればいいのに、老師探偵はそれをしない。

 一連の態度から察してはいたけど、やっぱり八ツ裂き公に、心酔してはいないんだ。


 だからこそ、こんな試すような真似をしているんだと思う。

 まるで、探偵同盟と八ツ裂き公の双方に、自分の身を挺して試練を与えるみたいに。


「――警戒!」


 突然ウチの隣の蒲公英が、鎧を着ているとは思えない俊敏な動きで身をかがめた。


 その視線の先にいたのは、黒い卵のような外見の、巨大ロボット。

 近づいてきたその漆黒の鉄塊の、見上げるほどの大きさと、ひとつ目めいた外観の威圧感に、思わず息を呑んでしまう。


 コイツが例の殺人ロボットか。

 探偵同盟の元となった組織が遺した、最悪の形見。

 もし条件を満たしたら、こんなのに追い回されてしまうなんて、想像しただけでゾッとする。


「拙者、焦燥。対象、硬度、想像以上。推定、破壊不可」


「んーと、要は思ったより強そうってこと? 放っとこうよ、触らぬロボにエラーなし。メカも触れずば、壊れまい~ってことでさぁ」


 蒲公英の手甲に包まれた腕に触れて、立ち上がるよう促す。

 蒲公英が震えていたおかげで、ウチ自身の震えは誤魔化せた。


 平静を装っているけど、ぶっちゃけウチだってビビってる。

 だってウチは、このロボに殺されたって文句を言えないほどの大罪を、これから犯そうとしているんだもの。


 八ツ裂き公の計画通りに行けば、ウチはこれから二十人以上を殺すことになる。

 いつも通りのテンションでいようとしても、やっぱ無理。

 怖いよ、ミユキ。不安が口から出ちゃいそうだ。

 怖い。怖い。怖い――


「さぁ、蒲公英ちゃん。パパっと探偵たちを撲滅にしちゃおうぜい」


 そんな本音を飲み込んで、蒲公英に笑顔で語りかけた。


    ◆


 日が沈み始めた頃――ようやく森を抜け、この島には不釣り合いなほど立派なビルへと、カメラに映らないよう慎重に近づいた。


 老師探偵がウチらと別れ、ビルの中に入っていく。

 老師探偵としての実績と立場を活かして、ビルの中の職員たちを殺害するための準備を行うんだ。


 一方ウチらは、蒲公英が通信用のアンテナへと向かい、ウチがビルのそばの茂みに身を潜めつつ、鞄から多数のボタンが付いた、テレビのリモコン状の機械を取り出す。


 これは、今日のために作られた毒殺装置とっておきのコントローラー。


 今ごろ老師探偵は、通例の巡回に乗じて、各階に毒ガスの発生装置を設置しているはず。


 内部の撹乱役の老師探偵と息を合わせて、毒殺装置を起動することと、万が一外に脱出してきた探偵にトドメを刺すのが、ウチの役割だ。


 窓の様子から各階の停電が確認できたら、起動スイッチ・オン

 空調も、扉の開閉も停止したこの施設は、文字通り、巨大な毒殺室と化す。


 事前に情報を知っていて、ガスマスクを装備する老師探偵しか生き残れない。


 想像しただけで冷や汗が垂れて、鼓動が速まった。

 ミユキを失ってから何も感じなかったはずの胸が、痛い、痛いと悲鳴をあげ始める。


 痛い、痛い、痛い。でも、耐えろ。これは、生きている証拠だ。嬉しいはずだ。幸せなはずなんだ。気持ちいいと思え。気持ちいいと思え。気持ちいいと思え――。


 不安な気持ちごと本音を塗り潰そうと、必死に頭の中で叫び続けた。


「八ツ裂き公のヤツ……何が、直接殺さないなら負担がかからない、だよ……負担かかりまくりだわ」


 今更ながら気付いた。

 きっとアイツは、自分自身の手で誰かを殺したことがないか、もしくは「自分は殺していない」と本気で思い込んでいるんだ。


 生い立ちを考えれば後者かな。

 たくさんの死を経験しすぎて、生命を背負うのを諦めてしまったのかもしれない。


 何だか、スゴくムカつく。

 ウチらに大勢殺させておいて、自分は清廉潔白なんて、ズルじゃん。

 引き返せないこの状況になって、今更ながら、八ツ裂き公への不満が湧き上がってきた。


 だって、アイツのおかげでミユキの名誉が守られているのは確かだけど、同時にアイツは、ミユキの仇でもあるんだから。


 感謝すればいいのか、恨めばいいのか分からなくて、頭がグチャグチャになる。

 もう、何も考えたくない。


「予定通りなら……あと3分で停電開始かな」


 ――残り3分。

 考え事をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 夕闇の中で輝くビルの窓を見つめつつ、頭の中では色んな考えが交錯していく。


 今ウチがここで八ツ裂き公を裏切れば、少なくとも二十人以上を救える。ウチがコントローラーのスイッチに触れなければ、それだけで、殺さずに済むんだ。今までに四人殺したとは言っても、ウチは未成年。人生をやり直すことだって、今ならできるかもしれない。


 ああ、クソ! なんて、情けない。

 ここまでに固めてきたはずの覚悟が、情けないほど簡単にゆるんでしまう。


 バカ過ぎるぞ、佐奈江犬美。

 引き返せるワケないでしょうが。

 もうウチは、引き返すことなんて、できないんだよ。


 ――残り2分。

 コントローラーを持つ右手が震え始めた。

 今すぐ投げ捨てて、ここから逃げ出したくなる。

 震えを止めようと、手首を掴んでみるけど、止まらない。


 どうすればいいか分からず、思い切り噛み付いてみた。

 何とか震えが止まった。


 もはや緊張しすぎて、頭の中が真っ白だ。

 大好きなチョッパーやナッツの顔も、浮かんでこない。


 ウチは、一人ぼっちなんだって、そう思えた。


 ――残り1分。

 遠くで何かが盛大に壊れる音が聞こえてきて、耳につけた通信機に「破壊、完了」と蒲公英の声が聞こえてきた。


 蒲公英が通信用のアンテナを破壊してくれた合図だ。


 これで、研究棟内の通信機器は全部使えない。

 あとは、停電を起こして、毒ガスを発生させれば終わり。


 痛いくらいに胸がドキドキする。

 コントローラーを持つ手に、汗が滲んでいく。

 ヤバい。迷っている暇なんてない。もう、覚悟を決めなきゃ。


 ――残り30秒。

 見つめ続ける窓には、まだ明かりが灯っている。

 早く消えろ、いや消えないで。

 相反したふたつの気持ちが湧き上がり続けて止まらない。


 停電を確認できたら、スイッチを切換オン

 それで今度こそ、完全に、取り返しがつかなくなるんだ。


 後悔はある。葛藤もある。迷いだってある。

 ウチはどこで、選択肢を間違えてしまったのかな。


 もし、もう一度人生を繰り返せるなら、今度は後悔しないように生きたい。


 ――残り10秒。

 うん、決めた。ちゃんと殺して、ちゃんと死のう。

 このあとは蒲公英ちゃんの運転する船で本土に戻って、探偵同盟のメンバーと合流し、研究棟の死体を発見する。


 そして老師探偵の弟子という立場も活かして、老師探偵を捜索するチームに入れてもらって、洋館のシャンデリアに潰されるんだ。


 運命だって受け入れよう。

 仕方がないことだから、怖いけど、怖くない。


 ――ビルの窓から明かりが消えた。

 予定通り、老師探偵が停電を引き起こしたんだ。


 コントローラーのスイッチの上に、震える指を乗せた。

 目をつぶって、天国まで届くことを祈り、囁きかける。


「ミユキ……あと少しで、そっちに行くからね」


 指にチカラを込めて、スイッチを切換オン


 同時に、殺人鬼ウチは地獄に行くからミユキのいる天国には行けないことに気付いて、一人泣いた。


 ………………………………………………………

 …………………………………………………

 ……………………………………………

「じゃあ『無能探偵』ってことでヨロシク」

「ええー!?」


 ねぇ、聞いてよ。

 ウチね、ミユキにそっくりなヒトと出会ったの。


 いや、外見は似てないんだけどさ。

 おどおどして、他人のことばっかり気にして。

 臆病なくせに、他人のためなら、勇気を振り絞れるヒトでね。


 そんなヒトに命を救われたのを……柄にもなく、運命だとか、思っちゃったんだよね。


 ……………………………………

「昔……友達が目の前で殺されたことがあってね。誰かを守れるような探偵になろうと思って、がんばってきたんだ」

「……そう思えるだけで、十分強いと思うけどね」


 そのヒトは、ウチと同じような境遇で、しかも取り柄なんてひとつもないのに、強いヒトでさ。


 そばにいると、ウチもこのヒトみたいに強くなれたのかな、とか思っちゃったのよ。


 でもウチは、その時には二十人以上を殺した大量殺人犯で……何もかもが今更過ぎた。


 そのヒトに惹かれれば惹かれるほど。

 探偵同盟のみんなを好きになればなるほど、ツラくて、泣きたくなったよ。


 ………………………………

「じゃあ先輩、生きて帰れたらちゃんと本名を教えてよね」

「え……? 今じゃなくてもいいの?」

「うん……いい。だからウチより先に死んだり、油断して殺されたりしちゃダメだよ? 分かった?」


 ほんの少しだけ希望も抱いた。

 もしかしたら、ウチもみんなの仲間になれるのかな……って。


 ありえない理想ファンタジーに縋ろうとも思ったの。

 でも当然、理想ゆめは叶わなくて。


 ウチは、自分自身の手で、悲劇の幕を開いたんだ。


 …………………………

「吸血鬼ハンターの末裔、エヴァンス=ヘルシングが保証しよう。明けない夜はない、夜明けは必ず訪れるとな」

「たはは……なに、それ。明けない夜はない、とか……中二丸出しじゃん……本名まで明かして、何のアピールだっつーの」


 自分と似た境遇のヒトを手にかけて。

 ウチと同じ悲劇を、小さな女の子に押し付けて。


 最期の最後まで、ウチは夜明けから、目を背け続けた。


 もう少しだけ辛抱すれば、夜が明けたかもしれないのにね。

 ほんと、笑っちゃうでしょ?


 ……………………

「ホームズさんを失った時、キミが僕を支えてくれたみたいに……今度は僕がキミを支えるよ! だから、一緒に行こう、渋谷さん!」

「どこまで……あの子に似てんだよ」


 最期に、ミユキに似たあのヒトが、教えてくれたよ。


 ウチが今でも、ミユキを好きでいるみたいに。

 毎日チョッパーとナッツが、連絡をくれるみたいに。

 先輩たちが命懸けで、手を伸ばし続けてくれたみたいに。


 ヒトとヒトとの繋がりは、そう簡単に切断できない。

 諦めない限り、どんな悲劇だって、覆せるんだ、って。


 きっと、ウチは諦めるのが、早すぎたんだね。


 ………………


 ねぇ、ミユキ。

 ミユキとウチも、まだ、繋がっているのかな?


 長い長い走馬灯ゆめも終わって。

 やっと眠れるんだし、最期に信じるくらい、いいよね……?


 …………


 また、会いたかったよ。


 さようなら。

 ミユキ。


 ……


 『渋谷Ø切断』-完-


    ◆










 伸ばした手を誰かが掴んでくれた。


 目を開けると、そこは花々が咲き誇る草原の中で。

 目の前に立つ丸眼鏡の女の子が、ウチの手を握ったまま、不思議そうにこちらを見つめている。


「犬美、どうして泣いてるの?」


「へ?」


 自分が泣いていることに今更気付いた。

 慌てて涙を拭いて、眼鏡の女の子――ミユキに手を引かれるようにして、立ち上がる。


「どうして、泣いてたんだろうね。何だか……スゴく長くて、ヒドい悪夢を見てた気がするわ」


「せっかくピクニックに来たのに、一人で眠るから罰が当たったんだね」


 そう言って唇を尖らせたミユキの手には、大きなランチバッグが握られている。

 それを見て、ようやく記憶が鮮明になってきた。


「あ、そっか……今日はみんなで、ピクニックに、来てたんだっけ?」


「もう、どこまで寝ぼけてるの? ナッちゃんとチヨちゃんは遅れて来るからって、二人で先に来て、準備を始めてたんだよ?」


「あー……言われてみると、そんな気がしてきた。うん……きっと、そうだったね」


「せっかく早起きして、犬美が好きなタコ焼きサンドを作ってきたのに……私一人で食べちゃおうかな」


「ごめん、ごめんって~! マジでミユキ好き! 愛してる~!」


 そっぽを向こうとしたミユキに抱きついて、バランスを崩し、二人で草原へと倒れ込んでしまう。

 原っぱの柔らかな感触を肌に感じながら、二人で抱き合ったまま転がった。


 鼻先同士がくっつきそうなほどの距離間。

 ミユキが顔を赤くして、周囲をキョロキョロと見渡しつつ、弱々しい声で囁く。


「い、犬美、恥ずかしいよ……ナッツに見られたら、また写真撮られちゃう。ほら、早く立って?」


「ごめん……無理……」


「犬美……? また、泣いてるの?」


 ミユキの胸に顔を埋めて、泣き顔を隠し、強く抱きしめる。

 そんなウチを、ミユキは事情も聞かずに、抱きしめ返してくれた。


 いつもの声。いつものニオイ。いつもの感触。

 なのに、今日はなぜか、このまま離れたくない。


 何か、とても大切なことを、忘れている気がする。


 まぁどうでもいいか。

 大好きなミユキが、ウチの目の前にいるんだ。

 それだけで十分。それだけで、ウチは幸せなんだから。


「ミユキ……好き」

「うん、知ってる」


「好き」

「うん」


「好き」

「うん」


「好き」

「うん」


 駄々っ子みたいに同じ言葉を繰り返すウチに、ミユキはいつまでも付き合ってくれて。


 この先に何があったとしても。

 死が二人を分かつとも、ずっと一緒にいようと思えた。


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