-渋谷Ø切断-(終)「切換」
船を運転する老師探偵の隣の席で、窓の外の海を眺める。
ウチらが目指す場所は、地図にすら載っていない絶海の孤島。
そこでウチは、20人以上を殺す予定だ。
でも、視界に広がる海は日差しを受けて、キラキラと輝いて見えた。
八ツ裂き公と出会ってから今までに、リカルド以外に三人を毒殺する機会を与えられてきたけど、未だに殺しには慣れない。
殺すことを考えただけで、頭がぼんやりする。
「ボーッとしているみたいだが、大丈夫か?」
シワの多い手でハンドルを操りながら、老師探偵が訊ねた。
「いや何というか……これから大勢を殺すし、数日後にはウチも死ぬんだなぁと思うと、変な気分になってさ」
「結局、殺しには慣れんかったか。お前さんはそれでいい。最後まで自分を貫くといい」
「……自分だって八ツ裂きにされる予定なのに、よく平気だね」
つい皮肉を口に出すと、老師探偵はクックと低い声で笑う。
「私の死地となる館は、かつて私自身が設計した妖館と呼ばれるもののひとつだ。私の作った妖館で、多くの殺人事件が起こり、大勢が死んでいった……作者である私自身がそこで死ぬのは、宿命とも言える」
「それが、本音ってワケ? 自分が建てた館で死んだヒトへの贖罪のために死ぬっていうの?」
「まぁどうせ最期だ……島に到着するまでは時間がかかるから、教えておくか」
老師探偵がハンドルから手を離し、懐からタバコを取り出して咥え、ライターで火を点けた。
ウチのいない方に煙を吐き出しつつ、話を続ける。
「私が過去に『館探偵』として名を馳せたのは知っているな?」
「ドラマの題材にもなったんでしょ? 主演の役者さん、顔は全然似てないのに、じっちゃんの髭だけはしっかり再現してて笑っちゃったわ」
「くく、懐かしいな。自分で作った妖館で起きた怪事件を、設計者としての義務感から解決していただけだったんだが……世間から評価を得た。愛する妻と出会い、子が生まれ、孫までできた。後継の探偵の育成を始め、いつしか老師探偵と呼ばれるようになった。順風満帆の人生。贖罪は済んだと、そう思っていた」
いつになく饒舌な老師探偵の語りが、途切れた。
それから心の整理がついたのか、紫煙を口から吐き出し、言葉の続きを紡ぐ。
「だが明けぬ夜事件で……自分の後継者だと見込んでいた探偵が、私の家族を皆殺しにした。まだ言葉も話せなかった孫すらも、容赦なくな」
「何、ソイツ。何の恨みがあって、そんなこと――」
「その探偵は……私が設計した『妖館』で起きた事件の、生き残りだったんだよ。明けぬ夜事件の犯人、明王にその事実を教えられた彼女は……理性を失ったんだ」
火のついたままのタバコを素手で握り潰し、老師探偵は苦々しげ表情を浮かべる。
その顔には、いつでも余裕な素振りを見せるジイさんには珍しいほど、怒りと悲しみが滲み出ていて。取り繕う余裕すらないほど、老師探偵の心に深い傷を残した事件だったんだと感じさせた。
「許せないのは犯人ではない。彼女の事情も知らずに、師匠面をしていた私自身だ。家族を失って以来、老師探偵などと呼ばれ、のぼせ上がっていた自分自身を、未だ許せていない」
「……犯人は、じっちゃんが妖館の設計者だなんて、知らなかったのかもね。ほら、どんなに好いている相手だって、嫌な面を知ったら好意が反転することってあるじゃん?」
ミユキのことを思い出しつつ、ウチは語った。
あの子が死を望むまで追い込まれた要因は間違いなく、尊敬していた主治医の裏の顔を知ってしまったことだ。
慕っていたヒトに失望するのは、普通の裏切りよりも、ずっとツラくて。好きでいつづけるのがツラいから、自分を誤魔化すために、全力で嫌いになる。
程度の差はあれども、ヒトなら誰だってとりうる行動だ。
「じっちゃんは、じっちゃんなりに罪を償ってきたのに……何だか、やるせないね」
「結局、ヒトは自分の犯した罪からは逃げられんのだよ。器用に糾弾を逃れ、記憶からも忘却したところで、いつかは報いを受けるものだ」
「でも、大勢を殺して自分も死ぬウチらは、逃げ切りってことになるんじゃない?」
「いいや。お前が背負い切れなかった罪を、残られた者たちが背負うことになる。復讐心とは、対象がいなくとも……いや、対象がいなくなったあとほど、大きく膨らむものだ」
「なるほど、ね」
スマホの写真フォルダを開き、オカンや
自惚れているようで気恥ずかしいけど、みんなミユキを失った時のウチみたいな反応を、きっとしてくれるよね。
想像しただけで、胸が痛いな。
でも、もうウチは、止まれない。止まるワケには、いかないの。
「できる限り、罪を背負って死ぬしかないっしょ。これは、他の誰でもない。ミユキの名誉を守るっていう、ウチのエゴで行う殺戮なんだからね」
「いい覚悟だ、3点をやるぞ」
「点数しょっぱ」
その時、後ろからガツン、ガツンと、重厚な足音を立てて、黄色の和製甲冑を身にまとった人物が近づいてきた。
ウチより小さく、身長は150cmにも満たないだろう。
ただ、顔を包む面具は鬼を想わせる形相で、口元が銀色の髭で包まれており、体格以上の威圧感を醸し出している。
その威圧感とは不釣り合いな、女子中高生らしい声で、甲冑の人物はウチらに話しかける。
「到着、
「
「合点」
老師探偵の言葉に素直に従って、甲冑の少女は船の奥へと戻っていく。
声こそ可愛いものの、その風貌や佇まいからは、並々ならない圧を感じた。
何となく分かる。
恐らく彼女は、ウチよりもずっと多くのヒトを、殺しているんだ。
「あの子が『明けぬ夜』の用心棒ねぇ……見えないなぁ」
「小柄な体躯だが、蒲公英は体重が百キロを超える、筋肉の塊だぞ。もちろん鎧を抜いてな」
「あ、漫画で読んだことあるわ。ミオスタチンなんちゃらっしょ? 筋肉がヤバいことになるヤツ」
「やれやれ……若い衆は何でも漫画から知識を聞き齧るな。もっと詳しく言うなら、蒲公英は幼い頃から筋肉の成長速度が異常で、過剰なまでの筋肉量を誇るそうだ」
足音がやたらと重厚なのも納得。
絶対に直では、やり合いたくない。
「まだまだ世界には、ウチの知らないことがいっぱいだなぁ」
「世界に未練があるか?」
「そりゃあるっしょ。まだまだツレたちと遊びたかったし、モデルとしてランナウェイを歩きたかったし、探偵としてもっと色んな事件を解決したかった」
ミユキのために死ぬと決めてから、毎日のように、もしかしたらありえたかもしれない未来の光景を夢に見た。
その傍らには、必ず笑顔のミユキがいて。
ウチはミユキに微笑みかけて、手を伸ばす。
すると、ミユキがいたはずの場所は空っぽになって、手は宙を切ってしまうんだ。
まるで調布トルソ・マーダー事件を終えたあと、駅のホームで、ミユキに手が届かなかった時のように――。
「でも、未練以上に後悔がある。
だから、ウチの物語はここで終わり。
ここでスパッと、
ガタッと音がして振り返る。
振り返った先では、運転室の隅のタオルケットの上に、ウチと同い年くらいの黒髪の男の子が寝かされている。
きっと寝返りを打ったんだろう。
見れば見るほど、平凡そうで、何もオーラを感じない。
蒲公英と同じ『明けぬ夜』の一員かと思って、警戒をしていたけど、その必要はなさそうだ。
「ずっと気になってたんだけどさー……あの子、何?」
老師探偵はウチの問い掛けを受けて、何だかとても楽しげに白い歯をこぼしてみせた。
「私から八ツ裂き公への、最期の置き土産さ」
『探偵撲滅』前日譚-渋谷切断-(終)
「切換」
◆
島に船をつけて上陸し、船着き場から続く長いトンネルを抜け、山に囲まれた野道へと出た。
この先には監視カメラが設置されていて、ウチや蒲公英の同行がバレるそうなので、道から外れて林へと踏み込んでいく。
木々の香りに涼やかな風、小鳥の鳴き声、波の音。
都会では縁のない大自然が心地いい。
大量殺戮の予定がなかったら、じっくりと味わいたいところだ。
ただ、ウチや蒲公英の先を行く老師探偵の顔は、やけに険しかった。
「警戒しろ、渋谷探偵、蒲公英。例のロボットの警備ルートに入ったぞ」
「八ツ裂きのヤッくんが説明していたヤツっしょ? ウチらは索敵対象じゃないし、出血だってしてないから大丈夫だって」
そう言うと同時に――老師探偵の足元でガシャンと、鋼鉄がぶつかり合う音がした。
老師探偵の足元を見てみると、足のすぐそばでゲームでよく見る罠、トラバサミが閉じた状態で置かれている。
さっきのは、トラバサミが閉じた音だったのか。
少しでも踏み外していたら、足が悲惨なことになっていた。
「血のニオイで索敵を行うロボットが警備役なら、出血が生じる罠も合わせて設けられる。警戒する理由が分かったか?」
「……りょ」
「理解。拙者、警戒、強化」
ウチの後ろを、例の男の子を担ぎながら歩く蒲公英が答えた。
この子は、無駄を省くことに心血を注いでいるとかで、熟語でしか話さない。
ぶっちゃけ話しづらい。
「
「下がればいいのね、あいあい」
ただ、ウチを気遣ってくれている様子から、いい子なんだろうことは伝わってくる。
犯罪者集団『明けぬ夜』に身を置いてみて、分かったことはみっつだ。
まず、裏社会は意外と日常のすぐそばに存在すること。
次に、やっぱりウチ程度の能力じゃ、探偵としても、犯罪者としても、中途半端ってこと。
そして最後は、犯罪者だって人間で、リカルドや四崎のようなクズばかりではないってことだ。
ウチが出会った『明けぬ夜』のメンバーは、どいつもコイツも、揺るぎない信念を持ったヒトたちばかり。
ブッ飛んではいても、筋が通っている分、ある意味で信頼できた。
「おっと、いい塩梅のものが落ちているな。蒲公英、担いでいる少年は、このロッカーの中に入れてくれ」
老師探偵が爛々とした目でボロボロのロッカーを見つけ、戸を開いて手招きした。
開くとギチギチと鈍い音がして、中から虫が飛び出してくる。
この中に数日間入れられるとか、どんな拷問だよ。
「もっとマシな場所に入れてあげれば?」
「研究棟は毒で満ちるし、洋館にはトリックを仕掛ける。どうせ手術の影響で、まだまだ目覚めないんだ。どうせなら安全でかつ、ギョッとするような場所で目覚めさせたい」
「いや、何でよ……可哀想じゃん」
ウチの真っ当な問いに、老師探偵は今日一番愉快そうな顔で答える。
「若者に試練を与えるのが好きなんだよ、私は」
「じっちゃんのそういうところ、マジで嫌いだわ」
「さて、この場を離れる前に、コイツの探偵デバイスにメッセージを残しておかなくてはな。出会ったのは今から、あー……三日前だったか。よし、二人とも、ちょっと離れていてくれ」
そう言ってウチらを離れさせて、男の子の探偵デバイスに声を録音する老師探偵の姿は、意気揚々といった雰囲気。
弟子の成長を期待する師匠のようだった。
「……若者に試練を与える、ね。誰への試練なんだか」
計画外の参加者。
ウチらとは別行動で準備を進める八ツ裂き公にとって、この男の子の存在は何よりも、寝耳に水なはず。計画が破綻する最大の要因になりえるだろう。
仮に探偵同盟から指示を受けていたとしても、邪魔なら始末すればいいのに、老師探偵はそれをしない。
一連の態度から察してはいたけど、やっぱり八ツ裂き公に、心酔してはいないんだ。
だからこそ、こんな試すような真似をしているんだと思う。
まるで、探偵同盟と八ツ裂き公の双方に、自分の身を挺して試練を与えるみたいに。
「――警戒!」
突然ウチの隣の蒲公英が、鎧を着ているとは思えない俊敏な動きで身をかがめた。
その視線の先にいたのは、黒い卵のような外見の、巨大ロボット。
近づいてきたその漆黒の鉄塊の、見上げるほどの大きさと、ひとつ目めいた外観の威圧感に、思わず息を呑んでしまう。
コイツが例の殺人ロボットか。
探偵同盟の元となった組織が遺した、最悪の形見。
もし条件を満たしたら、こんなのに追い回されてしまうなんて、想像しただけでゾッとする。
「拙者、焦燥。対象、硬度、想像以上。推定、破壊不可」
「んーと、要は思ったより強そうってこと? 放っとこうよ、触らぬロボにエラーなし。メカも触れずば、壊れまい~ってことでさぁ」
蒲公英の手甲に包まれた腕に触れて、立ち上がるよう促す。
蒲公英が震えていたおかげで、ウチ自身の震えは誤魔化せた。
平静を装っているけど、ぶっちゃけウチだってビビってる。
だってウチは、このロボに殺されたって文句を言えないほどの大罪を、これから犯そうとしているんだもの。
八ツ裂き公の計画通りに行けば、ウチはこれから二十人以上を殺すことになる。
いつも通りのテンションでいようとしても、やっぱ無理。
怖いよ、ミユキ。不安が口から出ちゃいそうだ。
怖い。怖い。怖い――
「さぁ、蒲公英ちゃん。パパっと探偵たちを撲滅にしちゃおうぜい」
そんな本音を飲み込んで、蒲公英に笑顔で語りかけた。
◆
日が沈み始めた頃――ようやく森を抜け、この島には不釣り合いなほど立派なビルへと、カメラに映らないよう慎重に近づいた。
老師探偵がウチらと別れ、ビルの中に入っていく。
老師探偵としての実績と立場を活かして、ビルの中の職員たちを殺害するための準備を行うんだ。
一方ウチらは、蒲公英が通信用のアンテナへと向かい、ウチがビルのそばの茂みに身を潜めつつ、鞄から多数のボタンが付いた、テレビのリモコン状の機械を取り出す。
これは、今日のために作られた
今ごろ老師探偵は、通例の巡回に乗じて、各階に毒ガスの発生装置を設置しているはず。
内部の撹乱役の老師探偵と息を合わせて、毒殺装置を起動することと、万が一外に脱出してきた探偵にトドメを刺すのが、ウチの役割だ。
窓の様子から各階の停電が確認できたら、
空調も、扉の開閉も停止したこの施設は、文字通り、巨大な毒殺室と化す。
事前に情報を知っていて、ガスマスクを装備する老師探偵しか生き残れない。
想像しただけで冷や汗が垂れて、鼓動が速まった。
ミユキを失ってから何も感じなかったはずの胸が、痛い、痛いと悲鳴をあげ始める。
痛い、痛い、痛い。でも、耐えろ。これは、生きている証拠だ。嬉しいはずだ。幸せなはずなんだ。気持ちいいと思え。気持ちいいと思え。気持ちいいと思え――。
不安な気持ちごと本音を塗り潰そうと、必死に頭の中で叫び続けた。
「八ツ裂き公のヤツ……何が、直接殺さないなら負担がかからない、だよ……負担かかりまくりだわ」
今更ながら気付いた。
きっとアイツは、自分自身の手で誰かを殺したことがないか、もしくは「自分は殺していない」と本気で思い込んでいるんだ。
生い立ちを考えれば後者かな。
たくさんの死を経験しすぎて、生命を背負うのを諦めてしまったのかもしれない。
何だか、スゴくムカつく。
ウチらに大勢殺させておいて、自分は清廉潔白なんて、ズルじゃん。
引き返せないこの状況になって、今更ながら、八ツ裂き公への不満が湧き上がってきた。
だって、アイツのおかげでミユキの名誉が守られているのは確かだけど、同時にアイツは、ミユキの仇でもあるんだから。
感謝すればいいのか、恨めばいいのか分からなくて、頭がグチャグチャになる。
もう、何も考えたくない。
「予定通りなら……あと3分で停電開始かな」
――残り3分。
考え事をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
夕闇の中で輝くビルの窓を見つめつつ、頭の中では色んな考えが交錯していく。
今ウチがここで八ツ裂き公を裏切れば、少なくとも二十人以上を救える。ウチがコントローラーのスイッチに触れなければ、それだけで、殺さずに済むんだ。今までに四人殺したとは言っても、ウチは未成年。人生をやり直すことだって、今ならできるかもしれない。
ああ、クソ! なんて、情けない。
ここまでに固めてきたはずの覚悟が、情けないほど簡単にゆるんでしまう。
バカ過ぎるぞ、佐奈江犬美。
引き返せるワケないでしょうが。
もうウチは、引き返すことなんて、できないんだよ。
――残り2分。
コントローラーを持つ右手が震え始めた。
今すぐ投げ捨てて、ここから逃げ出したくなる。
震えを止めようと、手首を掴んでみるけど、止まらない。
どうすればいいか分からず、思い切り噛み付いてみた。
何とか震えが止まった。
もはや緊張しすぎて、頭の中が真っ白だ。
大好きなチョッパーやナッツの顔も、浮かんでこない。
ウチは、一人ぼっちなんだって、そう思えた。
――残り1分。
遠くで何かが盛大に壊れる音が聞こえてきて、耳につけた通信機に「破壊、完了」と蒲公英の声が聞こえてきた。
蒲公英が通信用のアンテナを破壊してくれた合図だ。
これで、研究棟内の通信機器は全部使えない。
あとは、停電を起こして、毒ガスを発生させれば終わり。
痛いくらいに胸がドキドキする。
コントローラーを持つ手に、汗が滲んでいく。
ヤバい。迷っている暇なんてない。もう、覚悟を決めなきゃ。
――残り30秒。
見つめ続ける窓には、まだ明かりが灯っている。
早く消えろ、いや消えないで。
相反したふたつの気持ちが湧き上がり続けて止まらない。
停電を確認できたら、スイッチを
それで今度こそ、完全に、取り返しがつかなくなるんだ。
後悔はある。葛藤もある。迷いだってある。
ウチはどこで、選択肢を間違えてしまったのかな。
もし、もう一度人生を繰り返せるなら、今度は後悔しないように生きたい。
――残り10秒。
うん、決めた。ちゃんと殺して、ちゃんと死のう。
このあとは蒲公英ちゃんの運転する船で本土に戻って、探偵同盟のメンバーと合流し、研究棟の死体を発見する。
そして老師探偵の弟子という立場も活かして、老師探偵を捜索するチームに入れてもらって、洋館のシャンデリアに潰されるんだ。
運命だって受け入れよう。
仕方がないことだから、怖いけど、怖くない。
――ビルの窓から明かりが消えた。
予定通り、老師探偵が停電を引き起こしたんだ。
コントローラーのスイッチの上に、震える指を乗せた。
目をつぶって、天国まで届くことを祈り、囁きかける。
「ミユキ……あと少しで、そっちに行くからね」
指にチカラを込めて、スイッチを
同時に、
………………………………………………………
…………………………………………………
……………………………………………
「じゃあ『無能探偵』ってことでヨロシク」
「ええー!?」
ねぇ、聞いてよ。
ウチね、ミユキにそっくりなヒトと出会ったの。
いや、外見は似てないんだけどさ。
おどおどして、他人のことばっかり気にして。
臆病なくせに、他人のためなら、勇気を振り絞れるヒトでね。
そんなヒトに命を救われたのを……柄にもなく、運命だとか、思っちゃったんだよね。
……………………………………
「昔……友達が目の前で殺されたことがあってね。誰かを守れるような探偵になろうと思って、がんばってきたんだ」
「……そう思えるだけで、十分強いと思うけどね」
そのヒトは、ウチと同じような境遇で、しかも取り柄なんてひとつもないのに、強いヒトでさ。
そばにいると、ウチもこのヒトみたいに強くなれたのかな、とか思っちゃったのよ。
でもウチは、その時には二十人以上を殺した大量殺人犯で……何もかもが今更過ぎた。
そのヒトに惹かれれば惹かれるほど。
探偵同盟のみんなを好きになればなるほど、ツラくて、泣きたくなったよ。
………………………………
「じゃあ先輩、生きて帰れたらちゃんと本名を教えてよね」
「え……? 今じゃなくてもいいの?」
「うん……いい。だからウチより先に死んだり、油断して殺されたりしちゃダメだよ? 分かった?」
ほんの少しだけ希望も抱いた。
もしかしたら、ウチもみんなの仲間になれるのかな……って。
ありえない
でも当然、
ウチは、自分自身の手で、悲劇の幕を開いたんだ。
…………………………
「吸血鬼ハンターの末裔、エヴァンス=ヘルシングが保証しよう。明けない夜はない、夜明けは必ず訪れるとな」
「たはは……なに、それ。明けない夜はない、とか……中二丸出しじゃん……本名まで明かして、何のアピールだっつーの」
自分と似た境遇のヒトを手にかけて。
ウチと同じ悲劇を、小さな女の子に押し付けて。
最期の最後まで、ウチは夜明けから、目を背け続けた。
もう少しだけ辛抱すれば、夜が明けたかもしれないのにね。
ほんと、笑っちゃうでしょ?
……………………
「ホームズさんを失った時、キミが僕を支えてくれたみたいに……今度は僕がキミを支えるよ! だから、一緒に行こう、渋谷さん!」
「どこまで……あの子に似てんだよ」
最期に、ミユキに似たあのヒトが、教えてくれたよ。
ウチが今でも、ミユキを好きでいるみたいに。
毎日チョッパーとナッツが、連絡をくれるみたいに。
先輩たちが命懸けで、手を伸ばし続けてくれたみたいに。
ヒトとヒトとの繋がりは、そう簡単に切断できない。
諦めない限り、どんな悲劇だって、覆せるんだ、って。
きっと、ウチは諦めるのが、早すぎたんだね。
………………
ねぇ、ミユキ。
ミユキとウチも、まだ、繋がっているのかな?
長い長い
やっと眠れるんだし、最期に信じるくらい、いいよね……?
…………
また、会いたかったよ。
さようなら。
ミユキ。
……
『渋谷Ø切断』-完-
◆
伸ばした手を誰かが掴んでくれた。
目を開けると、そこは花々が咲き誇る草原の中で。
目の前に立つ丸眼鏡の女の子が、ウチの手を握ったまま、不思議そうにこちらを見つめている。
「犬美、どうして泣いてるの?」
「へ?」
自分が泣いていることに今更気付いた。
慌てて涙を拭いて、眼鏡の女の子――ミユキに手を引かれるようにして、立ち上がる。
「どうして、泣いてたんだろうね。何だか……スゴく長くて、ヒドい悪夢を見てた気がするわ」
「せっかくピクニックに来たのに、一人で眠るから罰が当たったんだね」
そう言って唇を尖らせたミユキの手には、大きなランチバッグが握られている。
それを見て、ようやく記憶が鮮明になってきた。
「あ、そっか……今日はみんなで、ピクニックに、来てたんだっけ?」
「もう、どこまで寝ぼけてるの? ナッちゃんとチヨちゃんは遅れて来るからって、二人で先に来て、準備を始めてたんだよ?」
「あー……言われてみると、そんな気がしてきた。うん……きっと、そうだったね」
「せっかく早起きして、犬美が好きなタコ焼きサンドを作ってきたのに……私一人で食べちゃおうかな」
「ごめん、ごめんって~! マジでミユキ好き! 愛してる~!」
そっぽを向こうとしたミユキに抱きついて、バランスを崩し、二人で草原へと倒れ込んでしまう。
原っぱの柔らかな感触を肌に感じながら、二人で抱き合ったまま転がった。
鼻先同士がくっつきそうなほどの距離間。
ミユキが顔を赤くして、周囲をキョロキョロと見渡しつつ、弱々しい声で囁く。
「い、犬美、恥ずかしいよ……ナッツに見られたら、また写真撮られちゃう。ほら、早く立って?」
「ごめん……無理……」
「犬美……? また、泣いてるの?」
ミユキの胸に顔を埋めて、泣き顔を隠し、強く抱きしめる。
そんなウチを、ミユキは事情も聞かずに、抱きしめ返してくれた。
いつもの声。いつものニオイ。いつもの感触。
なのに、今日はなぜか、このまま離れたくない。
何か、とても大切なことを、忘れている気がする。
まぁどうでもいいか。
大好きなミユキが、ウチの目の前にいるんだ。
それだけで十分。それだけで、ウチは幸せなんだから。
「ミユキ……好き」
「うん、知ってる」
「好き」
「うん」
「好き」
「うん」
「好き」
「うん」
駄々っ子みたいに同じ言葉を繰り返すウチに、ミユキはいつまでも付き合ってくれて。
この先に何があったとしても。
死が二人を分かつとも、ずっと一緒にいようと思えた。
『探偵撲滅』前日譚Ⅰ-渋谷Ø切断- 日本一ソフトウェア @nippon1
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