-渋谷Ø切断-⑤「愛沢美幸と八ツ裂き公」


 スマホの光しか光源のない薄暗い空間へと、どこからか隙間風が吹き込んだ。


 風を受け、ウチの目の前の青年の長髪が、ヒラヒラとほどけて揺れる。


 骨格と服装のおかげで何とか男性と分かる程度の、中性的な容姿と相まって、青年はどこか艷やかで、目が離せない。


 まるで神様と出会ったような、そんな不可思議な心地をウチは味わっていた。


「――そっか。キミの大切な友達の死には、キミのお父さんが関わっていたんだね」


 とても優しげな声で、青年――被虐探偵は語りかける。

 被虐探偵と言えば、別格の理想探偵、外道探偵を除けば、文学探偵と並んで、若手の探偵の中でトップクラスの実績を誇る実力者。


 こうして直接会って話してみると、やっぱり地道な努力を続けるウチみたいな半端者とはオーラからして違う。


「お父さんを本気で殺そうと思ったことや、殺し屋に対しての振る舞いも全部話してくれて嬉しいよ。探偵同盟には報告しないから、安心してね」


「助かるよ……巻き込んで、ごめんね」


「気にしないで。僕たちは、仲間なんだから」


 ニコッと微笑む被虐探偵。

 先ほどまで見ていたリカルドの下品極まりない笑顔と落差で、嫌でも心がホッとする。


 表情だけでなく、一挙手一投足から優しさが感じられて、普段のウチなら適当なウソを織り交ぜるだろう箇所も、全て正直に話してしまった。


 悪意を感じないから、つい心が緩み、本心を曝け出してしまうんだ。


「だけど、本当にスゴいよ。渋谷さんは、ここまで酷い仕打ちを受けても、お父さんを殺さずに、許してあげたんだから。僕なら正直……耐えられるか分からない」


「いや……そんな、大層な理由じゃないんだ」


「え? なら、どんな理由なの?」


 未だに震えが止まらない両手を被虐探偵に見せながら、まるで懺悔でもするみたいに、ウチは自分でも目を背けたい本心を語る。


「ウチは、ミユキを失ってから……食べ物の味も、痛みも、ずっと何も感じずにいたの。でも、ミユキの事件の関係者を追い込む時だけは、胸が痛いほど高鳴って、生きてるって感じがして……自分でも最低って自覚があるけど、心地よかったんだ」


「それは、いいことだと思うよ。褒められた理由じゃないかもしれないけど、きっと、今の渋谷さんには必要なことだったんだよ」


「そう……かもね。ハッキリ言って、復讐心だけが、ウチの身体を支えてた。復讐したいからこそ、ウチは前を向けていた。だけど――」


 リカルドの首を絞めた時の脈動の感触を思い出し、今にも吐きそうになる。

 天国にいるはずのミユキへ謝罪する心地で、床に手を着き、流れ落ちる涙も拭かずに語っていく。


「ヒトを殺すのが……怖かった。いざ手のひらの中に生命があると感じたら、何もできなくなってしまった……! ウチは、口ばっかりで、本当は誰かを殺す覚悟なんてできていなかったんだよ!」


 真っ暗な店内に悲鳴じみたウチの声が反響する。


 そばに立つ老師探偵も、目の前に立つ被虐探偵も、何も語らず、黙ってウチの言葉に耳を傾け続けてくれていた。


「復讐したい一心で努力を続けてきたのに、ガキの頃から憎かった親父一人殺せないなんて……笑っちゃうね。所詮、ウチは一人じゃ何もできない渋谷探偵なんだ、って思い知りましたよ」


「大丈夫」


 被虐探偵がウチにそっと手を差し出す。

 その手には、真新しい傷や傷を防ぐ包帯が見えて、彼の過酷な暮らしが透けて見えるようだった。


「キミは一人じゃない。キミが一人で抱え切れないなら、僕も一緒に抱えるよ。僕は、この理不尽な世界の敵で、世界を恨む被害者の味方だからね」


「……ありがと。でもさ、一緒に抱えるってどうする気? まさか、代わりに殺してくれるとか、言わないよね?」


 ――探偵が殺しへの協力なんてするワケがない。

 そんな当たり前のことを理解しつつ、冗談めかして言ってみた。


 しかし返ってきたのは、意外過ぎる答え――


「キミの殺しはキミだけのものだ。代わりに請け負うなんてできないよ。だけど、手に残る感触がイヤなら、いくらでも対策は考えられるんじゃない?」


 まるで殺し自体は肯定するかのごとく、被虐探偵は言った。

 困惑して聞き返す間もなく、更に言葉は続く。


「例えば……そう、銃は楽だね。銃殺で大量虐殺を行ったヒトは少なくない数いる。でも僕の知る限り、著名な殺人鬼たちですら、刃物や素手で大量の殺人を犯して、精神が摩耗しなかったヒトはいないんだ。相手の命が途絶える瞬間を直接感じるかどうかは、精神的な負担が段違いなんだよ」


 淡々と恐ろしいことを語り続ける被虐探偵。

 その語り口は、明らかに冗談ではなく、現代文の教科書を朗読でもするみたいにスムーズで、聞き入ってしまう。


「キミが殺せなかったのは、今の精神状態では耐え切れないと、無意識に判断したのかもしれないね。キミの人生は実に悲劇的だけれど……まだ救いがある。キミは、自分の心を壊さずに殺人を遂げる選択肢を、新たに得ることができたのだから。自分を誇ってあげようよ、渋谷さん」


「ま、待って……待って待って待って、冗談キツいって。何なの? あなた、ウチに銃を使って殺せって言ってるワケ?」


「え? 逆に聞きたいのだけど……キミは殺したくないの?」


 被虐探偵がウチを見つめた。

 先ほどまで優しく見えたその瞳は、今は一切の光を閉じ込めたみたいに真っ黒で、見ているとそのまま吸い込まれそうだ。


 不気味だけど、美しい。

 深夜の街に初めて足を踏み入れた時の、罪悪感と高揚が思い出される。


「本気で殺そうと思ったって、言ったよね……? その気持ちはウソだったのかな? 僕はキミ自身が望むならチカラになってあげられるけれど、望んでいないなら助けてあげられない……ねぇ、正直な気持ちを教えてよ」


「ウ、ウチ、は……本気で殺したいと、思ってる……」


「本当に……? 僕の前では、ウソをつかなくてもいいんだよ」


「ほ――本当に殺したいってば!!」


 つい声を荒げてしまったウチに、被虐探偵はくしゃりと微笑んだ。


「そっか。本気で殺したいんだね……じゃあ、僕には止められないよ」


 その言葉だけで、鼓動が早くなる。


 息が苦しい。

 上手く、呼吸することができない。

 頭がぼんやりとして、考えがまとまらなくなる。


 この子は本当に、何者なんだろう。


「渋谷探偵……お前さんが厳しいなら、私が代わりにやってやろうか?」


「ダメだよ、老師さん。それはルール違反だ」


 ウチに歩み寄ろうとした老師探偵を、被虐探偵が制した。


「直接助けちゃいけない。あくまで手を差し伸べて、本人の望む方向に、背中を押してあげなくちゃ」


 そう語る被虐探偵の目は真剣そのもの。

 ウチらのリーダー、理想探偵にだって負けない、強烈な眼力だ。


 同年代とは思えないほどの凄みに、肌がブツブツとアワ立った。

 老師探偵に声をかけられなかったら、ずっと目を合わせたまま、反らせなかったと思う。


 そんな、圧の強い眼光を向けられながらも、老師探偵は余裕の笑みをたたえたままで語る。


「そうカッカしなさんな、被虐探偵。ちょいと弟子に老婆心を出してしまっただけだろう」


「あなたはたとえ仲間であっても、油断のならないヒトだからね。警戒し過ぎるくらいでちょうどいいよ」


「やれやれ……老い先短い年寄りが、随分と買い被られたものだ」


 この二人は一体どんな関係なのだろう。

 被虐探偵と老師探偵が二人で捜査したなんて話、ウチの情報網にも引っかかったことがない。


 あまりにもタイミングよく二人が現れたことと言い、冷静になればなるほど、腑に落ちない点が増えていく。


 その時、ウチの手元でカランッと音が鳴った。

 視線を落とすと、そこには何かの液体入りのビンが転がっている。


「これ、って……」


 手にとってラベルを見てみると、英字が多数書かれている中に、一際大きく「バトラコトキシン」という文字が見えた。


 中身がどんなに危険か、それだけで分かってしまう。

 バトラコトキシンと言えば、とあるドクガエルが分泌することで有名で、一匹分の毒でゾウを2匹殺せるとか、肌に触れただけでも死んでしまうとか言われている猛毒だ。


 この一本のビンで、何人の命を奪えるのか、想像もつかない。


「このビン、あなたが置いたの……?」


 被虐探偵に訊ねかけても、首をかしげるばかりで、何も答えない。

 だけど、状況から考えれば、目の前の青年が用意したとしか考えようがなかった。


「それは、触れただけでも死んでしまうほど強力な毒薬のビンみたいだね。万が一、中身が顔に垂れでもしたら危険だから、気をつけよう」


 胸が高鳴った。

 今の状況で、触れるだけでも死ぬ毒薬。

 この毒薬なら、銃の引き金を引くより何の手応えもなく、リカルドを殺せる。


「殺人なんて初めてのウチでも、簡単に……」


 ビンの蓋を開きつつ、リカルドのそばに立った。

 リカルドはまだ気絶しているらしくて、ピクリとも動かない。


 ただ、スーツに包まれた胸筋が、呼吸に合わせて膨張と収縮を繰り返していて、この男が生きていることをありありとウチに伝えてくる。


 緊張で、今にも手足が震え出しそうだ。


 ――本当にウチはコイツを殺していいの?

 つーか、ここは知り合いの店だし、一瞬でバレるじゃん。

 もっと冷静になった方がいいんじゃない?


「その彼が死んでしまったら、迎えに来たいヒトたちがいるそうだよ」


 ウチの緊張を見抜いたのか、被虐探偵が語り掛けてきた。


「彼らはプロだから、死体を100%見つからない場所に隠れてしまうだろうね。そうなったら僕ら探偵としては大変だから、注意しないと」


 ――つまり、殺してもコチラで死体を処理してあげる。

 だからキミは捕まらないよ、と。

 そう言いたいワケだ。


「はは、は……」


 薬ビンを握ったまま乾いた笑いが漏れた。

 踏み止まろうとするたびに、足元が崩れて止まれなくなる。

 足場が少しずつ削られていって、気付いたら断崖絶壁。


 もう足を止める理由も、勇気も、なくなってしまっていた。


「ねぇ、老師のじっちゃん……ウチが今みたいな状況になること、最初から分かってたの?」


 そばにいる老師探偵に問い掛けると、少しの間のあと、返事が返ってきた。


「順当な流れなら、この状況になるだろうと思っていた。広報探偵を同行させれば、いい方向に転ぶかもしれないとも考えていたが、上手くいかないものだ」


「まぁ……ウチが自分で、広報ちゃんを引き離したからね」


 そうだ。

 ナッツも、チョッパーも、広報探偵も。

 ウチが一人きりにならないよう、手を伸ばしてくれていた。

 老師探偵も彼なりに、別の道を指し示してくれていたんだ。


 それをことごとく切断って、この袋小路にたどりついたのはウチ自身。

 我ながらバカ過ぎて、もう笑うしかない。


「……バカだよね、本当に」


 自然と手がビンをリカルドの顔の上まで運ぶ。

 もう、緊張も、震えもない。


 朝食を作る時に卵を割るみたいに軽やかに、ビンの中身をリカルドの顔に垂らした。


 それと同時に、すぐそばの被虐探偵が小さく拍手をする。


「よく勇気を振り絞ったね。その勇気に敬意を表して、キミには真実を話してあげるよ」


「真実……?」


 暗がりの中で輝く被虐探偵の目が、弓状に細くなり、夜空にふたつ浮かんだ三日月みたいになる。


 そしてその場でくるりと一回転したかと思うと、深々とお辞儀をひとつして、耳を疑うような言葉を口にする。


「改めまして、こんばんわ、さん。

 僕がキミの親友を救ってあげた張本人……八ツ裂き公だよ」


 『探偵撲滅』前日譚-渋谷切断-⑤

 「愛沢美幸と八ツ裂き公」


    ◆


 愛沢美幸さんと出会ったのは、精神科を専門とする四崎病院の前の通りだった。


 別に患者だというワケではない。

 波長の合うヒトと出会える確率が高いから、僕はよく黒いウワサのある場所を彷徨いているんだ。


 病院から出てきた彼女の顔は、ヒドく青ざめていた。

 偶然を装って彼女に缶コーヒーの中身をかけて、連絡を取る口実を作ると、あとはトントン拍子に話が進む。


 どうやら母親の容態が悪くなる一方で、その上、主治医の先生に本気で恋しているらしい。


 難儀な状態。

 助けてあげたいと思って、定期的に相談に乗ってあげた。

 母親が退院を許されるよう、主治医の小細工を台無しにしてあげたりもした。


 嫌いなんだよね……ヒトの信頼を弄ぶようなヤツって。


 そのおかげで徐々に、母親の精神状態は改善されていったよ。

 ただ、それは同時に、愛沢さんの信頼していた主治医の裏の顔を知る結果にも繋がって、彼女を苦しめたけどね。


 愛沢さんにはよく話題に出す親友が三人いたから、彼女たちに悩みを打ち明けるようアドバイスもしたかな。

 まぁ心配をかけたくないと言って、一人で抱え込んでしまっていたけれどね。


 友達想いで、責任感が強く、悩みを吐き出せない性格。

 いつか来るだろうと思っていた限界は――思ったよりも早く訪れた。


「どうしよう、レくん……! お母さんが、お母さんが――」


 電話越しでも伝わる焦燥。

 どうやら、母親が主治医を殺してしまったようだ。

 母親は主治医の殺害後、今彼女の自宅で休んでいるらしい。


 まずは順当に、母親を自首させるよう勧めてみたけど、愛沢さんは拒否した。

 きっと、受け入れることができなかったんだろう。


 彼女の母親への愛情は本物だった。

 どれほど迷惑をかけられ、心労を負ったとしても、ただでさえ心が傷ついた母親に、更なる追い打ちをかけるような真似はできなかったんだ。


 ひとまず愛沢さん自身も限界そうだったから、休むように伝えた。

 一方で、僕は組織の人間に指示を出し、いつでも動けるように準備を進めていった。


 これまでに多くの悲劇を目の当たりにしてきた僕には、愛沢さんがこの先どのような決断を下すか、手にとるようにわかったんだ。


 それから三日後、予想通り、愛沢さんから助けを求める電話がかかってきた。


 殺人犯を匿うなんて精神的に堪えるに決まっている。

 この国の警察と探偵は優秀だから、素人の犯行はそう隠し通せるものじゃない。

 母親を守りたい愛沢さんとしては、追い詰められていく一方だ。


 そこで、僕は母親を守るための方法をひとつ示してあげた。

 事件の加害者として追い詰められるのを避けたいなら、事件の被害者になってしまえばいい――とね。


 今世間を賑わせている八ツ裂き公事件の被害者になってしまえば、世間から同情されはしても、加害者として追及されることなんてなくなるんだ。


 愛沢さんも最初は嫌がっていたよ。

 要は母親を死なせろってことだから、当然だよね。

 そんな彼女を励ますべく、僕は根気強く、「大丈夫」と伝え続けた。

 彼女の憂いを取り除けるよう、言葉を尽くして、懸命に励ました。


 そして愛沢さんはようやく覚悟を固めたんだ。

 自分たち家族を苦しめる悲劇に、自ら幕を下ろす覚悟をね。


 ただ、佐奈江さんにひとつ理解して欲しいのは、僕は確かに八ツ裂き公だけど、愛沢さんたち家族には指一本触れていないということ。


 僕は彼女たちに『八ツ裂き公』の名を利用して、名誉を守る方法を教えただけなんだ。


 あー……まだ理解できていないという顔だね。

 もっと、分かりやすく言ってあげるよ。


 愛沢さんたち家族を殺した犯人なんて、初めからいない。


 彼女たちは互いに互いを殺し合ったのさ。

 傍目には自殺だなんて思えないよう、凄惨な死に様を演出し、証拠が残らないトリックを施した上でね。


 つまり、だ……佐奈江さんが復讐を果たすべき犯人なんて初めからいなかったんだよ。


    ◆


 被虐探偵――いや、八ツ裂き公が語り終えたあとも、ウチは何も言葉を発せずにいた。


 理解が追いつかない。

 ミユキは、ママさんと互いに殺し合って死んだ?

 ありえない。ありえない、ありえない、ありえない。


「ありえないッ!!」


 頭を振るう。頭を掻きむしる。力みすぎて、つけ爪が剥がれて飛び散る。


 これは夢だ。夢に違いない。

 ウチは、ミユキの無念を晴らそうと必死だったのに。

 ミユキの死の真相を解き明かすことだけが、今のウチの生きる理由なのに。


 ミユキが、ママさんの名誉を守るために自分の意志で死んだなら、ウチのこれまでの行動は何の意味があるって言うの――?


「あんなに優しいヒトが自ら死を選ぶなんて……最低で、最悪で、あまりにも残酷な悲劇だよね」


 溜め息と共に八ツ裂き公が言った。

 ウチは思わず、掴みかかって、まだ手にしたままだった毒ビンを頬に近づけた。


「アンタの、アンタのせいでしょうが……ッ! アンタさえいなければ、ミユキは! ミユキはァァァ……!」


「僕がいなかったら、どうなっていたのかな? ミユキさんは、最愛の母親が殺人犯として捕まるのに、耐えきれたと思うかい? 精神科医との愛憎劇はさぞ世間を賑わせたろうねぇ……当然、娘である愛沢さんも格好の報道ネタになったろう」


「そうなったら、ウチが支えていたよ……! アンタさえいなかったら……! ウチらに打ち明けてくれていたら、ミユキを救えた! 救えたんだよ!」


「でも打ち明けられなかった。

 キミじゃあ愛沢さんを救えなかったんだ」


「~~~~~ッ!」


 言い返せない。

 だって、ウチはミユキの性格を理解しているから。

 誰よりもがんばり屋で、優しいあの子なら、自分の家族のことで友達を巻き込むなんて、できるワケがない。


 一人で抱え込んでしまうに決まってる。


「キミだって、分かっているんだろう? ミユキさんには、この結末しかなかったんだ、って」


「だ……黙れよ! もう、黙れよォ……!」


 毒ビンの中身を八ツ裂き公の顔に振り撒く。


 普通なら、絶対に顔へかかる距離。

 にも関わらず、毒は不自然なまでに八ツ裂き公の顔からそれて、一滴もかからずに四散した。


 その光景を目の当たりにして、八ツ裂き公はどこか寂しげに、声もなく笑う。


「……また死ねなかった。キミほどの殺意を持ってしても、僕には届かないか」


 それは皮肉には聞こえなくて。

 まるで、本気で死を望んでいるように感じた。

 ますます不気味に思いながらも、ウチは八ツ裂き公に負けまいとがなりたてる。


「アンタ、マジで何なんだよ……! ミユキを死に追いやって、今度はウチを追い込んで、何がしたいワケ!?」


「言ったでしょう? キミのチカラになりたいんだよ」


「どの口で言ってんだよ! もうウチには生きる理由がもうない! アンタのチカラなんて、必要ないんだ!」


「イヒヒ、ヒヒヒ! いいや、キミは必ず僕のチカラが必要になるね!」


 ウチの眼前で八ツ裂き公が愉快そうに笑う。

 最初に出会った時の、優しげな空気はもはや一切感じられない。


 完全に、動画で観た狂気的な八ツ裂き公そのものだ。

 同一人物とは思えないほど、凶悪で、狂気的な空気を醸し出している。


「佐奈江さんはもしかして、僕を警察にでも突き出す気かな?」


「当然でしょうが! こんなヒドい話を聞いて、黙ってられると思ってんの!?」


「そうか、それは残念だよ。そうなれば愛沢さんも、晴れて八ツ裂き公事件の被害者から、狂気の加害者に転じてしまうね」


「ハァ? それはどういう――」


 八ツ裂き公の言葉の意味を理解して、思考が凍りつく。


 そうか。

 八ツ裂き公事件の真相を世に公表することは、ミユキが殺人犯として扱われる結果に繋がるんだ。


 悲劇的な生涯を送って、最期まで救われなかったあの子を、死後まで貶める……?


 それも、ウチ自身の手で?

 考えただけで吐きそうになった。

 そんなの無理。できない。できるワケがない。


「よく分かったみたいだねぇ? キミは八ツ裂き公事件の真相を、公表できるワケがないんだ。なんたってキミにとって、愛沢さんは誰よりも守りたい存在なんだからねぇ!」


 八ツ裂き公の笑い声が店内に響き渡った。


 頭では、この狂人の犯行を公表すべきだって分かってる。

 でもミユキの顔を思い浮かべると、どうしてもできない。

 それくらい、ウチにとって、ミユキの存在は特別で。彼女の名誉を貶めるくらいなら、世界の方が壊れてしまえばいいって、本気で思うんだ。


「そっか……ミユキもママさんに、同じ感情を抱いていたんだ」


 ママさんの件が耐え切れなくなって、生命を断ったワケじゃなかったんだね。


 疑ったりしてごめん、ミユキ。

 よく考えたら、アンタはそういう子だったよね。

 いつだって、自分のことより他人のこと優先で。


 自分の身を平気で投げ出したりする、優しい子。


 今からでも言いたいことはいっぱいあるけど、ひとまず全部気にしない。

 今ウチがミユキのためにできることは、ひとつだけだから。


「で……八ツ裂き公、ウチを仲間に引き入れて、アンタは何がしたいの?」


「話が早くて助かるよ。もう、覚悟はできた?」


「……今更引けないっしょ。アンタにノセられて、ヒトだって殺してるのに」


 わざわざ手間をかけてまで、ウチの背中を後押ししたのは、あとに引けなくするためだったんだろう。

 ウチはまんまと策にハメられたワケだ。


 まぁ、今更どうでもいいけどね。


「八ツ裂き公事件の真相がバレたら、ミユキの名誉を傷つけることになる。ウチは親友として、今度こそあの子を守らないといけない。そのためなら、何だってするよ」


「なら……八ツ裂き公の正体を追う探偵同盟は、壊滅に追い込まないと、ね」


 それから八ツ裂き公は自分の考えている計画について、淡々と語り出した。


 今政府から探偵同盟宛に、八ツ裂き公事件の捜査の依頼が届いていて、理想探偵が捜査のための特別チームに参加する、精鋭を選定中だという。


 ただその実、精鋭とは名ばかりの、八ツ裂き公事件の容疑者と監視役のみの集団になる見込み。

 そして確実に、ウチと被虐探偵はメンバーに入るらしい。


「優秀なアンタはともかく、何でウチまで入るワケ?」


「関係者が殺されていてかつ、キミは十五歳だからね。確実にメンバーに入るよ。断言してもいい」


「よく分かんないけど、まぁいいや。ともかく、ウチはアンタの計画に加担してあげる。ただ……気が変わってアンタをブッ殺しちゃうかもしれないから、覚悟はしといてよね」


 皮肉を込めて言ったのに――


「大歓迎だよ。チャンスがあれば、ぜひ僕を殺してね」


 満面の笑みで嬉しそうに即答され、困惑した。

 とても皮肉で言っていようには思えない。


 歴史に名を残すだろう大罪人で、時折見せる狂気は恐ろしいのに、どことなくノンキで、締まらない。


 善人的にすら感じるその物腰の柔らかさが、凶悪な正体を知った今では、余計に不気味に感じる。


 きっとこの印象の多様さこそが、コイツの魅力なんだろう。

 見るヒトによって、天使にも、悪魔にも、もう一人の自分にも感じられてしまうからこそ、八ツ裂き公は多くのヒトを惑わせてしまうんだ。


「精鋭を集めて捜査を行うとしたら、舞台は探偵同盟本部にして絶海の孤島、モルグ島だ。普通なら束になったって勝てない理想探偵が相手でも、勝ち目はある」


「本部ってことは、研究チームも大勢いるはずっしょ? どう太刀打ちするつもり?」


「こちらには、本部の施設を設計した張本人、老師探偵がいるんだ。いくらでも始末できるよ」


 あっさりと恐ろしいことを語る八ツ裂き公。

 やっぱコイツの価値観はブッ壊れてるな、と思った。


「……じっちゃんは探偵同盟を裏切って平気なの?」


 傍観者に徹していた老師探偵を睨みつける。

 年長者として信頼していたのに、裏切り者だったなんて。

 ウチをこの業界に引き込んだ張本人だということもあって、二重の意味でショックだった。


「渋谷探偵、八ツ裂き公事件の真実を知って、どう思った?」


「あん? そりゃ胸糞悪いな、って思ったよ」


「なぜ、悪感情を抱く? この事件で一体誰が損していると言うんだ?」


「そんなの、死んでいったヒトたち全員に決まってるっしょ」


「彼らは自ら死を望んでいるのに、か?」


「それは……そう、かもだけどさ。でも、本当に死ぬのが正解だったかなんて、分からないじゃん」


 ミユキの死が正解だったとは思いたくないのもあって、やや熱くなりつつ、老師探偵の言葉に食って掛かった。


 すると老師探偵が冷笑し、答える。


「そうだ……何が正解かは分からん。長く生き過ぎた私の目では、もはや真実を見極められない。だから、次世代を担う者たちに託すことにしたのだ」


「……そのために、仲間を殺すの?」


「覚悟はできている。

 これまでにも私は……多くの屍の上を歩いてきたからな」


 ウチと違って、迷いのない答え。

 これ以上は、話し合いの意味がないと察する。

 ウチ以外の二人は既に、覚悟が固まり切っているんだ。


「ウチ、は……」


 目をつぶると、ナッツとチョッパーの顔が思い浮かんだ。

 つい、頭の中で、二人に手を伸ばしそうになる。

 まだ二人と繋がっていられるんじゃないかと、期待せずにいられない。


 そんな未練たらしい自分に、心の底から、腹が立つ。


 その時――死んだはずのリカルドが、小さく咳き込んだ。

 八ツ裂き公が目を丸くして、リカルドへ向き直る。


「あれ? 生きてたの? しぶといなぁ……まぁ、どうせ毒で長くないし、放っておけばいいか」


「どいて」


 八ツ裂き公を押し除けてリカルドへ近づき、腹の上に座って、手袋をはめる。

 そしてその太い首を両手で掴んだ。


「何する気? どうせ、そのヒトはすぐに死ぬんだから、放っておけばいいよ」


「黙ってて。手も汚さずに殺そうだなんて……甘かった。だから覚悟が固まり切らなかったんだ……心のどこかで、まだ引き返せるって思っちゃってるんだよ」


 両手にチカラを込めると、リカルドが小さく声を漏らした。

 両手に、ピクン、ピクンと、弱々しい脈動を感じる。

 その脈動を止めようと、必死にチカラを込める。

 精いっぱい絞め上げる。


「いぬ、み」


 リカルドが血走った目を見開き、ウチを見つめた。

 子どもの頃に殴られた記憶がフラッシュバックする。怖くて震えそうになる。悲しくもないのに涙が出て、汗が吹き出す。胸の中に怒りと焦りと悲しみと恐怖が湧き上がって、グチャグチャになっていく。


「ミユキを失ったあの日……ウチの日常は終わったんだよ……! もう、迷ってなんか、いられない! 踏みとどまってなんか、いられないの! だから、もう、ウチを迷わせないで!!」


 未練を全て切断つように、更に一層、チカラを込めた――


「……渋谷探偵、もういい」


 老師探偵に声をかけられて、ようやく我に返った。


 どれほど長い間、ウチは首を絞め続けていたんだろう。


 リカルドが目を見開いたまま虚空を見つめている。

 その首を握ったまま手には、もう脈動を感じない。

 チカラいっぱい絞め続けた肉の感触に、支配されてしまっている。


 これが、ヒトを殺した感触か。


「なんだ……大したこと、ないじゃん」


 そう一言呟いて、八ツ裂き公の元に歩いていく。


 ウチは今度こそ、正真正銘の人殺しとなった。

 だけど、不思議なほど心は晴れやかで、息苦しくない。

 だって、ミユキの味わった苦しみを、少しでも体感することができたから。


 皮肉にも、普通なら心を壊すほどの胸の痛みが、今のウチには何よりも、生きる実感を与えてくれる。


「今度こそ、ミユキのことを守り抜いてみせるからね」


 そして、それから月日は流れ、とうとう八ツ裂き公の計画の実行日が訪れた――


 ⇒渋谷Ø切断(終)

「切換」へ続く。


    ◆

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