鵜飼

@syusyu101

鵜飼

 どんは何やら、鵜飼うかいに対して隠し事をしているようだった。

 鵜飼の佐吉は船の上から縄を手繰り、縄の先の鵜どんを船に寄せた。

 鵜どんは魚を獲る鳥である鵜という種族に似合わず、あまりにも覇気がなく、川上から流れてくる枯れ葉の如き手ごたえで佐吉の元へ戻ってくる。


「いかがいたしましたか、佐吉どん」

「いやな、鵜どん。どうも俺には、お前さんが隠し事をしているように思えるのだ」

「へぇ」


 佐吉が尋ねるも、鵜どんは「はぁ」だか「へぇ」だか「ほほぅ」だか、間の抜けた返事しかせず、事のハッキリとした輪郭の欠片も映しはしない。

 佐吉はだんだん苛立ってきたが、自分が雇用主で、彼ら鵜の命運を握っているのだと思うと、無暗に怒るべきではないと自分を律した。

 そしてなるべく鵜どん自身の言葉で返してもらえるよう、辛抱強く待ち、その内、鵜どんはなにやら話しづらそうな雰囲気で語りだした。


「佐吉どん。何故、私が隠し事をしているように思うのですか」


 佐吉は事の次第を淡々と告げていった。

 発端はここ最近の漁獲量の減少。

 佐吉がやっている鵜飼というのは、鵜という鳥をたくさん飼って、その首に縄をつけ、鵜をいっぱい川にばら撒く所から始まる。

 鵜というのは中々優秀な鳥で、川に放つだけでぽんぽんぽんと器用に魚を捕まえる。

 鵜が魚を喉奥に飲み込む前に縄をぐいっと引っ張り、口の中に捕まえた魚を横取りするのが、鵜飼という仕事だった。

 鮫川に数ある鵜飼の中でも、佐吉は優秀な方だ。

 四十ばかしの鵜を見事に操り、一晩で籠十杯は魚を獲る。

 縄を手繰る様を美しく思った殿様が絵画にするほどで、ここ十年は鮫川のトップに居るようなものだった。

 しかし、ここ数週間は漁獲量が籠五杯にも満たない。

 佐吉の腕が衰えた訳でも、鵜の数が減った訳でもない。

 であれば……。


「鵜どん。お前さんは頭が良い。鵜の中の頭領みたいなもんだ」

「へぇ」

「俺はな、鵜どん。お前さんが意図して俺に逆らってるんじゃないかと思う訳だ」


 鵜どんは頭が良い。

 なんてったって日本語が喋れるし、他の三十九匹の鵜からも親分と慕われている。

 佐吉の名声の大半も、鵜どんが他の鵜を指揮して効率よく魚を獲る事から来ているものがある。

 だからこそ佐吉も鵜どんを信頼し、他の鵜とは区別して殿づけ……鵜どんと呼んでいるのだ。

 その鵜どんに逆らわれては、漁が上手くいく筈もない。

 反抗の意志をパッと表立って言えば、いくら頭がよくとも鳥。鵜なのだから、晩飯にされてしまいかねない。

 自分から切り出せるものでもなかろうから、隠しているのだろう。

 鵜どんが隠し事をしているのではないかという疑念は、そこから湧き出たものだった。そしてどうせなら胸の内を聞き、彼らの不安を取り除いてやりたいというのが、佐吉の思う全てに相違ない。

 鵜どんはめいっぱい溜息を吐いた。

 そして、老人が子供に語るように物事というのを伝えはじめた。


「漁獲量が減ったのは、たしかに私めの所為やも知れませぬ。

 しかし、反意あっての事ではございません。

 そもそもの理由は、我々が年をとってしまったからでございます」

「ほほう。年とな」

「えぇ、年にございます。

 私共はここ十年、佐吉どんに仕えて参りました。

 まっこと、思い返しても楽しい日々でございました。

 毎日鮫川を好きに泳ぎ、好きに魚を獲り、獲っても奪っていただけるのですから、飽きもせず延々と魚を獲るために泳ぎ回る事ができます。

 あなた様人間の感覚で言えば、ずっと日が暮れず、いつまでもいつまでも野山を駆けられるかのような。

 朝が来ず、いつまでもいつまでも本が読めるようなものでしょう。

 ですが、私共はそんな日々を、延々と、延々と、十年間続けて参りました。

 毎日エサを喰い、適度な運動と睡眠をとって、健康に十年を生きて参りました。

 であるからこそ、もう。

 年をとってしまったのです」


 鵜どんは相も変わらず笑ってるのか泣いてるのか分からない鳥そのままの顔だったが、その声は老いて、枯れ木を連想させるかのような悲痛さがあった。

 しかし、佐吉はその悲痛さを理解できなかった。


「それの何が問題なのだ。

 俺はそもそも働かせ過ぎたのかと心配していたのだが、楽しいのならば何も悪い事では無かろう?」

「佐吉どん。あなた様には鵜飼というお仕事がありますね」

「あぁ」

「私共には、それが無いのです」


 鵜どんは息を吸って、吐いて、一拍置いて、また語る。


「私共はですね、佐吉どん。ずっと遊んでいるようなものなのですよ。

 美味いものを食べ、眠り、好きに泳ぎ回って、食べ、眠り、また泳ぐ。

 働いてる気がしないのです。

 自ら努力していると思えないのです。

 与えられた蒙昧な娯楽を、十年間、十年間飽きる事なく享受しているのです。

 もし私めがもう少し年若き若鳥であれば、この事を苦痛には感じぬでしょう。不安とは思わぬでしょう。しかし私は年をとり、そして思ってしまったのです。

 このままで良いのかと。

 佐吉どんにだけ仕事をさせ、私共だけで楽しみ続けて良いのかと」

「別に構わんだろう。鵜どんらのお陰で、俺は飯を喰えているのだから」

「いいえ、良いとは思えないのです。

 あなた様方人間の言葉で言えば、毎日が日曜日なのです。

 なにかしなければ、と思い悩み苦しんでも。

 なにもしなくていいよ、という優しさに包まれて。

 結局所詮は鳥畜生。

 家畜の分際、鵜の骨頂。

 なにかしなければ、なにかしたい、なにかする必要があった筈だ。

 結局現状が変わる事はなく、ただぼんやりとした不安だけが渦巻くのです。

 そして……」

「そして?」

「そしてその末、欲がめっきり衰えてしまったのです」


 佐吉は理解に苦しんだが、概ね言いたい事は分かったように思えた。

 鵜どんは楽しみを与えられすぎて、苦しんでいる。

 もう飽きてしまった玩具で延々と遊ぶ事を強要された赤子のようなものだろう。

 遊びに飽きた、それでもやらねばという苦しみと思えば、佐吉でも理解できるようなできないような感じになった。

 しかし、欠片だけ理解しても、打開策は見えない。

 佐吉は尋ねる。


「ではどうすれば、鵜どんらは今までのようにめいっぱい魚を獲ってきてくれるのだ?」


 鵜どんは言いよどむ事もなく答えた。


「私共をお食べ下さい」


 佐吉は船の上で驚いた。

 鵜どんの悩みを聞いていたかと思えば、突然“殺してくれ”と告げられたのだから。

 しかし、鵜どんの言う事は兎角分かりやすかった。


「私共は年をとり、そして賢くなってしまった故、今回のような事態になってしまいました。

 私共を食べ、減らし、また若い鵜を雇うのです。

 さすれば、血気盛んな若鳥どもは良い食事、良い睡眠、楽しい狩りに明け暮れ、またかつての私共のように大漁を佐吉どんにお約束するでしょう」


 年をとってしまった事が問題なのだから、また若い奴を連れて来ればいい。

 それは酷く筋の通った提案で、佐吉としては否定できない。

 しかし。


「しかし、鵜どん。俺は、お前とは別れたくない」


 鵜飼と鵜という関係でも、十年間連れ添ってきたのだ。

 『食べてくれ』などという猟奇的な提案を、はいそうですかと受け入れる事は中々できるものではない。

 佐吉は鮫川一番の鵜飼であったが、鵜との別れには慣れていない。

 佐吉の元の鵜は鵜どんの言った通り、できるだけ良い食事と、できるだけ良い寝床、たまには休みをくれてやって、そして魚をいっぱい獲れる場所を中心に狙ってやっているのだ。

 鵜飼と鵜という上下関係でも、上下関係なりに、佐吉は鵜どんらを手厚く扱ってきたのである。

 有体に言ってしまえば、大事に大事に育ててきた息子や娘に『殺してくれ』と言われたような衝撃が、佐吉の脳天から足先までを突き抜けていた。


「佐吉どん」


 しかし、大事に育ててきたそれらすら、鵜どんらには苦しみだったようだった。


「佐吉どん、あなた様が私共を大事に、大事に育ててきて下さった事は分かっております。

 であるからこそ、これ以上ご迷惑をおかけしたくはないのです。

 今までは言うに言い出せず、隠し事のように胸の内に秘めて参りました。

 されど、事は明るみになり。

 もう言い淀む事もございません。

 佐吉どん。どうか、私共に引導を渡してくだされ」


 いつの間にか、船の周り、鵜飼火の燃える赤に照らされる夜、黒い波のように、無数の鵜が佐吉を取り囲んでいた。

 ググググググ、と鵜の鳴く声が夜闇に響く。

 赤の光に濡れる鳥たちは首に縄を巻かれ、夜闇の不気味さと水の冷たさが、まるで彼らを囚人か何かのように見せていた。

 佐吉は不安に駆られた。

 自分が鵜どんらを苦しめてしまったのではないか、と。

 鵜どんらは本当に死にたいのかもしれない、と。


 決断が出ぬまま時は経ち、夜はさらに更け、暁も近い。

 長い事鮫川に浮かんでいた船の火はすっかり消えて、寒さの朝霧が佐吉を蝕む。

 三刻ばかり経ち、鵜どんが声をあげた。


「いいえ、やっぱりやめましょう。

 妙な事を考えさせてしまい、申し訳ない」

「鵜どん、しかし……」

「いいのです佐吉どん。あなたが優しい人だというのはよぉく分かりました」


 鵜どんはググググと鳴き他の鵜らに指示したかと思うと、普段は魚を獲るその嘴をうまく使い、首にかかった縄を外しにかかる。

 佐吉はそれをぼんやりと見ていた。


「佐吉どん。どうぞ長生きしてくだされ。

 恩知らずの事は忘れて、どうか、どうかお元気で」


 縄を逃れた鵜の群れが、鮫川を下っていく。

 明け方の茜が空を染めて、朝霧の色を濃くして、光に白む川の波紋と、自由を手にした鵜の群れを、遠ざかっていく背中までありありと、佐吉どんの目に映した。


 きっと獣に喰われるだろう。


 佐吉は時折、年老いてなお、いつしかのその日を思い出す。

 どうせなら、自分の手で殺せれば良かったのだ、と。

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