「空腹に劇薬」
ヘブンからエンジェルが迎えに来たから、まだ早いと追い返した。
ぼくの判断は間違ってはいなかったと信じている。
そうだ! まだ早い!
「!」
ぼくはベッドに寝かされている。
上体を起こして辺りを見渡し、ここがキャサリンの自宅と特定した。
「どうして」
おぼつかない足取りで洗面所まで向かう。
頭の中はもやがかかったように冴えない。
視界はぼやけている。
こういう時は一度顔を洗ったほうがいい。
(ぼくはショッピングモールにいたはずでは……?)
洗面所の照明を点灯させるためのスイッチを探りながらふと自分の腕時計に気づく。
今日は11月3日。
「ダーリン、おなかすいたでしょぉ?」
キャサリンの低い声が背後から聞こえてくる。
冷たい水で顔を洗ってから振り向くと、キャサリンは台所で食事の準備をしているようだ。
「ぼくの記憶が正しければ、今日は10月31日だったはずだ。しかし11月3日になっている」
「ダーリンの主観だと、そぉだねえ」
「ここまでの経緯を説明してほしい」
キャサリンは「うーん、上手く説明できるかなぁ」と不安げな表情を浮かべているので、ぼくも何が起こったのかをできるだけ思い出そうとする。
10月31日にスカルのかぶりものをした“ジャック”と名乗る男と相対した、ところまでで記憶が途絶えてしまった。
この3日間、ぼくは眠りこけていたということらしい。
その証拠に、台所から漂ってくる匂いで腹の虫が鳴いた。
「ダーリンは時間切れを起こして、その場で倒れちゃったんだよぅ」
天平先輩はぼくに警告していた。
無視していたわけではない。
ただ、目の前で攻撃を仕掛けてきたジャックが、止まっているはずの時の中で動けている、エマージェンシーに混乱してしまっていた。
ぼくとしたことが。
「そのあと、導ちゃんが大男に【変装】して変なやつを殴り倒して」
「みんなは動けたのか」
ミスしなければ得ることのできない知識もある。
能力者本人が倒れても選択された対象はペナルティを受けない。
なるほど。
これは新たな学びだ。
ポジティブに捉えることとしよう。
「うん。そんでもってキャサリンがダーリンをおんぶして、芦花ちゃんが扉をつなげて、オーサカ支部に戻ってきたって感じ」
「そこからぼくはスリープ状態、ってことか……」
規定時間までに元の位置に戻れなかったことへのペナルティ。
ぼくの【疾走】は、他人にとっての1秒間が発動中の30秒間になるのなら、その30秒間ぼくの肉体は他人よりも速く歳をとることになる。
実際に流れている時間とぼくの体感時間の誤差が、このペナルティで埋め合わされているのだろう。
このペナルティの存在は過去に一度倒れたことで知っている。
だからこそ、すぐさまオーサカ支部へ戻るべきだったという後悔は消せない。
情報は共有すべきだった。
反省しよう。
「おなかすいたでしょー」
テーブルまで足を運ぶ。
繰り返しではあるが、ミッションは達成されている。
メインは窃盗団を捕まえることだったのだから。
気がかりなことは複数あれど、結果を見れば成功といえるだろう。
「いっぱい作ったから、いっぱい食べてねぇ」
山盛りのピラフが目の前に置かれる。
そのピラフを食べようと、スプーンを握った。
飲まず食わずで寝込んでいたせいなのか、その感覚が妙になつかしい。
「そぉいえばぁ、今日って天平先輩のお見合いの日だぁ!」
スプーンが床に落下する。
フローリングの床にかたんと音が鳴った。
「お見舞い?」
そうか、お見舞いか。
この3日間の中で、天平先輩は負傷してしまっていたのか。
なるほどなるほど。
退院したばかりだというのにまた入院とはついていない。
一度お祓いしてもらったほうが賢明かもしれないな。
「違うよ、お見合いだよぉ。おーみーあーいー」
かがんでスプーンを拾う。
なんでまた?
「誰と!?」
「い、いや、キャサリンも詳しくはわかんないなぁ……」
キャサリンが頬をかきながら斜め上の方向を見た。
ごまかしているわけではなく、本当に知らないのだろう。
「行くぞ」
スプーンを食卓に叩きつけると、キャサリンの手を掴んだ。
これは行かなくてはならない。
「天平先輩のお見合い会場まで!」
相手の男を見定めてやる。
あの天平先輩にふさわしい男かどうかをな。
「そうだねぇ! 行っちゃおうか!」
さすがはぼくのキャサリン。
この短い付き合いの中でぼくを理解し、賛同してくれる。
「ちなみに場所は?」
「ナントカっていうオーサカのホテルラウンジ!」
「オーケー、オーサカのホテルラウンジだな! ひとつひとつ探そう!」
オーサカでお見合いができそうなぐらい広そうなホテルラウンジのあるホテルを総当たりして乗り込もうではないか。
目的が定まって、力がみなぎった。
篠原幸雄完全復活といったところだ。
「えっと、ここから1番近いところがここで、次がここかな」
乗り気のキャサリンがルートを確認している間にスプーンを洗って席に戻る。
残すのはもったいない。
気力は満ち満ちていてもスタミナが切れてしまってはどうしようもないからな。
食事を済まして。
あちこちのホテルを巡り。
アベックやら何やらと誤解されながら。
小一時間後。
「何しに来たん!」
口から火を噴き出しそうな勢いで天平先輩が吼えた。
見事な虎柄の着物をお召しになられている。
黄色と黒のリズミカルな配色は既製品ではなかなかお目にかかれないだろう。
「天平先輩のお相手が如何なる男かとジャッジしに来ました」
「来ちゃったぁ」
「来なくてええわ! うちの親かなんかか!」
天平先輩は激怒しているようだ。
化粧で覆われているはずの頬が真っ赤になっている。
もちろんぼくたちは天平先輩の親ではない。
「親ではなく仲間だ」
「ってことは、もしかして、この人がさっちゃん?」
会話に割り込んできた男。
天平先輩の向かいに座っていたということは、この人がお見合い相手か?
「せや。こっちがさっちゃんでこっちがキャサリン。ってかキャサリンもなんで止めんかったん?」
「芦花ちゃんもグランマも相手さんのこと教えてくれないから気になっちゃってぇ」
「あああああああ話さんほうがよかったああああああ黙っときゃよかったああああああああ」
崩れ落ちていく天平先輩は置いといて、問題は相手さんの男だ。
30代前半といったところか。
スーツはサイズが合っていないようでぎこちない。
中肉中背で、まさしく“平凡”の2文字が似合う。
天平先輩が紹介すると「例のさっちゃんか!」と笑いかけてきた。
何が面白いのかてんでわからない。
「きみがお見合い相手で間違いないのか」
ぼくが男をにらみつけると、男は「お見合い? ……ってことになっているなら、そうかもしれない」と答えた。
そうかもしれないとはなんだ。
はっきりさせてもらおうか。
「ぼくは天平先輩のことが好きだ。そして天平先輩もぼくのことが好きに違いない」
「はぁ?」
幾多の事件を乗り越えて生まれた絆がある。
仲間とは、同じ道を共に歩んで苦難を分かち合うものだろう。
パパはそう言っていた。
突然現れた男には乗り越えられない壁がもう築き上げられている。
「パーフェクトなぼくを含むオーサカ支部がきみのようなつまらない男と天秤にかけられるのはいささかアンビリーバブルな出来事ではあるが……ぼくは喜んで皿の上に乗ろう」
「すまんの、総平さん。変な後輩で」
復活した天平先輩がすまんすまんと謝っている。
総平さん。
この男の名前か。
言われて見ると“総平さん”と呼ばれそうな顔付きをしている。
「ならば総平。きみも天平先輩の準備した皿に乗りたまえ」
ぼくたちと総平。
どちらが天平先輩と未来へ進むべきか。
天平先輩に決めていただこうではないか。
「言いたいことは大体わかった」
「今ので?」
魯鈍と見せかけて案外頭の回転は速いようだ。
総平は「また今度、ゆっくり話をしようか」と、自身の連絡先を書き込んだメモをぼくに渡してきた。
「芦花さんの“仲間”なら、俺も仲良くなりたい」
「フレンドになる気はさらさらない」
ぼくが断ると、総平は「そんな一瞬で断ることある?」と肩を落とした。
パーフェクトなぼくは交友関係も素晴らしくなくてはならない。
ママからは「朱に交われば赤くなる」と教えられている。
そして“類は友を呼ぶ”ものなのだ。
「ダーリン、話ぐらいは聞いてあげようよ。悪い人ではなさそうだよ」
キャサリンが言うなら仕方あるまい。
メモを受け取ってやろうとすると、総平はなぜかそのメモを一旦引っ込めた。
「わかった! メモの切れ端じゃなくて名刺で挨拶しろってことね!」
何がわかったのかわからない。
ぼくの気が変わる前に渡してほしい。
ぼくも渡したほうがいいのなら何枚でもくれてやろう。
「こういう者です」
襟を正して、ぼくの目の前に立つ。
両手で名刺を差し出してきた。
ふむふむ、風車総平というのか。
風車?
「風車ってどっかで聞いたよーな?」
ぼくが受け取った名刺を覗き込んだキャサリンが首を傾げる。
その横で天平先輩が「あー、……面倒なことになったもんやなあ!」と頭をかいた。
何が面倒なのだろう。
聞かせてくれたまえ。
【Незваный гость хуже татарина.】
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