「おとぎの国の主人公」

 ぼくからのアプローチを断った人間が過去にひとりいる。

 そのひとは、ぼくを初めて「さっちゃん」と呼んだ。

 あの頃のぼくはパーフェクトとは言い切れなかった。

 すばらしい両親から生まれたぼくはすばらしい存在にもかかわらず、そのひとはぼくの未熟な部分を見つけたから求愛を拒んだのだ。

 おとなになるまで、と。

 パーフェクトなぼくが失敗するはずがないからな。


「ダーリン、この写真は?」


 クレイジーな火事から夜が明けてサタデー。

 オーサカ支部は全焼。

 次のオフィスが決まるまで本部がオーサカに用意してくれたぼくの部屋が仮のオーサカ支部として使われることとなった。

 ぼくのオーサカ支部での生活の拠点はキャサリンの自宅だからノープロブレム。


「なつかしい」


 というわけで、トウキョーから持ってきたそれほど多くはない荷物をキャサリンとともに片付けている。

 キャサリンが見せてきたのは、学芸会の一コマを写したものだ。

 ぼくは戒めとしてこちらにまで持ってきた。


「この子が文ちゃんっていうんだ」


 王子様の衣装を身にまとい、姫に跪くヤングなぼく。

 目線の先にいる、きらびやかなドレスに包まれた姫こそが。

 ぼくが初めて愛した相手、文ちゃん。


「ふぅん」


 キャサリンはつまらなさそうに眉をひそめた。

 そう、この写真の撮られた瞬間。

 ふたりの目と目が合った一秒間。

 あのタイミングを引き伸ばせたならば未来は変わっていたかもしれない。


「この後、文ちゃんは転校してしまった。いまどこで何をしているのかはわからない」


 キャサリンから写真を取り上げて、まじまじと見た。

 やはり文ちゃんはかわいい。

 当時のぼくの風貌は衣装とベストマッチしていて普段着よりビューティフルだった。


「キャサリンと文ちゃん、どっちが好き?」


 腕を組んで、いたずらっぽく微笑みながら。

 沼の底から湧き出たような低音で訊ねてくる。

 わかりきったことを聞かないでくれたまえ。


「答える代わりに、昔話をしよう」


 文ちゃんは転校生だ。

 夏休み明けの二学期の始まりにやってきた。

 すらっと背が高く運動神経が抜群でルックスもよい文ちゃんは一躍人気者になる。


「さっちゃんさっちゃん」


 真っ赤なランドセルのなかからノートを取り出しながらぼくに話しかけてきた。

 席はぼくの隣である。

 ぼくの銀髪を見て外国人と勘違いしたのだろう、「ハロー」とあいさつしてきたのがぼくと文ちゃんの最初の会話。


「宿題見せてほしいッス!」


 1週間経った当時の関係は、クールなぼくが成績の悪い文ちゃんにノートを見せる程度。

 極めて良好な関係だといえよう。

 さっちゃんと呼ばれるのも悪い気はしない。


「どうぞ、文ちゃん」


 ぼくの同級生は機会がなければぼくに話しかけようとしない。

 ぼくも周囲と親しくするメリットはないと考えていたから、ちょうどよかった。


「ありがとうっ!」


 文ちゃんは他の人間と違って積極的にぼくに話しかけてくる。

 隣の席だから?

 ぼくの隣に座って、宿題を見せてほしいと頼んできた人間がこれまでにいただろうか。

 いや、いない。

 おはようございますからさようならの、最低限度の挨拶。

 ぼくは会話らしい会話をした記憶はない。


「そういや学芸会、何の役をやるんッスか?」


 ノートを写しながら文ちゃんは再来月のイベントについて訊ねてきた。

 学芸会。

 ぼくのすばらしさを広めるにふさわしい舞台だ。

 絶対の自信がある。


「決まっていない」


 配役は今日の授業で決めると昨日担任が話していた。

 文ちゃんは聞いてなかったのか。

 昨日の帰りに台本は配られたのでさっと目を通しておいた。

 このぼくが主人公を演じるべきだろう。


「さっちゃんは王子様役ッスね。似合いそう」


 文ちゃんもそう思うか。

 ファンタスティックな世界観に銀髪のぼくはぴったりだ。

 さっそくママに衣装を見繕っていただけるか確認しよう。


「何が似合うと思う?」


 文ちゃんが?

 何役をすればいいか、ぼくに聞くのか。

 なら答えよう。


「姫」


 ぼくが即答すると、文ちゃんは噴き出した。

 あはははは、と大声で笑う。

 神秘的なかわいさのある文ちゃん。

 クラス中の全員の注目が集まって、「ごめんごめん」と手をひらひらと振りながら謝った。


「お姫さまってタイプじゃな」

「ぼくは文ちゃんに姫を演じてもらいたい」


 文ちゃんの言葉をさえぎって、主張する。

 両手を握りしめて、その目を見つめた。

 フルムーンのようにきれいな、欠けるところのない瞳。


「いや、だって、スカートなんて穿きたくない」

「どうして?」


 その瞳に戸惑いの色が混じる。

 スカートなんて、似合うに決まっているではないか。

 ぼくの姫は美しくなければならない。


「文ちゃんはこのクラスのどの女性よりもかわいいのに」


 このクラスの、と言ってしまった。

 訂正しよう。

 この学校内に文ちゃんよりキュートな少女はいない。

 ぼくは確信している。

 文ちゃんが姫となればあまりの眩しさに皆が腰を抜かす。


「……みんなの意見を聞いてから決めようか」


 文ちゃんは周りをきょろきょろしてから囁いた。

 このぼくと文ちゃんとなら。

 体育館では狭すぎる。

 本来ならば、もっと広いホールを貸し切らなければならない。


「オーケー、皆もわかっているだろう」


 文ちゃんが来てからのぼくは文ちゃんのことばかり考えている。

 かつてひとりの他人を一途に想うことはなかった。

 要はこれがぼくにとっての初恋なのだろう。


「わかっているが恐れ多くて言わないだけだ」


 結局、文ちゃんは本番の衣装を舞台に上がる直前までしまったまま。

 サイズを合わせる都合上2、3度は着ているのだろう。

 だがしかし。

 ぼくが認めたプリティーな文ちゃんは頑なに、リハーサルですら、人前では着ようとしなかった。


「……どう?」


 恥ずかしげに片手で顔を隠しながら。

 文ちゃんはぼくの前に現れた。

 レースで彩られたドレス姿は可憐で、青白い美しさが溢れている。


「すばらしい」


 群衆の面前に晒したくない。

 このまま檻に入れて隠し持ちたい。

 そんな犯罪行為に走ってしまいそうになる。

 ぎりぎりまで着たくないという気持ちがようやく理解できた。


「ほんとに?」


 ぼくの姫はどうしてこんなに自信がないのだろう。

 誰よりも美しいぼくが誰よりもかわいいと認めた。

 文ちゃんは月だ。

 夜空に浮かぶ月だ。

 ぼくは月に魅せられた星だから、月のそばにいつまでも居たい。


「本物のプリンセスが束になってかかってきても敵わない」


 ぼくはお世辞なんて言わない。

 文ちゃんは大げさだと笑う。

 その身体を抱きかかえてこの場から去りたい。


「そろそろ出番ッスよ」


 ああ。

 わかっている。

 必ず夜明けが来るように、劇の始まりを知らせるベルが鳴った。


「オーケー、演じきってみせよう」


 ぼくは前髪を整えて、舞台袖からステージの真ん中に躍り出る。

 『おとぎの国の主人公』という物語の始まりだ。


 おとぎの国には美しい姫がいる。

 姫はある日、悪い魔女に呪いをかけられてオオカミに姿を変えられてしまった。

 そこでおとぎの国の王様は、おとぎの国に住まう王子様たちに命令する。

 

「姫の呪いを解いた者を次の王としよう」


 王子様たちはありとあらゆる古今東西の魔法を試しに行く。

 東の魔女に尋ねたら自分がカエルにされてしまったり。

 異国の呪術師にだまされて偽物を掴まされたり。

 ロバの耳を生やされたり、竜宮城へ連れて行かれたり。


「ずいぶんと勇敢な王子様が居たものです」


 ぼくは西へ行った。

 西には姫をオオカミに変えてしまった悪い魔女がいる。

 悪い魔女がせせら笑う。

 そんな張本人に対して、ぼくは高らかに宣言するのだ。


「ぼくは姫がどんな姿になっても姫を愛し続ける! たとえオオカミであってもぼくが姫を愛する気持ちは変わらない!」


 これを聞いた悪い魔女は両手を叩いて喜ぶ。

 悪い魔女は姫のほんとうの母親だった。

 娘の身にどんな悲劇が降りかかっても愛してくれる人間を捜していたのだ。


「これを城に持って行きなさい。そうすれば呪いは解けるでしょう」


 悪い魔女がぼくに指輪を手渡す。

 その指輪を持ってぼくは城へ戻っていく。

 物語のクライマックスシーンだ。


「おお、帰ってきたか!」


 王様の背後にはオオカミの描かれたパネル。

 喜んで大きく腕を広げる王様をかいくぐり、ぼくはオオカミに跪く。

 先ほどの指輪を差し出して、暗転。

 照明がつくとパネルのあった位置には文ちゃんが立っている。


「ぼくは姫を愛している! ……共に輝くことを誓ってくれたまえ! 文ちゃん!」


 もちろん、本来のセリフとは違う。

 しかしぼくがいま言わなければならない言葉はこれだと思った。

 口に出して伝えなければ伝わらない。


「香春隆文!」


 文ちゃんの名前をフルネームで呼ぶのは初めてだ。

 さっちゃん、さっちゃんと呼ぶので気がつけば文ちゃんと返していた。

 驚かないでくれたまえ。


「ぼくはきみが大好きだ!」


 答えが返ってくるまで。

 何度でも言おう。

 この思いが文ちゃんに届いてほしい。


「きみがクラスルームに入ってきた瞬間、あの一秒間にぼくは恋に落ちた。どうしようもなく好きなんだ!」


 客席がざわめく。

 そんなことはどうでもいい。

 ぼくは文ちゃんの答えを待っている。

 目をまんまるくして、口をぱくぱくと動かしている文ちゃん。

 そんな様子だから、ぼくは文ちゃんの手を握った。


「さっちゃん、俺は、」


 震えている。

 ぷるぷると、小刻みに。


「呪われてるんッスよ」


 姫の呪いは解かれた。

 それなのに文ちゃんは“呪い”と言う。


「だから、その呪いが解けるまで……さっちゃんがおとなになるまでかかる……解けるまで、俺はさっちゃんから離れてなきゃいけない」


 つまり。

 ぼくがおとなになるまで、文ちゃんとは一緒にいられないと。

 おとなになるまでとは、何年後のことだったのだろう。


「ごめんね、さっちゃん。そして、呪いを解いてくれてありがとう。わたしの王子様」


 あれから10年は経った。

 美しい写真ではあるが、今のぼくには不必要なものかもしれない。


「それ、ささはらが悪いんじゃ」


 導のツッコミで現実に戻ってきた。

 手にはたこやきの袋がある。

 午前中は天平先輩のお見舞いに行くと言っていた。

 午後には片付けの手伝いに来ると聞いていたが、手土産付きとはありがたい。


「ダーリンは悪くないよぉ?」


 キャサリンの言うとおり。

 ぼくは悪くない。

 その証拠として、『おとぎの国の主人公』は優秀賞をいただいた。


「でもその香春隆文ってひと、そのあとどうしたんじゃ?」


 導はどこから聞いていたのか。

 アツアツのたこやきをテーブルの上に並べる。

 ソースの香りが部屋中に広がっていく。


「転校した」


 次の日は日曜日。

 十五夜に勝るとも劣らない満月が煌めいた夜。

 ぜひ文ちゃんとともに眺めたいと思って連絡したが、不在だった。

 その次の日は振替休日でおやすみ。

 週明けの火曜日に、文ちゃんは来なかった。

 朝一番に、担任から転校という事実が伝えられることとなる。


「転校の理由はなんじゃ?」


 キャサリンが「食べる前に手を洗わなきゃ!」と言って洗面所に向かう。

 文ちゃんが突然いなくなった衝撃で、ぼくはフリーズした。

 すべての思考がストップしてしまった。

 だから理由なんて考える余裕はない。

 理由がわかったとしても、文ちゃんが転校してしまったという事実は変わらない。


「ささはらに大勢の前で告白されて、逃げ出したくなったんじゃ……?」


 ぼくが文ちゃんを好きで。

 大好きで。

 愛していたことは間違いない。

 『おとぎの国の主人公』なら結ばれてハッピーエンドを迎える。


「あれは演技だ」


 王子様と姫という役割があったから。

 ぼくは素直に文ちゃんへと叫んだ。

 いまのぼくが“演技”と言った。

 しかしその“演技”の中にはほんとうの恋愛感情が込められている。

 あの時のぼくが望んだのは劇とおなじ幸せな結末。


「ぼくが愛しているのはパパとママ、そして、」


 恋は盲目で、初恋は実らない。

 いまのぼくはパーフェクトだ。

 いまのぼくは変わらずにおなじ結末を望んでいるかといえば、そうではない。

 時は人を変える。


「ぼくを愛してくれるキャサリンだ」


 愛は一方通行ではない。

 お互いの心が大事なのだ。

 文ちゃんがぼくを愛してくれるかはわからない。

 愛してくれなくともかまわないと思えるのが、少し怖い。


「ダーリン、ありがとぉ!」


 キャサリンに強く抱きしめられる。

 『おとぎの国』でのぼくは王子様だった。

 王子様は姫を愛すると言い切ったのに、現在のぼくは裏切ることとなる。



【 Einmal ist keinmal. 】

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