「しゅうまつにひびくさいれんと」
フライデーナイトにけたたましい救急車と消防車のサイレンが鳴り響く。
あまりにもうるさいので窓の外を眺めようと、もぞもぞとベッドから這い出た。
テーブルの上のスマートフォンが光っている。
画面を見ると、導からだった。
「ささはらぁ! 大変なんじゃ!」
サイレンの音に負けないぐらいの声量で導がわめく。
どうやら火災現場の近くにいるようだ。
ぼくはワイシャツを羽織りながら、「何が大変なのか話してくれたまえ」と冷静に訊ねる。
「オーサカ支部がっ! オーサカ支部がっ!」
左手にスマートフォンを持ちながら右手でボタンを留めた。
オーサカ支部が?
キャサリン宅の寝室からオーサカ支部は見えない。
「燃えとるんじゃ!」
燃え?
燃え……?
バーニング?
「いますぐ来るんだな」
築山支部長が割り込んで通話は一方的に途切れた。
ぼくはキャサリンが丁寧に折り畳んでくれた黒いデニムパンツを穿く。
なんだか嫌な予感がする。
「行ってくる」
深い眠りに落ちたままのキャサリンにキスして、玄関に向かう。
この様子だとたとえ大地震が起こっても目を覚まさないだろう。
そのときぼくはどこの所属だろうか。
まだオーサカ支部?
それともトウキョーの本部に戻っているか?
「いってらっさぁい」
バリトンボイスが背後から聞こえてきた。
キャサリンの両手がぼくの右側のミリタリーブーツのひもを結ぶ。
見上げるとそこにキャサリンの顔があって、ぼくらはほほえみを交わした。
なんだ。
起きていたのか。
「ああ、行ってくる」
キャサリン宅から徒歩5分。
オーサカ支部を含む雑居ビルは見事に燃えていた。
夜中にも関わらず真っ昼間の明るさ。
他人事だったら「ああ、大変そうだな」で終わらせられるだろうか。
「何しとったんじゃ!」
導が声を裏返しながら吼えた。
オーサカ支部が燃えている。
その言葉をまったく信用していなかったわけではない。
「まあまあ、導くん」
築山支部長が導の両肩に手を乗せてなだめる。
それでも導はぼくの胸をぽこすかと叩いていた。
火は高く夜空を焦がすように。
「幸雄くんは責めないけどな」
導がいて、築山支部長がいて、キャサリンは自宅にいる。
オーサカ支部のメンバーはぼく含めて5人だから、ひとり足りない。
天平先輩はどこにいる?
「気付いたかな?」
どこにもいない。
築山支部長にはっきりと言われなくともわかる。
天平先輩がいない。
「天平先輩はどちらに?」
今朝はハーフサイドアップな髪型をしていて。
上半身には虎柄のタンクトップに白いカーディガン。
レザー素材のタイトスカート。
それにナースシューズを合わせていた。
「ねえさんはオーサカ支部の中なんじゃ!」
涙をこらえながら。
ぼくのワイシャツを握りしめながら。
導はしぼりだすように言った。
なるほど。
「オーケー、きみたちはここで待っていてくれたまえ」
タイマーを60秒にセット。
救急隊員よりも速く。
チロリンアンハットを放り投げ、起動する。
「スタート」
天平先輩を助け出し、この場所に戻ってくる。
絶対に。
2階に続く階段に向かって走り、燃え盛るファイアウォールを乗り越えた。
火の勢いとは裏腹に瓦礫は少なく、ダッシュで駆け上がることができる。
(まったく……)
9月1日のことを思い出す。
はじめてここにきたあの日。
この場所はいま、あの日よりも暑い。
ワイシャツ一枚なのに汗が噴き出してくるようだ。
帰ったらシャワーを浴びよう。
銀色の髪が灰で鈍色に変わりそうだ。
左手で勢いよく扉を開けると、黒煙がぶわっと溢れ出した。
「うっ!」
目がつぶされそうになる。
なんとか煙を払ってやり過ごしながら進んでいく。
だいたいの机の配置は覚えている。
覚えているがここで転けたらカッコがつかない。
足で探りながら進んだ。
(窓は……こっちか!)
これほどまでに焼けてしまったのなら、この場所はもう使えないだろう。
開けるよりも蹴り破ってしまったほうが早い。
右足で窓の端を蹴りつけると窓ガラスがすぐに割れた。
(天平先輩はどこだ?)
火を踏み消しながら捜す。
しかし天平先輩はなぜこの場所に居たのだろうか?
就業時間はとっくに過ぎている。
サルを探したことと天使のシュークリームを購入したこと。
ぼくがこなしたワークはこのふたつだけである。
もしくは天平先輩にだけ振られているスペシャルな仕事があるのだろうか。
(もしかしてその仕事のせいで、オーサカ支部が狙われた?)
誰から?
どの機関から?
本部はトウキョーなのに、遠いオーサカに支部を置いている理由は。
敵はどこにいる?
ぼくはまだオーサカ支部にやってきてから少ししか経っていないから、オーサカ支部が何のために機能しているのかわからない。
すばらしい人材であるこのぼくがわざわざ召集されたのだから、重大なインシデントが起こりえるのだろう。
「いた!」
天平先輩は導の机の近くで、背中を丸めて倒れ込んでいる。
煙を払い除けて、「天平先輩!」と身体を揺さぶった。
手首を掴んで確認すると、脈がある。
大丈夫だ。
生きている。
こんなところで死なれては困る。
「ん……あれ……? さっちゃん……?」
仰向けに寝かせて、膝の上に頭を乗せると、ぼくの存在に気付いてくれた。
その両腕で目玉の飛び出たクマのぬいぐるみを抱きしめている。
「なんや……うち、倒れとった……?」
煤で汚れた天平先輩の顔をワイシャツの袖で拭き取る。
ええ、その通り。
火災現場にひとりきりで倒れていた。
ぼくが後一歩遅ければ亡くなっていたかもしれない。
「なぜ、こんな時間に天平先輩が」
オーサカ支部にいらっしゃったのか。
気になるところだが、天平先輩はふふっと笑ってみせた。
「こいつを助けようとしたんや」
こいつ。
この目玉の飛び出たクマのぬいぐるみ。
天平先輩はすっかり真っ黒になった手でぬいぐるみの頭をなでる。
こんなもののために。
こんなもののために、天平先輩は火の中へ飛び込んだと?
こんなものが燃え尽きてしまっても、代わりはいくらだってある。
天平先輩の代わりはいない。
「これはな、導にとって……さっちゃんの帽子みたいなもんやで」
帽子?
ああ。
チロリアンハットのことか。
なら、天平先輩はその命をかけて、導の大事なものを救おうとしたと?
「まだ『信じられない』……?」
ぼくが導の立場なら。
自分の力で大事なものを救おうとする。
天平先輩に任せずに自分で行く。
「うちの気持ち、言ってもええか」
サイレンはまだ鳴り響いている。
ガラスを割ったこともあり、余計に入ってきやすいのだろう。
「さっちゃんはうちを助けに来てくれへんと思っとった」
先輩のためにこんな灰を被ってまで助けに行くなんてありえない。
昔のぼくが現在のぼくを見たら指をさして笑うだろう。
なんて愚かなことをしているのだろうと。
「さっちゃんは真っ赤な他人のために動けるような子やない、って」
愛しているわけでもない命を守るために、危険な場所へ駆け込む?
火災が起こっているならば専門のスタッフに任せて安全地帯に避難するべきなのに。
こんなに衣服をぼろぼろにしてしまって。
「……誤解しとったわ。謝る。すまん」
オーサカ支部に来てから、ぼくは変わってしまった。
鎧戸導と会話して、築山支部長と出会って、キャサリンと愛し合い。
天平先輩と過ごしたこの時間の中で。
「そんで……ありがと」
この変化が、ぼくにとってよいことなのか悪いことなのかは、わからない。
ただ、天平先輩から感謝されるのは、素直に嬉しいと思えた。
【 Chassez le naturel, il revient au galop. 】
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