日常の一幕

警備員さん

第1話


 チャイムが鳴り、先生が教室から出ていくと生徒たちは各々友達の下へ行ったり、次の授業の準備をしたり、本を読み始める。

 俺はそんな中、次の授業の準備をしようと鞄の中を漁り始めた。


「教科書……ノート……」


 ぶつぶつ呟きながら取り出していくと、ふと違和感を感じた。何かを忘れているような感覚。

 そんな妙な感覚の正体を確かめるためにもう一度鞄の中を見てみる。


「……あ」


 教科書を何冊か取り出していくうちに、普段ならあるはずのものがないことに気がついた。


「……何してんの、お前」


 ぱっと顔を上げると、目の前には覇気のない男子生徒の顔があった。俺はそんな男子生徒に向けて、呆然とした情けない声が出た。


「……清治、俺、弁当忘れちまった……」

「はあ?」


 清治は何してんだーーもしくはなんだそんなことか、かもしれないーーという風に一つため息を吐いて口を開いた。


「じゃあ、どうすんの? 購買でパン買うのか?」


 清治の言葉にこくりと頷く。どうやら、俺にはその選択肢しかないらしい。


「じゃ、四限目終わったら急いで買いにいかないとだな。うちの購買のパン、結構人気だからな」

「だよなぁ……」


 うちの高校のパンは生徒からすごい人気で、下手に出遅れるとほとんど残ってないことなどザラにある。

 それが面倒だから毎日弁当にしているのだが、忘れてしまったものは仕方がない。行くしかない、昼飯のために……!


「あー、でも、激辛パンなら残ってるかもな」

「いらねぇよ! つか、俺には無理だよ!!」


 激辛パン。名前の通り、めちゃくちゃ辛い。それゆえ、うちの購買では残るパンの種類筆頭。出遅れたら間違いなくそのパンしか残ってないだろう。


「急いで教室でねぇとなぁ……」


 はぁ、とため息を一つ吐いて椅子に腰掛ける。それを清治はつまらなそうに眺めると、さっさと自分の席へと戻って行ってしまった。

 さて、まずは昼前のラストの授業をしっかりせねば……!!


 ☆ ☆ ☆


 四限目は数学だった。一番苦手な教科だ。

 いつもは基本的に真面目に授業を受けているが、今日はちらちらと時計を確認しているため、全く集中していなかった。

 よし、授業が終わるまで残り10秒……9…………3……2……1……。心の中でカウントダウンを刻み、ちょうど0になったところでチャイムが鳴った。

 

 焦る気持ちを抑えながら、号令をかけられるのを待った。……号令したらすぐダッシュ……号令したらすぐダッシュ……。


 しかし、そんな考えも次の数学の先生からの言葉で吹っ飛んだ。


「あー、じゃあこれで終わりだな。復習しとくように。……ああ、あと山岡」

「……はい?」


 クラスには山岡という苗字は一人しかいない。つまり、この先生は俺に用事がある証であり、そうなると購買に行くのは……。

 たらりと嫌な汗が背中を伝うのを感じる。一言言われるぐらいの用事であってくれ……。 


「この後、ちょっと来てくれ」


 ……終わった。俺の昼はもう終わった。なんでこのタイミングで呼び出されるんだよ……。

 号令の後、ふらふらと先生の下へ向かう。と、その途中で一応清治のところへと向かう。理由はもちろん、購買の件についてだ。


「清治ー……」

「断る」

「まだ何も言ってないのに!?」

「だいたい、このタイミングで兼助が何をいうかぐらい想像がつく」


 と、呆れたように言い切ると、清治は鞄を漁って自分の分の弁当を取り出した。

 俺がそれをじーっと見ていると、サッと弁当を腕の中へ隠すと、ジト目で睨まれた。


「やらんぞ」

「いや、さすがにこれを貰おうなんて考えちゃいねぇよ」


 分けてもらえると助かるのだが、清治がそんなタイプの人間ではないことは、遥か昔から知っている。だから、頼むだけ無駄なのだが。


「なあ、俺の代わりに購買でパン買ってきてくれない? ちゃんとお金も渡すし」

「やだ」


 黙々と弁当の蓋を開けながら即答された。まあ、わかってたけど……、と、そう一人呟きつつ、ため息を一つ吐いた。


「……つーか、早く行ったほうがいいんじゃねぇの」


 ぶっきらぼうに言う清治の言葉に、俺は首を傾げる。どこに行くのか……あっ、先生に呼び出されたんだった。

 自分の忘れっぽさに少し嫌気がさしてきているが、すぐに切り替えて教室から出る。


「ありがとなー」


 礼を言うが、清治はそれを無視して弁当を食べ続けていた。

 

 ☆ ☆ ☆


「先生、俺、今日も昼ご飯を食べたいんです!」


 先生の下に着くなりそう宣言すると、先生は一瞬目を丸くしたかと思うと、呆れたような表情に変わり、額を手で抑えた。


「誰でもそうに決まってるだろうが」

「いや、そうですけど、その……」


 そりゃそうだ。先生の正論に一気に勢いが削がれる。事情を話せば早めに解放してくれるだろうか……。


「そのですね、今日弁当を忘れてしまって……」

「なるほど、それで早く解放されて購買にパンでも買いに行きたいのか」

「はい……」


 先生はそれを聞いて、「なら、さっさと本題に入るが」と前置きをすると、椅子をくるりと回して俺と向き合った。

 先生の目は真剣そのもので、俺の目を覗き込んでくる。


「数学の点数、このままじゃヤバいぞ」


 その言葉に、軽く頷く。知っている。平均点の半分くらいの俺がどれだけヤバいかぐらいは。


「このままじゃ、進級できなくなるかもしれないレベルだぞ」

「はい……もっと勉強します……」


 ただ、勉強してこれなのだ。別にサボってたわけではない。……まあ、それでもできてない以上、足りないと言うことなのだろうか……。


「まあ、お前にはまだ時間はあるんだし、これからは今以上に勉強すれば問題はないだろう。……多分」

「はい……」


 その言葉に、項垂れる俺。そんな様子の俺をみて、先生は先ほどより少しだけ柔らかくなった声音が続けた。


「まあ、わからんことがあれば俺に聞きに来い。ちゃんと教えてやるから」


 頭をかきながらそんな事を言う先生を見て、ふっと少しだけ笑ってしまった。


「ありがとうございます。でも、そう言う事を言う先生って結構いますけど、わざわざ放課後に聞きに来る生徒ってあまりいないですよね」

「いやまあそうだけど……。教師より友達に聞いた方がいいって言う生徒の気持ちもわからんでもないが……」


 教科書を読んでもわからない問題があれば、友達に聞けばいい。友達に聞けなくても、ネットで調べれば解説動画やサイトなどがいくらでも出てくる時代だ。わざわざ放課後に聞きに来る生徒はほとんどいないだろう。

 でもーー。


「先生、また今度教えてもらいにきますね」

「……わかった」


 俺の言葉に、先生は照れ臭そうにそっぽ向いた。ぶっきらぼうな返事が、照れ隠しに思えてしまう。思わず笑ってしまう。

 そんな俺を見て、先生はわざとらしく咳払いをすると口を開いた。


「……それより、お前早く行かなくていいのか?」

「へ……?」


 その言葉で我に帰る。……いつの間にか10分もたってる。やばい、急いで買いに行かないと……!


「じゃ、先生、失礼します!」

「おー、廊下は走るんじゃないぞー」


 そんな先生のやる気のない注意を聞き流し、俺は小走りで購買へと向かった。


 ☆ ☆ ☆


 やっとの思いでたどり着いたのだが、そこにはほとんど生徒が残っておらず、それに比例するように購買のパンもほとんど残っていなかった。


「あの……」

「はい、何にします?」


 残っているのはレーズンパンと激辛パン。この二択なら、迷わずレーズンパンだ。

 そう思いながら、財布を開けてみると、100円玉が一つと10円玉が二つしか入っていなかった。それに対して、レーズンパンは150円で、激辛パンは100円。

 ……ついてなさすぎる。


「じゃあ、激辛パンを一つ」

「はい、激辛パン一つね」


 100円玉と、所々赤いパンとを交換する。何も食べないよりかはマシだろう。

 そう思うことにして、教室へと戻るのだった。


 ☆ ☆ ☆


「辛い……」


 水筒に入ったお茶と激辛パンを交互に食べる。まじで辛い。というか、なんでパンがこんなに辛いの……。辛すぎて額から汗がたらりと垂れてくる。


「うわ……。お前、マジで激辛パン食ってんのかよ……」


 若干引き気味な声を聞いて、顔を上げるといつもの無表情な顔をした清治が立っていた。


「これしか買えなかったんだよ……。かなり辛いよ、これ……」


 一口食べてみて。と、パンを差し出すが、いやいらないと軽く手を上げて断られた。


「はあ……。はい、これ」


 呆れたようにため息を吐いたかと思うと、清治は机に何かを置いてきた。


「やる」

「やるって、何を……」


 清治がその何かから手を離すと、レーズンパンが姿を表した。


「えっ、くれんの!?」

「いやだからやるって言っただろうが……」


 ぶっきらぼうに言って、すぐにそっぽを向く清治。


「もしかして、俺がお金足りなくて激辛パンしか買えなかったところ、見てた?」


 そんな俺の問いかけに、清治はそうだとも違うとも言わなかった。だが、これはきっとそういうことなのだろう。

 そう考えると、顔がニヤついてきた。


「そうなのかー。お前、俺のこと好きすぎじゃね?」

「うるせぇな。いらないなら返せ。つか、もうお前にはやらない」

「冗談! 冗談だって!!」


 怒りのせいか、羞恥のせいか、いつもの無表情な顔が少しだけ赤くなっている清治を宥めて、レーズンパンを死守する。


「ほんと、ありがとね」

「そんなことより、さっさと食べないと休憩終わるぞ。あと、激辛パンも残さずに食えよ」


 そう言い残して、清治は自分の席へと戻ってしまった。そんな清治の優しさを少し嬉しく感じながら、激辛パンを口に入れた。


 さっき一人で食べていた時より、それは少しだけ辛くなく、美味しいと思えた。


 そんな、ちょっとした日常の一幕。

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