秘蔵のエピソードですわ⑬

 ――そして、みんなで楽しい泥遊びをした次の日。


 人生そんなに甘くない。

 たとえ余命があと十一日だとしても、丸一日分の授業を潰した責任は重くわたくしにのしかかる。まぁ、先生はわたくしの余命なんかてんで知らないのだから、情状酌量を求めてもしょうがないのだけど。


 だとしても、どーにも納得いかないの。

 それは、貴重な休日を反省文なんかに費やすことだけではないわ。


 どうして隣の席に、学年も違うサザンジール=ルキノ=ラピシェンタ王太子殿下も座っているのかしら? ……自ら『俺も共犯だ!』と名乗りあげる必要なんてなかったでしょうに。


 そんなお間抜けさんに、わたくしはペンで机を叩きながら尋ねる。


「ねぇ、殿下。書き終わりましたか?」

「ん~。もう少しだな。ルルーシェは?」

「わたくしは資料が足りずに困っているところです」

「資料?」


 作文用紙を凝視していた顔が、こちらを向いた。それは公務中の凛々しいお顔。いつもこうなら、もっと見惚れる女性も増えるでしょうにね。それがあなたの瑠璃色の目にも入ればいいのに。


「そう、アサティダ海岸に訪れる年間旅行者数をど忘れしてしまいましたの。ほら、具体的に泥美容を広めるなら、貴族層の旅行者を狙うのが早いと思いませんこと? その貴族が気に入れば、その噂は世界各地に広まって――」

「ルルーシェ。今は商業発展の論文を書く時間ではない。先日の反省文を書く時間だ」


 真顔のまま正論を述べてくる殿下。

 ならば当然わたくしも、真剣な顔で応えねば失礼に値するというもの。


「でも、殿下。わたくし何も悪いことしてませんことよ?」

「……ふぉげ?」


 ねぇ、殿下。その凛々しいお顔から情けない声を発するのはお止めくださいまし。

 だからといって、わたくしは言葉を終えるつもりはありませんが。


「右手さんで泥を被せられたから、左手さんで泥を投げ返しただけです。つまり、これを反省するためには、まず右手の悪行から説明しないとなりませんでしょう?」


 そうも申せば、殿下は黙ったままながらも少し目を見開いて。

 察してくれたようで何よりです――わたくしが真実を認めて先日の行いを悔い改めれば、先に手を出してきたララァ嬢らも同様、あるいはそれ以上の反省を強いられるということを。

 

 そこまで大騒ぎになってしまえば、さすがに親が出てこないわけにもいかない。

 えぇ、勿論わたくしたちの親は公爵閣下ですから。それにサザンジール殿下も首謀者の一人なら、国王陛下にも出番いただかなくては。


 ……殿下も、そんな大事にはしたくないご様子。

 再び真面目な顔で、新しい作文用紙に手を伸ばした。


「やはり旅行者を狙うよりも先に、自国での認知度を上げた方が盤石ではないか? 下手に海外を意識すれば、国内で淘汰の声があがる可能性があるからな。それこそ『王家御用達』などというわかりやすい看板を掲げてから海外を意識した方が、海外旅行客もとっつきやすくなるだろう」

「なるほど。となれば、やはり王妃様にご使用いただくことを目指して商品開発を進める方針をご提示すれば宜しいでしょうか?」

「あぁ、そうだな。だがそれ以前に、エルクアージュ家は別に化粧品開発など関わったことがないだろう。伝手の見当は?」

「うーん、お父様に訊けば何かあるやも知れませんが、わたくしに心当たりはありませんね」

「ならば、レミーエを通じてアルバン男爵を頼るのがいいだろう。学術院内では多様な専門家が集まっているから、医術の方面から美容にアプローチをかけるのも面白いかも――」


 そういうわけで、わたくしたちは新事業立ち上げ法案を作成し始めた。

 でも、話せば話すほど、わたくしは次第に聞く一辺倒になっていく。


 だって、やはりこういう点では、まだまだ殿下には遠く及ばないんですもの。医術の方から美容面にアプローチ? そんなアイデア、欠片も思いつきませんでしたわ。たしかにアルバン男爵の務める学術院は歴史学のみならず、医学や薬学にも精通した学者が集まっているようですから。道は繋がっていきそうです。


 本当……敵いませんわ。無論、王妃に商業発展のノウハウはあまり必要ではないのだけど、学校ではそれなりに学んでいるはずなのに。


 そう、将来の国王陛下に心の中で平伏しようとした時。

 彼は思いっきり間抜けに、吹き出した。


「んぶふっ」

「殿下、他にひとがいないから率直に申しますが……気持ち悪いですわ」

「いや、すまん――俺らは何をしているんだ、と思ってな」

「我がラピシェンタ王国に新たな産業を発展させようと協議しているのですが」

「作文用紙を前にしながら、それを真顔で言えるルルーシェには感服する」

「お褒めいただき光栄ですわ」


 立っていればお辞儀カーテシーをしているところ。だけど今は座っているから。

 代わりににっこり微笑んでみれせば、殿下はペンを机に置く。


「いい機会だ、先日の報告をしておこう。きみが持ってきてくれた書状のおかげで、無事スムーズにファブル公爵とコンタクトが取れた。その結果、ルークト伯爵家の嫡男が首謀者だったということが判明したらしい。元より国内過激派と交流があったようでな……まぁ、端的に言えば唆されたようだ。裏で操作していた連中は、これから父上らがファブル公爵協力のもと、じっくり洗っていくらしい」

「殿下の見事なお勤めあってこそですわ」


 淑女たらしく賛辞を送れば、殿下は苦笑を返してくる。


「そして今度は、どうしてもしばらく人の出入りが遠のいてしまうだろうアサティダ地方に、新しい産業か。養殖場の復興までに時間がかかれど、泥だったらいつでもいくらでも取りたい放題だからなぁ?」


 ニヤリと向けられた視線に対して、わたくしは笑顔で両手を打ち合わせた。


「まぁ、本当ですわね! さすが殿下、そこまで先見の明がおありだとは‼」

「白々しすぎて、少々腹にくるものがあるのだが?」

「あら、お腹が痛いんですの? 白湯でも用意させましょうか?」

「……もういい」


 だって、本当にたまたま上手く繋がっただけですもの。さすがのわたくしも、最初から先を見通していたわけではございません。それを誇ろうなどという方が恥ですわ。


 そう笑みを維持し続けていると、殿下が真面目な顔で襟を正した。


「なぁ、ルルーシェ。やはり婚約破棄の件、考え直してはくれないか?」

「……嫌です」

「俺はどうしても、きみ以外を娶ることなど考えられん」

「未だに王妃様を怖がってる女の、どこがいいんですの?」

「可愛いじゃないか」

「趣味が悪いにも程があります」


 どうして今の話の流れから、これになるのか。

 呆れてこれ以上言葉を返せないでいても、殿下は引いてくれない。


「きみはずっと、何を悩んでいるんだ?」

「だから、悩みなど何も――」

「何を隠しているんだ、と訊いた方がいいのか?」


 思わず、唇を引き締めてしまう。そんな僅かな反応に、必死な顔の殿下はわたくしの両手を掴んできた。その手は強くないけれど、とてもあたたかい。


「なぁ、ルルーシェ。俺はそんなに頼りないだろうか」

「そりゃあ、弟の甘言に惑わされて浮気の噂を看過するくらいの――」


 ――しまった!


 本当に、今日は何度失言を繰り返せば気が済むのか。

 ダメね、ほんと。気が緩みすぎている。

 ねぇ、ザフィルド殿下。あなたの言うことは正しかったのよ。

 わたくしは、サザンジール殿下に甘えすぎていたみたい。


「やはり、きみはそれを隠していたのか……どうだ? 俺の口車は。少しは見直してくれたか?」


 鼻を鳴らした得意げな殿下が可愛らしい。そのお顔は、わたくしにこの髪飾りをくれた時と、まるで変わらないわ。あれから、十年以上経っているのに。


「伊達に、俺はきみたちより二年長く生きておらん。大人になればともかく……子供であるうちの二年は、そう馬鹿にはできんぞ」

「……子供といっても、もうわたくしも十六ですが?」

「学校で泥遊びをして反省文を書かされる内は、十分子供だろうが」


 そう――十年以上経っても、まだまだ子供のわたくしは、今もあなたに甘えているの。


「安心していい。ザフィルドの虚言、俺もある程度は気がついている。……少々、気付くのが遅くなったが」


 対して、あなたは一人立ち上がり、わたくしなんかに真摯に頭を下げてくださる。


「ルルーシェも何かあれのせいで傷ついたのなら、俺から謝罪させてもらいたい。俺がもっとしっかりザフィルドのことを見てやれたら良かったのに……全部、俺のせいだ。本当にすまなかった」


 剣術大会の時もそうでしたわね。あなたは、自分がまるで悪くない時にも、誰かのために頭を下げることのできるひと。そんなあなたを……わたくしは誰よりも尊敬しています。慕っています。そして、少しだけ可哀想だとも思います。


「ザフィルド殿下はザフィルド殿下で、サザンジール殿下はサザンジール殿下でしょう?」


 誰かのために盾になるのも、程々にした方がいいと思うのです。

 ずっと傷つくあなたを後ろで見ているだけというのも、苦しいものですから。


「あまりお兄ちゃん風を吹かしすぎると、余計にザフィルド殿下の反感を買いますわよ?」

「それでも、俺はあいつの兄でいたいんだ。そして、きみの婚約者でも」

「……もう、無理ですわよ」


 だって、わたくしには――もうあなたのために傷つく時間すらない。

わたくしは彼の手を振り払い、教室を出る。その時、つま先に何かがぶつかって見下ろせば、紙袋が置いてあった。中を覗いてみれば、美味しそうなお菓子が入っている。


 とてもわたくし好みの、ふわふわで甘そうなお菓子たち。

 だけど廊下に、誰もいない。


《あったかもしれない話『秘蔵のエピソードですわ』 完》

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