秘蔵のエピソードですわ⑫


そして、その晩。


『お土産のお菓子美味しいねぇ。これ、アサティダの名産なんでしょ?』

『…………』

『いやぁ、でも良かったんじゃん? きみの持っていった手紙のおかげで、すんなり事件は解決しそうなんだし……というか、明日明後日で全部解決するから安心しなよ。結局犯人はね~――』

『少し静かにしてくださいませんか? 勉強が進みませんことよ』


 わたくしが苦言を呈すれば、神様は呑気にお菓子を頬張りながら半眼を向けてくる。


『でもきみ、さっきから全然ペンが進んでないじゃ~ん』

『考えているんですのよ』

『昨日も解いた基礎問題で?』

『…………』

『何をそんなに落ち込んでるの?』


 わたくしが落ち込むわけ――と、しらばっくれようと思いましたのに。

 神様は手についたクズを直接舐めるなど、マナーもへったくれもありません。でも、とても真摯な眼差しで見つめてくるから――その金色の美しさに負けて、わたくしは零す。


『……もっと、殿下に怒られると思いましたの』

『いや、十分に説教されてたと思うよ?』

『そうではなくて……もっと怒鳴られるといいますか。大きな声で『貴様っ‼』などと言われると思っておりましたのに』


 だって、サザンジール殿下は少々怒りの沸点が低い方だと思ってましたから。

 実際、つい数十日前に『貴様』と殴られそうになった覚えだってございます。だから今回の企みが失敗した際も、同じように怒鳴られる覚悟はしておりましたの。

 だけど、殿下は淡々と正論を説いてきただけでした。わたくしの尻拭いをするため、相当頭を悩ませることになったはずですのに……扉越しに聴こえた声はとても和やかで、苛立ちなど欠片も感じませんでしたの。


 そんな、変わられた殿下がとてもたくましくて。

 そんな、成長なされた殿下がとても寂しくて。


 わたくしは見飽きたページの間に、そっとペンと置く。


『なんだか……わたくしだけ取り残されているような気がしてしまいましたの』


 わたくしは何も変わらない。ただ、このまま死んでいくだけの存在。

 だけど殿下は違う。この短期間で、ずいぶん立派になられた。……いえ、元から立派だったのかもしれない。ただ、わたくしがそれを理解していなかっただけで……。彼のことを、わかっていなかっただけで……。


『おかしいですわよね? わたくしは……皆を置いてゆく立場ですのに』


 顔を上げたわたくしは、無理やり口角を上げてみせる。

 成長したのは、彼だけではない。

 レミーエ嬢もたくましくなったわ。あの子に慰められる日が来るとは思わなかったもの。それだけ、わたくしが内心あの子を見下していたということでもあるかもしれないけど……きっと、あの子はどんどん綺麗に、美しい淑女になっていくのだと思う。


 わたくしのことなど、遠い昔に捨て置いて――。

 そう微笑むわたくしに、神様は言った。


『そんなことないよ。普通の感情じゃない?』

『ふふっ、わたくし普通ですか?』


 たしか一昨日アサティダに訪れた時には、レミーエ嬢から『普通じゃない!』とご指摘を受けたばかりですのに。それなのに、神様はお菓子に再び手を伸ばす。


『えぇ? ほんときみなんて普通だよ。まぁ、ちょっと強がりなところもあるし、ちょっと好奇心が旺盛で行動的すぎるくらいはあるけれど……まだ十六歳だと考えれば、そんなもんじゃない?』


 だけど神様はいつものように、適当におっしゃるから。

 わたくしもいつものように、軽口を返す。


『サザンジール殿下は十八歳ですわね?』

『そうそう。あの人お兄さんだから。きみより人間できていて当然なんだよ』

『腹黒~い弟の口車に乗せられて、色々失態を犯してくれたばかりの方ですのに?』

『わ~。成長期だねぇ!』


 神様が無駄にパチパチと手を叩くから、思わずわたくしも吹いてしまいますわ。


『ちょっと神様、さすがに適当すぎませんか?』

『そう?』 

『もうっ、これじゃあ神様となんか話しても時間の無駄ですわね』


 それに、神様はあからさまに拗ねてくる。


『ふ~ん。じゃあ、大人しく勉強したら?』

『そうさせていただきますわ!』


 わたくしは敢えて語尾を強めて、再びペンを取った。

 笑いそうになるのを懸命に堪えて――わたくしはしかめっ面のまま勉強に集中しますの。

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