tri

 冷たいグラスコーヒーに、可愛い容器に入ったミルク。窓際に座った青年は、器用な手つきでミルクを注ぎ、細いストローでクルクルと混ぜ合わせた。滑らかな白が、夏色のコーヒーに溶けていく。メアリーは彼の横に突っ立って、その様子をただただ眺めていた。

「無理言ってごめんね。今日は暑かったからさ、ちょっと疲れちゃって」

「いえ、お気になさらず……」

 北国に属するアイルランドは、夏でも気温が上がらない。しかし地元の人にとっては、今日はいつも以上に暑い一日だった。

「……あ、アップルパイのにおいがする。ふふふ、楽しみだなぁ」

 彼の美しい緑眼は、神秘の領域によく似ている。見れば見るほど、魅了されてしまいそうだ。髪を揺らしながら微笑む顔も、触れたら溶けてしまいそうだった。

「あっ、あのっ! 私、メアリーって言います! その……、もしよろしければ、お名前を教えていただいても……」

 ――口にして、思わず「言っちゃったー!」と頬を赤らめるメアリー。いきなり客に名前を聞くなど、普段ならば絶対にしないことだ。

「いっ、嫌なら全然構いません! ただ、知りたくなっただけなので!」

 咄嗟にそう続けたが、青年は相変わらずニコニコしていた。その表情は、素直に嬉しそうに見える。

「メアリー、いい名前だね。僕はオシーンだよ」

 グラスを持ち上げて、コーヒーを飲むオシーン。彼の白い首が小さく上下し、コーヒーの量が少し少なくなった。


「はい、お待たせ。アップルパイだよ」

 ――彼がグラスをコトンと置いたとき、メアリーの母が白いプレートを持ってやって来た。その上には、ほかほかのアップルパイと、舌触りの良いバニラアイスが。

「アップルパイは温かい内が美味しいからね。さぁ、どうぞ」

「ありがとう。本当に美味しそうだ」

 両親お手製の、アイリッシュアップルパイ。薄い生地の上に、これでもかと言うほどゴロゴロと乗っかるりんご。仕上げに振り掛けられたシナモンと飾り砂糖が、パイの美味しさを引き立てている。トッピングのアイスと一緒に食べれば、幸せを感じること間違いなしだ。

「メアリー。あんたもそんなところで突っ立ってないで、その辺の椅子に座ったらどうだい? それじゃあまるで、お客さんをじろじろ見ているみたいじゃないか」

「えっ!? そっ、そんなつもりは!!」

 喜ぶオシーンを眺めながらぼうっとしていたメアリーは、母に指摘されて慌てて首を振った。彼を見ていたことは事実だが、決して注視しているつもりはなかったのだ。

「メアリー、僕の前の席に座ってよ。一緒にお話ししよう」

「あっ、は、はい!」

 彼女がいそいそと椅子に座ると、オシーンはニッコリと笑い掛けてくれた。思わず恥ずかしくなって、ドレスの布地をギュッと握り締めてしまう。

「あのっ、オシーンさん! オシーンさんは普段、何をしていらっしゃるのですか?」

「アイルランドをあちこち旅しているよ。北の方から南の方まで、色んなところを訪れて、色んな人とお話しするんだ」

 器用な手つきでパイを切り、アイスを添えて口へと運ぶ。それだけのことだが、彼の動作は実に神聖だった。

「えーっと、つまり……。オシーンさんは、旅人ってことですか?」

「そうだね。僕は旅人でもあり、詩人でもある。この国の物語を話して聞かせるのが、僕の仕事なのさ」

 美味しそうにアップルパイを切り分けながら、彼は自然な様子でそう語る。どこか現実離れしている話だが、メアリーには全て真実のように思えた。

「……せっかくだから、君にも一つ、話を聞かせてあげるよ。この国に伝わる、四つの秘宝の物語だ」

 ……どこから現れたのだろうか、彼の柔らかなフードの先に、神秘的な蝶々が舞い降りている。今までに見たこともない、まるで光の妖精のようだ。

「遥か昔、この国を治めたダーナ神族は、偉大な四つの宝を持っていた。彼らが異界へと去った後も、宝は大切に守られ続け、今もこの国のどこかに眠っているんだ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る