第4話 ウソ

「今日からここがあなたの家だよ」

 部屋の中心に置かれた大きな鳥籠の中の天使に呼びかけるが反応はない。

 新しい場所に来た直後は、目を見開き顔をあげ周囲を警戒していたようであったが、今は大人しく止まり木に腰をかけて顔をうずめている。

 大層な出費だったが、それでも余りあるほどの金はあった。倹約家けんやくかだった祖先たちには感謝しかない。

 食べ物は聖水とパンと果物だそうで、言われたとおりにリンゴを与えれば匂いを嗅いだあとに口にした。

 けれど多くは食べず、一口二口食べたらふいと顔をそむけてしまう。

 そうしてまた顔をうずめて眠りにつくのだ。掃除のために鳥籠に入っても気にすることなく、じっとしている。

 動く時といえば、物を食べる時、そして排便する時ぐらいであった。

 それも濃緑色のドロっとした便だ。

 天使も排泄をするのかと驚いたが、食べたら出すのは当然だろう。

 天使の姿を眺めているうちに気づけば鉛筆をとりスケッチをしていた。

 父が死んで以来、一生何かを描くことはないだろうと思っていたのに、き立つ想いは止められない。見たことがないものを描きとめたいと思うのは受け継がれたさがなのかもしれない。

 けれど、目の前の天使の絵を描いたというのに、しっくりこなかった。

「……違う」

 描いても描いても満足のいく出来には到底、達しない。

 今までこんなことはなかった。手が流れるままに描けばよかった。だというのに、この体たらくはなんだ?

 ――絶対に描いてみせる

 歓喜が込み上げ血がきたった。何度も描いては捨て、紙束がどんどん部屋にあふれていく。はっと気づいた時には日が暮れていた。けれど頭で思い描く天使とは似ても似つかない。違う、まったく違う。にえたぎる渇望かつぼうでグツグツと身がげるようだ。あの虚無きょむな日々が嘘のように充足じゅうそくに満ちていた。


 けれどある日を境に天使は物を食べなくなった。排便もせず、羽を大きく膨らませて眠り続けた。

 天使に何かあればすぐ連絡をするようにとあの紳士に言われていたのに、いざ『世界のはざま』へ行けばもぬけの殻だった。手がかりは何一つなく、探しようもなかった。

 やがて止まり木の上ではなく床で眠るようになった。

 手も顔も透き通るように白くなり、対照的に白いサテンのワンピースの汚れが目立ってきた。寝返りをうった天使のワンピースの裾野すそのから見えた膝を見てギョッとした。

 膝から下がびっしりと黄色のウロコでおおわれてていた。

「な……」

 今までワンピースで隠れて見えていなかったため、いつからかは分からない。

 鳥籠に入り、他にも異変がないかと調べようとワンピースの裾をつかんでまくり上げ、服の下から現れた裸体を見て、ヒッと悲鳴が漏れた。

 陶器のような白くつるりとした体なのに、腹だけがボコボコと異様にふくれていた。

 妊婦のふっくらした腹とはまるで違う。

 恐る恐る腹部をふれれば岩のように硬かった。

 寒気だった。

 天使は悪魔になろうとしているのか。

 一体、何を産もうとしているのか。

 今にもその何かが産まれるのではないか。

 得体の知れない不安に襲われ、身体中から汗がふきでる。

 恐怖が呼び水となり胸の奥底に沈めていたはずの記憶が脳裏によみがえった。

 炎に包まれる家。

 父の姿を探し瓦礫がれきの下で見つけた、黒焦げの人の形をした何か。

 血にまみれ倒れる母の姿。

 忘れようとしていた絶望が、再び底なしの穴へと誘い込もうと手をこまねいた。


 悪夢は、ドンドンドンドンと激しくドアを叩かれるノックの音によってやぶられた。

 はっと正気に戻る。恐怖でこわばっていた体が動かせる。

 その間にもノックの音は絶え間なく聞こえていた。まるで借金とりのような荒々しさだったが、誰でもよかった。一人でこの恐怖を抱え込みたくなかった。

 扉を開くと、カラスのような漆黒に身を包んだ男が立っていた。長い黒髪を無造作に束ねているのに、どこか品がある。けれどその顔は険しく、緑色の目を細め鋭くこちらを睨んでいた。

『世界のはざま』を訪れる前に、路地裏で見た若い男だった。

 確か、天使の所有者であった男の兄弟だと紳士は言っていた。

 ――天使を探してここまで来たのか

 悪夢の形をした思いもよらぬ人物に、驚きを隠せなかった。

 その隙をつかれ、男は脇をすり抜け、家の中へとズカズカ入っていった。

「ちょ……!?」

 慌ててその背中を追いかける。

 天使を探しているのは明白だった。

 あの天使が産もうとしている何かと関係しているのではと考えると、会わせたくなかった。

 だが男の足は迷いなく進み、天使のいる部屋へとたどり着くと、一直線に駆け寄り天使を抱え上げた。

「天使に……何をする気だ!」

 男は遅れて部屋に入った僕を一瞥いちべつすると、舌打ちをした。

「天使? こいつはハーピーだ」

「……はーぴー?」

「そうだ。お前はな、詐欺師にハーピーを天使と偽られて買わされたんだよ」

「う、嘘だ! 天使がハーピーみたいな怪物のはずがない。僕をだまして奪おうとしているんだろう!?」

「お前の目は節穴か? こいつの足を見たか? 獲物をがっしりつかむための爪が発達している。口を見たか? 肉を切り裂くための鋭い犬歯が生えている。何より猛禽類特有の鋭いアンバーアイ。どっからどう見ても肉食動物だ。それともお前の聖書にでてくる天使は肉を喰らうのか?」

 男が何を言っているのか分からない。

 嘘だと否定したいのに、喉がカラカラに渇いて声がでない。

 男の鋭い眼光から逃げるように後退あとずさり、地面に落ちていた紙束を踏みひっくり返った。

 紙が部屋中にひらひらと舞う。

 目に入ったのは

 ――ハーピーの絵だった。

 獰猛どうもうな黄金の瞳でこちらを威嚇いかくしている絵だった。

 大きな爪で止まり木につかまる絵だった。

 開いた口から鋭い歯が見えている絵だった。

 ――天使が描かれた絵は、一枚もなかった。

 目の前の天使を写真のように描いた。描いていた。

 そして、思い描く天使とは違うと捨てた。

 不都合な部分を見ようとしなかった。

 たとえ目の前の真実と乖離かいりしていても、認めたくなかった。

 天使だけが地の底まで落ちた僕を救ってくれる存在だったから。

 だから。

「……この子は天使じゃないとだめなんだ」


 静寂せいじゃくが訪れる。男は静かにため息をついた。

「テラ・アウストラリアの発見以来、未知の生物たちが続々と発見され、富裕層をカモにした組織の犯行は、どこにでも蔓延はびこっている。犠牲になるのは売られた人ならざる者たちだ。環境の激変、不適切な食事で弱っていく姿を俺は散々見てきた。この子もそうだ。お腹がふくれているのが分かるだろう? これはたまごづまり――腹の卵が産卵できずにつまった状態だ。こう見えて俺は医者の端くれでね。たまに人ならざる者も見ている。『世界のはざま』の店主にこの子の様子がおかしいと言われ診察して、このままじゃ死ぬぞと言ったのに、傷ものにされたら価値が下がると拒否され、次に訪れた時はお前に売られたあとだった。なぁ、お前の目には何が見える? すやすや眠る天使か? それとも――苦しみあえいでいるハーピーか?」

 男の腕の中で天使は空気を求めるように、口を大きく動かしていた。

 顔に苦悶くもんの表情を浮かべ、うつろな目からほろりと涙が流れた。

「――っ」

 罪悪感で息が詰まる。

 都合の良い夢を見て、何も見ようとしなかった結果がこれだ。

 とんでもないあやまちをおかしてしまった。

 けれど僕にできることはなにもなく、ただ死にゆく様を眺めることしかできなかった。

 男は舌打ちをした。

「勝手に諦めるな。俺が何のために来たと思っているんだ。まだ助けられるぞ」

「本当に……?」

「ああ、だから部屋を一室貸せ。色々と準備する必要がある」

「分かりました。お願いします。どうかハーピー……この子を助けてください」

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