春の川、甘い花 参

「壊れ内裏」は、名前を山野千歳という。


 年は今年で三十になるらしい。

 なぜか写真はなく、口頭で風貌を知らされた。髪は肩まで。険のある顔立ちで、歳よりも老けて見える。背は高く、瘦せ型で、右目の下に黒子がある。

「せめて似顔絵か何か、ありませんか」

 髪は切るなり鬘をかぶるなりできる。背が高いというのはどの程度なのか。顔にある黒子など化粧でいくらでも隠せる。顔立ちに険があるなどと、見た者の感想でしかない。

 伯父は素っ気なく首を振り、「ないものはない」と取り付くしまもない。なんとも不機嫌で不愛想だ。何の予兆もなく現れた壊れ内裏の対応で、寝る暇もないほどらしい。

 しかし私も引き下がれない。なんといっても雛子のためだ。

「護衛をお願いできませんか。せめて男手を。私と世話役の婆だけでは、いざというときに不安です」

 言いながら、下手に護衛などつけるわけにはいかないとわかってもいた。雛子に惚れでもしたら面倒が増える。男だろうが女だろうが、あの子の傍にしばらく置けば十人に五人はあの子以外のものに関心を持たなくなる。残りの三人は気が触れて、あとの一人は目を潰し、最後の一人は人ではなくなる。過去にも例のあることだ。


 伯父はそれからもくどくどと喋ったが、要は「極力傍を離れるな」ということしか打てる手がないらしかった。

 無論、一門総出で警戒にはあたる。山野千歳を見つけ次第、すみやかに然るべき対処をとる。しかし総出と言えば聞こえはいいが、「動ける人間がほぼいない。あまりあてにはしないでほしい」と苦々しく言われた。具体的にどの何人なのですかと思わず聞くと、「僕も暇があれば様子を見に行く」とさらに苦虫を噛み潰す。滅多に屋敷から出ようとしない彼がそこまでするとは相当のことだ。

 まして季節は春である。

 空は晴れ晴れと澄み渡り、そこら中にきれいな花が咲く。きれいなものが好きな雛子は、こうした気持ちの良い陽気の日には散歩に出たがる。とにかく身の回りの荷物をまとめ、朝の早いうちから屋敷を訪ねた。しばらくは泊まり込みでお姫さまのお世話だ。

 おはようございます、と大声で言いながら案内も待たずに庭へまわる。縁台から座敷に上がろうとして、畳の上にあるものを見た。


 広い座敷の薄暗がりに、か細い手足を投げ出して、雛子が倒れ伏していた。

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