桜の花、貸したもの 弐

 一月ほど前のことである。

 雛子を連れ出して、私は夜桜を見に行った。

 なんでも人を喰うのだという。

 何とか始末をしてほしいと伯父に頼む人があり、雛子を連れていって始末をつけさせろと伯父が私に命じ、私は彼女と花見ができる幸福に大喜びで出かけていった。

 仔細は省くが、楽しい時間だった。煎茶と茶菓子を持参していった。浩々と輝く月明かりの下で生ぬるくなった水筒の茶を分け合うと、雛子は「夜にお菓子をいただくなんて不思議」とはしゃいだ。よそ行きの着物でめかしこんだ姿は咲いたばかりの緋牡丹のようで、私はその姿にみとれてばかりいた。夜中のことなので、飴玉ほどの小さな落雁を茶請けに少しだけ食べさせた。赤い小さな口元に砂糖がついたのを柔らかな懐紙でそっと拭いてやった。

 桜のほうも、少しは覚えている。

 確かにきれいな、そして奇妙な桜だった。

 11月の今に桜が咲くはずがないのだが、なぜだか仇花をちらほらとつけていた。時季外れだと思って見るためか、人を喰うと思って見るためか、頼りなく揺れる僅かな花に妙に視線が吸い寄せられた。雛子が隣にいなかったなら、ふらふらと近寄ってしまったような気がする。

「雛ちゃんは確かに枝を折っていましたけれど、一枝だけでしたよね。」

 帰りがけ、みやげに花を摘むような仕草で、手の届くところの枝をぱきりと折った。

 私でも一抱えはあるくらいの、そこそこに大きな枝であったが、少しも力を入れた様子はなかった。か細く非力な彼女の腕にそれは軽々と収まった。花束のような枝を嬉しそうに抱えた雛子を連れて、ゆっくりと夜の道を歩いた。

 刺繍がぜいたくに入った絹地をざらついた枝が損ないそうで、代わりに持とうと申し出たのだが、「ユキちゃんには危ないよ」と断られてしまった。

「雛子はあれだけで良いの。上手くやれるから」

「貸したものを返してほしい、とは」

「あの枝を返してほしいのね。桜は折れたら腐るから。でも、貸した、なんておかしな言い方。折られたなんて言いたくないのね。桜はみんな意地っ張り」

 少し思案して、にっこりと笑う。楽しいことを思いついた、というように。真っ黒な両の瞳をきらきらさせて真っ直ぐに私の目を見つめる。

「楽しいことを思いついたわ、ユキちゃん」

 こういう顔をするときの彼女は、大抵ろくでもないことを考えている。長い付き合いなので私は知っている。

「私に何かお手伝いできることはありますか」

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