言い訳

そうま

第1話

「行ってきます」

とは声に出さずに、そっと玄関を出ようと試みた。しかし、

「あんた、どこ行くつもり!」

母のどなり声がすこし遠くから聞こえて、僕の背中にぶつかった。どたばたしながら靴を引っかけ、慌てて家を出る。

 外に出ると、畑のそばに父が立っていた。クワを地面に振り下ろす父のするどい眼光は、僕が脇に抱えた白いキャンバスにぴたりと定まっていた。僕はその視線から逃げるように走って、表道へとびだした。

 道路はゆるやかにカーブしながら、小高い丘の上に伸びている。

 上り坂に差しかかり、軽やかだった足取りがだんだん重くなる。キャンバスと絵具の入ったバケツが両手を塞いでいて、より動きづらい。背中にじんわり汗をかいたが、丘のてっぺんに吹くすずしい秋の風が乾かしてくれた。

 一度空を見上げてから、木で組んだイーゼルの脚を広げてキャンバスを立てかける。瞼を閉じて、目にした空の色を思い出す。たしか、昨日よりは晴れていたはず。

 パレットに絵の具をひねり、さっと混ぜて筆にとる。キャンバスに筆を走らせてみると、実際より幾分淀んだ空が出来上がった。まぁ、いいだろう。

 眼下に広がる麦畑はまさに刈り入れ時を迎えていて、豊かに実った穂が風で波打っている。家の手伝いをほっぽり出して来た僕でも、その光景の美しさは理解できた。筆先を雑紙で拭い、バケツの水で洗って、もう一度拭く。畑の方をじっと見て、絵の具を混ぜる。

「おーい、またサボりー?」

 畑の真ん中で、大きく手を振る人影があった。揺れる小麦色の三つ編みで、それが彼女だとわかる。

「サボりじゃねーよ、絵描いてんだから!」

 こちらも大声で返す。

「別にここまで来て描く意味ないじゃん」と彼女は笑った。痛いところを突かれた。が、言い訳はちゃんと用意してある。家の手伝いをサボってる奴が、家の畑をモデルには描けないだろう。

「早くそっち終わらせて、うちのほうも手伝いに来てよ。男手足りないんだからさー!」

 彼女はそう言って仕事に戻った。

 ……なるほど、そっちの方がいいな。


 


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言い訳 そうま @soma21

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