#6
出待ちなんて、久しぶりだ。
大通りに面した地下へと続くライブハウスの階段の、真正面から少し外れたガードレール。あたしは、絵里とマスターと横並びで腰掛けて、ゲバラを待った。
周りには十数人、あたしたちと同じように、自身の目当てのバンドメンバーが捌けてくるのを待つ連中がうろついている。
近所迷惑になるので、と解散を促すハコのスタッフを、気にも留めない人の群れ。このへんの風景は、学生時代と変わらない。
3つ目のバンド、なんかちょっと良くなかった?とか、ああいうゴリゴリしてるの、あたしちょっとムリ、とか。
漏れ聞こえてくる、ライブハウス前に屯すコたちのゲバラのバンドに対する評価は、凡そネガポジ半々で、でも、良くも悪くも、一番インパクトを残したのがゲバラたちだったのは、間違いない。
あたしも正直、圧倒された。
良い意味で古くさいブリティッシュ感と、クランチより少しノイジーなガレージ感。それが不思議なバランス感覚で混ざり合って、耳というよりも、後頭部あたりに染みてくる。そんな感じだった。
「久しぶりにいいもん聴かしてもらったわ」
すっかり眠気が覚めた感じのマスターは、そう言って手に持っていた缶ビールを飲み干すと、もう一本買ってくる、と少し先のコンビニに走っていった。
「今の莉奈には、ちょっと毒だったかな」
マスターが離れるのを見計らっていたのか、2人きりになったタイミングで不意に、ライブハウスの下り階段の闇に目を向けたままで絵里が言う。
「どゆこと?」
絵里の真意を測りかねてそう聞くと、絵里はあたしに向き直り、軽く握ったこぶしを口元に押し当てて、そのまま黙り込んだ。
「ちょっと、なになに?」
何だか絵里のその眼差しが痛くて、それから逃れようと答えを急かすと、絵里は首を横に振って、何でもない、と小さく返し、再び目線を階段に向ける。ちょうどその時、ゲバラたちが顔を見せた。
「来た来た」
言いながら絵里は立ち上がって、ゲバラに歩み寄る。
絵里の背中を見ながら、思う。
絵里の危惧したこと。あたしは本当は、それに気づいている。
「マンUもそうだったけどさ、やっぱり長期政権を引き継ぐってのは難しいわけよ」
「わかる!あのペップだってしょっぱな3試合は躓いたワケだし、もう少し長い目で見てあげていいと思うんすよね」
駅前の居酒屋に入るなり、贔屓にするイングランドのサッカーチームが同じだと知ったマスターとベースのカズくんは、かれこれ1時間、サッカー談義で2人だけで盛り上がっている。
一方で、ドラムのリンタロウくんは、ハイボールのジョッキを半分空けたところで、壁に寄りかかりながら、すう、と弱々しい寝息を立て始めてしまった。
打ち上げ。と言っても、ゲバラのバンドのメンバーと、絵里とマスターとあたしだけの、地味な酒の席。
まあ、あの対バンのメンツや客たちとテーブルを囲うというのは、お互い気まずいものがあるだろう。
「いつもすぐ寝ちゃうんだよね」
リンタロウくんに苦笑いを向けながら、あたしの隣に座ったゲバラが言う。
「かわいいじゃん、見た目とギャップがあって」
リンタロウくんの隣に座る絵里は、言いながら眠るリンタロウくんの口に枝豆の皮を差し込み、きゃはは、と意地悪く笑って、トイレトイレ、と席を立った。
「変わんないな、あの悪ノリ」
ゲバラはそっと、眠り込むリンタロウくんの口から枝豆の皮を抜き取る。
あたしは何だかちょっと、居心地の悪さを感じつつ、生ビールを煽る。
いつもはグランマの客と店員で、こうやって並んでゲバラと飲むのは大学以来だからなのか、それとも別の何か、なのか。
「いいメンツ、揃えたよね」
居心地の悪さを振り払おうと、そんな言葉をゲバラにぶつける。
「結構苦労したんだよね。2人とも別のバンドに入ってたし」
「引き抜いたんだ」
「そう。マジでしんどかった。カズの時なんか殴られたし」
「何それ。シュラバかよ」
2人揃って、乾いた笑い声をあげる。そして2人揃って、押し黙る。
何だか、言葉が継げない。
実際はほんの数秒だったと思う。けどあたしには数時間に感じられた、それくらい重い、沈黙。
「実は今日、絵里に莉奈を誘ってくれるように頼んだんだ」
前置きのような小さなため息の後、沈黙を破ったのはゲバラだった。
「俺たちのライブ、莉奈なら気に入ってくれたと思う」
「うん」
「刺激も受けたと思う」
「うん」
「で、何が俺たちに足りてないかも、わかったと思う」
「うん」
「だから、俺たちと一緒にやってくれないか?」
うん、とは答えられず、あたしは押し黙る。
「10月最後の日曜に、オーディションを兼ねたイベントがあるんだ」
黙り込むあたしに構わず、ゲバラは続ける。
「来年夏のジャムパークのインディーズ枠。それをそのイベントで決めるんだ」
ジャムパーク。静岡だか山梨だかで開かれる、結構な規模の野外フェスだ。
「返事は今日、今すぐじゃなくていいけど、なるべく急いで欲しい。あいつらの癖に慣れてもらうとなると、イベントまでそんなに時間があるわけじゃないから」
少し早口で言い切ると、ゲバラはジョッキに残ったビールを飲み干した。そして、空になったジョッキに目を落としたまま、再び黙り込む。
「ひとつだけ聞いていい?」
しばらく間を置いてからそう尋ねるあたしに、ゲバラはチラリと一瞥だけ投げて、すぐ目線を空のジョッキにもどし、無言でこくりと頷く。
「バンドを組もうとしてたこと、何であたしに隠してたの?」
あたしのその言葉に、ゲバラは少し拗ねたような表情を見せる。
「大学卒業の直前にさ、あの時のバンドが無くなって、一からメンツ揃えてやり直そうって言ったら、面倒だって、莉奈、断っただろ?」
「うん」
「だから今度は、莉奈が納得するメンツと曲を揃えて、突きつけて、その気にさせて、断れなくしてから誘おうと思ったんだ」
最後は少しだけ鼻息を荒げて、どこか少し自慢げに、ゲバラが言う。
そういうことじゃ、ないんだよな。
期待はしてなかったけど、やっぱりゲバラは今も、何も、わかってない。
音楽のことならめちゃくちゃシャープなのに、音楽以外のところでの、鈍さ。相変わらずだ。
面倒だから。そんなのは建前だ。詭弁だ。
あたしが断った理由。あるいは今あたしがクローゼットの奥に愛器ジャガーを押し込んで、音楽をやめてしまった原因。
それはお前だ、ゲバラ。
あたしがお前を好きだったからだ。
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