#2
ゲバラ。
と言ってもあの名高いキューバの革命家のエルネスト・ゲバラじゃなくて、大学時代のバンドメンバーの、通称、ゲバラ。
彼と出会ったのは、大学に入って2カ月目の、ゴールデンウイークが明けてしばらくした、梅雨に入る直前の頃だった。丁度、高校の頃から付き合っていたカレシと別れた頃だ。その元カレは、あたしがギターを始めるきっかけになった人だった。
きっかけになった、とはいえ別に、その人の演奏に感銘して触発されて、とかいうご立派な理由では全く無くて、高校に入学して同じクラスになって、ちょっといいなと思ったその元カレを追うように、あたしが軽音部に入部したから、という、至極不純な動機からだ。
入部してすぐ、まんまと元カレと付き合い始めた。その流れで、元カレと同じバンドを組むことになった時、ベースを握らせようとした他のメンバーに反抗して、あたしはギターをやると、頑として譲らなかった。それまで一度も、ギターに触れたこともなかったのに、4弦より6弦のほうがいろいろできて面白そう、という実に安直な発想からだった。が、子供のころから、思い込んだらたとえどんなに周囲に反対されようと頑固に譲らない性格だったあたしは、妥協しなかった。元カレが、そういうアナーキーっぽいところ、良いね、とか訳のわかんないことを言いつつ、他のメンバーを説得して、あたしがギターに収まった。
その頃、元カレも含めた仲間内では、メロコアだのポップ・パンクだのが流行ってた。メロディックでとっつきやすくて、それなりに疾走感もあって盛り上がりやすいから、まあ、高校生がバンドを始めるには最適なんだろうし、当然、元カレバンドもその筋の洋モノをコピーをするんだけど、あたしはどうしても好きになれなかった。
好きじゃない、というより、物足りない、のほうがしっくりくるのかな。たぶんそれは、ギターを始めてスマホでいろんな音楽を、殆ど病的に貪るようになってたどり着いた、レイ・ヴォーンが演奏するジミヘンのヴードゥーチャイルドの動画を見てしまったから、なんだと思う。
衝撃だった。胸を鷲掴む、なんて安っぽい表現だけど、まさにそんな感じだった。
結局あたしは卒業するまでその元カレバンドを続けていたけど、その裏ではジミヘンやらレイ・ヴォーンやら、ジャック・ホワイトやらに傾倒していって、バンドのメンバーには内緒で、家に帰ると夢中で彼らの演奏を模倣していた。
あたし達の高校は静岡の、ちょっとした規模の地方都市にある進学校だった。だから、名古屋か大阪か、あるいは東京の大学に進学する生徒が大半だったし、あたしも元カレも多分に漏れずに進学を選んだ。別に示し合わせたつもりはなかったけど、あたしも元カレも、選んだ進学先の大学はそれぞれ違う学校ではあったけれど、東京だった。
示し合わせたつもりはなかったにせよ、結果的に、元カレと同じ東京に進学したことに、ある意味救われた。
東京という街の、圧倒的な物量と人の群れ。なのにどこか無機質で無感情で、時間だけが容赦なくどんどん流れて行ってしまう気がする感覚に翻弄されて、わけのわからない不安に覆いつくされて、それが何だかとてつもなく怖かった。けど、そんな東京で元カレと会っている時だけは、吹雪が吹き荒ぶ雪山で暖炉のある山小屋を見つけたみたいに、あったかくて、あたしは救われた気がした。
でも、そんな風に東京の空気になかなか馴染めなかったあたしとは違って、元カレはこの街の色にどんどん溶け込んでいって、あちこちにいろんな仲間を作って、だから、いつまでも東京に圧倒されるだけで元カレだけに縋りっぱなしのあたしを、元カレはきっと、疎ましく思ったんだろう。
ゴールデンウイークにサークル仲間と旅行に行く、というメッセージを最後に、元カレとは連絡が取れなくなった。
その直後の孤独感は、凄まじかった。
取り残されたという感覚が、すごく怖かった。
そんな時、あたしの気を紛らわせてくれたのは、田舎から持ってきたのにそれまでずっと放置していた、あたしの愛器、ジャガーだ。
いろんな感情を揉み消そうと、あたしはジャガーを掻きむしりまくった。
でもすぐに、築50年のボロアパートの住民の皆さんからの苦情で、部屋でのギター演奏が禁止され、仕方なくあたしは、タダでいくらでも、大音量でギターを鳴らせる大学の軽音サークルに入った。
サークルに入ったからといって、どこかのバンドに属するわけでもなく、あたしはただただ、部室の片隅でギターを弾きまくっていた。何度か一緒にやらないかと声はかけられたものの、全部断った。そういう気分にはなれなかった。アンプに面と向かって胡座をかいて、そこから漏れ出してくるひずんだギターの音に晒されているだけで満足だった。いや、満足というより、それに晒されていないと、容赦無く雪崩れ込んでくる東京という街の、密度の濃い風景や音や匂いに、押しつぶされてしまう気がしていて、必死だった。
「それ、ラカンターズのレベルでしょ?」
その日も、いつものように部室でジャガーをひとしきり掻きむしった後、ペットボトルの水をグビグビと飲み下していると、そんな声が背中にぶつかった。振り向くと、古臭い西部劇で見かけるダンブルウィードみたいなパーマ頭の男が立っていた。
男は右手にぶら下げていたハードケースを床に置き、おもむろにギターを取り出す。黒のレスポール。
「ちょっと合わせようよ」
言って、ストラップを肩にかけると、部室の隅っこからジャズコとマイクスタンドを2本引っ張り出して、黙々と配線を繋ぎ出した。
「強引だし」
有無を言わさぬ感じで淡々とセッティングを進めるから、最初は呆然と眺める事しかできなくて、彼がジャズコにシールドを刺した時、小さく吹き出すような笑いと一緒に、ようやくあたしの口から漏れ出たのはそれだった。
「自分の弾きたいようにさ、他の誰かと一緒にやる機会って、あんまりなくない?」
目線を弦とペグに交互に投げつつチューニングの微調整をしながら、あたしには一瞥もくれずに、その男が問いかける。
一瞬思案した後、ああ、この男は多分、あたしと同じなんだ、と悟った。
高校の頃からあたしはずっと感じてた。あたしは音楽の嗜好的にはマイノリティで、そんな境遇を誇るヤツらもネット界隈ではよく見かけたけど、演者からすればそれは、ストレスでしかない。
バンドはアンサンブルだ。マイノリティなあたしは、例えば元カレみたいな、マジョリティの嗜好に合わせるしかない。その違和感がずっと胸の奥でしこりになって、梅雨がいつまでも開けないみたいな、爽快感とは真逆の感触が付き纏っていた。そしてそれは多分、この男もそうなんだ、と。
「なるほどね。なんとなくわかる」
そうあたしが答えてようやく、男はあたしに向き直って、迷子になったちっちゃな子供がやっと母親を見つけた時に向けるような、とてつもなく無防備な笑みを浮かべた。その笑みに、あたしは迂闊にもドキリとする。
「別に誰がどんな音楽を好きでもいいんだけどさ、ジャック・ホワイトを聴いて首傾げるヤツと一緒にやっても面白くないじゃん」
わかる、すげーわかる、と、あたしは力強く頷く。でもひとつ、引っかかる。
「でもこれってさ、あたしにも歌えってこと?」
マイクのグリルボールを突きながら、あたしが尋ねる。
「そう、ダブルボーカルでしょ?ラカンターズは」
答えて、男がGのパワーコードを鳴らす。やっぱり、有無を言わさぬ感じで。
少し苦味を含めた笑みを浮かべつつ、歌は得意じゃないけど観念した感じで、あたしは一弦と二弦を交互に弾き出す。男がそれに続く。レベルのイントロ。
そこからの2分ちょっとは、あっという間だった。あっという間だったけど、今まで胸の奥の方でつっかえていたしこりが、更に奥から湧き上がってくる得体の知れない何かに、どっと押し流される感じがして、生まれて初めて、アンサンブルで爽快感を抱けた気がした。
最後の一音が、歪みの余韻と一緒に消えるか消えないかのタイミングで、あたしが尋ねる。
「あたし莉奈。あんたは?」
「ゲバラってみんな呼ぶ。こんな頭だすから」
「何それ、ウケるんだけど。本名は?」
「鷹嘴太郎」
「タカノハ・・・シ?」
「そう、たかのはし」
私は思わず盛大に、苗字の非凡さと名前の凡庸さのギャップに吹き出す。鷹嘴太郎、通称ゲバラは、困ったような、でもどこか嬉しそうな、何とも形容し難い笑みを浮かべた。
それが、あたしとゲバラの出会いだった。
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