#1
「浅井さんに聞いたんですけど、蒲田さんって、バンドやってるんですよね」
入社以来、あたしが研修を担当したからなのか、何だか妙になついてくる新人の大西さんは、休憩室のすみっこの、ガラス張りのパーテーションに囲まれた狭い喫煙所には、全くもって似つかわしくないボリュームで、甘ったるい、のっぺりとした声をあげた。
すぐ横でタバコを吸っていた、スーツを着込んだ社員さんが、露骨に迷惑そうな視線をあたしたちにむける。申し訳なさげに小さく会釈して、あたしは大西さんに気づかれないように、そっと溜め息をついた。
声デカいよ、ちょっとは空気を読めよ、と胸の中で毒づく。別に喫煙室でおしゃべりしちゃいけないなんて理不尽な社則はないけど、それにしたって、こんな狭い密閉空間で、他にも人がいるってのに、その声のボリュームはないんじゃない、と説教じみた愚痴を飲み込む。
今どきの若者、なんて言葉、27歳になったばかりのあたしに使える権利があるとは思えないけど、それでも、ハタチになったばかりだという大西さんたちの年代の子を相手にすると、どうにもうまくかみ合わない違和感が、喉と胸の間あたりにひっかかる。あたしも、歳をとったってことなんだろうか。
「しかもギタリストなんですよね。なんかすごい」
そんなあたしのモヤモヤする気持ちなんて全く配慮する気配もなく、やっぱりデカい声で大西さんが言う。
なんかすごい、という、なんだかすっごい曖昧な褒め言葉のようなものに、本当にあたしのことを褒めているんだろうか、もしかしたら本音のところではバカにしてるんじゃないか、なんて勘ぐってしまう。正直ウザいな、と思う。昼休み、たまたま喫煙所で顔を合わせたからって、あんまり絡んでこないでよ、とも。
「それって、昔の話だよ。今はやってないって」
とは言え無視をするのも大人気ない気がしたのと、ちょっとした誤解があるようなので、そう返して訂正する。お調子者の同期の浅井くんが、どんなふうにあたしのことを大西さんに吹き込んだのかは知らないけど、本当のところ、あたしはもう数年、ギターを握っていなかった。
「え、そうなんですか。なんかもったいないですね、それ」
どこか含みを持たせた感じの、もったいない、という大西さんの言葉の響きに、あたしはちょっと、どきりとする。
音楽に真正面から向き合うことが嫌になったから、とか、他にもっと夢中になれる何かが見つかったから、とか、そもそも自分の才能の無さに気づいたから、とかいう真っ当な理由で、あたしがギターをクローゼットの奥に押し込んでしまったわけではないことを、彼女に見透かされたような気が、一瞬、したから。いやいや、このコに限ってそんなわけあるか!と心の中で自分で自分にツッコミを入れる。
「別にこのバイトしてれば元バンドマンとかいっぱいいるよ。 実は浅井くんだってそうだし」
とは言えちょっと動揺してたのか、そう返すあたしの声は、無意識のうちに早口になった。
「でも、女の人でバンドやってるって、あんまりいないじゃないですか」
空気の読めない大西さんは、そんなあたしの動揺に気付く素振りもなく、浅井くんの下りには見事に無視をキメこんで、やっぱり甘ったるい大きな声で、そう返してくる。
「最近は女の子だけのバンドもちょいちょい出てきてるんだよ。たぶん、大西さんが知らないだけで」
「そうなんですか?でも、数は全然少ないですよね?男子と比べて」
男子、という言葉の響きに、何だか若いなあ、と妙な甘酸っぱさを抱きつつ、まあ確かに彼女の言う通りだと、昔を思い返す。
毎日のようにライブハウスに入りびたり、毎週のようにライブをやってた大学生だった頃、あたしは、なんだか理不尽な疎外感を感じてた。
その頃、周りは大西さんの言う通り、圧倒的に男ばかりだった。普段からファンのコたちにちやほやされてるからなのか、妙に自信過剰に口説いてくるヤツらと、女にギターの何が判るみたいなスタンスで、あたしが女ってだけで、あたしを上から見下すヤツら。男たちのほとんどは、そのどちらかだった。
女の子でそんな界隈に出入りしているコたちも大概が2パターンで、わたしボーカルやります、って力んだ、ちょっとカラオケが上手い程度の何だか勘違いしちゃってるコ達とは、そもそも波長が合わなかったし、女の子だけのバンドを組んでるコ達は、決まって排他的で、内輪でばかり盛り上がってて、あたしが入り込む余地なんてなかった。
だからあたしはどうにも落ち着く居場所がなくて、同じバンドのメンバーとしか、上手く付き合えてなかった気がする。
「どうしたんですか?」
突然、甘ったるい声が耳元で響いて、あたしは追憶から現実へと引き戻される。
「ちょっと、考え事」
しどろもどろそう返すと、大西さんは不自然なくらいにふさふさしてて、重たそうなまつ毛の奥の瞳を、妙にきらきらとさせる。
「なんか、いまのかっこいいですね。アーティストの憂鬱ってヤツですか?」
大西さんの無邪気なその言葉に、世代ってよりも、このコ自身がなんだかズレてるんだなってことにようやく気付いて、苦笑を返す。
コールセンターのオペレーター。
あたしの仕事は、世間からはそう呼ばれている。
非正規雇用だよね?っていう、ちょっと蔑みを含んだ声色で。
もう、5年前だ。
あたしの自慢の黒髪をダサいダサいと蔑んでた同級生たちが、手のひらを反すように艶やかな茶髪を真っ黒く染めて、必死になって就職活動に奔走しているのを冷やかに眺めていたら、結局あたし自身は、どこにも納まるあてもないまま、大学卒業の日を迎えてしまった。
焦りなんて全く無かった、と言えば嘘になる。
同級生たちがまっとうに就職していく中で感じる、流れに乗り遅れてしまったような疎外感と劣等感。それは、その時のあたしの胸の中で、蛇みたいにぐるぐるととぐろを巻いてうごめいて、何だかあたしを不安にさせた。
それでも、就職してしまうことには、どうしても拭えない抵抗感があった。
何に対して?
そう問われても、うまくは答えられない。
大学の頃から本格的に始めたバンドで、プロを目指したいなんて無謀な事を考えていた時期もあったけど、4人のメンバーのうち二人があっさり就職を決めて、バンドは自然消滅みたいな感じでなくなって、卒業する時には、そんな力みも抜けてしまっていた。
とりあえず、食べていくのに困らない程度に稼ぐのなら、在学中から放課後や土日の空いた時間にだけ続けていたこのバイトを、フルタイムにするだけで良かった。
それが一番楽だった、のかな。
考えなきゃならないことがいっぱいある気がして、でもそれがいったい何なのか判らなくて、漠然とした得体の知れない不安感はいつも、胸の奥のほうでもぞもぞと蠢いているけど、どうすればその気分が晴れるのか見当もつかなくて、だから、最終的には、何もかもが面倒になってしまった。
手っ取り早く、楽チンに生きていける身の振り方があるのなら、それでいいじゃん、なんて、あたしは薄っぺらい偽物の安心に寄りかかっちゃったのかもしれない。
―――このままじゃ、きっとダメだ。
それは、なんとなく判ってる。
けど、判ってても、変えられないことって、いっぱいある。
だからどうしても拭いきれない息苦しさは、気を抜くといつでもどんな場所でも、溜息になって、あたしの口から漏れだしちゃうんだ。
そんな時いつも、あたしの瞳のずっと奥の、多分眼球の裏っかわあたりに、『ゲバラ』の憂鬱そうな顔が浮かぶ。
なんでかは、判らないけど。
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