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「どうよ」

「へえ。結構いい景色が見えるもんですね。うちの大学からでもなかなかだと思ってましたけど」

「歩いて上ってきたから、感激もひとしおってもんでしょ。感謝しなさいよ、わたしに」

「そんなこと言って、宮野さん、ココに来たことあるんですか」

「ないよ」

「そういうとこ、相変わらずですね」

「最高の褒め言葉だ。ありがとう」

「はあ」



 肩の力を抜いて、柊は笑っていた。さっきから、ハンカチでしきりに額の汗を拭っている。

 とはいえ、わたしも少しばかり背中が汗ばんでいた。なんだかんだ、結構な距離を上ってきたし、当然と言えば当然なのだけど。



あさひ展望台」と書かれた看板とともに、小さいあずまやが森の中から、ぴょんと突き出るように建っていた。その場所からは、坂の街として名高い小樽の市街地と港のようす、そしてその向こうに広がる海が見渡せた。薄眼で見ればミニチュアか、あるいはそこそこ名のある画家の書いた絵画のようにも見える。


 三方を山に囲まれた、北海道有数の港湾都市。

 考えてみたら、わたしはそんな街の大学に四年間も通っていたくせに、その割にはこの街のことを、ほとんど知らなかった。


 

「結局、なんも知らんまま大人になっちゃったなあ」



 ふいに柊がそんな独り言を口にしたので、わたしは内心びくりとしながら、そちらの方を向いた。さっき膨れてきたと言ったのは適当で、むしろ顔は少しだけシャープになっているように見える。

 わたしはそんな横顔に、迷い子みたいにちょろちょろとわたしの後ろをついてきた、新入生の頃の柊の面影を無意識に探していた。





 わたしはこの街のことをほとんど知らなかったけど、いま隣にいる後輩のことも、完全にわかっていなかった気がする。

 もしも、もっと深くわかりあっていたら、わたしたちは今頃はもう少し違った関係性になっていたのだろうか。ただの「やたら仲のいい先輩と後輩」を超えた、何かに。





 わたしは、本当は、何が欲しくて―――。





「そういえば宮野さん、覚えてます?」



 ふいに柊が尋ねてきた。その瞳はいまも、展望台の外に広がる街並みを映している。

 海側を臨む塀に頬杖をつきながら、わたしは訊き返した。



「なにを」

「宮野さんが三年生くらいの時かな。大学の帰り、札幌に戻ってからいつも通り飲んでて。ああでもないこうでもないって喋ってて、ふいに宮野さんが言ったんですよ」

「だから、なにをよ」

「うちらが社会人になって何年か経ってもお互いに独り身だったら、そんときは運命だと思って一緒になるかあ……って」

「っ……」



 忘れていればよかったし、忘れたふりをすればそれで済むだけの話だった。

 けれども、今もわたしは、そのことを鮮明に覚えていた。




***




 わたしが大学三年生、柊が二年生の夏のことだった。



 柊はいつも落ち着き払っているくせに、その日は何を話しかけても返事が妙に湿っぽくて、放っておいたらメランコリックな詩ばっかり書くシンガーソングライターみたいな表情ばかり浮かべていた。

 わたしも柊も札幌から通学していたから、わたしは柊のその首根っこを掴んでJRに乗って札幌に戻り、よく飲みに行く居酒屋に引きずり込んで、よくよく話を聞いてみた。すると、語学の授業で仲良くなってイイ感じになっていた女の子に、あと一歩……というところで、あっけなく振られたのだという。



 僕はやっぱり「どうでも」いい人になりがちなんですよねえ。



 ビールだかカクテルだか忘れたけど、とにかく酒をやけくそにあおりながら、柊はテーブルの上にある枝豆の抜け殻に視線を落としていた。



 そんなもん、わかってる。



 あんたは優しすぎるし、お人好しだし、他人のことをすぐに頭から信じ込んでしまう。だからそのたびに裏切られて、深い傷を負う。

 そうわかっているのに誰かを信じることをやめられない。

 そして、傷つくたびに一人でその傷口にツバをつけて治そうとするだけの豪快さもなければ、他人に対して助けを求めることもない。



 ただ黙って、自分の胸に開いた穴から流れる、血の赤色を眺めているだけ。


 

 あんた、本当はすっごく、いい子なのに。

 もったいない。



 そう思ってしまったから、酒の勢いも手伝って、ふと口をついて出てしまった言葉だったのだ。




***




 他のことは忘れていても、まさか、よりによってそれだけは覚えてやがったなんて。なんなら今からでもその辺に転がってる石ころで頭をぶんなぐって……と思っていたら、柊の瞳はいつの間にか街並みではなく、わたしの姿を映していた。

 その真っすぐな目線が、わたしの胸のど真ん中に刺さり込んで、身動きをとれなくさせる。



 少し強い風がわたしたちの身体を揺らしたのと一緒に、柊の唇が動いた。


 

「思い出せましたか。なんだかんだ宮野さんは頭いいから、忘れてるはずなんかないですよね」

「なんでそんな自信満々なの、あんた」

「宮野さんも、僕と同じ人種だと思いますから」

「同じ?」

「それなりにうまく歩いているように見えるけど、独りぼっちで生きていけるほど、器用ではないでしょ」



 うるさいな。


 いつもだったら脊髄反射的にそう言い返せるのに、わたしは何も言葉にすることができなかった。


 柊はそっと一歩、わたしの方に近づいて、人懐こい笑顔を浮かべた。

 面影というか、柊のそんなところは、昔と何も変わっていなかった。




「僕はきょう、運命を感じましたよ」

「運命?」

「今日は、起きたらなんとなく母校に足を運びたくなって、なんとなく宮野さんがあの時、あのベンチに座っているような気がしたんです。そうでなきゃ、わざわざあんなとこまで行きませんし。……そうしたら、本当に宮野さんがいたから」

「……」



 わたしは今日、自分が残してきた足跡をたどって、ただ懐かしむために、この街に来たはずだった。


 それが、もしかすると、別の未来につながるきっかけだったとすれば。

 交わらないと思っていた線が、偶然か必然か、いまここで重なったのだとすれば。




 ねえ。


 わたしは、本当は、何が欲しかったの?


 もう一度、自分自身に問いかけてみる。







 やがて柊は、隠しきれない恥ずかしさを顔にはりつけながら、呟いた。



「宮野さんが僕のことを、どうでもいい、と思っていないのなら……ですけど。ここいらで始めてみませんか。失敗してもいいし」

「あんね。柊」



 まだ何か言いかけた柊を、わたしは口を挟んで制した。

 柊は、眉をぴくりと動かす。



「え?」

「わたし、あんたのことをどうでもいいと思ったことなんて、これまでに一度もないよ。他の誰よりも、一番、あんたを頼もしく思ってたの」

「……」



 そうだよ。


 わたしは昔から、あんたにだけは、素直に頼ることができた。

 あんたにだけは、弱い自分を見せることができた。

 強がらない自分でいられた。




「それだけでよかったのに。……なんで」

「なんで?」

「なんであんた、いっつも面倒な方に自分から首を突っ込んでくの、ほんと。……ばっかじゃないの」



 一瞬、景色が揺れる。

 それが止まったとき、目に映る街並みが傾斜していた。

 角度としては、おおよそ20度くらいで。



 柊が、わたしの身体をやさしく抱きとめている。ひとつ歳下の後輩の腕が、なんだかとても頼もしく感じた。

 それが「気がする」だけなのか、あるいは「本当にそう」なのかは、これからわかってくることなのかな。関係性が変われば、触れ方も感じ方も変わるんだし。


 どっちかなんて、今すぐにわかるものじゃない。そう思うと、今だって少し、怖い気持ちもある。




 それでもわたしは、信じてみようと思った。


 弱くて脆い、それでいてあたたかい、彼のことを。




「……宮野さん」


 

 柊の声が、舞い落ちてくるように耳に届く。



「なに」

「今日は久々に飲んで帰りません?」



 思わず、身体ごと崩れ落ちそうになった。 



「ほんっと、ムードもくそもないよね。相変わらず」

「そうは言っても、僕はそうしたいですよ。宮野さんはどうなんですか」

「ん……」

「まあまあ。今度はちゃんと、待ちますから。宮野さんが食べ終わるまで」

「当たり前だよ。わたしより先に食べ終わっても……」



 わたしはそこで、んん、とわざとらしい咳払いをした。

 最悪、自分より先に皿をキレイにされても別に我慢できるけれど、代わりにどうしても守ってもらわなきゃいけないことが、ひとつだけあるのだった。




「……あと、わたしのことを適当に扱っても、あんたに待ってるのは地獄の奥底で打ち首獄門だからね。覚えておきなさい」

「もちろん。……それは学生時代、他ならぬ宮野さんから教わったことですから」




 はは、と柊の笑う声が耳に届いてくる。つられて、わたしの口元も緩んできた。そして、それが自覚できる水準に達していることに対し、わたしは純粋に驚いている。




 

 さすがは、ずっとわたしの背中を守ってきた子。


 これからも、頼りにしているよ。





 さすがに恥ずかしくてわざわざ口にしなかったけど、きっとなんらかの形で、届いたと思う。


 柊はわたしのことを見つめて一度だけ、うん、と頷いた。

  



「なもんで、そろそろ行きましょうか」

「うん」




 展望台の向こうに広がる、まるで一枚の絵のような街並みに背を向けた。


 隣にいる、彼の手をしっかりと握った。

 その手がやさしく握り返してくる。




 過去に向かって戻るわけじゃない。

 わたしたちは、これから、新しい道を歩き出す。



 あらためて、ここからもう一度、はじめるだけ。




 ただの「腐れ縁」じゃなく、互いに「恋人」であることを、はじめるだけの話だ。





<!---end--->






★作中に登場した場所について-----------------------

・小樽市:おたる坂まち散歩 地獄坂(2)

https://www.city.otaru.lg.jp/simin/koho/sakamati/1506.html


・アクセス | 小樽商科大学

https://nyushi.otaru-uc.ac.jp/access/


・ウイングベイ小樽

http://www.wingbay-otaru.co.jp/


・小樽市:旭展望台

https://www.city.otaru.lg.jp/kankou/miru_asobu_tomaru/view/asahi.html

※冬季は展望台に至る市道が通行止となります。

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緑の丘で青くなる 西野 夏葉 @natsuha

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