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「たまたま仕事が休みだったんで。そんで、やることもないから久しぶりに遠出してみたんですよ。そうしたら宮野さんがいたわけで」

「本当かよ。わたしのこと尾行してきたんじゃないの」

「まさか。むしろ僕は純粋に驚いてますよ。宮野さんがあんなとこにいたことに。そして、一人でいたってことは、相変わらず自由気ままなシングルライフですか」

「うるさいな。そんなこと言ってるあんただって、そうなんでしょ」

「否定はしませんが」



 たまたま学食が開いている時間だったので、わたしと柊はランチを食べることにした。たった一つしか違わないものの一応わたしの方が先輩なので、柊のぶんも奢ってあげた。いいっすよそんな、と言いつつ財布を取り出すあたりがいじらしく思えたが、わたしはそれを手で制して、間髪入れずに肖像が刷られた紙をレジのトレーに置いたのだった。



「宮野さん」

「うん?」



 向かいでカレーのLサイズをもぐもぐとやっていた柊が言う。



「まだあのルールは適用されてるんです?」

「へ?」

「あ、覚えてないならいいです」



 そう言うと、柊は皿の上に残ったカレーをきれいにスプーンにおさめて、口に運んだ。わたしが柊の言葉の意味を思い出したのは、柊がそれをゴクリとやった後だった。



「あー、失敗した」

「なんですか」

「わたしより先に食べ終わったら死刑だったのにね」

「まあ、法律だって定期的に改正されるってことなのかなあと思いましたが」

「何言ってんの? これは憲法なんだから、そう簡単に改正など許されないよ」

「いずれにせよ遡及そきゅう処罰は認められていないので、ノーカンです」



 柊は涼しい顔で、スプーンを皿にカランと放った。

 そのさまは大学のときと変わらない。いつも柊は食べ終わるとそうしていた。この後、いやあ三講目も始まっちゃいましたねえ……なんて全く悪びれもしない口調で話し出したら、完全にそれはわたしの記憶と合致する。あんた三講目あんじゃん、って突っ込みたくなるくらい。


 なお「先に食べ終わったら死刑」は、わたしが食べ終わるまで他人を待たせるのがイヤだから……というか柊がいつも食べ終わるのがめちゃくちゃ早いので、出会ってまもなく一方的に言い渡したことにすぎない。柊は米粒みっつとかスープ一口分とかを残して、いつもわたしが食べ終わるのを待っていた。っていうかそこまでするのなら全体的な食べるスピードをもう少し考えろよ。



「……はぁ」



 ずっと、他人相手には溜息を飲み込みながら今日まで過ごしてきた。そうすることが美徳だと思っていたし、処世術だとも思っていた。なのに今、わたしははっきりとそれを放ってしまった。


 どこの誰にもそんなところは見せたくなかったのに、よりによって、いま目の前にいる、こいつの前で。



「なんですか、宮野さん」



 柊はすこし怪訝そうな顔で尋ねてくる。



「宮野さんともあろうお人が、胸やけ?」

「あのさ、柊」



 わたしは髪をかき上げながら、ぴしゃりと言い放つ。



「今日はこのあと、わたしに付き合ってもらうからね」




***




「宮野さん。いたいけな後輩である僕に、まだこんな山道を歩かせる気ですか」

「うっさいな。社会人になってうまいものばっか食べて、すっかり膨れた後輩の健康を憂いてのことでしょ。わたしも一緒に歩いてることをありがたいと思いなさい」

「じゃあ腹に水を入れたペットボトルをくくりつけて、背中に漬物石を二つほど背負って同じことをしていただけますか」

「なんでよ」

「僕は宮野さんみたく、エンピツみたいに細っこい身体してないんですよ。ハンデですハンデ」

「は? つまりわたしの身体には凹凸がないから性的魅力がない、と。セクハラだよそれ」

「今世紀最大の拡大解釈」



 そう言って呆れたように笑う柊の額には、汗が浮かんでいる。



 現役の学生だった時に来たことはないのだけど、大学のすぐ下のところで横道にそれると、この街の景色を一望することのできる展望台があった。そこは有名な漫画の舞台にもなったことのある場所で、決して「知る人ぞ知る」という類のものではない。後輩である柊に、先に飯を平らげられたわたしは、その腹いせに強引にその場所へ連れていくことにしたのだった。


 一応はセンターラインが引かれているけど、それにしては細い道がくねくねと続いている。青空は、大きく枝葉を広げる木々にかくれ気味だった。陽の光が届きにくくて、少しひんやりとした空気の中を、ひたすらに歩いて上った。そんなわたしの後ろを、柊は今もひょこひょことついてきている。



 柊は、昔からこんな感じの子だった。

 本学学生自治会始まって以来の暴君……とか言われたりしながらもわたしが自治会長なんて大仰な役職をやってのけることができたのは、柊がこうやって、わたしから離れずについてきてくれたおかげだ。決して表に出てこようとはしないけど、確実に欲しいときに欲しいものをくれて、支えてほしいときに支えてくれた。あまり他人に頼りたくないわたしが、どうしようもないときに自分の背中を預けることができた相手は、後にも先にも柊だけだった。



 それでも、柊と恋愛関係になることはなかった。お互いに「それはないよね」「ねえっすわな」と言い合いながら過ごした、出会ってからの3年間。二人で出かけたり、飲みに行ったりすることは数えきれないほどあった。それでも、男女関係によくある一線を超えることは、一度たりともなかった。


 柊がわたしをどう思っていたのかは、今もわからないし、わからなくてもいい。柊だって、わたしが自分をどう思っていたかなんてこと、今更知りたくなどないはずだ。訊かれたって教えてやるつもりなんか、さらさらないけど。



 ああ、なんだか辛気くさい。この肌寒くも気持ちの良い空気に、すべてを流してしまおう。



 もう一度、視線を前にやって、わたしはさらなる高みを目指し、歩をすすめた。

 その後ろで「うへぁ」と柊が息を切らしたことは、あえて知らないふりをした。





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