第23章-完 ー



【 23 】




 彼らは次の日にも店をあけた。


 考えられないくらい疲れきっていたし、胃はしんこくにもたれていたけど、そんなのは休む理由にならないというのが二人の共通にんしきだった。ただ、祭りの最終日でもあったからさわがしいものの誰も入ってこない。猫すら来なかった。


「ね、お昼も焼きそばとタコ焼きになるんでしょ?」


「ん? まあ、そうなるよな。ざいはまだ沢山あるんだ。そうならざるを得ないだろ」


 雑誌をめくりながらカンナは胸を押さえた。ゲップが出そうになったのだ。彼の方はひどい音を立てて出しまくっている。


「在庫とか言うのやめてもらえる? ほんとうんざりするくらいあるみたいじゃない」


「だって、実際そうだろ? あのタコ焼き屋、考えられないくらい作って待ってたもんな。俺もさすがにあんだけ買うとは思ってなかった」


 二人はてんじょうを見上げた。大量のは二階にある。冷蔵庫に入りきらなかったのだ。


「だけど、お客さんが来たらびっくりするわ。ここ、占いの店じゃないくらいソースのにおいがしてるわよ」


「そう言うなって。俺はそん中で寝たんだ。夢にも出てきた。ソースの海でひょうりゅうしてる夢だ。俺たちはなんせんに乗ってんだけど、海がソースだろ? まったく進まないんだよ。ありゃ最悪な夢だったな」


 雑誌を閉じ、カンナは振り向いた。彼は横にしたバステト神像を重ねようとしている。


「その俺たちってのは、あなたと誰のこと?」


「ん、カンナに決まってるだろ」


 彼は真剣なおもちをしている。ただ、バステト神像は転がっていった。


「ああ、それにペロ吉もいたな。わいそうに、ソースの海をながめながら悲しげに鳴いてた」


「ふうん。――ね、そういえば、あの子に来てもらうってのはどうなったの?」


「そうだなぁ。ま、そうした方がいいかもな。今度よく話してみるよ」


「誰とよ?」


 けんしわを寄せ、彼は右上を見つめた。手は止まってる。


「えっと、そうだな、俺の内なる自己とだ。ペロ吉が来たらどうなるか考えなきゃならないだろ?」


「あっ、そう」


 ふたたび雑誌をひらき、カンナは口許をゆるめた。事件のことはまったく話さなかった。疲れるだけなのがわかっていたし、思い出したくもなかったのだ。


 電話が鳴った。


「はい、こちらなんでもお見通しの占い師、蓮實淳の店。出てるのはその蓮實淳です。――ああ、あなたでしたか。――はい、今日も開けてますよ。――ええ、もちろんいいですが夕方から出なきゃならないので、――はあ、そうですか。なら、問題ないでしょう。その方のお名前と連絡先を教えていただけますか?」


 カンナは「誰?」といった顔をしてる。彼は手を前に出した。


「――なるほど、そうなんですね。ま、どこまで出来るかわかりませんが、お話しすることはできますんで。――ええ、はい。そのようにお伝え下さい」


 受話器をおろすと彼はひたいおおった。目は細まっている。


「誰からだったの?」


「ん、大和田の奥さんだった。占って欲しい人がいるんだってさ。二時に来ることになったよ」


「ふうん。で、なんか難しそうなこと?」


「そんな気がするけど、占ってみなきゃわからないね」


 バステト神像を戻し、彼は胸をさすった。カンナはその顔を見つめてる。






 なんだかんだしてると二時近くになった。カンナは消化をうながそうとフェンネルたっぷりのお茶をれ、においをすためにお香をいた。スピーカーからはショパンの『舟歌』が流れている。


「カンナ?」


「え?」


「来たようだ」


 振り返ると影が見える。笑顔をつくりかけたカンナはデスクをうかがった。彼も顔をしかめてる。


ためってるようだな。ちょっと待とう」


「うん」


 ゲップと関係なくカンナは胸を押さえた。またもや悪霊がやって来たように思えたのだ。その瞬間にガラス戸がひらいた。


「――その、大和田さんからご連絡があったかと思いますが、」


「ええ、お待ちしてましたよ。えっと、」


相良さがらと申します」


 その女性はふくのように黒ずくめだった。しんじゅのネックレスだけが白く輝いている。えらくせ細り、こつは浮きあがってみえた。


「さ、そちらにおかけ下さい」


「はい」


「息子さんが大和田の娘さんと同級生らしいですね」


 女性はあごを引いた。目はにぶく光ってる。仕切りを閉めながらカンナは首をすくめた。ただならぬふんが感じられたのだ。


「――では、まず、」


「――はい」


 カーテンに身を寄せ、カンナは息をひそめた。ただ、なかなか聞こえてこない。「ご主人が、」とか「息子さん」というのはわかったけど、それ以外は意味あるものとして入ってこなかった。その中で「蛇」というのはいやにはっきりわかった。蛇? 蛇がどうしたっての? ――って、また聞こえなくなっちゃったじゃない。


 外は相変わらずさわがしい。これで明日になったらまた静かになるんでしょ。落差についていけなそう。それに、ここのところいろいろあったもんな。ほんと、あり過ぎるくらいあったもんよ。


 ソファに埋まり、カンナは目を閉じた。そうしてると、わめき声が聞こえてくる気がした。


「これからどうなるか教えてくれ! 私はどうなるんだ!」


 ふんっ、どうなるもこうなるも。カンナは首を振った。それから仕切りを見つめた。――え? 泣いてるの? これは泣き声よね? 立ちかけたときにガラス戸があいた。ベビーカステラのお姉さんがのぞきこんでいる。


「あれ? だんさんは?」


 目は仕切りへ向かってる。カンナはうなずいてみせた。


「ごめんなさい。お仕事中だったのね。じゃ、これだけ置いて帰るわ」


 手には紙袋が四つぶら下がっている。ゆがみそうになったほほをなんとかしつつカンナは外に出た。


「それって、」


「ほら、今日で祭りも終わりでしょ。それに焼きそば屋のおじいちゃんが言って回ってんのよ。ここの旦那さんはおおとりものだいかつやくしたんだから、なんか持ってってくれって」


「はあ。ってことは、」


「ま、他はどうか知らないけど、うちのとなり――ほら、回転焼き屋のおばちゃんも後で持ってくって言ってたわ」


 って、全部こなものじゃない。カンナは胸を押さえた。胃がムカムカしてきたのだ。ただ、そうと気づかれてはならない。


「ああ、ありがとうございます。でも、こんなにいいんですか?」


「いいのよ。ちょっとの間だったけどご近所さんだったのもあるし、あなたたち見てるの面白かったから」


 お姉さんは手を振りながら戻っていった。さんどうには人が増えた。楽しそうに話しながら行き交っている。カンナも自然と笑顔になっていった。まあ、こういうのってほんとあの人らしい。気づかぬうちに周りを巻き込んで馬鹿げた感じにしちゃうのよね。







 女性が帰るとカンナはベビーカステラを持っていった。彼は顔をしかめてる。


「ん? こりゃどうしたんだ?」


「もらったの。もっともっとあるわよ。他のたいの人たちも持ってくるんだって。焼きそば屋のおじいちゃんが言って回ってるみたいでね」


「マジか。――いや、ありがたいけど腹が持たないな。こりゃ、しばらくだぞ」


 カンナはじっと見つめてる。表情がとぼしく感じられたのだ。


「で、いまの人はどんなだったの? なんか泣いてなかった?」


「ああ、泣いてた。でも、これはもっと考えなきゃならないな。まだ不確定なようがあり過ぎるんだよ。あの人も混乱してるし、俺も混乱させられた」


 彼は腰をおろした。ガラス戸の外は人でいっぱいだ。カンナも向かいにかけ、脚を組んだ。


「また大変なことになりそう?」


「――ん? ああ。でも、占い師ってのはそういうもんなんだろ。人の過去に関わったら、どうしたってそうなっちまうんだよ。ま、しょうがない。なんとか乗り越えよう。これまでやってきたようにな」


「そうね」


 秋の日は暮れかかったと思うとすぐ落ちた。二人は薄暗い中で見つめあっている。あのときと同じだ。かんばんが来た日にもこんなホクロがあったんだとか思いながらじっと見てた。――だけど、ほんとはだれい。白くて、が整ってて、まるで男の人じゃないみたい。


「どうした?」


「へ? なにが?」


「いや、なんかニヤニヤしながら見てっからさ」


「そうだった? ――ああ、ちょっと訊きたいことがあったんだっけ」


 ふと気になって、カンナは振り返った。ざわざわと声が聞こえてくる。それは二人だけでいることを強調してるようだった。


「訊きたいこと? 今度のことでか?」


「ううん、そうじゃないの。なんていうか、もっとこんげんてきな感じのことよ」


「根源的? なんだよそりゃ」


「その前にとなりへ行ってもいい?」


「ん、別にいいけど」


 たいが鳴りはじめた。彼はまぶたを開け閉めしてる。


「またはじまったみたいね」


「ああ、俺たちも着替えなきゃな」


 カンナは深く息をいた。訊きたいことは沢山ある。まずは私のことをどう思ってるのか? だけど、どうやって訊けばいいんだろ。遠回しに言ってもこの人には通じないだろうし。


「どうした? 早くしないとハゲのオッサンに怒られっぞ。それに千春も来るんだろ?」


 そうだった。――もう、来なくていいのに。カンナはあごを引き、指をからめあわせた。落ち着かなさはさいこうちょうにまで達している。


「あのね、」


「うん、」


 二人は同じ方を見つめてる。ガラス戸には人が映り、消えていった。「そりゃさっさぁ!」と声がして、トコトントコトンと太鼓は鳴った。


「その、私が訊きたいのは、」


 そこまで言ってカンナは口を閉じた。――ん、ちょっと違ってたな。訊くんじゃなく、言えばいいんだ。「あなたが好き」って。でも、ここまで来ちゃったんだからしょうがない。


「だからなんだよ。なにが訊きたいんだ?」


 カンナはつばを飲みこんだ。言葉はなかなか見つからない。でも、なにかは訊かなきゃ。えっと、どうしたらいいんだろ? ――あっ、そうか。


 風がガラス戸をらしてる。カンナはあいまいな表情をつくった。彼は唇を見つめてる。それはふるえながらひらいた。やっとのことで彼女が訊けたのはこういうものだった。


「ね、あなたってほんとに猫と話せるの?」




―― 完 ――

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失踪する猫 佐藤清春 @kiyoharu_satou

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