第22章-5


 顔には赤味がさしていった。彼は「もうちょいだ。みんながまえろ」と言っている。猫たちは姿せいを低くした。


「嘘だ! 全部嘘だ! みんなでたらめだ!」


「嘘じゃないよ。いや、お前は自分の人生を嘘まみれにしていって、どれが本当かわからなくなっちまってんだよ。だから、ある意味においてはお前の言うことも理解できる。そういうことだろ?」


「違う! そうじゃない! あんたになにがわかるって言うんだ!」


「俺にはわかるんだよ。長谷川裕哉、お前は自分に嘘をつき通して頭がおかしくなっちまったあわれな奴なんだ。うらんでた柏木伊久男にすら馬鹿にされちまうようなカスなんだよ」


「違う! 計画はかんぺきだったんだ! それに、いったいなんなんだ! 占い師ぜいがふざけたこと言いやがって!」


 彼は指を向け、頬をゆるませた。


「でも、当たってる。そうだろ?」


 目は指先に向かってる。ナイフを持つ手には力がこもった。彼は「今だ!」と音にならない声を出した。


「ニャー!」


「フンニャー!」


「ナア! ウンニャー!」


 その瞬間に猫たちはいっせいおそいかかった。オチョは正面から飛びつき、鼻をみまくってる。


「若造! そっちの兄ちゃんも頼むぜ!」


 叫びながら彼はカンナの腕をつかんだ。ひじは北条の腕にあてている。左右から飛びついた二人は肩をつかんだ。山本刑事もなぐりかかっていった。


「北条! コノヤロー! てめえ、なんてことしてくれたんだ!」


 強く引き寄せると彼はカンナを抱きしめた。それはごく自然に行われた。抱きしめられた方もこうなるものとわかっていたのだ。


「ああ、マジでよかった。ちょっとだけビビったぜ」


「私もよ。ほんとに殺されちゃったらどうしようって思ってた」


「でも、もう大丈夫だ。――カンナ?」


「なに?」


「――いや、なんでもない。だけど、そうだな、一度千春の方に行っててくれ」


 若造はじょうをかけていた。はなれた場所にはせんまいどおしが転がってる。それをひろい、彼はだるそうに歩いた。


「このクソ野郎、よくもカンナにあんなことしてくれたな。――若造、どけよ。俺がこいつを殺してやる」


 しばらくうつむいていた北条は胸を張ってみせた。顔にはふてぶてしさが浮かんでる。


「はっ! あなたには無理ですよ。あれは難しいんだ。素人しろうとにはできない」


「だったら、素人なりの方法で殺してやるよ。簡単には死ねねえぜ。おぞましい程の痛みを感じながら死んでくんだ。生まれたのをのろいたくなるほどの苦しみだ」


 のどもとに千枚通しをあて、彼は目を細めた。誰もなにも言わない。猫たちも固まったようになっている。


「いいか? 長谷川裕哉。俺は柏木伊久男をにくんでた。それがしんそうを見るじゃをしてたんだ。ただな、あの爺さんには真っ直ぐなとこがあった。間違ったことばかりしてた男だし、人を殺してもいるが、動機にはき通ったような部分もある。さっきも言ったが、お前とは違うんだよ」


 北条は視線を落とした。汗がき出し、顔全体はてらてらと光ってる。


「死ぬつもりだったとか言ってたよな? それこそ嘘だね。お前にそんなことできねえよ。平子の婆さんを殺したときもバレなかったから、ずっとそのままでいられると思ってたんだろ? それはきっと父親を殺したとき身についちまったみょうな自信がそうさせたんだよな? でも、残念なことにお前はとんでもない馬鹿なんだよ。今度のことだって柏木伊久男がああしなかったら、すぐにバレてたんだぜ。ほんとずかしいくらいの馬鹿だ。カス過ぎて相手にするのも嫌になるよ」


 千枚通しを離し、彼は深く息をいた。それから、手を払うようにした。


「若造、もういいぞ。連れてげ」


「は? ――って、なんでお前が仕切ってんだよ」


「いいから、連れてげよ。もうそいつの顔は見たくないんだ。が出る。ほんと反吐の出るような男だ」


 左右からはさまれ、北条は連れられていった。ただ、しばらくすると首を曲げてきた。


「なあ! あんた、なんでもお見通しなんだろ? だったら、これからどうなるか教えてくれ! 私はどうなるんだ!」


 おおげさに肩をすくめ、彼はしゃがみ込んだ。


「知らねえよ! ま、さっき言ったみたいに死ぬんだろ! っていうか、地獄にちろ!」







 焼きそば屋の兄ちゃんはうちわだいはっひろい上げていた。千春はカンナの肩を抱きつつ、けんのある目を向けている。――え? こういうときもやっぱりそうなるの? ほんと、フェラーリ男はどうしちゃったのよ。――ん? もしかして、あれも嘘ってこと?


「いやぁ、オチョ、だいかつやくだったな。見てたぞ、鼻をみまくってたろ? ゴンザレスは耳をかじってたな。ああ、クロ、お前もよくやってくれた。ほんとありがとな」


 彼は地べたに座ってる。脚の間にはペロ吉がいて、頭をでられていた。


「キティ? キティはどこだ?」


「ナア!」


「ああ、いたな。ほんと助かったよ。みんながいなかったらどうにもならなかった」


 青年がとなりに立つとカンナも千春もあいまいな表情をしてみせた。言いたいことはわかるけど説明のしようがないのだ。


「オルフェもありがとな。あんときよくこらえてくれた。――ん、ベンジャミンか。お前、チビのくせに頑張ってたな。頭に飛びついてたろ? あれは格好良かったぜ。こりゃ、しばらくは『金のニャンミー』をおおばんいする必要があるな」


 彼はニヤけた顔を向けてきた。いつもの間の抜けた表情だ。


「ま、これはけいになるだろ。カンナも駄目とは言えないはずだ」


 立ち上がり、彼は伸びをした。カンナは鼻を鳴らしてる。


「でも、その前にタコ焼き屋に寄らなきゃならないんだった。こいつを返さなきゃならないし、あるもん全部めるって約束したからな。それに焼きそば屋にも行かなきゃな。――兄ちゃん、ほんとありがとな。じいさんも心配してっだろうから、とっとと戻ろうぜ。ま、粉もんばっかりになるが、あるだけ買い取るよ。カンナ、もちろんこれも経費になるよな?」


「いいけど、誰がそんなに食べるのよ」


「そりゃ、ここにいる三人だろ。ほら、四の五の言わずに行くぞ。俺は腹がへってるし、うんと味の濃いもんを食いたいんだ。それにな、商売人ってのは約束を守らなきゃならないんだよ。これは基本だ」


 歩き出してから焼きそば屋の兄ちゃんは振り返った。その瞬間にさむがするような気がした。あれだけいた猫はもう姿を消している。

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