台風の芽

森 瀬織

台風の芽

2121年 8月1日


 ついに息子が生まれた。生まれたての赤子を一目見て満足した俺は家に帰って部屋に閉じこもり、ただひたすらにあらゆる名前を並べていた。

「子どもの名前なんて今はいいから、もっと顔を見に来なさいよ」

 怒気を強めた電話が妻からかかってきたのは午後三時。深夜にこの時代には珍しく自然出産し、疲れた妻はいつも以上に気が立っているようだった。妻の機嫌を損ねないよう、急いで病院に駆けつけるとそこでは自動保育器に入れられた我が子と見つめ合う妻の横顔が目に飛び込んでくる。

「遅い。この子が生まれた日はもう二度と帰って来ないんだから。今日を大切に過ごさなきゃ。ほら、今の瞬間も過ぎていってる、でしょ? 」

 汗だくになった俺の顔と赤ん坊を交互に見比べながらそう言う妻はとても幸せそうで、思わず頬が緩む。こんな特別な日はもう二度と帰ってこない、妻の言葉を反芻しながら俺は息子の指を握る。例え時が巻き戻ったとしても、この一日はまた別の日なのだという誰かの台詞を思い浮かべながら。


2130年 8月5日


 真っ白な壁の研究所の中で同僚とかわす酒はどうも背徳感が酔いを回すらしい。

「この間、息子が九歳の誕生日を迎えたんだよ。今年は旧式の理科の図鑑をあげたら息子は大喜びでさ」

「そうですか、それはよかったですね」

 同僚は棒読みで返事をすると、気持ちよさそうにアルコールを流し込む。

「その図鑑を読んで興味を持ったらしく、来年の誕生日には台風が見たいって言われたんだよ」

「台風ですか。十歳の誕生日まであと、357日ですね。小さいものであれば、96%の確率で再現可能です」

「それだったらお願いするよ」


8月1日 晴れ


 今日はぼくのたん生日。十才になったので、これから日記をつけることにした。

「たん生日おめでとう。ほら、これがお前のほしがっていた種だよ」

 と、お父さんがぼくに一粒の種をプレゼントしてくれた。この種から本当に台風が生まれるのかと、種が入ったビンをじっと観察した。それは小さくて、植物の種と同じように見える。頭上に収まるぐらいの小さな台風ができるよと、お父さんが鼻の穴を広げた。ぼくの生きている時代ではなぜ、天気がAIにかん理されてしまっているのだろうか。このシステムのせいでぼくは生まれてから台風という天気に出会ったことがなかった(もちろん、ぼくだけじゃなくてクラスのみんなもそうだろう)。昔のえい像や図かんで見る台風はとってもみりょく的で、この種があれば台風をけいけんできると思うとワクワクがとまらない。お父さん、ありがとう。


 「今日は快晴だな。種を埋めるのにうってつけの天気だ」

 ちょうど、朝ごはんを口に含んだ時にお父さんが言った。

 楽しみで仕方がなくて、顰めっ面をしようとしてもどうしてもにやけてしまう。本当に嬉しい時はこうなるのか。

「ちゃんと毎日水やりしなきゃダメだからね」

「そうだよ、ちゃんと世話しないと育たないぞ」

 お父さんとお母さんはそういうと笑った。午後、ぼくは種を埋めに行く。


8月2日 晴れ


 今日は、日記帳を失くしてしまったからうら紙に書いておきます。あとで書き写さなきゃいけない。

 家の花だん、公園、神社の木のそば……。どこに種をうめればいいのだろうと散々まよったあげく、ぼくは近所の、弱々しく流れる小川の水辺にうめようと決めた。なぜなら、お父さんとお母さんが毎日水やりしなきゃ育たないと言ったからだ。ぼくには毎日水やりを忘れない自信がまったくない。水辺にうめれば、水やりをしなくてもいつだって水があるのだ。われながらなかなかいい考えだ。

 そういえば、お父さんからもらった『注意じこう』のメモを読み忘れた。次に日記を読み返すぼくへ。忘れず注意じこうの紙を読んで!


8月7日 晴れ


 日記帳がソファの裏から見つかった!

 今日、ぼくの種からついに葉っぱが生えてきた。どうやら、台風の葉は多子葉らしい。小さな葉っぱがたくさん生えているのだ。


  夜ご飯を食べている時、ぼくはお父さんに少し興奮しながら言った。

「台風の種が芽を出したんだ」

「そういえば、お前。台風には目というものがあるのを知っているか? 」

「もちろん知ってるよ。台風の中心の、全く雲がないところでしょ」

 そういうと、赤ら顔のお父さんはぼくの頭をくしゃくしゃと撫でた。お酒を飲んだお父さんはいつもよりも遥かに上機嫌になっているのだ。

「その葉は『台風の芽』だ。ならぬな」

 お父さんがガハハと大きく口を開けて笑うと、アルコールのにおいが飛んでくる。ぼくはこのにおいがあまり得意ではない。


8月28日 くもり

 

 ついに、台風のつぼみがなった。お父さんによると、つぼみが出来たなら明日には花が咲くらしい。どんな花が咲くのか、お父さんに聞いてみたけれど、お父さんはわからないと首を横にふるだけだった。ほぼ失敗はしないだろうし、私用に作ってもらったものだから実験はしていないそうだ。今夜はどんな花が咲くのか想像しながらねむろう。明日が楽しみで仕方がない!


8月29日 晴れのち台風(のはず)

 

 今日はこうふんしすぎて早く起きてしまったから、朝から日記を書いている。今日は朝ごはんを食べたあと、お父さんとお母さんと三人で花を見に行く。お父さんにもお母さんにも種をうめた場所は内しょだから、ぼくがあん内してあげよう。


 僕が急かして、小走りで種を埋めた小川に向かった。

「お前、もしかしてここに埋めたのか? 」

 今にも咲きそうな紫色の花を指さしたお父さんは小川に着くや否や、僕にそう聞いた。

「そうだよ。水やりを忘れても大丈夫なようにしたんだ。名案でしょ? 」

「なんてこった……。お前、注意事項を読んでないのか? 」

 お父さんの顔は青ざめている。何か悪いことをしてしまったのか聞こうと口を開いた時、花がゆっくりと開き始めた。その刹那、花びらが風と一緒に空を舞う。あっという間に小さな渦が出来たかと思うと、だんだん大きな、バウムクーヘンのような雲が現れて、青空をどんどん埋め尽くす。

「わぁ……」 

 僕は何も言葉が出ないほど興奮していた。これが、図鑑で見た台風だ。僕がずっと見てみたかった……。お父さんは僕の手を強い力で引っ張って叫んだ。

「逃げるぞ! 」

 小さいはずの台風はどんどんと大きくなってゆく。強い風が、吹き始めた。


2130年 8月1日(父の手記)


 息子は誕生日プレゼントの台風の種を気に入ったらしく、今も瓶を抱きしめて寝ている。一歩間違えればどうしても危険なものになってしまうだろうが、それはどれも同じだ。それに、あの子は賢いから大丈夫だろう。忘れないよう、息子に渡す注意事項をここにも記しておく。

① 水を大量にあげすぎないこと。大体スプーン三杯分の水を一日一回が適量。水をあげすぎると台風が巨大化する可能性がある。

② 種の向きは尖っている方を上に向けること。向きを逆にすると、台風が逆向きに渦を巻く。もしも、台風が巨大化した上に逆向きに渦を巻けば地球の自転をも狂わせてしまうかもしれない。自転から時間は定められているから、最悪の場合時間を巻き戻してしまうことも……。

 時間が巻き戻って過去が変わる、なんてことは余程のことがない限りありえないだろう。同僚も頭のネジが外れてるんじゃないか、なんて。


19XX年 考古学者の会見 文字起こし(おはようテレビ)

 

 (某大学某教授)遺跡が多く残る大半の土地からは狩猟道具や石器が発見されていたため、主な食料が動物であったであろうとされる研究結果は今までにも発表されていたかと思います。しかし、今回、複数の遺跡からプラスチックやある化学物質が発見され、分析にかけた結果、現代では解明できない新物質であることが判明いたしました。旧石器時代にプラスチックや化学物質が使われていた可能性は後の歴史から見ても低いと思われます。また、新種と思われる花片の化石が発見され……。これらに関しては研究を続けますが……。


2021年9月2日 17歳の女子高校生の日記


 今日は二学期の授業初日。暴風雨。こんなにひどい台風が直撃しているのに半日休校にならないうちの学校って絶対におかしい。窓が今にも割れそうな音を立てている中、今は古典の授業(ちなみに担当はハゲ沢)。古典も歴史も、新しい事実がどんどん見つかって習っていることが正しいと限らないなら授業受ける意味なくない? なんて思っちゃうんだよね。って日記書いてたら内職がバレて当てられちゃった。紫式部と清少納言が綴った作品名を答えよ、だって。

 そんなの、「平氏物語と布団草子(に決まってるし中学生でもわかるわ)」って答えたら、

「たまに布団と枕を間違える奴がいるから気をつけろよ」

 って言ってハゲ沢、ウケたつもりでいるの。つまんないんだけど。


2129年8月9日


 「未来は過去の選択の積み重ねでできていて、人の選択は気まぐれです。だから、こんな妄想のようなことが起こる可能性もあるかもしれません」

 同僚は、流し込んでいたアンドロイド用アルコール(つまり油の一種)で滑舌が良くなったのか、頼んでいた種の注意事項や注意を守らなかった場合に起こり得るサンプルケースが記載されているデータを俺に見せながらスムーズな発音でそういった。

「全て経験したようなことがある気がするんだが、デジャブってやつか? 」

 嘘みたいな話だがお前の思考は全てデータに基づいているから現実味を帯びているっちゃいるよな。といいながら数本目の酒を開ける。

「ところで、後、5分36秒で雨雲が近づき小雨が降り始め、17分23秒後には本降りになります」

 酒を開ける前に言えよ、とアンドロイドに言っても仕方のない文句をグッと堪える。仕方がない、急いで飲み干してそろそろ帰ろうか。

 晴れた空の下、完全防水の格好で俺は研究所を出る。

「3、2、1…… 」

 雨が地面に打ちつけるタイミングで地下街に入ってゆく。来年の誕生日、息子が喜ぶ顔を想像して思わずにやけてしまいながら。



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