20.舞台を閉めるは赤の姫

 死力を尽くし、これ以上ないほど力不足を感じた。

 貼り付いた笑みを歪めることが出来ず、涼しい顔をしたスクリュードは、あろう事か僕たちに殺意を向けない。


 それは今まで行ってきた悪行に飽きたかのよう。

 遠ざかろうとする彼に、動けるソフィアさんもシンクさんも、意図が掴めず身構えるだけ。


「いやいや凄いですねぇ、コウさん。それにローエンさんも。そちらが限界を迎えてくれて良かったです」

「……チッ。おい、シンク。どうして止めたんだ。アイツ、全然ピンピンしてんぞ」

「敵意が感じられない。それに攻撃をするなら、初撃同様に自分ごと吹き飛ばせばいい」

「買い被りすぎです、龍族ルビーの人。攻撃をする隙なんてありませんでしたよ。ただまあ、身を引かせて貰う理由ですが……」


 手をひらひらとさせて去ろうとするスクリュード。

 彼が歩いていく先に、焔をかい潜り、悠然とした態度で歩く少女が姿を現した。


 街を歩けば何人にも会える、ブロンドヘアーの森人ジェイド

 服装も目立って着飾っている部分もなく、ただの市井の民にしか見えない。


 逃げ遅れた市民が迷い込んだ。

 そう勘違いしてしまいそうなくらい、普通の印象のある少女の筈なのに。


 妖しく光る赤の双眸そうぼうだけが、普遍ふへんの印象をくつがえす。


「お嬢が大変お怒りなので、やる気が削がれました」


 初めて会った時にも、一度だけ口にした呼称。

 それを述べて、態度には見えないがスクリュードは少女に頭を下げている。


 いったいこの少女は何者なのか。

 見るからに無害そのものの彼女へ、僕たちの視線は集まっていく。


「失礼なことを言わないで、スクリュード。貴方の行動全てが、怒るだけ時間の無駄なのですから。それとも慙愧ざんきの念を感じるとでも?」

「後悔とか反省ですか? まさか」

「ならいきどおっても徒労です。それよりも成果を報告しなさい」


 僕と変わらない歳の少女の口から出たのは、静けさのある女性の声。

 辺りを見渡す赤の瞳には熱がなく、知己であろうスクリュードに対しても冷めた反応を示している。


「成果、成果ですかー。龍族ルビー天使クリスタルの怒りを買って、預かった悪魔アメジストが結構死にました」

「………………そう。もういいわ。――命令よ。以降わたくしが指示を出すまで、何もせず隠れていなさい」


 目を伏せ思案する少女は、次にスクリュードへ命令を下す。

 へらへらと笑う彼は、すぐに頷くことは無く確認を行っていく。


「それは契約ですか? それとも要望?」

「契約よ。代価として一等の生活をさせてあげる。いい? ただ生きていなさい﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅

「了解、了解。では自堕落に過ごさせて貰いますよ、お嬢」


 その場でスクリュードと少女は契約を交わし、悪魔アメジストは黄金の焔に身にまとって姿を消す。

 少女は小さくため息を吐き、周囲を満たしていた黄金の焔が収まるのを見届けると、何もできず二人のやり取りを見ていた僕たちへ近づいてきた。


「お初にお目にかかります、紅玉こうぎょく騎士団並びに協力者の皆さま。代理者を介してとなりますが、ご容赦の程を」

「君は……あの悪魔アメジストの関係者。そう捉えて構わないですね」

「ええ、勿論。今のやり取りを見せた上で、否定するつもりはありませんわ」


 流れるように跪礼カーテシーをし、少女は上っ面だけの笑顔を見せる。

 瞳の底は冷えたままで、シンクさんも警戒を解かず、四肢はいまだ龍の体のまま。


「申し遅れました。わたくしの名前はペルセ・エマ・アネモニス。吸血種ガーネットです。以後お見知り置きを」


 少女――ペルセさんが名乗った瞬間。

 朱色の炎が爆ぜ、彼女の額に銀の銃口が突き付けられた。


 熱風により髪が揺れ、引き金一つで額に風穴が開く状態にも関わらず、ペルセさんは飛び出したソフィアさんに眉一つひそめない。


「オマエ、ペルセって名乗ったな。今更冗談は通じないぜ」

「冗談と言った先が気になりますが、一つの誠意として偽名ではありません。そして失礼ながら、貴女様のお名前をお教え下さいませんか? 理由なき嫌悪は肯定できませんの」

「ソフィア。ソフィア・ヴァーミリオンだ。どうせ覚えてなんかねぇだろ!」


 憤慨ふんがいを露にするソフィアさんの名前に、ペルセさんは思考を巡らせる。

 数拍の間を置き思い至ったのか、彼女はわざとらしく自分の額を銃口へくっつけた。


「十年程前に龍族ルビーと関係の深い貴族を潰した時、その名前がありましたね。一人娘がいるのは把握していましたが……。まさかこんな形でお会いできるなんて。予想外です」

「……ッ!」


 見るからに撃ってどうぞと迫る彼女に気圧されたのか、明らかに

ソフィアさんの意図していない弾丸が放たれた。


 銃口から撃ち出される、高熱の弾丸。

 それは刹那せつなの内に少女の額を貫き、体が宙に舞う。


 ……そんな事態は幻影となり、ひらりとスカートをひるがえしたペルセさんによって、弾丸は虚空へと消えた。


「ソフィアですね、覚えておきます。ですが今はご遠慮ください。先も言った通りこの体は代理者の物。無辜むこな女の子を撃つ趣味は、貴女様にありますか?」

「人質って訳か、このクソ吸血鬼」

「わたくしも不本意な方法ですが、こうした形でないと話すのもままならないので。――さて。口を利けますか、ローエン」


 降りかかるソフィアさんの殺意を流し、ペルセさんはそのままローエンさんに声をかけていく。


 聞くまでもなく名前を呼び捨てにする彼女だが、考えてみれば不思議ではない。

 スクリュードと行動を共にしていたのだから、仲間であるペルセさんが知っているのも当然。


「アレの仲間に、気安く呼ばれるいわれはない」

「そうでしょうか。貴方様の娘さんをお預かりしている身として、多少は友好的にありたいと思っていたのですが、残念です」

「なにっ……!? ローナは……ローナは無事なのか!!!」


 ペルセさんの一言に衝撃を受けたローエンさんは、体の痛みを忘れたように少女へ叫ぶ。

 尋常じんじょうでない反応にペルセさんは何かを察したのか、スクリュードに向けてため息を吐く。


「スクリュードが何を言ったのか分かりませんが、交わされた契約通り、ローナは心身ともに無事です」

「なら……なら返してくれっ……! 契約は破棄されたんだ。頼む! 私に残された唯一の宝物なんだ!」


 響く悲痛な声。

 僕の心に突き刺さる懇願こんがんであると共に、シンクさんからは別の気配が漂ってくる。


 僕にとってのネフィーさんがいるように。

 ローエンさんにとって、何にも代えられない存在のローナさん。


 彼女が生きている。

 彼女が戻ってくる。

 それが分かったローエンさんの行動は想像に難くなく、僕ですらそうしてしまうだろう。


「頼むっ……!!!」


 大切なものの為になら何でもする。

 例えそれが、悪と呼ばれる行為だろうと――


「それは難しいわね。なにせローナ自身が、帰りたくないと言っているのだから」

「――……えっ? 何を馬鹿な事を」

「勘違いして貰っては困るから言っておきます。洗脳とかはしていませんから。あくまであの子の意思です」


 提示されたのは誰も予想だにしていなかった回答。

 空気が固まり、言葉を失ったローエンさんは伸ばしていた手を、そっと地へ降ろした。


 力んでいた体は弛緩しかんし、突き付けられた現実から目を背けるようにまぶたが重く閉じられる。


「では、そこの若い龍族ルビーの方? 暴力ではなく話し合いに応じて欲しいのですけれど、宜しいですか?」

「……話し合いだと。この状況を作っておいて、今更何を」


 声をかけられたシンクさんは、目線はペルセさんへ向かずとも、敵意の指向性はしっかりと彼女を指していた。


 スクリュードが双子の舞台を台無しにし、ペルセさんによって森人ジェイドの少女が人質に。

 ソフィアさんもシンクさんも手が出せず、僕とローエンさんに至っては身動きが取れない。


 僕たちに残されているのは、否応なく彼女との会話に付き合うことだけだ。


「ソフィアにも言いましたが、この子を人質としているこの状況は、わたくしとしても不本意。矛を収めろとは言いませんが、耳を傾ける程度の事は出来ません?」

「あくまでお互いに何もせず、話を聞けと」

「まずは話し合いで済む事柄から。それとも力を誇示し、屈服させるのがお好みでしたら今すぐにでも」


 余裕ある表情で言葉を並べるペルセさんに対し、シンクさんは拳を強く握りしめ、心に湧いた情動を抑えている。

 考えを巡らせ、決心したシンクさんから出されたのは、承諾の言葉だった。


「……分かった。紅玉こうぎょく騎士団として、対話の意思があるのなら応じよう」

「ふふっ。ありがとう、若き龍族ルビーの方。個人ではなく全体としての判断、感謝するわ」


 苦虫を噛み潰したような顔のシンクさんに、ペルセさんは嘘くさい笑顔を向ける。


 明確な敵なのに、ソフィアさんどころか龍族ルビーのシンクさんすら手が出せず。

 嘘か本当か分からない、ローエンさんの娘さんの意思。


 手の平で踊らされている。

 そう感じざるを得ない彼女の言動に、歯痒はがゆさと苛立ちが募っていく。


「後処理の邪魔になってしまいますから、今日はこれで失礼いたします。話し合いにつきましては、詳細を後ほどこの子と同じく遣いを出しますので、乱暴なきように。――では」


 彼女の目的は、紅玉こうぎょく騎士団へ話し合いの約束を取り付けることだったようで。

 早々に会話を切り上げたペルセさんは、少女の体を赤いかすみへと変貌へんぼうさせていく。


 輝石の如く煌びやかな赤へ変ずる彼女と最後、僕の視線が交わった。


■■﹅﹅﹅﹅﹅がいるなんて、珍しいですね」

「……待って、待ってください! 今、なんて……!?」


 体と共に虚空へと消える彼女の言葉。

 魂が拒絶したペルセさんの言葉は、きっと種族を――人間アゲートと言ったはずだ。


 だから何も間違っていない。

 それ以外が当てはまるなんて事もない。


 彼女たちへの敵意を超えて、暗い蒼の霧に包まれた魂からにじんだ痛みが、僕の意識を刈り取った。

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